照らされざる君に   作:山石 悠

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8/7(火) 「一寸先の未来すら」

 体育館の三階相当。つまり、ピンスポの置かれているスペースからは、みんなが準備をしている姿がよく見える。

 

『やっほー、山科君』

 

 不意に葛西さんからインカムで連絡が飛んできたのは、ライトの準備を一通り終えたタイミングだった。舞台の方を確認すれば、舞台袖から葛西さんが顔を覗かせている。

 

『あ、今は山科君にだけ向けてるから喋らないでね。多分、麻弥ちゃんは教えてないだろうし、後で教えてあげるよ』

 

 その言葉で、マイクをオンにしようとしていた手を止める。確かに、大和さんがそんなことを話していたような記憶がある。

 

『それで本題なんだけど、この前のことは考えてくれた?』

 

 話題が話題だっただけに、思わず唸る。

 

 なんだか、この夏は女の子に振り回されてばかりだなと思うことが多い。

 大和さんに翻弄され、白鷺さんに弄ばれ、とうとう葛西さんにまで振り回されそうになっている。今まで男子校で経験しなかった分を一気に受けているようで、恥ずかしさと困惑が混じったような、そんな気分だった。

 

 違う学校の人達と舞台をやることになって、プロの劇団の見学に行かせてもらって、好きだと思える人ができた。

 たくさんの“初めて”に大変さを感じるけれど、今はその目新しさがどうにも楽しくて仕方ない。僕自身が昨日とは違う新しい僕に成長しているのを全身で感じている。

 

 と、そんな風に思い返していても、時間はあっという間に過ぎていく。今この瞬間を全力で過ごしていたとしても、周りはこれからのことを考えろと言う。

 

『難しく考える必要はないんだよ』

 

 なにも答えを返していないというのに、葛西さんは僕の心を読んだように笑った。

 

『後、二週間あるわけだし、別に関係はこれっきりでもない。未来のことを考える、なんて難しく思う必要はないの。ただ、今したいと思うことを続ければいいんだよ』

「今したいと思うこと、か……」

 

 ならば、今はこんなことを考えず今に集中したかった。

 初めての恋に高揚する気持ちのまま、この日々を楽しんでいたかった。いつかの終わりを、今はまだ考えたくはなかった。

 

未来に向かって進むわけではない。進む方向に未来があるだけだ

「え?」

『私は、そういうことだと思うな。じゃーねー』

 

 そして、通信が切れる。

 舞台袖に出ていた顔も奥に引っ込んでおり、本当に言いたい事だけ言って引っ込んでしまったらしい。

 

「さっきの言葉って……」

「じゃあ、そろそろ始めるぞー」

 

 監督兼演出である高橋の声が聞こえ、慌てて手に収まっていたシーリングのスイッチを握りなおす。

 

 今日は盆休み前で最後に全員が揃ってできる立ち練だ。

 最近ライブの準備でなかなか参加することができない大和さんもいる、最後の機会。色についても、ここできっちり決めてしまいたいところではある。

 

『準備はいい?』

『大丈夫だよ』

『大丈夫です』

 

 インカム越しから、高橋の隣に立っている新藤さんの声が聞こえ、葛西さんと大和さんがそれに答えていた。

 僕も慌ててインカムを取り出してマイクをオンに切り替えた。

 

『僕も大丈夫』

『オッケー! じゃあ、始めようか!』

 

 その言葉に、一人で静かにうなずいて舞台の方に視線を向けた。

 

 今日は開幕するところから、閉幕まで通す予定になっている。今までは切りのいい部分で休憩を挟むなどしていて、二時間通しでやったことはない。

 そういう意味では、今回の練習は全員が初めて経験する本番と同じ舞台だ。

 

 いつもの倍近く厚い台本を手に取り、最初のページを開く。照明、音響についてのたくさんの情報が書かれて、その中身にもう一度目を通す。

 本番中は、自分のことだけではなく他の動きにも気を使い、非常時にはそれに合わせて行動しなければならない。アドリブをするのはなにも役者だけではない。

 

「始めるぞ! 3、2、1!」

 

 カウントダウンの後に、手を叩く音が鳴る。体育館中の明かりが落ち、効果音(ブザー)が響き、幕がゆっくりと左右に開いていく。

 全体照明と太陽に似せたフットライトがフェードイン。僕もシーリングのスイッチをオンにして、0%だった明るさをゆっくりと上げていく。

 

