照らされざる君に   作:山石 悠

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8/2(木) 「役者は自由気ままに」

 劇場のカフェは、客がいなかった。

 窓はどこにもなく開放感は少ないものの、店内のBGMや少し暗い照明が落ち着いた雰囲気を演出している。

 

 店員に案内されて奥の席に座ると、白鷺さんは持っていた紙袋を持ち上げた。

 

「最初に、これを渡しておくわ」

「何ですか?」

 

 紙袋を受け取って中を見ると、そこには色紙が2枚入っている。よく見れば、書かれているのはパスパレのメンバーのサイン。

 

「これは……」

「貴方が麻弥ちゃんにお願いしていたもの。そうでしょ?」

「ええ」

 

 それは確かに以前、大和さんにお願いしたサインだ。

 兄さんの分と僕の分、両方が入っている。

 

「でも、どうしてこれを……」

「部活のタイミングで渡すようになると、周囲が麻弥ちゃんにねだってしまうかもしれない。かといって二人での帰り道なんかに渡すようにすれば、メディアに取り上げられる可能性だって出てくる」

「……なるほど」

 

 アイドルのゴシップ記事が脳裏をよぎる。

 

 白鷺さんはこれを防ぐために、このタイミングで僕にサインを渡したのだろう。このカフェ自体も外から見える場所というわけでもないし、他の客もいない。逆に言えば、この状況を記事にされるようなことはない。

 

 これらのリスクを考えたうえで行動しているのかもしれない。

 流石は元子役。芸歴の長さは、こうした日常生活でのふるまい方にも出てくるのだろう。

 

「後、別に敬語で喋らなくてもいいわよ。同い年なんだし、貴方は芸能界の人というわけでもないのだから芸歴も関係ないもの」

「そう? ……なら」

 

 少し気持ちを緩めながら、色紙の入った紙袋を傍に置いた。

 

「それで? どうして僕がここにいるって知ってたの?」

 

 偶然と片付けることはできない。だって、ここには僕が大和さんに頼んでいたサインがある。白鷺さんは既に、大和さんにサインを頼んだ主が僕である上、その僕が今日ここに来ると知っていた。そうでなければ、彼女がこれを持ってここに来る理由がない。

 少なくとも、何かしら大和さんから僕のことを聞いていたはずだ。

 

「サインを書いてほしいと頼まれたときに、貴方のことを聞いたの。でも、舞台のお誘いがあって挨拶に伺おうと思っていたのも本当よ」

 

 柴田や瀬田さんもそうだが、役者というのは舞台に立っていない時も演技をしているのではないかと思えてならない時がある。

 分かりやすい瀬田さんや、付き合いの長い柴田はともかく、初めて会う白鷺さんについてはどちらなのかが全く分からない。今、僕が相対しているのは演じている白鷺さんなのか判断する方法が存在しない。

 

「お昼は何がいいかしら? 私のお勧めは日替わりランチだけど、貴方はどうする?」

「……同じので」

 

 特にメニューを見たわけではないけれど、今白鷺さんから視線を外すのが少しだけ怖かった。

 白鷺さんを全く知らない僕は、彼女が何を考えて僕に会いに来たのか全く分からない。

 

 白鷺さんはボタンを押して厨房の方を見る。

 すぐに奥から店員が出てきて、僕達の席にやって来た。

 

「ご注文は?」

「日替わりランチを二つで」

「パンとライスはどちらにしますか?」

「私はパンで。貴方は?」

「……ライスで」

「サイズは?」

「普通で」

「かしこまりました」

 

 店員さんが厨房に引っ込んでいくのを見送ってから、白鷺さんは僕の方に向き直った。

 ごくりと唾をのんでから自分の口が乾いているのをやっと理解して、コップの水を口に含ませた。

 

「……それ、で」

 

 言葉が続かない。

 

 別に白鷺さんに何を話されるのか想像がついているわけじゃないし、彼女が恐ろしい表情をして僕を威圧しているわけでもない。

 もともと人見知りなのもあるけど、この緊張はいつものそれとは絶対に違っていた。

 

 この場の雰囲気は、確実に白鷺さんのペースで進んでいる。

 

「どうして、私が貴方に会いに来たのか、でしょう?」

 

 切り込まれた。

 

 返す言葉も出ない。

 

「心当たりはあるんじゃない?」

「……いや、別に」

 

 話のテーマというか、中心人物は分かる。大和さんだ。

 

 でも、大和さんについて、わざわざ白鷺さんからあれこれ言われるようなことはなかった…………と、思いたい。

 

