Pixivにあげていたものをこちらにも投稿させていただきました。
おたえと花音さんのかわいさ満点の休日のお話です。
ほぼ毎年のペースで記録を塗り替えていく猛暑は、例外なく今年も猛威を振るう。冷房の効いた部屋の中はさながらノアの方舟のようで、外出など自殺行為だ。
そんな猛暑の夏の日の朝、クーラーという快適な文明の利器のおかげで気持ち良く目覚めることができた花園たえは、既に一回止めてしまった後、ただの置物と化した目覚まし時計の針を確認した。
午前10時28分。
世間一般的で言うと、もう昼と形容してもいい時間だ。昨日遅くまで頭に浮かんだフレーズを書き留めるのに躍起になっていたからだろうか。こんなに起きるのが遅れてしまうとは・・・。
たえは自分の部屋を出て、朝御飯がてら冷蔵庫の中の蜜柑ゼリーを台所で立ったまま頂き、リビングのソファに腰かける。手持ち無沙汰になって、テーブルの上に置いてあった、父親が朝食のお伴として読んでいたのであろう新聞に手を伸ばす。中身は芸能人の結婚やスポーツの国際大会の結果など、ニュースにするに当たっては特別なのであろうが、興味がない側にとってみれば日常的な平凡なものであった。ページをめくり、興味が湧くニュースを探す。が、これと言ってそのようなニュースはない。諦めて新聞を放り投げようとしたとき、手元の広告欄に視線を落とすと、そこには「ふれあい」の4文字があった。指先の動きを止め、もう一度焦点を集中させる。
小さな動物とのふれあい体験・・・か。うん、悪くない。小さな動物というと・・・イグアナとかかな?それならオッちゃんを連れていったら良いかなぁ?お友達になれるといいなぁ・・・。他にも色んなかわいい動物がいるのなら、見てみたいなぁ。
余談だが、イグアナはペットショップで売られているサイズからかなりの大きさまで成長する。20cm程度の大きさから、1年で倍、2、3年で90cmくらい、といった感じだ。下手するとオッちゃんのような小ウサギなら飲み込まれかねない。そんなイグアナを小動物として槍玉にあげるあたり、やっぱりどこかずれている。
小動物と形容していいのかは分からないままであるが、一応新聞の広告に書いてある動物のリストの中にはイグアナの文字があった。
自らが世の中の一般とは若干外れているとは露知らず、たえはソファから起き上がり、外出の準備を整え始める。今日はスタジオでの練習も、遊ぶ予定も特になく、両親もそれぞれどこかへ出掛けてしまった。まずは寝汗が染み込んでしまった薄手のTシャツを脱ぎながら風呂場へと向かう。手早く温度を低めに設定したシャワーを浴びると、バスタオルで体を拭き、そのまま台所へと向かう。家の中には誰もいないのでバスタオルを体に巻き付けるだけで事足りる。というか別に隠すようなものではないし。
まだ午前だというのに衰える気配の無い陽光への対策として、大きめの水筒に氷を詰め、冷蔵庫の中の麦茶を流し込んだ。かろかろかろん・・・と涼やかな音をたてながら、水筒の中身はたちまち満タンになる。長い髪の毛は首元に熱気や湿気が籠るため、ヘアゴムで一つに括り、ポニーテールにする。それから自分の部屋へ行き、外行き用の服装に着替える。
普段のスタジオ練習やコンビニに行くときなんかはハーフパンツとTシャツで済ましていたが、花の女子高生がそんなことではだめだ。……と、この前沙綾に言われたから、きちんとお洒落をすることにした。
前から持っていたダメージデニムパンツに、この前沙綾に選んでもらったカーマインのオープンショルダーニットを合わせる。小さめの鞄に財布と携帯、汗を拭くためのタオル、そして台所に行って水筒を取り、鞄の中に入れる。
あとはケージを取り出して、地下室からマイペースにごろごろしていたオッちゃんをケージの中に招く。同時にエサとなるラビットフードやトイレ処理の道具を揃え、準備は完了した。
玄関でサンダルを履き、ドアを開ける。その瞬間サウナに入ったかのような熱気に包み込まれ、思わずふわぁ・・・と息が漏れる。
「今日は暑くなりそうだね、オッちゃん」
オッドアイのウサギは、ケージの中で賛同するかのように小さく、みぃ、と鳴き声をあげた。
