午後からの見学は、一人で自由に見て回っていいとのことだった。
ただし、行ける範囲はスタッフのいる場所に限る。簡単に言えば、上手下手の舞台袖。調光室*1、音響調整室*2、上手と下手を繋ぐ通路、客席。
この程度で申し訳ないと原田さんには謝られたが、むしろそれだけの場所を自由に見て回っていいと言ってもらえたことはとても嬉しい。そういえばスポットライトの方には行けないが、原田さんはこれを見越して午前中に連れて行ってくれたのかもしれない。
今いるのは客席の中央辺り。舞台では原田さん達が練習しているのが見える。もともとは見に行く予定のなかった舞台だけど、ここからチラチラ見ているとどんな舞台か気になってくる。今度、柴田や高橋を誘ってみようか。
と、それはともかく。
この後行く先について考えるため、もらった見取り図に目を落とす。見れば、どうやら調光室や音響調整室は下手の舞台袖から移動する形になるのが分かる。
「……上手から、かな」
上手の舞台袖を見て、そこから裏の通路を通って下手の方に移動。そこから、調光室や音響調整室の方を見に行く形にするのがいいだろう。
ちょうど、この順序だと最後に調光室がやってくる形になる。
時間は限られているわけだし、一番時間がかかりそうな調光室を最後に持ってくるのは悪い選択じゃない気がしてきた。
時計を確認してみると、現在の時刻は13時前。帰りは16時ということになっているので、残りは3時間しかない。
予定を決めると早速、上手の方に向かう。舞台を経由して上がると申し訳ないので、客席脇の通路に出てから上手の袖に入った。
「失礼します……」
挨拶をしながら入るけれど、別に誰かがそこにいるわけではない。ほとんどの人は下手側で練習をしている。
上手に誰もいないことを確認すると、ふらふらとあちこちの様子を見て回ることにする。
舞台袖は、舞台に立っていない役者や大道具類が待機する場所だ。他にも、スタッフ達があれこれと大道具の運び込みをするために待機していたりする。今は特に本番の舞台があるというわけでもないため、特に大道具類があるわけでもなく殺風景な場所だ。
「……あそこが搬入口」
奥の方を見れば、下手の舞台袖に移動するための通路と、外から大道具類を搬入するための出入り口がある。
大会の時には学校にトラックが来て、そのトラックで大会の演目で必要な道具類をここから搬入することになる。特に、僕は裏方専門として青蘭演劇部に所属しているので、大会の時の道具の搬入については僕が段取りをすることになっている。秋にある大会でも搬入をしなきゃいけないのだろう。
今年の大会の会場がどこかは分からないけれど、去年の会場が建て替えになるそうなので、今年はここになるかもしれない。
とすると、
「ただの見学じゃない?」
今日の見学は、秋の大会に対しても大きな意味を持つ時間になる可能性があるということだ。
その事実に気が付くと、少しだけ気持ちが引き締まる。
もう少ししっかり見ていこう。実際に歩いた感覚というのはきっと大きな意味を持つ。
「……やっぱり、きれいじゃないな」
ステージの床は木製で、ところどころに穴や傷がついている。大道具を置くときに根釘*3を打つこともあるので、それの傷が残っているのだろう。そして、本番に近くなればバミテ*4が貼られていることも想像に難くない。
軽く床を撫でてから上を見れば、舞台の方には様々な照明器具が付けられているのが見える。ぱっと目視できたのは、ボーダー*5、サス*6くらいだろうか。本来なら、ホリ*7もあるのだけど、今は奥の方にある引割幕*8が閉められているので見えない。他の幕は見たところ開いていて、分かる範囲では一番手前の緞帳*9や袖幕*10があった。
舞台は練習の途中なので、袖幕のところからこっそりとライトの様子をうかがってから、奥の方に引っ込んだ。
これ以上は特に見る場所もないので、奥の通路から下手側の舞台袖に移動することにする。
少し重い扉をゆっくりと開けて通路に出る。
通路はシンプルなリノリウムの床で、途中には控室がいくつかあるのが分かる。部屋の中までは分からないけれど、通路自体はそれなりの広さが確保されていた。ここは舞台袖よりもさらに見る場所がないので、うろつくこともなく下手の方に移動する。
「……ん?」
ふと、スマホがバイブレーションしているのに気が付いた。
取り出して確認してみると、そこには“大和麻弥”の名前で着信が来ている。……ほんの一時間ほど前にあった白鷺さんとの会話を思い出しながら、通話を選択して耳に当てる。
「もしもし、山科です」
『もしもし、大和です! 今、お時間大丈夫ですか?』
「え、ええ」
少し焦ったような大和さんの口調に違和感を覚える。
「どうかしました?」
