照らされざる君に   作:山石 悠

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8/16(木) 「軋む舞台」

 一週間ぶりの羽丘の部室はなんだか懐かしさを感じた。

 今日からまた部活が始まり、一週間ほどの練習の後に公演がある。小道具類の作成はほとんど済んでいるため、ここからはより舞台を良くしていく段階だ。

 

 部室に入ると、先に来ていた大和さんが視界に入る。なんだか少し眠そうで、昨日遊びに行った疲れが残っているのかもしれない。

 

「大和さん、おはようございます」

「……あ、山科君。おはようございます」

 

 大和さんが眠い目をこすりながら頭を下げた。

 今まで眠そうな大和さんなんて見たことがないから、なんだか新鮮な光景だ。

 

「眠そうですね?」

「はい……ちょっと、考え事してたら眠れなくて……」

「仮眠しますか? 練習まで時間ありますし、移動するときになったら起こしますよ?」

「でも……」

「前に同じことしてもらいましたから。その時のお礼ってだけですよ」

「なら、ちょっとだけ……」

「はい。どうぞ」

 

 電車で寝坊した時のことを思い出す。

 あの時は大和さんに寝かせてもらったので、今度は僕がお返しをする番だ。

 

 大和さんがその場で横になるので、すぐそばに置いてあったブランケットをかけて隣に座る。

 

「おやすみなさい」

「…………」

 

 完全に寝入ったらしい大和さんを一瞥して、部室の様子を眺める。

 みんな休み明けということもあって、少し気が緩んだような様子だ。でも、準備をする手が止まっているわけでもないから、練習が始まれば普通に動けるだろう。

 

 問題は、先ほど大和さんが語っていた“考え事”の方だ。

 夜眠れなくなるほどの悩みとは、いったい何だろう。今までそんな悩みがあるなんてそぶりもなかったから、多分ここ数日で起きたことなのだとは思う。

 

 何があったのかと尋ねたい気持ちもあるけれど、不用意に関われば僕自身が大和さんの問題になってしまうことだってある。

 

「最低限。最低限」

 

 誰にも聞こえないような小さな声で、そっと自分に言い聞かせる。

 急に離れれば不自然だけど、少しずつ距離を開ければそんなことはないはずだ。部活動の事務的な連絡以外、大和さんと会話する機会をなくす。そして、部活が終わったタイミングで自然消滅するように。

 

 そうすれば、僕の傷も、大和さんへの迷惑も、全ては問題なく終わるはずだ。

 

「…………」

 

 もう一度大和さんの顔を確認すると眼鏡をかけっぱなしだったのに気付いて、そっと手を伸ばす。起こさないように気を付けながら、そっと眼鏡をはずして傍に置いた。

 

 少し幼く見える寝顔が妙に可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。小さくリズムをとるように胸元が動き、静かに息をする音が漏れる。

 ただ眠っているだけなのに、どうしてこうも安堵を感じてしまうのだろう。この寝顔を見ているだけで僕の胸が高鳴るのは、僕が今でも確かに自分の気持ちから決別できていない証拠だ。

 

 捨て去らなければいけないモノだと理解すればするほど、大和さんへの好意が確かな存在になっていく。

 

「抑えきれないなら……」

 

 葛西さんの言葉の通り、抑えきれないのなら相手のためにできることをすればいいのだろうか。

 

 僕が大和さんにできる一番のことは、アイドルとしての大和さんの邪魔にならないように離れること。だけど、それが僕にはできない。

 離れようとすればするほど、真綿で首を締めるように苦しくなる。

 

 他にできることなんて何一つありはしないというのに、それすらもできないなんて。

 

「……はぁ」

 

 考えを一度断ち切って、部室のみんなを眺める。

 

 今は、舞台の方に意識を向けておこう。

 せめてそうしておけば、大和さんへのこの気持ちを抑え込むことくらいはできると思うから。

 

 

 

 

 

 今回公演する『Binary star』は、不幸の最中にいる人達の物語だ。

 

 自分のミスで試合に負けた高校生。

 彼氏に振られてしまった大学生。

 リストラされた中年。

 いつまでも売れないシンガーソングライター。

 家族との折り合いがつかない主婦。

 母親が急病で倒れたOL。

 将来の生活が見えない美大生。

 

 人生の中で経験する多くの失敗や不幸を経験している人達が出会い、何かを見つけて再び歩みだす。

 