ふれあい体験の会場へはバスで20分ほどの大型イベントホールだ。幸い家からバス停の距離は近く、また到着先のバス停から会場までの距離も無いため、あまり汗をかくことなく会場に辿り着くことができた。
入場料を払い、人々の喧騒や鳴き声が入り混じった空間の中に入る。新聞の広告に『あなたの家のペットも連れてこよう!』と、ペットの入場を許可するどころか推奨していたので、会場にいた人の中にもケージを持つ人や、犬を抱えあげている人とすれ違う。入場ゲート付近にあった網棚に置かれてあったパンフレットを取り、情報を確認していく。
ペットの入場が可能なので、イベント側のペットには来場者が連れてきたペットと混ざらないように体のどこか一部にバンドを巻いていること。場所ごとに動物の種類が分かれていること。そして、イベント側の諸事情によって今日この場所にイグアナはいないこと・・・。
「オッちゃん・・・今日イグアナいないんだって。残念だね」
別にイグアナはどうでもいいんですけど、とでも言うように、オッちゃんはすんすんと鼻を鳴らしていた。
さて、どこを見て回ろう。ハムスターのようなTHE小動物から、オウムやインコなどの鳥類、金魚やグッピー、カクレクマノミなどの熱帯魚コーナーもあるみたいだ。全部見ていきたいところだが、オッちゃんを入れたケージを持ったままでは疲労が重なるだろう。会場内にベンチはあるものの、他の客に占領されており、休憩時間は期待できない。まずは見たいところに目星をつけ、それから動くことにした。
まずはハムスターのコーナー、次にモルモットを見て回る。ケージを抱え上げてオッちゃんにも見せてあげる。反対方向向いてるけど、まあいいや。
それから軽食などが販売してある売店を通りすぎ、イグアナのコーナー・・・に行こうとしたが今日は諸事情により存在しない。イグアナがいるはずだった場所には折り畳まれた柵や木箱などが積み重なり、物置のようになっていた。
木箱と木箱の間に少しだけ空いているスペースをくぐり抜ければ、誰もいない空間があるだろうか。既に歩き疲れて足は重く感じるし、また、オッちゃんのご飯の時間を通路のど真ん中で済ませるわけにもいかないので、イグアナがいる予定だったスペースに入り込み、木箱の間にできた小さな通路を通っていく。外出してからバスの座席にしか座れておらず、1時間を超える時間立ちっぱなしだったので、木箱でもなんでも座りたい気分だった。先ほどの売店に立ち寄っても良かったかもしれないが、中途半端な時間に朝食を摂ったせいか、まだ十分な食欲がない。何も頼まずに座るのも憚られるので、木箱に座る選択肢を選んだ。
たえは小さな通路の先にタバコを吸っているリーゼントヤンキーがいないことを願いながら歩いていった。会場からは完全に死角で、暗い場所であることから可能性は無きにしもあらず、と考えていた。
・・・小動物のふれあい体験の会場に来るヤンキーなぞ、確実にヤンキーではないが。
思考を巡らせながら歩いていると、行き止まりにたどり着く。そこには誰かの人影があった。
反射的に危機を感じとり、たえは積み重ねられた木箱の陰に隠れる。
まずい、まさか本当にヤンキーが。
と、思ったのも束の間。
「ふえぇ・・・また行き止まり・・・」
震え声で呟き、肩を落としていた。身長はたえよりも明らかに低い。高い声からおそらく女性であると推測できた。
「引き返すしかないかなぁ・・・」
小動物のような、弱々しい声。
あれ、この声には聞き覚えがあるようなーー。
声の主が通路を出るために振り向く。潤んだ瞳が、木箱の陰に隠れていたたえを捉えた。たえも声の主と目線を合わせる。
胸元が着物のように打ち合わせになっているセルリアンブルーのカシュクールタイプのワンピースに、つばが全方向に広がっている、キャップではなくハットの方の紺色の帽子を被っている。淡やかな水色の髪の毛はサイドテールにしており、結んだ先の髪の毛先がゆらゆらとクラゲの触手のように揺れている。
「・・・花音先輩?」
「え?たえちゃん・・・?」
方向音痴の少女、迷宮のジェリーフィッシュこと松原花音は驚いた顔でたえを見つめていた。
