パスパレのライブ当日。
屋内ライブではあるものの、外は清々しくなるような快晴だった。日差しこそ強いが涼風が吹いているため、辛さは特にない。
電車で数駅進んだところにある会場に向かうと、まだライブまでまだ時間があるというのに多くの人でにぎわっていた。
あちらこちらに行列ができていて、いったいどれがどこに続く列なのかすらもよく分からない。
「すごい人……」
整理のために用意された仕切りと大勢の人を見ながら、昨日の内に一度下見に来ていたのは正解だったなと心の中で自分を褒める。散歩がてら受付する場所を確認していたのだけど、確認していなかったら確実に迷子になっていただろう。
「えっと、受付は確か」
パンフレットを見ながら、受付の方に移動する。
大勢人が並んでいるところから離れ、あまり人がいないような場所に向かって移動する。
先ほどとは人の数がかなり変わってしまった上に同じ方向に歩く人がいないため、本当にこちらで合っているのか不安になってくる。
「あそこ、かな」
やがて周囲に入り口だと言われた場所にたどり着いたが、やはり人はいない。いるのは、受付だと印をつけられたところの前に立っている人だけだ。
恐る恐る立っている人に近づきながら、静かに「すみません」と声をかけた。
「あの、ここ、受付ですか?」
チケットを出すと、受付の人がそれを確認してからタブレットを操作し始めた。
「そちらは、どなたから頂いたものですか?」
「大和さ……あ、えっと、大和麻弥さんからです」
「お名前は?」
「山科遥、です」
「身分証明書はお持ちですか?」
「はい」
学生証を取り出して見せると、しばらくタブレットを確認してから表情を緩めた。
「はい、確認しました。順路に従って奥にどうぞ」
道を開けてもらえたので、学生証を受け取ってそのまま奥の方に進む。
「……もしかして、これって」
ただのライブのチケットだと思っていたけれど、身内向けみたいな特別な種類のものだったのではないだろうか。
そのことに気付けば、本当に自分がもらってもよかったのだろうかと、更に不安が募った。
と、そんな不安な気持ちを持っていられたのは、会場に入るまでだった。
「うわっ、すごっ」
会場は外観から分かってはいたけれど、かなりの人数が収容できるようなサイズだった。確か、客席数は五千とか書いてあった気がするので、かなり大規模なライブである。
席は三階まで用意されていて、僕がいるのは二階席の上手側に近い位置。正確に言うと一階と二階の間くらいの高さに調整されており、ここに入るための通路も他の客席とは少し違っているようだった。
不安な気持ちよりも会場設備に目が行ってしまった僕は、そのまま観客が入っている途中なのをいいことに、荷物も下ろさず周囲を見渡すことにした。
演劇部に入ってからついてしまった癖だけれど、初めての劇場に行くとそこの照明設備が気になってしまうようになっていた。
「あ、モニターとかあるんだ」
奥にあるステージはかなり広く、楽器も間隔を置いて設置されている。
設置されているモニターはかなりのサイズで、奥の方であったとしても演者の表情を確認することができるようにするためなのだろう。テレビの収録では見たことあったけど、ライブでもあるとは。今まではテレビのニュース等でちらりと見る程度だったから、こんな仕掛けがあるのだとは気にしたこともなかった。
足元の方には、間を置くように配置されたフットライト五つをはじめ、複数の種類のライトが設置されている。おそらく、回転等の動きがあるタイプも混じっているのだと思う。
一方で、舞台の上部の設備はこの席から確認することができないので、そちらについては全く分からない。だが、舞台斜め前方にも、彫り込まれた意匠かのように設置されているサイドライトの存在感が、この会場の照明設備の豪華さを証明していた。
三階席上方にあるピンルームが確認できたし、三階には
ライトの種類はパッと見えるだけでも部活で使っている数を超え、舞台上に存在するモノを考慮すれば倍以上の数にもなるだろう。
「はぁ……すごい」
一通りどこに何が設置されているのかを確認したところで、一度落ち着くことにした。
あれこれと見て回るのは少しだけ自重。流石に、人がたくさん入って来たので、これ以上きょろきょろしていると恥ずかしい。
時刻は間もなく18時。
もう幾ばくかで始まるライブに向けて腰を下ろし、ゆっくりと息を吐きだした。
「荷物入れとくかな」
差し入れ用に用意した紙袋だけは奥に置き、リュックを席の下に置く。
僕と同じように身内からチケットをもらって入場した人達はあまり多くないのだろう。僕がいるこの位置と、その反対側、つまり下手側の位置に似たようなスペースが用意されている。
反対側にも数えられる程度にはまばらな数の人が座っており、もともとこの種類のチケットの数は少なかったのかなぁ、という感じもする。