 舞台が赤く染まり、僕は傍に置いてあったペンを手に取った。

 

「葛西さん、赤が少し強い」

『うん。どっちを下げた方がいい?』

「ボーダー」

『了解』

 

 柴田の下手入りを視界に入れつつ、意識は舞台の色に向けた。

 

 

 

 

 

 ゆっくりと幕が閉まるのを見送りながら、僕は崩れるようにしてその場に座り込んだ。

 

 二時間も立ちっぱなしでの作業だったので足はがくがくと震え、夕焼けの色を眺め続けていた目はもう正しい赤を認識できているのか自信がなかった。

 台本の傍に置いていたペットボトルを手に取って、一気に中身を口に含んだ。照明や音響のタイミングを微調整していたこともあって、ずっと喋りっぱなしだったのだ。

 

 台本にはかなりの量の書き込みが増え、微調整すべき内容を改めて整理しなければいけない。

 

『お、お疲れ……』

「おつかれ。大変だったね」

『ですね。調整も同時にしていたとは言っても、これほど疲れるとは……』

 

 汗をぬぐいながら、もう一度ペットボトルに口を付ける。

 ちょっと変な味がするのに気付き、そのまま一気に飲み干してしまう。これ以上残しておくと、もっと悪くなってしまう。

 

 体育館という施設は、非常に暑いところだ。

 特に舞台をやる時になれば、カーテンも窓もドアも全て締め切ってしまうため熱が逃げる場所はない。その上、舞台の機材はどれも熱を発するモノばかりで、さらに暑くなっていく。

 

「……これは、あれだね」

 

 マイクをオンにしたまま、みんなに向かってしゃべる。

 

「観客が熱中症にならないようにする方法を考えておかないと、二時間も座ってられないよ」

『客席側もかなり体力必要だった……休憩を挟む形式にするか?』

「この体育館、空調とかないの?」

『あるけど、そんなに効かないよ』

「そっか……」

 

 多少の暑さは、夕方の暑さが残る公園という舞台設定によって問題ないと思う。むしろ、多少は暑いくらいの方が感情移入しやすいかもしれない。

 だけど、二時間座りっぱなしで舞台を見ていることに苦痛を感じるようになっては意味がない。

 

『まあ、効かないとは言っても、使わないよりはマシだろ』

『確かにそうですね』

『窓も開ける?』

「風でカーテンがはためいて、光が入ったりしないかな?」

 

 ただでさえ、夕焼けの色を作るのには苦労しているのだ。これに加えて自然光を考慮して作ることになったらたまったものではない。

 

『でも、涼しかったとしても二時間座りっぱなしは大変じゃない?』

『大変かな……』

「休憩はあった方がいいかもしれないね」

『だとすると、今度はその休憩をどこに挟むかなんだよ』

「あー……」

 

 この舞台は暗転をしない。場面は絶対に転換しないし、だからこそ公園の雰囲気を作り続けるための夕焼けの演出を採用している。

 だというのに、休憩時間を挟むようなことにしてしまっては、舞台に支障が出る。

 

 何より、この舞台にはそこまでタイミングよく切れるような場面はない。

 

「これに関しては、しばらく考えるしかないよね……」

『演出部分のことを考えても、空調等で体育館を涼しくしていくのが一番の目標だね』

 

 台本の最後、裏の白紙の部分に書いていたメモスペースに“二時間、暑さを気にしないでいい方法”とメモしておく。ここには、今までに見つかった課題をまとめていて、これを一つ一つ潰していくようにして作業を進めている。

 

『ひとまず、二時間ぶっ続けでやったし、休憩にするか』

『うん、お腹すいちゃったよ……』

 

 葛西さんの言葉に首を縦に振った。

 このまま練習を続けるのは、流石に勘弁だ。

 

『ってことですから、お昼行きましょうか』

『ですね。涼さんはどうしますか?』

『んー、私は弁当だしいいよ。二人で行ってきてー』

『分かりました。山科君は学食ですか?』

「その予定です」

『じゃあ、一緒に行きましょうか。下で待ってますね』

「ありがとうございます」

 