「どうしたんですか、こんなところで」
たえは花音と距離を詰めながら話しかける。
「たえちゃん・・・」
「はい?」
「よかったよぉ~・・・!」
花音は涙目のままたえの方へ近づき、たえの服の袖を両手で掴む。顔を胸にうずめ、安心のあまり力が抜けきったのか、安堵の息を漏らす。
「・・・また迷子ですか、花音先輩」
けろっとした顔で自分より一回り小さい花音の頭を撫でる。たえの方が年下だが、今の光景だけを切り取ってみると完全に立場は逆転していた。
「とりあえず、オッちゃんのご飯を食べさせて良いですか?」
「あ、ごめんね!」
花音がたえから離れる。その後「こんにちは、オッちゃん」と笑いかけながらウサギ相手に丁寧に挨拶を加える。オッちゃんは「いつぞやの迷子の迷子の可愛い子ちゃん、もしかして、また迷子?」
・・・と、たえがラビットフードを用意しながら心の中だけでアテレコした。流石に先輩に直接可愛い子ちゃんとは言えない。
オッちゃんが小さなお皿に盛られたラビットフードをもひもひと食べている横で、たえと花音は木箱に座ってここに至るまでの経緯を話し合っていた。
「私たちはイグアナ見に来たんです。だけど今日はいないらしいです・・・。オッちゃんも残念そうです。顔で分かります」
オッちゃんは後ろ足で木箱をガツッ、と蹴る。だからイグアナ見たいなんか一言も言ってねえよ、という顔だ。それでもオッちゃんはラビットフードを前に小さな口を動かし続けている。狭いスペースなのでラビットフードの牧草のにおいが立ち込めている。花園家ではコストパフォーマンスや栄養素などの要因で『シモシイ』という銘柄のラビットフードを使い続けている。20羽もの大量のウサギを飼育しているので、栄養とコストパフォーマンスは重要だ。
「そうなんだ・・・。私は午前中から美咲ちゃんと一緒に来てたんだけど、美咲ちゃん午後からバイトが入っちゃったみたいで・・・。帰り際にちゃんと地図と行程を教えてくれたのに私未だにハムスターとかモルモットのエリアから出れなくて・・・。このままずっとここに閉じ込められたままなんだと思ってたから、たえちゃんと会えて良かった!」
「そうなんですね。花音先輩は午前中どこ回ってたんですか?」
「えっとね、インコとか、オウムとか・・・。あとクラゲはちゃんと見たよ」
クラゲは小動物に含まれるのかどうかは分からないが、熱帯魚のコーナーがあったのだからクラゲがいてもおかしくはないか。どうやら花音先輩が午前中回っていたのは今から自分が見ようとしていたエリアとは反対方向らしい。それなら丁度いいか。
「花音先輩、これからすぐ帰るつもりですか?」
「え?いや、まだ他にも見たいのあったし・・・」
「じゃあそれらを一緒に見てから帰りましょう。時間もまだありますし」
「う・・・うん!ありがとう!」
花音が言い、たえがオッちゃんの方を見ると、お皿の中身は空になっていた。
それから二人(と一匹)は並んで歩き、色んな動物を見て回る。
「たえちゃん、これは何かな?」
「フェレットですね。人懐っこいですし、丸まって寝てたり、筒の中に顔を突っ込んだりしてて可愛いんですよ~」
「えーと、こっちは・・・ネズミ?」
「デグーです。見た目がっつりネズミですけど、知能が高くて名前呼ぶと来てくれたりするんです」
「詳しいね・・・」
「好きなんです、小動物」
歩いていくと、電灯の光量が弱まっているコーナーに入った。今さっきの木箱の通路よりもさらに暗い。
「あれ、なんかここ暗いね・・・」
「あ、この子のためだと思います」
たえがケースの中に展示されてある小さな動物を指差す。
「あれ、またデグー?ん、いや、ちょっと違う・・・。ハムスター・・・でもないし、モルモットでもない・・・」
「チンチラ、です。夜行性なので暗いんだと思います。活動的で、今もぴょんぴょん跳ねてます」
「わぁ~、可愛いね~」
「そしてツンデレです。・・・おーい、こっちおいでー」
たえが手を差し出し、ちょこちょこと動かすがチンチラはそれを見てぷいっと顔を背けた。
「あ・・・じゃ、やめちゃおっかな」
たえが手を引っ込めようとするとチンチラがバッと手に飛び付いた。