少し空き気味のこのスペースに比べると、一般の座席はほぼいっぱいにまで埋まっていた。
やって来た人は、工事や駐車場で案内に使ってる光る棒みたいなのを取り出して、いろんな色に変えて「パスパレ―」とかメンバーの名前とかを叫んでいる。こういうの、コール、とかいうんだっけか。
「もうちょっと、かな」
開演時間まで一分を切って、もういつ始まってもおかしくない状況になった。
今更になったけど、僕も他の人みたいにあの光る棒を持ってきた方が良かっただろうか。いや、どんな色にしたらいいのかもよく知らないから、持ってきたところで迷惑かけてしまう気もする。
と、考えたところで、避難灯以外の全照明がフェードアウトした。
「…………!」
前方から、足音が響く。硬い靴が鳴らすようなリズミカルな音。
数は複数だが、そのタイミングは綺麗に一致していた。
暗くなった視界に、目が徐々に慣れていく。
ステージの方に人影が微かに見えたような気がした。
「1,2,3,4……ッ!」
不意にカウントがとられ、軽快なリズムが流れ出す。
何の曲が流れ出したのか分かったのか、観客達は一斉に棒の色を紫に変え──
「ッ!!」
──目が眩んだ。
カットインした舞台照明に思わず目を細めるが、すぐに目を慣らして舞台に視線を向けた。
ステージにいる五人の少女は甲冑をイメージしたような衣装に身を包みながらも、そんなことを感じさせないような軽やかさで楽器を取りまわしている。
観客は曲に合わせて掛け声を入れ、紫色の光が会場を包んでいる。
奥のモニターでは、若宮さんがキリリと顔を引き締めながらも、どこか楽しそうな様子でキーボードを演奏している。
ここまできてようやく、ライブが始まったのだと理解した。
開演のブザーもなければ、幕は最初から上がっていた。
舞台の開始を告げるものなんてフェードアウトした照明一つだったというのに、この会場にある何もかもが一瞬にしてステージにいる五人の少女へと、その熱量の全てを向けていた。
「これが、ライブ……!」
静かに深みへと歩みを進めていくのではなく、まるで初めからそこが深みであったかのような錯覚に陥る。
引きずり込まれたのではなく、初めからそこにいたのだと思わせるような、そんな感覚。
ただ曲を聞いているだけではない。
声援も、ライトも、そのありとあらゆるものがこの舞台には必要で、この熱は今この瞬間にしか作り出しえない確かなもので、それは僕も例外ではない。
「はっ! はっ! はっ! はっ!」
気付けば、僕自身も声を合わせていた。
どこで声を出せばいいのかは知らないけど、なぜかタイミングは理解できていた。
大衆の熱量を受けて、心臓が強烈に鼓動している。
始まるまでは座って静かに聞いているつもりだったのに、今はもう立っていなければ落ち着かなくなってしまっていた。
曲が終わって、会場が静かになると、ボーカルをしていた丸山さんがマイクを口元に当てた。
「一曲目、天下トーイツAtoZどうでしたか? 先月出たばかりの曲でしたが、皆さんすぐに気付いてくれて、すごく嬉しかったです!」
今の曲、そういうタイトルだったんだなと思いながら、手元のメモに『天下統一AtoZ』と書く。
舞台でどんな演出がされていたのかをメモするために持ってきているのだけど、今回はライブで流れた曲をメモすることしかできないかもしれないな、と思った。
「コールのタイミングも完璧で、本当にアッパレでした! 皆さん、とってもスゴイです!」
若宮さんが笑顔で会場へ呼びかければ、紫の光が客席全体を彩った。
そうだ、若宮さんのイメージカラーが紫だから、若宮さんイメージのこの曲は紫で彩られていたのだ。
「イヴさん、この曲をいつも口ずさんでますもんね」
「はい! パスパレの仲間達との、ブシドーの証ですから!」
ドラムの前に座っている大和さんは、映像で知っていたとはいえ、本当に眼鏡をかけていなかった。制服姿や部活用のTシャツ姿しか見ていなかったので、それ以外の衣装を着ている大和さんを初めて見たかもしれない。
こうして見ると、より可愛らしさが引き立ってると思う。
「でも、麻弥ちゃんだって合わせて歌ってるし、なんならペンや指でリズムまで取ってるじゃん」
「いやそれは、イヴさんが歌っているとこう、落ち着かないと言いますか、つい……」
フヘへと大和さんが笑い、会場の空気が柔らかくなる。
先ほどの演奏中の熱狂した空気感とはまた違う、パスパレの作る柔らかい日常の空気が、会場の中を包んでいた。
「さて、本日はPastel*Palettes初めての単独ライブに来てくださって、ありがとうございます! 司会をしているのは、まんまるお山に彩を! Pastel*Palettesのふわふわピンク担当、丸山彩でしゅ!」
「あーあ、また彩ちゃん噛んじゃった」