「本当にないの?」

「う、うん」

 

 僕は芝居や舞台の世界に多少身を置いているとはいえ、所詮は高校の演劇部程度の素人だ。

 芸能界のしきたり、決まり事というものに対する知識は全くないと言ってもいい。だから、白鷺さんから何か問題を起こされていたと判定されても、僕には知りようがない。

 

「…………」

「…………」

 

 もし。

 

 もしも、だ。

 

「大和さんのことなのは、分かるけど」

 

 もし、この話が、

 

「だけど、僕が大和さんに、わざわざ何か言われることをしたかというと、よく分からない」

 

 大和さんに対する気持ちであるというのなら、話は大きく変わってくる。

 

「どうして、白鷺さんはわざわざ僕に会いに来たの?」

 

 白鷺さんが僕のこの気持ちに気が付いているというのは、大和さんが僕の気持ちに気が付いているという可能性を大きく示唆する。

 

 それは、とてもまずい。

 

「それが、話の内容?」

 

 口が、少しずつ回りだした。

 

 そういえば、心理学だったかでは、嘘をつくときには多弁になると聞いたことがある。今は完全にそれだと思われても仕方ない状況だけど、それでも喋らなければ主導権を取れない気がした。

 

 白鷺さんの返答に意識を向けながら、頭の中で次の言葉を組み立て――

 

 

「ええ、そうね」

 

 

 ――言葉(セリフ)が、すべて飛んだ。

 

 会った瞬間から、主導権を握られっぱなしだった。

 場所選びから昼食のメニューまで。すべては彼女が主導権を握っていて、僕は突然のことに動揺しながら流されているだけだ。

 

「麻弥ちゃんと出会ってまだ、二週間も経ってないのよね?」

「……まあ」

 

 改めて思い出すと、確かにそうだ。羽丘の人達と一緒に舞台づくりを始めて、まだ二週間も経っていない。

 

「裏方が好きなのよね?」

「はい」

「特に、照明とも聞いてるわ」

「そうだね」

 

 ……周りくどい。

 

 早く切り込むと思ったら関係ない世間話を始めるし、様子をうかがうのかと思えば切り込んでくるし。

 

「舞台は好き?」

「うん」

 

 何を考えているのだろう。

 それが全く分からない。

 

「じゃあ、麻弥ちゃんは?」

「え――――ッ!?」

 

 慌てて口を閉じる。

 いきなり何を聞いてきてるんだ。

 

「あら、なんて言おうとしたの?」

「いきなり、なんてことを!」

 

 慌てて言葉を返すと、白鷺さんは少しだけおかしそうに笑った。

 

「ごめんなさい。ちょっとからかいすぎたかしら」

 

 そこで、ようやく冗談であることに気が付いた。

 

「あー……もー……」

「面白い反応で楽しかったわ」

「いや、本当に勘弁して」

 

 急に張り詰めた空気が破れ、僕は疲れて深く椅子に座りこんだ。息を吐きながらコップに手を伸ばして、中身を一気に飲み干す。

 

 軽く、ひと呼吸。

 

「結局、何がしたかったの?」

「お話がしてみたかっただけよ」

「……用件は?」

「特にないわ」

「え?」

「別に、用件はないわ。それとも、麻弥ちゃんには気安く近づかないで、とか言った方がよかったかしら?」

「い、いえ、別にそういうわけではないですけど」

 

 慌てて返事をすると、白鷺さんはまた少しだけおかしそうに笑った。

 

「私は、ちょっと知りたかっただけなの。麻弥ちゃんが仲良くなったっていう男の子が、どんな人か」

 

 白鷺さんは僕から視線をそらして、コップに手を伸ばした。

 

「私もだけど、パスパレのみんなは女子高で男の子の友達なんてほとんどいないから。もちろん仕事で男性と一緒になることはあるけど、それはあくまで仕事。勉強や部活を一緒にするような人なんていなかったわ」

「だから、物珍しさで僕に?」

「ええ」

 

 と、返事をしたところで、奥から料理を持った店員さんが出てくる。

 注文した日替わりランチの内容は知らないけれど、ここにいる客は僕と白鷺さんの二人だけ。間違いなく、僕達の注文した品だ。

 

「日替わりランチです。鉄板が熱くなっておりますので、お気を付けください。そして、こちらがパンになります。失礼します。こちら、ライスです」

「ありがとうございます」

「ごゆっくり」

 