「本当は撫でたりしてほしいのにこっちから行くとダメなんですよね。まあ有咲みたいなもんです」
「え?有咲ちゃんはツンデレなの?」
ああそうか。有咲と花音先輩はお互いに友達(美咲)の友達だし、有咲猫被っちゃうのか。というか、まず話すこともあまり無さそうだ。
「まあ夜行性ってとこも合ってますね」
インドアだし、趣味ネットサーフィンだし。蔵にお泊まりしたときも寝るのが遅いし。花音先輩は頭の上に「?」を浮かべてるけど・・・。
「あ、ハリネズミだ!」
「可愛いですよね。こっちの子は怒ってますね。トゲが立ってます。この子は比較的大丈夫みたいです。撫でても痛くないです」
「うーん、でも触るの怖いよ・・・。たえちゃんギター弾くのに大丈夫なの?指ケガしない?」
「多分大丈・・・んっ・・・いたっ・・・」
「たえちゃん!大丈夫?」
「はい。ちょっと指先を切っただけで」
「でも血が出てるよ!えっと・・・絆創膏・・・」
「いや、大丈夫ですよ」
「と、とにかく血を止めないと・・・!」
花音はうろたえながら鞄の中を探したり、たえの手をとったりして考えるが、慌てているせいか考えがまとまらない。そうこうしているうちにたえの指先から血が落ちそうになる。
「えと・・・えいっ!」
パニックなのか、花音はたえの指先に口を当て、舌で傷口を押さえる。
「あの、花音先輩・・・。自分で舐めますよ?それに、くすぐったいです」
「え?あっ、ごめんなさい!」
花音は口を離すと年下のたえに頭を下げながら敬語で言った。
「こっちは・・・」
「花音先輩離れないでください。見失ったらまた迷宮入りです」
「ご、ごめん!私・・・なんか助けてもらってばかりだね。その点たえちゃんは落ち着いてるし、お姉ちゃんって感じがするよ」
「そんなことないですよ?すぐ歩き疲れるし、若干お腹も空いてきちゃいました。・・・こうやって歩き疲れた、ご飯食べたい~、って言うの、妹みたいじゃないですか?」
「じ、じゃあ売店がそこにあるし、私が奢るよ!お姉ちゃんらしいとこ見せるよ!・・・年上だし」
歩きながら小動物を見て回り、スタート地点だったイグアナのコーナー近くの売店に戻ってきたみたいだ。若干疲れを感じるので、花音先輩と一緒に腹拵えをしよう。奢ってもらうのは気が引けるけど、もうレジに行っちゃった・・・って、ん?
「・・・あの、ごめんね・・・奢ってもらっちゃって」
この前の迷子騒ぎのときに電車賃などでお金を使いきってしまったらしい。帰りの交通費と花音先輩が方向音痴なことを考えると、今この場での金欠は命に関わるかもしれない。命まではいかずとも、家まで辿り着けずホームレス化する花音先輩は見たくない。
「気にしないでください。今日は余分に持っているので」
アルバイトをしていることで所持金は毎月定額増加し、外食、ギターの用品、ウサギの飼育維持費以外特に買い物もしない、たえの財布事情は安穏なものであった。だから一般的な女子高生と比べてファッションにあまり関心がないのである。
チュロスを食べながら花音先輩の方を向き、最近あった話や、今日の小動物の感想など、雑談に花を咲かせる。
ーー足元で起きている、異変に気づかぬまま。
「さて、そろそろ帰りますか。オッちゃんも行・・・」
たえが足元に置いていたオッちゃんを入れていたケージを抱えようとしたとき、動きが止まる。
「・・・たえちゃん?どうしたの?」
「・・・が」
「・・・え?」
「オッちゃんが、いない・・・!」
「えぇっ!?」
さっきまで確かにオッちゃんが入っていたはずのケージの中には、低反発のクッションが敷いてあるだけで、オッドアイのウサギの姿はどこにもなかった。
「エサをあげた後、きちんと閉めてなかったかも・・・」
たえが真っ青な顔で呟く。花音がきょろきょろと周りを見回すが、オッちゃんの姿は見当たらない。
「と、とにかく近くを探そう!」
「そ、そうですね。どこかに紛れちゃったのかもしれませんし・・・」
珍しくたえが動揺の色を見せる。いつも飄々としている彼女だが、やはり大切なオッちゃんの失踪はショックだったようだ。
