――オーケストラの響き渡るなか、佐倉杏子は最後の戦いに臨む。
相対するは、『人魚の魔女』。かつて美樹さやかと呼ばれた少女の成れの果て。
身の半分は魚と化し、魂は失せ、最後に残ったどす黒い想いの残滓が鎧兜に我が身を牢した姿は、恐ろしい以上にいたましかった。
杏子は決意する。
我が身と引き換えにしてでも、魔女を――否、さやかを止めなければならない。
リボンをとり、髪留めを外し、祈りの姿勢をとる。
「コイツは、私が引き受ける」
自らの身体を盾とすべく、背にした二人、ほむらとまどかに決然と言い放つ。
我が身を魔力の炎で燃やし、魂をも燃え尽きさせんと、全ての力を祈りに込める。
魔力の槍は林の如く湧き立ち、蛇節槍は生き物のように動き、杏子の体を乗せて穂先を鎌首よろしく持ち上げる。魔女の、さやかの、瞳のない眼と正面から見つめ合う。
「心配すんなよさやか」
寂しい微笑みを投げかけながら、祈りの姿勢を解く。
手に赤い光が宿り、彼女の得物たる仕掛け槍が現れる。
「独りぼっちは、寂しいもんな」
握り込んだ髪留めが掌のなかで熱を持つ。
心臓のように脈動し、命の鼓動を打つ。
「いいよ、一緒にいてやるよ」
口づけを一つし、髪留めを投げる。
そこに宿った赤く輝く宝石こそは、佐倉杏子の魂そのもの。
「さやか……」
宙空のソウルジェムへと穂先を擬し、鋭い槍先から魔力を迸らせる。ソウルジェム内部の魔力とそれは呼応し、魂の宝石を内側より砕きながら、爆ぜるようにして広がる。
言葉通り、命を賭しての杏子の一撃は、美樹さやかだった魔女を確かに屠った。
かくして佐倉杏子の魂も肉体も、人魚の魔女を道連れに、この時空からは完全に消え去った筈だった。
いや、ある意味では消え去ったといえるかもしれない。
杏子の魂は見滝原から確かに消え失せ、しかし消滅することなく、彷徨い、そして――悪夢に囚われたのだ。
――目覚めは唐突に訪れた。
「へ?」
些かマヌケな声が漏れ出し、瞳は見覚えのない天井を捉える。
しばらく現実を現実と認識できず、呆然とする。
「!?!?!?」
余りの驚愕に言葉すら無くし、ベッドの上で跳ね起きる。
シーツがズレ落ち、質素なつくりの寝間着姿があらわになる。
「あ? あ? あ?」
ぱくぱくと金魚のように喘ぎ、何度も何度も左右の掌を握ったり閉じたりする。
指の先の感触はこの上なく現実的で、我が身が幽霊でも幻でもない、確かな実体であることを教えてくれる。
「……なんで?」
最初に出てきた言葉は、問いかけだった。
当然だろう。彼女の認識では、間違いなく自分は死んだ筈だったのだから。
そう、間違いなく自分は死んだ。さやかを道連れに、自らソウルジェムを爆ぜさせた筈なのだ。
にも関わらず、自分は生きている。
この上なく、五体満足で生きているのだ。
「……」
ぺたぺたと、自分の体を何度も触ってみる。
怪我一つなく、全くもって見慣れた自分の体だ。……いや、一箇所だけ、おかしな部分がある。
「なんだよコレ……」
杏子は自分の胸元を訝しげに睨みつけた。
魔法少女に変身した際に、ソウルジェムが収まっていた場所だ。今はソウルジェムの代わりに、血のような赤い色の、奇妙な紋章が浮かんでいる。先端を向け合う二つの三叉の間に、両者から串刺しにされるようにして目玉が置かれている、とでも言えばよいのだろうか。とかく、形容し難い奇妙極まりない図形なのは間違いがない。
「消えねぇぞ……気持ち悪いな、もう」
ごしごしと模様を拭ってみるが、古傷のように赤みを増すばかりで、全く消える様子もない。
故に杏子の意識は謎めいた文様に集中し、だからこそ、近づく足音に気づくことはなかった。
「あ」
「あぁっ?」
幼い声に驚いて、声のする方を見れば、水盆を手にした少女の姿が目にうつった。
白いリボンをした、可愛らしい少女である。呆然と、杏子の顔を見つめている。
暫時、見つめ合い、変化は唐突に訪れる。
「おとーさーん! おかーさん! お姉ちゃんが起きたよー!」
「ちょ、ま」
少女は水盆を放り出すと、大声を出しながら駆け去ってしまったのだ。
呼び止める杏子の声は届くことはなく、独り残され、途方に暮れて、床へとぶち撒けられた水に眼を落とす。
しばらくすると、少女が駆け去ったほうから、大きな足音が響いてきた。