「もー! 日菜ちゃん、言わないで―!」
丸山さんとは直接会って話す機会はなかったわけだけど、大和さんから聞いていたイメージとそのままで、なんだか少し面白かった。
失敗を引きずることなく頑張れて、何があっても前に進むことのできる人。
観客のことを考えてトークも笑顔も練習してきて、それでもなお失敗してしまうような。でも、そんな姿が彼女の魅力なのだろう。
「次は、噛まないように気を付けましょうね」
「千聖ちゃんまで~!」
なるほど、確かに“アイドルらしい人”であるように見えた。
応援してあげたくなるような、そんな人。そして、その結果がこの会場にいる五千人というわけである。
「大和さん、楽しそう……」
大和さんがいつにない程楽しそうで、舞台機材を触っている時のとは違う、僕が普段見ないような笑みを浮かべていた。
趣味に
今までアイドルとしての大和さんをあまり見てこなかったけれど、これからはグッズとかも買っていいかな、という気持ちになってくる。
写真とかは恥ずかしいけど、せめて大和さんを応援して何かしら繋がれるような、そんなものがあったらいい。
もし、余裕があるならライブ終わった後とか、ダメなら明日以降の休みの日にでも、大和さんのグッズを探しに行ってみようか。
「続いて、ドラム! 大和麻弥!」
ちょうどメンバー紹介をしていたようで、大和さんがドラムをカッコよく叩いている。
僕にはどのくらい上手なのかとか分からないけど、でも大和さんのドラムは、心地よくて、とても好きな音だ。
「以上、五人でライブを続けていきたいと思います!」
「よろしくお願いします」と五人が頭を下げ客席からは声援が飛ぶ。
「大和さーん!」
みんな好きに叫んでいるようだったので、歓声に紛れて大和さんの名前を呼んでみたら、大和さんが僕の方を向いた。
「みなさん、ありがとうございます!」
大和さんはこちらにスティックを持ったまま手を振ってくれた。
同じ方角からは、きっと僕と同じように思った人が嬉しそうに声を上げている。
「今日は、真夏の暑さに負けないくらい、熱いライブにしていきたいと思いますので、皆さんついてきてくださいね!」
「じゃあ、次の曲だね!」
「うん! 身体は温まってると思うので、もっと熱い曲で行きたいと思います! Y.O.L.O!!!!!」
そして、再び会場は音の波に包まれた。
ところどころにトークを挟みながらライブは続いた。
トークの部分では、氷川さんが即興で演奏を始めたのに大和さんが乗っかって、それを白鷺さんに叱られちゃったり。丸山さんがあんまりにも噛むから、丸山さんがライブ中に噛むかを予想し始めたり。若宮さんが最近の部活でやったことを楽しそうに話していたり。
きっと、いつもの彼女達がしているのであろう会話を少し覗き見ることができるような感じがして、なんだか不思議な気持ちになった。
楽しい時間は瞬く間に過ぎて、ライブはとうとう最後の曲を迎えていた。
「次が、最後の曲です!」
「本当に次が最後なんですか!? なんだか、まだライブが始まったばかりみたいな気持ちだったのに……」
「私はまだまだいけるよ~。あ、せっかくなら違うのやる?」
「もう、日菜ちゃんってば……」
軽率に面白そうだと思ったことを始めようとする氷川さんを、白鷺さんが窘める姿はこのライブ中でもう見慣れてしまった。
「ちゃんと、段取りがあるんだから守らなくちゃダメよ」
「は~い」
会場から笑いが漏れる。
白鷺さんはずっとどんな人か分からなかったけれど、きっとパスパレのことをすごく大切にしている人なんだということは、ライブを通して理解した。五人でいるパスパレという居場所が大事で、その居場所を守るために戦えるような、そんなすごい人なのだと。
僕が釘を刺されたのはきっと、そのパスパレという場所を脅かすような危ない存在だったから。
中途半端な気持ちで関わってパスパレに迷惑をかけるくらいなら、大和さんから距離を取ってほしい、という彼女なりの言葉だったのだと、今となっては分かる気がした。
「パスパレが、こんなに広い会場で単独ライブをさせていただくのは、これが初めてです」
白鷺さんの視線が会場を彷徨う。
「パスパレを結成してから大変なことがたくさんあって。でも、その度にみんなに助けてもらいながら、ファンの皆さんに応援してもらいながら、ここまでやってくることができました。本当にありがとうございます。……みんなも、ありがとうね」
「ちょ、ちょっと、千聖ちゃ~ん」
「彩ちゃん、涙声になってるわよ」
「だって……そんなの、急に言われたら……」
ライブの原稿にはなかったのだろう、アドリブで入った感謝の言葉に丸山さんが嗚咽をこぼす。
力いっぱい白鷺さんを抱きしめる丸山さんの姿がモニターに映り、他の三人が微笑まし気にその姿を眺めている。