 店員さんが奥に戻っていくのを見て、日替わりランチを見る。

 どんなメニューが出るかと思っていたが、今日は煮込みハンバーグだったらしい。少し深い鉄板に、ハンバーグ、ニンジン、ブロッコリーが入っている。傍にはコンソメスープとライスがある。量も十分あって美味しそうだ。

 

「冷めないうちに食べましょうか」

「う、うん」

 

 フォークとナイフを手に取って食事を始める。

 とりあえず、ハンバーグの味が知りたかったのでためらうことなくナイフを入れる。肉汁が切れ目からあふれてソースと混じっていくのを見ながら、ゆっくりと口に運ぶ。

 

「おいしい」

「でしょう?」

 

 白鷺さんが嬉しそうに笑った。

 

「そういえば、演劇部の麻弥ちゃんって、どんな感じなの?」

「演劇部の大和さん?」

 

 世間話みたいな気安さで聞いてくる。

 僕の印象を答えるだけでいいのだろうか。

 

「うーん……すごく、真摯な人かな?」

「真摯?」

「うん。しっかり周りを見て、舞台を作ることを一生懸命考えてる人だなって」

 

 機材が好きで、それに彩られる舞台が好きで、誰かを魅力的にすることが楽しいと思える人だと思う。

 誰かのためを思って頑張れる人は、きっと素敵な人なんだと思う。

 

「麻弥ちゃんとは、一緒にいる方なの?」

「え? まあ裏方、それも取りまとめ側にいるから、話す時間は多いかな」

「まとめてるのは麻弥ちゃんと二人で?」

「三人だよ。僕と、大和さんと、葛西さんって人の三人」

 

 そもそも僕が知っている大和さんは、きっと白鷺さんも知っている大和さんの姿だと思う。

 大和さんはいくつもの顔を持てるほど演技力の高い人ではない。

 

「確かに、麻弥ちゃんは分かりやすいというか、嘘をつかないタイプね」

「だから、白鷺さんが知ってる大和さんとそう大差ないと思う」

「そんなことが分かるくらいには、仲がいいのね」

「え、ああ、まあ」

 

 大和さんとの仲は悪くないと思う。

 大和さんの言う“男子(女子)になった大和麻弥(山科遥)”という評価は、表面的には何も間違っていないだろう。僕と大和さんは機材に対する愛情をきっかけに仲良くなっているわけだし。

 

「山科君は、プロを目指すの?」

「……それ、さっきも原田さんに聞かれたんだよね」

 

 今の高校生で将来の姿を明確に描いている人がどれだけいるのだろう。僕には、高校を卒業した後の自分ですら既に想像することができない。

 そんなに将来の話をされても、僕には答えられない。

 

「白鷺さんは、自分の将来を考えてるの?」

「ええ」

 

 返事は早かった。

 

「私は目指すべき自分の姿が決まってる。今は、その道の途中よ」

「……すごいね」

 

 それは、純粋な尊敬だった。

 

 僕は確かに舞台が好きだ。照明が好きだ。でも、それを将来のモノとして定めるほどの理由が僕にはない。

 舞台照明との、スポットライトとの出会いだって偶然の物だ。この先、照明のような……いや、それ以上の出会いがあるかもしれない。

 

 「前途ある若者」「未来は可能性に満ちている」なんて言葉を聞くたび、そう思う。

 まだまだ僕には可能性があって、これがすべてじゃないかもしれないんだって。

 

「……そう」

 

 長い人生の中で、人はいつ自分の未来を決めるのだろう。

 僕はいつ、自分の将来を見定めるのだろう。

 

 未来にあふれているなんて言う癖に、そのタイミングは誰も教えてくれやしない。

 

「みんな、すごいよね。将来の夢とか、これだと言えるモノがあるのって」

 

 大和さんはアイドル、ドラム。柴田や瀬田さんなら芝居。

 みんな自分の将来を見定めていたり、熱中できるだけのものがあって羨ましいと思う。

 

 その出会いは、どうやって確信するものなのか、皆目見当もつかない。

 

「……って、ごめん。つまらないこと言って」

「いえ、気にしないで」

 

 ふと素に戻って謝ると、白鷺さんは本当に気にしていないような様子で笑った。

 これが演技なのか素なのか、本当によく分からない。

 

「そういえば、そのサインって片方はお兄さんので、もう片方が山科君のなのよね?」

「うん」

 

 そう言われ、袋から色紙を取り出した。

 