 ただギャグに走って不幸を笑い話に変えてしまうわけでもなく、シリアス一辺倒で重苦しく受け止めるだけでもない。辛い出来事を少しだけコミカルに、だけど正面から向き合う。

 そんな人達の姿を描いたのが、この物語だ。

 

「よし、オッケー」

 

 シーリングとピンスポのある上は、相変わらず熱っぽくて薄暗かった。

 

 舞台から一週間前ということもあって、体育館を一日中借りて練習する機会はかなり多めに用意してもらった。少なくとも、二日に一度は貸してもらえるように話が付いている、とのことだった。

 

 休み明け初日の今日は、さっそく舞台を使わせてもらえるようで、今日は午前中から体育館に移動しての通しからだった。

 夏の暑さはまだ収まるところを知らず、体育館の中は午前中だがそれなりの気温になっていた。今でさえこんなに暑いのだから、午後になる頃には溶けてしまいそうな気温になるだろう。

 

「……やっぱり熱いな」

 

 汗をぬぐいながら、シーリングとピンスポのコンセントを差して状態を確認する。

 前回触った時から位置等は変更していないので問題はないと思うけど、チェックはしておくに越したことはない。

 

(しも)の照明、問題ないよ』

(うえ)の方も大丈夫』

『了解。演者や音響も大丈夫か?』

『うん、下の方は準備できてると思う。(かみ)も……大丈夫そう』

『分かった。じゃあ、さっそくだけど始めようか。今回は休み明け最初だし、どんなことをするか思い出すようにやっていこう』

 

 大道具や小道具もほとんど出して、衣装まで着てもらった。状況は本番とほとんど変化はない。

 スイッチの調子を確認しながら、手元のスイッチを少し握りしめた。

 

「行くぞ!」

 

 と、高橋が合図をかけ、手を叩く音が聴こえる。

 

 そして、開演を告げるブザーの音が鳴り響き──

 

「……ん?」

『どうした?』

『麻弥ちゃん?』

 

 ブザーが鳴らない。

 みんなが呼びかけると、大和さんが『え……?』と声を漏らした。

 

『あ、は、はい!? すみません、今鳴らします!』

 

 大和さんの慌てた声が聞こえ、すぐにブザー音が鳴り響く。

 

 照明が切り替わり、ゆっくりと幕が開き、雑踏の音が小さく混じる。

 奥には花壇、中央にはベンチ、上手の端には自動販売機のパネル。舞台の初期配置図の通りだ。

 

 舞台袖から現れるのは、試合に負けた高校生を演じる柴田だ。

 自転車を押しながら下手入りした高校生は、そのまま下手の花壇の前に自転車を置いてベンチに座った。

 

あー……疲れた

 

 荷物をベンチに放り投げ、高校生が疲れた様子でベンチに座り込んだ。

 

もう動けねぇ。足ガクガク……

 

 台本とは少し違う台詞で、動きも最初の頃より少しだけ荒くなっている。崩し気味のユニフォームやこうした動きは、全て柴田が自ら少しずつ高校生について向き合い、具体的な演技の内容を考えた結果だ。

 他のみんなも少しずつ演技や台詞について考え、少しずつ改修が加えられている。

 

 ため息をつきながら高校生が黄昏ていると、上手から女子大生役の瀬田さんが駆け込んできた。

 

はぁ、はぁ……! きゃっ!

 

 この物語の中心になるのは、この男子高生と女子大生の二人だ。

 傷付きやすく感情的な二人は違う境遇でありながら、どこか親近感を覚えながら日が沈むまでの2時間を過ごす。

 

嘘! ヒール折れてる!? ……あー、もうサイアク

 

 最後まで奇跡はどこにもなく、試合は負けたままで高校生の本番に弱い性格はいつまでも治らないし、女子大生の彼氏は後輩に取られたままで帰ってくることもない。

 

あの、大丈夫ですか?

 

 でも、二人は最後にはまた前に向かって歩き出す。

 

 悩んで、感情をぶつけて、言葉を交わしたその後に、みんなが自分なりの答えを見つけてまた前に進み続けるのだ。

 

あ、ごめんなさい

いえ、別に

 

 明るさを少しだけ落とす。

 

 夕焼けの茜色はかなりの再現度になっており、色だけであればかなり本物に遜色ない出来になっているという自負があった。

 これもすべて、葛西さんや大和さんをはじめとしたみんなが、一切の妥協なくこだわり続けてきた結果だと思う。

 

 今回の舞台の演出で追及したのは“現実味”だ。

 あらゆる演出は、この体育館を公園にするためのものだ。夕方の色合いや雑踏が観客を舞台の中に引き込み、だからこそありふれた悩みがフィクションではなく共感できる悩みとして届く。

 

 ──だけど、

 

あ、手当てするんで、脱いでもらっても大丈夫ですか?