それは、とてもとても大きな足音だった。
「うぎゃぁっ!?」
足音の主が姿を現した時、杏子が無礼にもそんな悲鳴をあげてしまったことを、誰が責められるだろう。
現れた男は、天井に頭が触れるかと思うほど背が高く、ボサボサの白髪をかき乱し、その瞳は包帯に覆われていたのだから。客観的に見て、人に悲鳴をあげさせるに充分な、奇怪なる出で立ちではないか。
「……」
大男は杏子の反応に、不満げに鼻を鳴らしたものの、咎め立てることはなかった。
――これが佐倉杏子とガスコイン神父との出会いであり、彼女と神父一家との、短くも濃密な日々の始まりになったのだった。
――『大橋』
見慣れぬ装束に身を包んだ佐倉杏子は、ほむらのことに気づくなり、驚き言った。
「あぁ!?……って、アンタいつぞやのイレギュラーじゃないか。なんだってこんな所に」
――イレギュラー。
この言い回しに、ほむらは帽子の下で眉をしかめた。
杏子がほむらのことを『イレギュラー』と呼ぶのは決まって、彼女が巴マミと決別し、しかも和解に失敗した時間軸でのことなのだ。つまり今ほむらの目の前にいる佐倉杏子が、その時間軸からやって来た彼女であることを示しているのだ。これは、ほむらにとって喜ばしい事態ではない。このタイプの時間軸の杏子は決まって、利己的な生き方を
つまり、状況次第では敵となりうる可能性を孕んでいるということなのだ。
「……そう構えんなって。アンタとやりあう気はないよ。よりによって、こんなひどい夜にさ」
しかし杏子はほむらへとそう笑いかけると、斧の『仕掛け』を動かせば、それを片手用のものへと変形させ刃を下げた。害意を否定するジェスチャーである。
「お互い、因果なことに巻き込まれちまったもんだよね。おっ死んだかと思えば、天国でも地獄でもなく、獣の街に迷い込むなんてさ」
腰に手を当てながら、自嘲気味に微笑む杏子の言葉から、ほむらは彼女が自らの死を自覚していることを知った。恐らくは、美樹さやかと心中でもしたのだろう。幾度となく、ほむらが見送ってきたパターンだ。
「……もしかして、マミやさやか、それに、まどかって言ったっけ? あの娘もヤーナムに来てたりすんのかい?」
これは、ほむらにも気にかかる問いかけだった。
自分のみならず、杏子までもがこの異常事態に巻き込まれているのだとしたら、巴マミや美樹さやか、場合によってはまどかがこのヤーナムの街に迷い込んでいたとしてもおかしくはない。もしそうだとすれば、まどかと一刻も早く合流をせねばならないだろう。
「……残念だけど、今の所顔見知りと会ったのは、あなたが初めてよ」
しかし口惜しいことに、ほむらはそう言って首を横にふるしかないのだ。
「そうかい……てっきり、さやかの馬鹿も迷い込んでるもんかと思ってたけど、このぶんじゃどうにもはっきりしないね」
杏子はと言えば然程期待していなかったのか、あっけらかんとした様子だった。
ほむらには、なんとも見慣れぬ様子の彼女だった。
魔法少女としての誇りを持ち続けるでもない、やさぐれ利己主義に走るでもない、憑き物が落ちたかのような、あっさりとした表情をしている。あるいは一度『死』を経ることで、何か悟るものでもあったのかもしれない。
「ところで……今のアンタはアタシと同じ、狩人なんだってのは解るけど、いったぜんたい、こんな所で何してんのさ?」
杏子からの問いに、何と答えたものか、ほむらは思案した。謎めいた現状に対する答えを、誰よりも欲しているのはほむら自身なのだ。未だ何一つ、自分が今、このヤーナムに居る意味を、明らかにしてはいないのだ。
「……『青ざめた血』という言葉を、聞いたことがあるかしら?」
だからほむらは、敢えて問い返した。
どうも杏子は、自分よりも先にこのヤーナムに迷い込んだらしい。だとすれば、何かを知っているかもしれない。
「『青ざめた血』……? 何だよそれ? 新しい輸血液かなんか?」
しかしほむらのあては外れた。杏子は眉をしかめたのみで、期待した答えは返ってこなかった。
「――その『青ざめた血』を探すために、聖堂街に向かう道を探しているのよ」
それでもほむらは気落ちすることはなかった。
この忌々しいヤーナムの街で、見知った相手と言葉を交わせることが、この上なく心を落ち着けてくれたから。