「近くにウサギのコーナーがあるよ!係員さんに頼んで確認してもらおう!」
花音がたえの手を引いてウサギのコーナーに入る。イベント側のペットには来場者が連れてきたペットと混ざらないように体のどこか一部にバンドを巻かれているので、イベント側のウサギとオッちゃんとの区別は容易につく。花音とたえは係員さんに経緯を話し、ウサギを判別してもらう。
しかし。
「すみません・・・。こちらにはいないようです」
「そうですか・・・」
「会場のどこかには居ると思うので、放送をかけておきますね。また何かあればお申し付けください」
「はい・・・ありがとうございます」
花音が落胆しながらも丁寧に礼をし、ウサギのコーナーを離れる。
「どこに行っちゃったんだろう・・・」
「・・・」
「た、たえちゃん?どうかした?」
「いえ・・・」
たえは俯いたまま沈んだ声で呟いた。先程までの元気で嬉々としていた彼女はここにはもういなかった。花音がはぐれないために繋いでいた手から、微細な振動が伝わる。
「もし・・・このまま・・・オッちゃんと離れ離れになっちゃったら・・・」
たえの手は震えていた。まだオッちゃんを見失ってから15分程度しか経ってないが、不安になるには十分な時間だ。そもそも今日この場に来たのだって、オッちゃんにイグアナを見せるためだ。それだけたえはオッちゃんのことを可愛がり、愛していた。たえの瞳は潤んで、今にも涙が溢れそうになる。
「わたし・・・オッちゃんが、いない、の・・・いやです・・・っ」
震え声でそう呟くと、たえはついにその場にしゃがみこむ。左手の甲を額に当て、顔を伏せた体勢になる。時折鼻をすする音が聴こえる。
「だ、大丈夫だよ!たえちゃん・・・元気出して?」
花音がたえの頭に左手を置き、ぽんぽん、と励ますように軽く叩く。右手は繋いだままだ。
「・・・花音先輩ぃ。・・・ぐすっ、うぅ・・・」
「わぁあ、泣かないで・・・。大丈夫だから」
少し前まで姉のような雰囲気で花音と連れだって歩いていたたえは、今では慰められる妹のようだった。懸命に赤子をあやすように、花音は大丈夫だとたえの頭を撫で続けた。手の温もりがじんわりと響き、波立っていた心が徐々に穏やかになっていった。ウサギも撫でられるときこんな感じなのかな・・・
「・・・あ」
ふと、たえが声を漏らす。
「え?ど、どうしたの?」
確か、こんな風に撫でてーー。
「オッちゃーん。おいでー」
花園家のウサギ解放区、通称『花園ランド』でたえはオッちゃんたちを愛でていた。人懐こい彼らはたえの周りにひっついて離れない。
「オッちゃん、よしよし~」
たえの右手がオッちゃんの体をもふもふと触れる。撫でられて気持ち良さそうなのか、小さな体をたえの体に擦りつける。この可愛さをずっと堪能していたいが、しゃがみっぱなしで足が疲れたので、近くの椅子に座りながらウサギたちをもふもふする。
しばらくして、いつの間にかオッちゃんが近くにいないことに気づいたたえは、名前を呼びながら姿を探す。
「オッちゃーん?どこ?」
ドアは閉めたままだから、花園ランドの中にいるのは間違いない。いったいどこに・・・
「・・・あ。オッちゃん。こんなところにいたんだ。本当にーー」
「ーー狭いところが好きだなぁ」
「へ?」
何かを感じたようにたえが視線を真っ直ぐに向ける。花音は戸惑いを隠せず、突然のたえの言葉に意味を見出だせない。たえは立ち上がり、花音のほうを向く。
「花音先輩!撫でてくれてありがとうございます!」
力強く言い放った。
「え、えええぇ!?」
混乱。困惑。一体どういうプロセスを経てその言葉に辿り着いたのか分からない花音は、目のなかにぐるぐると渦巻きを形成していた。
「分かりました!オッちゃんがいる場所」
「ど、どこにいるの・・・?」
「ついてきてください」
たえが花音の手を引いて、駆け足で移動する。売店の前を通って、人気の少ないスペースに入る。木箱や柵が無造作に置かれた、物置のようなスペース。本来ならイグアナがいるはずだった場所だ。
「あ、あの、たえちゃん?ここには木箱があるだけで・・・」
「その木箱があるから、です。オッちゃんは狭いところが好きで、家なんかでも隅に置いてあった段ボール箱の間に隠れたりするんです。ということはーー」