『いや、そっちに千聖さん行きましたよね?』
「あ、はい」
返事をしながら、なぜ大和さんが慌てているのかを理解した。思わず鼓動が早まるけど、電話口で悟られないよう気を付けながら口を開く。
「白鷺さんとは会いましたよ。サインありがとうございます」
『いえいえ……って、そうじゃないですよ!』
なんだか、慌てている大和さんが珍しい。白鷺さんが僕に会いに来ることは、大和さんにとってもかなり想定外だったらしい。
そういえば、別れ際にパスパレの練習に行くと言っていたから、さっき事後報告で知らされたのかもしれない。
『その、千聖さんに何か言われませんでしたか?』
「な、何かってなんですか?」
『それは、その……』
大和さんが言葉を濁した。
僕は一瞬生まれた間を逃すことなく、すかさず自分の言葉を続ける。
「白鷺さんとは、そこまで大した話はしてないですよ」
嘘だ。
僕だけの問題ではないというのに、言い出せずにいる自分が恨めしい。
『本当ですか?』
「え、ええ」
正直に話してしまえば大和さんに迷惑をかけてしまうし、場合によってはこれから一緒に活動するのも難しくなるかもしれない。
でも、そうなるのはどうしても嫌だった。
『…………』
「…………」
電話口で大和さんが押し黙る。
何かを言い出そうとする素振りだけは感じられるので、こちらからもむやみに声をかけにくい。
『いや、なんでもないならそれでいいです。お騒がせしてすみません』
「何かあったんですか?」
『な、何もないですよ。気にしないでください、あはは……』
「それなら、いいんですけど……」
大和さんが何かごまかすような口ぶりでそう言った。
向こうが何をごまかしているのかは分からないけど、僕も隠し事をしている以上むやみに尋ねることもできない。
『突然電話してすみませんでした。見学楽しんできてください!』
「あ、はい。大和さんも練習頑張ってください」
『ありがとうございます。それでは』
電話が切れたので、スマホをしまう。
大和さんはどこまで知っているのだろう。
ゴシップ的な話を気にするなら、確実に僕の存在は迷惑だ。……いや、白鷺さんが大和さんに話さない理由がない。大和さんは大なり小なり忠告されているだろう。
「……まあ、今は気にしないようにしよう」
慌てて顔をあげて頬を軽く叩く。
こんな気持ちで見学していては、いろんな人に失礼だ。今は、今だけは楽しんでいこう。
通路を進み、下手を抜けると、次に目指す場所は音響調整室だ。
午前中にピンルーム*11へ移動する時に通った通路に入り、途中で階を上がらず直進する。こっちの方向に、調光室や音響調整室があるらしい。
突き当りまで移動すると“音響調整室”と書かれた部屋が見える。ここが音響調整室らしい。
軽くノックをすると、奥から「はーい」と声が聞こえる。ゆっくりとドアを開けて様子を窺いながら、中の人に頭を下げた。
「お邪魔します。見学に来させていただいてます、山科遥です」
「ああ、君が例のね。どうぞどうぞ。なんもないけど見ていってよ」
「ありがとうございます」
挨拶をして奥に入る。
音響調整室は、ちょうど舞台の正面に位置していた。後方の入り口の真上くらいの位置だろう。
ホール側は完全にガラス張りとなっていて、客席を含めたホールの様子全体を確認することができる。今も、舞台上では練習をしている原田さん達の姿が見えた。
「ちょっと見てみる?」
「あ、はい!」
声をかけられたので、スタッフさんのすぐ後ろに立つ。
ホールが確認できるような向きで機器は設置されていた。ディスプレイ式のモニタで音響機器全体の様子が確認できるようになっている。
「今は本番で使う予定の演出を順番に確認している途中」
手慣れた様子でつまみを操作しながら、スタッフさんが説明してくれる。
劇場の音響設備はほとんど触ったことがなく、調光室でも見るような大量の調整バーを見て目がくらむ。どれがどの設備の物なのか、どの程度動かせば音が出るのか覚えられる気がしない。
照明はこんな感じだけど、音響に関してはダイヤルが一つだけだったせいもあって、余計に混乱してしまいそうだった。
「こういう場所、来るのは初めて?」
「はい。今までピンスポの方がメインだったので……」
「ああ、スポラの方か。じゃあ、調光室も入ったことないかな?」
「ですね」
頷きながら装置をしげしげと眺める。
マイク、スピーカー、ディスプレイ、操作盤……と、いろいろな装置がこの狭い部屋に凝縮されている。ヘタに触れるとどんなことになるかが分からない。
「まあ、物は多いけど難しくはないよ。このバーを上げたり下げたりして音量を調節。以上」
「え?」
簡潔すぎる説明に、思わず声をあげてしまった。説明って、それだけ?