 礼を言ってからインカムを切り、とりあえず台本だけまとめる。

 そして、少し駆け足気味に階段に足を向けた。

 

 

 

 

 

 食堂は昼休みの時間が少しずれたこともあり、かなり空いている。

 先に注文した料理を受け取ってからどこに座るかと見渡していると、僕達よりも先に来ていた役者のメンバーが既に座っているのが目に留まった。

 

「おい、山科!」

 

 席に座っていた柴田が僕の方に向かって声をかけてきて、僕と大和さんは集団の方に近づいた。

 

「山科は学食か」

「柴田も?」

「いや、コンビニでおにぎりだけ買ってきたんだが、瀬田がせっかくだからって」

「へぇ、珍しいね」

 

 人と一緒に行動するのがあまり好きではない柴田にしては珍しい理由だった。

 いつもなら一人になる場所か、誰かと一緒だとしても二、三人程度がせいぜい。先ほどのように楽しそうに話している姿は、なかなか見ない光景だった。

 

「まあ、普段は関わらないようなメンツとの交流は刺激になる」

「そうだね」

「せっかくなら、二人もどうだ?」

「いいの?」

「ああ」

 

 他の役者のみんなも頷いているし、僕は少し後ろを振り返って大和さんの反応を確認する。

 

「なら、せっかくですし」

「そうですね」

 

 料理をテーブルに置いて、そのまま座る。

 今日は役者10人全員が揃っていて、結構な大所帯だった。テーブルをつなげて僕達も含めた12人が座れるようにしており、反対側の声はあまり届かない。

 

「じゃあ、食べよー!」

 

 皆に声をかけたのは、シンガーソングライター役の人。

 羽丘の生徒なので詳しくは分からないが、いつも役者達の取りまとめをしている姿を見るのでリーダーみたいな感じになっているのかもしれない。

 

 全員で手を合わせてから、昼食が始まる。

 裏方のみんなと食事をする機会はそれなりにあった記憶はあるけど、役者達と食事をするのは初めてだ。

 

「そういえば、山科とこっちで飯を食うのは初めてか?」

「そうだね」

 

 柴田も僕と同じことを考えていたみたいで、おにぎりを咥えたまま僕の方を向いた。

 すぐに手で「食べて食べて」と促し、僕自身も定食のメインである豚の生姜焼きに手を付けた。

 

「最初だし、役者と裏で別れて作業する場面が多かったからね」

「確かに、裏方の方のみんなとはあんまり話せてないよね」

 

 OL役の子が同意し、他のみんなも頷いた。

 

「せっかく違う学校の人と一緒にできるんだから、いろいろ話とかしたいよ」

「っていうか、別に今回限りってことじゃなくてもいいんじゃない?」

「そうだな! 長期休みを使うようなタイミングなら行き来もしやすいし」

「花咲川とも合同公演してるし、せっかくなら青蘭ともやっていきたいよね」

 

 僕達を置いてけぼりにして、話がトントン拍子で進んでいく。

 端っこな上に普段の空気を知らないこともあり、僕は同じく話に混ざれていない大和さんの方を見た。

 

「花咲川って、近くの女子高ですよね? 一緒にやってるんですか?」

「たまにですね。花咲川とは近くの女子高同士ってこともあって縁があるんですよ。パスパレのメンバーもいるんですよ」

「あ、他の学校ってそこだったんですね」

 

 初めてパスパレの話を聞いた時に、そんな話を少ししたような記憶がある。

 

「でも、今後もできるんでしょうか?」

 

 もしそうだとしたら、これからも大和さんと……

 

「どうでしょうか? 花咲川は徒歩で行ける距離ですけど、青蘭は電車が必須ですからね」

 

 互いの学校を行き来するのは現実的ではない。少なくとも、学校のある期間に合同公演を企画するのはかなり難しいと言えるだろう。

 すると、可能なのは春休みと夏休みの二択。

 

「まあ、新入生歓迎公演とか、そういうのを考えると年一の恒例企画にはなるかもしれませんね」

「だったら、僕達は最初で最後ですね」

 

 今の僕達は二年生。

 来年の夏は引退済みで、きっと進学や就職といったそれぞれの進路を選んでいる時期だろう。

 

「そういえば、大和さんは卒業したら進学はされるんですか?」

「ジブンですか? そうですね……今のドラマーもですけど、エンジニアになるのもいいなとは思っていて。理工学部のある大学に進学できればと思います」

 