 五人のサインはどれも個性を感じるものだった。

 白鷺さんのはいかにも芸能人という感じの、流れるような筆記体のサインだ。逆に丸山さんと氷川さんのサインはアイドルっぽくて可愛い人達なのだろうと思うし、若宮さんは字が綺麗でまっすぐな人なのが分かる。

 大和さんのサインは回文を意識させるような感じだ。なんていうか、サインが思いつかなくて頑張ってひねり出そうとしている大和さんの姿が、容易に想像できた。

 

「兄さんに頼まれて、とりあえず言うだけなら、って。本当にありがとう」

「こちらこそ。ファンとして応援してもらえているのは、嬉しいもの」

 

 白鷺さんは大和さん一人だけのサインが書かれた色紙に視線を向けた。

 

「山科君は、どうして麻弥ちゃんのサインだけを頼んだの?」

「知らないからだけど」

「それって、パスパレのことを?」

「うん。知らないアイドルのサインをもらうのって、申し訳ないなと思って。だから、知ってる大和さんのだけを頼んだんだ」

 

 それは、前にも大和さんに話したことがあるような記憶がある。

 

「山科君は、麻弥ちゃんのことは好きなの?」

「恋とか、そういう話?」

「別に、どういう意味でもいいわよ?」

 

 少し、試すような眼をしてきた。

 僕程度の演技(ウソ)なんて、すぐに分かると言いたい目だ。

 

「……好きか嫌いなら、きっと好きな方だよ。すごく機材に詳しいし、舞台づくりにも熱心だから」

 

 この気持ちは確かに好意というべきものだとは思う。

 今はまだ、その種類を定義することはできないけど。

 

「今後も、いろいろ教えてもらえるといいなとは、思ってるかな」

 

 大和さんとの出会いは、どんなことがあっても確かに僕の中で大きいものになるだろう。

 今日の原田さん達に出会えたこともそうだけど、将来を考える上で大切な要素になってくることは想像に難くない。

 

「舞台が終わってからも?」

「え? うん、そうだといいね」

 

 舞台が終わった後、か。

 その後、僕は大和さんとまた話し続けられるのだろうか。これまでの関係を続けることは、難しいような気がする。

 

 もしも関係が続くというのなら、それはきっと、僕のこの気持ちが――

 

「……ご馳走様」

「え?」

 

 白鷺さんの皿は空だった。

 

「山科君」

「何?」

 

 白鷺さんは一口水を飲んで、中身を空にした。

 

「私達、アイドルなの」

「う、うん」

 

 それは最近ではあるけれど、知っている。

 

「不用意な関係はスキャンダルのもとになる。そういう記事で姿を消した人を、私は何人も見て来たわ」

「……うん」

 

 話の中身が、見えてきた。

 

「麻弥ちゃんとの付き合い方、少しでいいから真剣に考えてくれると嬉しいわ」

 

 白鷺さんは伝票をもって立ち上がった。

 止める、という思考すらない。

 

「じゃあ、私はパスパレの練習があるから、お先に失礼するわ」

 

 止めるような暇すらなく、白鷺さんはレジにぴったりの額を置いて帰って行った。

 

「あー…………」

 

 そこで、ようやく僕は理解した。

 

「全部、演技だったのか」

 

 最初に(“序”)主導権を握ったのは(観客)の平常心をかき乱すため。

 次に(“破”)、冗談という形を利用してある程度の距離まで接近。

 最後に(“急”)言うべき言葉(セリフ)を的確に言い放って去っ(ハケ)ていく。

 

「なる、ほど」

 

 聞きたいことだけすべて聞き出して、自分のことは大して喋ることもなく退散していった。

 

 つまり僕は、最初から最後まで白鷺さんの掌の上で踊らされていたということだ。

 彼女は自分が欲しかった情報を完璧に引き出して、僕に置き土産まで残して舞台から去った。

 

「…………」

 

 これは、つまり。

 

「……気安く近づくな、ってことかな」

 

 大和さんとの関係に、くぎを刺されたということだろう。




個人的に、山科君の対人能力はくそ雑魚。演技や芸能界での立ち回りまで考えられる、対人能力のプロフェッショナルである白鷺さんには翻弄されるしかないかなって思いました。
 ちなみに、白鷺さんは意図的に原作っぽい感じを殺しているんですが、上手く芝居と思えるような殺し方ができていたでしょうか? 自信はあまりない。

 高校で将来の夢が決まる人ってたまにいますけど、どうしてそうしようと思えたのかあんまりよく分かりません。
 その辺に関しても、次の午後からの見学とかで見えてくるものがあるといいですね。
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