 

 彼らのように不幸の最中にいる僕からすると、どうして彼らがまた歩みだせているのかが分からなくて、現実味なんて感じようもなかった。

 

 

 

 

 

「……十回、か」

 

 通しでの練習が終わり、僕は台本を見返した。

 

 十回というのは、この通しの間に大和さんがミスを犯した回数だ。

 この舞台では音響関連の演出はあまり数が多くなく、この回数は大和さんが音響演出のほぼ全てでミスを犯していたことを意味している。

 

 ミス自体は最初のブザーの時が一番酷かったと言える程度の小さなもので、細かいタイミングにミスがあったという程度だ。

 少なくとも今までの大和さんはこんなミスをしていないので、今回の様子は明らかに異常だった。

 

「あの、大和さん」

『どうしました?』

 

 インカム越しに聞こえる大和さんの声はいつも通りのようにも聞こえ、ますます違和感を覚える。

 だって、大和さんなら今のミスのことは確実に気付いているはずで、それを気にしているのが普段の大和さんだからだ。

 

「えっと、さっきの通しなんですけど」

『あ、それ私も気になった』

『あの……もしかして、ジブン、何か間違えてましたか?』

「え?」

『え?』

 

 僕と葛西さんが声を上げる。

 大和さんが今のミスに気が付いていない?

 

『麻弥ちゃん、本当に気付いてないの?』

『は、はい』

 

 その声に嘘は混じっているようには聞こえなかった。大和さんは、本当に先ほどのミスに気が付いていないらしい。

 

『……山科君』

「えっと、どうしましょうか」

 

 大和さんの演出は、はっきり言って舞台に支障をきたすほどのミスではない。

 だけど、ここまでこだわってきた僕達としては、こんな些細な治せるミスを見逃すなんてありえなかった。

 

 今のまま練習したところで、練度が増すわけではない。

 大和さんの気持ちは、今ここにはないのだから。

 

『あの……二人とも』

「えっと、回想シーンに入るところ。タイミングは照明のフェードに合わせて雑踏のBGMをフェードする形になってましたよね?」

『はい』

「さっきの通しだと、大和さん、早めにカットアウトしてました」

『その場面の終わりのところも同じミスをしてたね』

『え、嘘……』

 

 高橋や新藤さんは触れていなかったし、おそらく演出としては些細なミスだろう。

 カットは急に叩き起こされるような感覚で、意識を明確に切り離すような感覚を覚える。それを考えると、緩やかに回想に入るタイミングで急に音を消されては困るのだ。

 

『ごめん、山科君。いったん切るね』

「え、ちょっと」

 

 葛西さんのマイクがオフにされたのか、音が急に途切れる。

 聞こえてくるのは、大和さんの方のマイクから拾われた音だけだ。

 

 僕は慌ててした方を見下ろすと、客席の方に高橋と新藤さんがいる。

 

「高橋! 新藤さん!」

 

 インカムを外しているらしい二人に声をかけ、舞台袖の方を指さした。

 

「なんか、大和さんの様子がおかしいみたいだから様子見てほしい! 僕も今から降りるから!」

「え、ちょっと山科!」

「頼むから!」

 

 返事も聞かずに扉を開けて階段を駆け下りる。

 

 インカムをつけっぱなしにして声を聞こえるようにしたけど、ピンスポのある上と一階を繋ぐ階段は壁に囲まれている場所なので、声があまり届かない。

 

 螺旋階段状で段数が少ないので、手すりを掴んで飛び降りるようにして下に降りていく。

 無心で着地しながら、ただただ急いで飛び降り続ける。

 

「せめて、これが……」

 

 僕が大和さんにできること。

 

 飛び降りながら、これしかないのではないかと思った。

 何かに悩んでいる大和さんを助けてあげることが、この気持ちを抑えてはなれることすらできない僕にできる唯一のことなんじゃないか?