白鷺さんは視線を客席から丸山さんに戻した。
「もう……泣かないの。次の曲もちゃんと歌うんだから」
「うん、うん……」
兄さんから、パスパレのデビュー当時の話は少しだけ聞いた。
きっと普通ならそのまま消えてしまっていたはずなのに、彼女達はそれでも諦めることなく頑張り続けて、そしてやっとこの大きな舞台でライブをするに至ったのだろう。
僕はその姿を何一つ知らないけれど、彼女達はもう形だけのアイドルバンドではない。自分達で演奏して、これだけの人を動かすことができる、そういう
「本当に大変なことがあっても五人で乗り越えてきて、今まで子役として役者として一人でやってきましたが、初めて私の居場所だと思える場所が、ここにできました」
まだ結成して長くの時間は経っていないものの、五人の絆を深めるには充分すぎる出来事がたくさんあった。
そして、再び視線はこちらの方を──
「だから私はこれからも、できるだけ長く、この五人でパスパレを続けていきたいと思っています」
──目があった。
「今日来てくださった五千人ものファンの皆さん。今日ここには来れなかった皆さん。パスパレを応援してくれる、全ての人のため。そして何よりも私達五人の意志で頑張っていきたいと思います」
心臓を、鷲摑みされたような気がした。
「どうかこれからも、皆さんの応援よろしくお願いします」
これは、
頭を下げる白鷺さんへと送られる無数の声援が、僕の意識からフェードアウトしていく。
でも、頭の中ではうるさいくらいに声が響いていた。
ステージから視線をそらし、客席の方に視線を移す。
「あ、ああああ……」
パスパレを、大和さんを応援する
会場にいる
ライブに来れなかった
何千、何万という
「では、最後の曲をやらせていただきます。……みんな、大丈夫?」
「うん、任せて!」
「ぎゅい~んといっちゃうよ~!」
「ダイジョウブです! 最後まで全力です!」
「ジブンも問題ないです。いつでも行けますよ」
五人がお互いにうなずき合う。
パスパレは、この五人でなければいけない。
たった一度のライブで、僕はそれを間違いなく理解した。
理解して、しまった。
「…………」
糸が切れるように、座席に崩れ落ちる。
イントロが流れ出しても、もう体は何一つ動こうとはしていなかった。
僕の気持ちに正直になれば、多くの人に迷惑をかけることになるかもしれない。とてつもない数の人を巻き込んでしまうのだ。
それを理解してもなお、僕は大和さんに気持ちを告げることができるのか。
「……無理、だよ」
できるわけ、なかった。
演劇部で舞台に立つ勇気すらない僕が、どうして大和さんへ気持ちを伝えることができるだろう。
裏方が舞台の一部を作ることはできるのかもしれない。
でも、役者以外に台詞はない。
「…………」
僕に与えられた台詞はない。僕には、語る価値のある言葉がない。
舞台に上がらない限り、その勇気がない限り、僕にはこの気持ちを伝える権利など存在しない。
唇をかんで、零れそうな涙を押しとどめた。
「僕、は……」
少しだけ期待していた。
もしかして、と思っていた部分は確かにあった。
だけど、今ならはっきり言える。
この気持ちは、永遠に叶えてはいけないものだ。
「大和さんのことが好き、です」
だって、僕は最初から舞台の上になんて立っていなかった。
「……言えないくせに」
僕が立っていたのは、客席の遥か上階。舞台を照らすライトの裏側だったのだから。
ライブというのに行ったことがないし、そちら関係の知り合いもいないので、本当に身内席みたいなのがあるとかは知らないです。今回は山科君が立ったり座ったりと忙しそうなので、近くに人がいないような環境を用意してあげた次第です。具体的な雰囲気とかは他の作品や偏見で書いています。一番詳しいのは照明設備だったと思います(小並感)。
ちなみに、ホールですがパシフィコ横浜を基準に一部改変を加えた設計にしました。施設図を見ながら細かいとこ決めたんですが、描写する理由もなかったのでしてないです。
なんか違和感とかあったら、そろっと指摘していただけますと修正を考えます。大規模なら諦めます。
後、最後の部分の文章、もし見覚えがあるなぁって思った人は、そっと一話の冒頭に戻っていただけますと納得するのではないかと思います。
このイベントは、エンドがどうなるか決めてなかった頃からこうなると決めていたものです。一話のをここで使ったというより、ここで使うものを一話に先出ししたって感じですね。
さて、最後に。
もしよろしければ作業用のBGMを置いておきます。
https://www.youtube.com/playlist?list=PLu6yiYjIlrj2vCXti4uIXXZoOWDkX4PUD
今回は夢乃ゆきさんの「sign」のサビがいいなぁ、と思いながら書いてました。まる。