たえと花音は、数時間前お互いと遭遇した場所へ進んでいく。ヤンキーが潜伏してそうな、木箱と木箱の間によってだきた小さな通路。
道の行き止まりまで来ると、たえは周りを見回した。人間の体では無理だが、小さな動物なら入れそうな隙間。木箱の間にできた、小さなスペースを覗き込んでいく。屈んではまた立ち、隙間を見つけ、またしゃがむ。ちょっとしたスクワットに、たえは息を切らし始めた。花音もたえにならって木箱の間を探っていく。
でも、この辺りにいるはず。絶対にーー。
たえが草を掻き分けるように、積み重なった木箱の間を探っていく。
「・・・見つけた」
小さな体をさらに小さくさせ、うずくまってぷるぷると震えていたオッドアイのウサギは、たえが手を伸ばすなりぴょんっ、と飛び出し、たえの懐に飛び込んでいった。
まったく、寂しかったぜー!とでも言いそうな顔でオッちゃんはたえに体を寄せていた。
「良かった・・・よかったよぉお~・・・オッちゃぁ~ん」
「たえちゃん・・・良かったね・・・!」
感動の再会を、花音は笑顔で見守っていた。
その後、係員さんにオッちゃん発見の旨を伝え、二人は会場を後にした。
午後5時48分。
日は傾いて、街が橙色に染まってはいるが、まだ蒸し暑い。空調の効いた会場から出ると、夏の気候が二人を包んだ。
「ふぅ、今日は大変だったね、オッちゃん」
たえが脱力したように息を吐き、ケージの中のオッちゃんに呼び掛ける。まったくだ、と言うようにオッちゃんはぶー、と息を漏らす。
「たえちゃん、色々教えてくれたり、奢ってもらったり・・・、今日は本当にありがとう」
「いえいえ。オッちゃん発見の手がかりを見つけたのは花音先輩ですから。わたしのほうこそありがとうございました」
「わたし・・・なんか役に立ったかな?」
手がかり、といっても花音にとってみれば頭を撫でただけなのだが、結果的にその行動がたえの記憶を起こさせたので、確かに役に立ったと言えなくもない。
「あ、でもこの後花音先輩送っていかなきゃならないですよね。はぐみに聞けば道順分かりますかね?」
「う、うん。多分・・・。本当は、送ってもらわなくても大丈夫って言いたいけど・・・その、ごめんね・・・」
「わたしは全然気にしてませんし、別に手間とも思いませんから」
「そ、そっか・・・」
「じゃ、電話かけますね。・・・もしもし?はぐみ?」
飄々として、掴み所がなくて、冷静で、綺麗で、でもちょっと天然なところがあったり、子供っぽい一面があったり。
たえちゃんはよく分からない人だなあ。
だけど・・・すごく良い子だってことは、間違いない。
「ーーい。花音先輩」
「え?あ、は、はいっ?」
「道順大体分かったので、一緒に帰りましょう」
「あ、うん!ありがと」
二人(と一匹)は並んで歩く。夕焼け空が横から照りつけ、たえの顔を橙色に輝かせる。黒くて長い髪が、より艶を増したように見えた。
「花音先輩」
ずっと横を見ながら歩いていると、たえが花音のほうを向いた。
「どうしたの?」
「あ、いえ別にどうしたってわけじゃないんですけど・・・。髪の毛綺麗だな、と」
たえの手が髪に伸びる。クラゲのようなサイドテールにさらさらと優しく触れる。
「え?そ、そうかな・・・。たえちゃんのほうが綺麗だと思うけど・・・」
「そんなことないです。花音先輩の水色の髪が、夕焼けに照らされてて、とても綺麗ですよ」
「あ、ありがとう・・・」
夕焼けを背景に、たえは慈しむような顔で花音を見る。
一つ年下の後輩だけど、人を惹き付ける、マイナスイオンのようなオーラ。そんな不思議な引力がそこにはあった。
「あ、あの、たえちゃん」
「なんでしょう?」
「また今度一緒に、遊びに行ってくれる・・・?」
「はい。喜んで」
たえはにっこりと微笑んで答えた。満面の、最高の笑顔が夕日に照らされ、燦然と輝いた。花音が「ありがとう」と答えると、また二人は前を向いて歩き出した。
「・・・はい喜んでー!の方が良かったですか?」
「えっと・・・何のこと・・・?」
「居酒屋の話です」
「うん・・・そ、そっか・・・」