確かに、機器のほとんどは調整用のバーなのでこれの操作がほとんどになることは想像がつくけれど、それにしても……それだけ?
「あんまり難しい話しても仕方ないしね。……まあ、後はモニター見たり、袖と相談しながらその場でいい感じにするけど、他に言えることないんだよなぁ」
そう言いながら、スタッフさんはブツブツと独り言を唱えながら舞台と操作盤の二つを交互に見つめる。
「えっと、今はBGMを流してる。んで、それを操作してるのがここ」
視線は舞台の方を見ながら、つまみとディスプレイを指差した。確かに、その部分のつまみは上がっている。
「んで、こっちでも確認できる」
ディスプレイには現在音を出している機器が表示されており、確かにonの表示になっているのが確認できた。
「こういうの確認して、舞台の方から音量がどうかとか意見もらって、微妙に調整しながら本番にはジャストな音を流す」
「なるほど」
その流れは、演劇部でもずっとやって来たことだ。
納得がいくまで試行錯誤して、音量やタイミングを考えながら舞台が一番映える音を探していく。単純で、地味で、だけど何よりも大事なこと。
「あんまり喋ることなくて悪いね。次行く?」
「そう、ですね。とりあえず見てくるだけ見てこようと思います」
問いかけにうなずく。
後から見直す機会があるなら、とりあえず今は全部を見てくる方が得策だろう。時間が余ったタイミングでまた見に来ればいい。
「いいよいいよ。次は調光室?」
「はい、そのつもりです」
「じゃあ、隣か」
スタッフさんが壁の方を指さした。
「暇だったらまたおいで」
「ありがとうございます」
「はいはーい」
挨拶をしてから部屋を出る。誰もいない通路でスマホを取り出して時刻を確認すると、現在時刻は15時を過ぎていた。
なんだかんだで、移動中にあちこちを見ているのが予想以上に時間をかけていたらしい。
ドアの前で一度深呼吸をしてからノック。
そして「どうぞー」という声をきっかけにして、ドアを開けて中に入った。
「失礼します」
部屋の中は音響調整室とあまり変化がなかった。
正面はガラス張りになっていて客席を含めたステージの様子が確認できる。音響機材があった場所には、照明機材が置かれていて、機器以外には特に差異がなかった。
機材の前にはスタッフさんが座っていて、ちらりと僕の姿を確認して視線を戻した。
「見学だろ?」
「あ、はい」
「こっち」
「はい」
調光室にいたスタッフさんは、音響調整室のスタッフさんとは対照的に淡々とした口調をした人だった。
とりあえず、呼ばれたとおりに後ろについて卓を覗き込む。操作用のつまみは、やはり上下に動かすことができるバーになっている。
「サス」
「はい?」
不意な言葉に驚くが、よく見るとスタッフさんはつまみのバーを指差していた。
「ここ一角がサス。こいつが舞台奥。こっちは手前」
「……なるほど」
どうやら、各バーと照明の関係を説明してくれていたらしい。上手にいた時に照明の位置を確認していたので、その位置関係はなんとなく理解することができた。
「ボーダー、ホリ」
「はい」
専門的なことは一つも言われていない。
ただ黙々と照明機材の位置とつまみの位置を説明されている。その説明に、どれほどの意味があるかは全然分からないけれど、むやみに口を挟むことはできる気がしなかった。
舞台周りの照明から、客席の照明の位置を順番に説明されていく。視線はホールと卓を交互に行き来し、その場所を把握するために頭を動かす。
音響調整室の時とは全く違う雰囲気に飲まれている。
「……以上」
「は、はい」
やがて、説明が終わる。
スタッフさんは静かに立ち上がって、席を指した。
「座れ」
「はい」
おずおずと席に座る。
先ほどは肩越しに見えていた卓が、僕の目の前に、触れられる位置に存在していた。
「見ろ」
そう言われ、後ろから紙の束が出てきた。
「23ページ」
「はい」
すぐにページを開くと、セリフと演出に関するメモが書かれている。
「あの、これ……」
「やれ」
「え?」
「早く」
「は、はい!」
有無を言わせぬ言葉に従い、すぐに台本に目を通す。音響に関する話も書かれているが、今は気にしない。必要なのは照明の部分だけだ。
やることはそこまで多くはないようだった。
慌てながら、客席の照明を落とす、ボーダーを付ける、明るさは調整して細かい部分はサスで調整する、といった種々の手順を確認していく。