「聖堂街、ねぇ。奇遇だね。アタシもちょうど向かってた所のなのさ」
杏子は、彼女の左側の空を見上げた。
ほむらも釣られて見れば、ことごとく高く、先の尖ったヤーナムの屋根のなかにあって、一際高い屋根が聳え立っている姿が見えた。どうも、あれが聖堂街であるようだ。
「今夜はハッキリ言って異常さ。獣避けの香を焚いてても、獣どもが襲いかかってきやがる。ヤーナム中央街じゃ、安全なとこなんてもう何処にもない。でも、聖堂街なら、まだ逃げ込める場所があるんじゃないかってね」
「
杏子らしからぬ言葉に、ほむらが問えば、赤毛の魔法少女は視線を逸らし、頬を指先でぽりぽり掻いた。
「まぁ、こっちにも色々とあってね」
「……」
ほむらは詳しくは問わなかった。
杏子は若干強引に話題を変える。
「どうだい? 目的地は同じだし、お互い魔法少女――じゃないな今は、お互い狩人同士だ。協力し合うっていうのは」
これは、ほむらにとっては渡りに船だった。
ヤーナムの街は、異邦人が独りで歩むには、あまりに陰気に過ぎる。
「こちらからも、よろしくお願いするわ」
ほむらの答えに、杏子は八重歯を見せながら笑った。
「お近づきのしるしってやつだ。受け取れよ」
――『油壺』
「アンタなら、アタシよりもうまく使えそうだからさ」
ほむらは受け取った餞別を、盾の中にしまった。
よもや杏子の言う通り、受け取った油壺をうまく使ってみせる破目に陥るとは、この時は知るよしもなかった。
大橋の半ばで、例の大男と巨大で地を這うカラスの群れと出くわしたが、二人はいとも容易く片付けることができた。歴戦の魔法少女が二人だ。得物こそ彼女らの普段のものと違うとはいえ、この程度の相手に遅れをとるわけもない。
「意外ね」
「なにがさ?」
獣狩りの斧にこびりついた血を振り払う杏子の姿に、ほむらはポツリと言った。
「斧とか、そういう武器を使うイメージが、あなたにはなかったから」
魔法少女としての佐倉杏子は槍使いだ。しかも、多節槍という、トリッキー極まりない武器を得物としている。
実際、その獰猛な性格に反して、彼女の戦闘スタイルはむしろ技巧派だ。そんな彼女が、殺意をそのまま形にしたような、刃も分厚い斧を使っているのは、はっきりいって奇妙ですらある。
「こう見えて、意外と繊細な武器なんだけどね。まぁ、見た目だけなら確かにそう思うのもしかたないか」
杏子は、その刃に刻まれた、謎めいた文字を眺めた。
ほむらにはしかし、杏子がそんな文字列を実際には見ていないように思えた。
柄の曲がった斧を通して、誰かの幻影を見ているように、ほむらには思えたのだ。
「……行こう。こんな所で時間使ってもしょーがないじゃん」
ほむらの視線に気づいた杏子は、大橋の奥へと歩みを再開した。その後に、ほむらは続く。
暫し歩けば、大橋の端に辿り着いた。
「……閉ざされているわね」
「クソッ! 無駄に頑丈につくりやがって! コレじゃぶち破って行くこともできやしない!」
そこで二人を待ち受けていたのは、下ろされた巨大な鉄扉であった。
獣を阻むためか、恐ろしく頑丈に造られ、ほむらと杏子が力を合わせたとしても、破れそうにはない。
杏子は思い切り鉄扉を蹴飛ばすが、重い金属音を鳴らすだけビクともしなかった。
「この高さじゃあ、乗り越えるの無理っぽいね……ったく、別の道を探すしかないか」
「そのようね。引き返しましょう」
二人だけの力では、いかんともし難い。引き返すより他なかった。
ほむらも杏子も、嘆息を交えながら、踵を返した――その時であった。
――咆哮。
「「!?」」
突如鳴り響いた獣の吠える声に、二人は立ち止まり、互いに顔を見合わせる。
声は恐ろしく大きく響いた。つまりはその主は、すぐ近くにいることを示している。
「……少し前、同じ声を聞いたわ」
「奇遇だね。あたしもさ。しかも前の時と違って――」
ほむらと杏子は、振り返り、頭上を見上げた。
空を巨大な影が飛び抜ける。
「――ひどく、近い」
地響きに、大橋が揺れる。
二人が向き直れば、巨大な、余りに巨大な獣の姿が見える。
鹿のような巨大な角を生やしたその獣は、二人の姿をみとめるや、再び咆哮をあげた。
――『聖職者の獣』
そう呼ばれる、恐ろしい獣が、二人の魔法少女へと今、襲いかかろうとしていた。