 大和さんが、少し恥ずかしそうに答えた。

 その少し赤くなって視線を逸らす姿に目を取られるが、すぐに視線をそらして意識を戻す。他の人もいるのだから、注意しないといけない。

 

「山科君の方は決まっているんですか?」

「え、僕ですか?」

 

 大和さんに聞かれて言葉に詰まる。

 

 僕は自分の進路なんて全く決まっていない。

 なりたい自分も、やりたいことも、目指すべき目標すらもない。ただ今この瞬間を生きているのが精いっぱいで、将来のことを考える余裕なんてどこにもない。

 

「え、えっと、僕は……」

 

 いったい、何をしたいんだ?

 

「俺の舞台で照明をやる」

「……え?」

 

 その言葉は、少し離れたところから飛んできた。

 

「その予定なんだ」

 

 声の主──柴田──は僕の方を見ながら「なぁ?」と同意を取ろうとしてくる。

 だけど、僕はその言葉に答えることができない。

 

「俺が舞台に立って、山科がライトを照らす。俺はそうなると思ってるが?」

 

 その目だ。

 僕には、その強い眼差し(きもち)がないんだ。

 

 みんながいつどこで見つけたのか知らないけれど、僕にはそれを見つける暇はなかった。今でさえ、僕自身のそれを見つけられるとは思えない。

 僕一人だけが置いて行かれたようで、不安感がひたすらに募るのを理解した。

 

 だけど、そんな僕を放ったまま、いつまでも答えられない僕の代わりに他のみんなが次々と話を繋いでいく。

 

「それは、とても儚い夢だね」

「……瀬田は、いつも“儚い”って言ってるな」

「まあ、薫さんの好きな言葉ですから」

 

 何もない僕を置きざりにして、夢追い人(みんな)の会話は続いていく。

 それは同時に、僕には何も語ることがないのだと証明していた。

 

「柴田君は、役者になるんですか?」

「ん? ああ、卒業したら劇団に入るつもりではある。……演技を学ぶための進学も悪くない、とは思うが」

 

 夢があれば、こうして自分の未来を語ることができる。

 だけど、それがない僕には何かを口にすることができない。

 

「やっぱり、プロになるんだ?」

「ああ、山科だって誘われたんだろう?」

 

 だから、僕には語るべき口がない。その問いに対する()()がないのだから。

 

「それは、そうだけど」

 

 確かに原田さんからプロの裏方としてスカウトをされたけれど、それにだって返事をしたわけではない。

 舞台裏方は非常に魅力的な進路ではあっても、僕の将来の仕事にしてもいいかという程熱があるかと問われると、自信はなかった。

 

「まあ、僕は考え中かな。……って、みんな昼休みも有限なんだし、早く食べよ」

 

 曖昧に笑いながら、有無を言わさぬ強さで答える。

 そして、少し強引にこの話を終わらせた僕は、再び話題を振られることがないように食事に意識を向けさせる。

 

「…………」

 

 なんだか、ものすごく責め立てられているような気がした。

 僕自身に夢がないことを、目標がないことをけなされているような気がした。

 

「…………いや」

 

 そうじゃない。僕はただ嫌なだけだ。

 

 

 みんなは見つけているのに、僕には光明すら見えない夢。

 ただ流されるままで、何があるかも分からない真っ暗な将来。

 大和さんをはじめとした、いつか訪れる数々の別離。

 

 

 僕は、みんなと違って未来へ希望を持つことはできない。

 「上手くいくといいね」なんて思ってもない希望をさも信じているかのように語り、夢はきっと見つかるんだと信じて探し続けるのは、もう疲れた。

 

 ライトの当たる場所にいる花形(みらい)を見るより、そんな誰かを見ている裏方(いま)を楽しんでいる方がいい。

 

 だから、

 

「……ん? どうかしました?」

「いえ、何でもないです」

 

 そんなどうなるかも分からない未来より、大和さんが確かにここにいてくれる今を、僕は選びたい。




18話ですが、暗い話題ですね。伏線的な用意していたつもりなのですが、それを本格的に暴いていく話でした。
色恋の行く末は分かり切っておりますが、コッチはどうなるのかな……と、見ていただければと思います。
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