そこで、ようやく理解した。
最初の淡々とした説明は、これをさせるために必要だっただけだ。
「宮川さんの合図で始め」
「わ、分かりました」
指示にうなずいて、やらなくちゃいけない操作を確認する。
触らせてくれるのは嬉しいけど、唐突なこと過ぎて喜びよりも緊張の方が大きい。宮川タカユキさんは厳しいと有名だ。いきなりだし、ミスったらいきなり叱責が飛んできそうだった。
軽く深呼吸をしてから、宮川さんの方を見る。何か役者の方に指示を出しているのが分かるが、どのような内容を話しているのかまでは分からない。
「行くぞ」
「はい」
返事をして手を添える。
しばらく待っていると、宮川さんが手を構えた。始まる。
「いけ」
その言葉は意味がなかった。
宮川さんが手を叩くと同時に、客席照明は落とされボーダーが付く。体は無意識に卓を操作していた。
役者が動き出し、舞台が進行する。
セリフを聞きながら、台本の先を追いかける。次に照明を操作するタイミングを確認し、その時の動きを頭に入れる。
やることは多くなく、実際に手を動かすのは一瞬のことだ。だけど、脳は必死になりながらライトの位置とつまみの位置ときっかけを確認している。
タイミングが遅れることは一切許されない、一回こっきりの仕事。だからこそ、一息を付く暇さえ存在しない。
最初はまんべんなく舞台を照らすために、最初はボーダーをメインにしている。だが、会話が続き次のシーンに移る頃には、ボーダーを落として下手サイドに設置されたサスの光力をあげていく。片方からの光量を増加させて、舞台の雰囲気を変えるのだ。
わざわざ色を入れずとも、明かりの調整だけでできる舞台演出。静かに、でも確かに舞台の姿を変化させる技だ。
「すごい……」
思わず言葉が漏れていた。
こうして実際にやって、目の前の舞台で広がることで分かる。無駄に色を足したりしなくたって、僅かな明かりの操作だけでこれほどまでに舞台の顔を変えられるのか。やっていることが単純であるだけに、それを効果的に使いこなしている宮川さんの技量に驚きを隠せない。
次に来るシーンを確認して、つまみを操作をする。
役者の動きを、セリフを、音響を。あらゆるものをきっかけに、複雑に絡んだ演出が一つの“
焦りも興奮も、この心を満たす感情のすべてを振り切って、僕の体は忠実に照明器具を動かす装置と化していた。
操作は不要な感情をこめず精密に。しかし、決して機械的になってはいけない。僕達は裏方という人間である以上、その動きには人の熱を持たせるべきだ。
この矛盾を抱えたまま、僕達は舞台に彩を添えていく。
ホリを付け、サスの明度を変える。
絶え間なく明るさを確認し、変更するときは微調整せずに済むよう一度で切り替える。
ただ無心に、体を突き動かす情熱に身を任せたまま、操作を続け――
「はい、オッケー!」
――宮川さんの声で、意識が戻ってきた。
軽く頭を振って意識のピントを合わせ、大きく息を吐いた。
そして、すぐに台本を閉じて席から立ち上がった。
「あの……これ、ありがとうございました」
台本を渡しながら頭を下げる。
時間は大したことなかったはずだけど、それでも今日で一番濃密な時間になっていたと自信を持って言える。
スタッフさんは台本を受け取りながら、僕の目を見た。
「好きか?」
「……裏方が、ですか?」
「ああ」
その言葉に対し、思考する間もなく僕はうなずいていた。
「好きです」
こうして操作にのめりこんでいた以上、好きではないという答えはあり得ない。
僕は裏方という仕事が好きだ。
「そうか」
僕の返事に満足したのか、スタッフさんが頷いた。
「……また来たら、今度は舞台にある明かりについても説明してやる」
それだけ言うと、スタッフさんは座席について卓の操作を始めた。もう言うことはない、ということらしい。
会ったばかりなのに「らしいな」と思ってしまった僕は、そのまま後ろに下がってドアの前に立った。
「ありがとうございました」
頭を下げて、部屋を出る。
スタッフさんは、こちらを振り向きもしなかった。
見学では二人のスタッフが登場しましたが、この二人は僕が実際の演劇の大会でお会いしたスタッフさんのイメージです。
ちょっとフランクだけど説明が下手くそな人と寡黙な職人肌の人です。なんとなく、こういう技術職って説明下手くそなイメージあります。僕だけ?