 

 何をしたらいいのか、本当に僕にできるのか、もっと迷惑をかけてしまうのではないか。

 そんな考えが脳裏をよぎるけど、今はそんなこと気にしている暇がなかった。

 

 大和さんの悩みは、演出に影響が出るほどだったのだから。

 

「ッスト!」

 

 最後の階段を飛び降りてドアにしがみつく。

 ドアを開けようとノブに手をかけて、勢いよく開け放つと、インカムがようやく繋がったらしく、人の声が聞こえてきた。

 

『ジブンらしくないって、何ですか? 何がジブンらしいんですか!』

 

 走り出そうとしていた足が止まった。

 

『……すみません。しばらく一人にしてください』

 

 そして、マイクが切れる音がして大和さんがステージの方から飛び降りてきた。

 

「大和さん!」

「一人にしてください」

「いや、でも……」

「お願いですから!」

 

 引き留めようとしたが、足はまったく動かなかった。

 いざ本人の前に立つと何を言えばいいのか分からなくて、体育館を出ていく大和さんを見送ることしかできなかった。

 

「山科君!」

 

 舞台袖から三人が出てきて、呆然としている僕を見る。

 大和さんのことを聞こうとしたのだろうけど、僕の様子を見て何かを察したようで沈んだ表情をしていた。

 

「えっと、何があったの?」

 

 僕はあのやり取りを知らない。

 大和さんの声しか聞こえていなかったのだから。

 

「えっと、何から話したらいいのかな……」

「新藤はとりあえず落ち着け」

 

 高橋がおろおろする新藤さんを抑える。

 

「なんて言ったらいいんだろう。麻弥ちゃんの悩みを刺激しちゃったというか……」

「悩み?」

 

 ふと、先ほどの言葉を思い出す。

 

「自分らしさ、って話?」

「うん。ちょっとは聞いてたんだけど……」

 

 知っていただけに、追及しすぎてしまったのだろう。

 

 葛西さんは僕の方に近づいて、外の方を向かせた。

 

「ごめんけど、刺激した私達より山科君の方がいいと思うから、行ってくれないかな?」

「でも、一人にしてほしいって……」

 

 それに、僕が追いかけたところで今みたいに何も言えなくなるのがオチな気がした。

 何かを言いたいような気持はあるけれど、そもそも大和さんが何を悩んでいるのかすらよく分かっていないのだから。

 

「お願いだから行ってきて。ちょうどお昼休みだし、ご飯でも買ってね」

「いやでも、どこにいるかも分からないし……」

「大丈夫。校内からは出てないだろうし、練習の時間は過ぎてもいいから、お願い」

 

 あんまりにもお願いされるから、僕は大きく息を吐いた。

 

「あんまり、期待はしないでね」

「山科君なら完璧にやってくれると思っておくから」

 

 僕は、葛西さんの言葉を聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

 お昼を二人分買って、僕は大和さんの居場所を探し始めた。

 

 まずは下駄箱で大和さんの靴があるかを先に確認すると、外靴の方が置いてあったので探すのは屋内に絞る。

 一階から空き教室等を回りながら歩きながら探してみるけど、大和さんの姿はどこにもない。

 

「……どこにいるんだろう」

 

 こういう時、大和さんはどこに行くのだろう。

 

 歩きながら、一人になりたいときに行きたい場所を思い浮かべてみる。

 

「人が来なくて、暗くて、狭くて……」

 

 そこで、ふとある場所のことを思い出した。

 大和さんが偶然教えてくれた、一人になりたいときに行く場所。

 

「あそこか!」

 

 あの場所に行ったのはいつのことだろう。

 会ってまだ早い頃だった気がする。確か自動販売機のパネル等の大道具を探していた時だ。

 

 少し急ぎ気味に足を動かし、たどり着いたのは演劇部の大道具類がしまわれている倉庫。

 静かに中に入って、僅かに空いた通路を進んでいくと、やはりそこには人影があった。

 

「見つけましたよ」

 

 ゆっくりと大和さんに近づく。

 

「…………」

「……え、えっと、ご飯、食べました?」

 

 じっと僕の方を見つめる彼女に対してどういう表情をしたらいいのか分からなくて、僕はとりあえず苦笑いを浮かべながらパンの入ったビニール袋を見せた。




本格的に「binary star」の内容にも触れています。どんな物語か、ここからお楽しみにいただけますと幸いです。
舞台の演出もこういう風に形になるんだなぁ、と思っていただければいいんじゃないでしょうか。今回はリアル志向に走りましたが、違う演出を考えてもいいかもしれませんね。
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