それは、嵐のようにやって来た。
「えっと、今日はどんな……」
「え? 山科君とお話したかっただけだよ」
何でもないようにそう言われても、何の話題があるのか分からない。
初めて会った時にも思ったけど、彼女の考えは全く読めない。何を考えて行動しているのを理解しようとすること自体、そもそもの間違いなのかもしれないとさえ思えてくる。
目の前から視線を外すと、食堂では少し離れた場所で数人がこちらの方を窺っているのが見える。大和さんと昼食を食べる時と同じような構図なので、正直助けに来ないのだろうと思う。
一人で乗り切るしかないんだと諦めると、楽し気に僕の方を見つめている彼女──氷川日菜さん──に曖昧な笑みを向けた。
「話っていったいどんな……」
恐る恐る問いかけると、氷川さんは「えっとねー」と前置きをして、首を傾げた。
「山科君ってさー、夢ってどういうものだと思う?」
氷川さんと会ったのは、本当に偶然だった。
今日は体育館を運動部が使うとのことで、体育館で通しもできない日だった。そのため、それぞれが部室や外で、それぞれ練習や準備に取り掛かるというのが今日の予定。
役者はもちろん舞台の練習をするわけだけど、裏方の方は既に仕事が完了しているわけで作るものは特にない。かといって仕事しないのもどうかという話をした結果、本番前に一度くらいは衣装を洗っておいた方がいいだろうということになった。
「これで全部だよね?」
「うん、これで終わりだよ」
羽丘の顧問の先生に掛け合ったところ、家庭科室にある洗濯機を使わせてもらえた。とりあえず、フル稼働で全ての衣装を洗濯機に叩き込み、後は洗濯し終わるのを待つだけ。
洗濯を手伝ってくれた子と話しながら部室に戻ろうとしたところで、職員室の方から見覚えのある人が「失礼しました~」と出てきた。
「あの人は……」
「……ん? あ!」
元気よく職員室から飛び出してきた彼女は帰ろうと下駄箱の方に目を向けたところで、僕の姿に気が付いた。少しだけ嬉しそうだった顔に笑みが差し、黄色い瞳がきらきらと輝いた。
彼女は、僕達が棒立ちになっている間に一瞬で距離を詰め、僕の前に立った。
「山科君だよね!?」
「あ、はい……」
白鷺さんの時もそうだったけど、パスパレの人達を前にすると「逃げられない」という気持ちでいっぱいになる。蛇に睨まれた蛙、みたいな。口調も思わず敬語になってしまうし。
よく分からないけど、オーラみたいなのに呑まれていたりするんだろうか。
「ねぇねぇ、今から時間ある?」
「えっと、今から昼休みだから、大丈夫ですけど……」
洗濯が終わったら昼休みに入ろうという話にはなっていたので、別に問題はない。少なくとも昼休みの間なら時間はある。
そう答えると、氷川さんは僕の手を握った。
「じゃあ、ご飯食べながらお話ししよ!」
「え?」
抵抗する暇もなく、僕は一緒に帰っていた子を置いて食堂へと連行されてしまっていた。
気付いたら、あっという間にご飯を買って席に座っていた。反論を挟む余裕すらなかったし、メニューもあっという間に決められていた。
そして、何てことないように最初の質問をぶつけてきた。
「夢について、ですか?」
「うん」
それは二週間ほど、大和さんへの気持ちについて考えるのが手いっぱいで考えるのを忘れていた問題だった。
僕には夢がない。
夢にするほどの何かが僕にはなくて、だから僕にはなりたい未来がない。
「どうして、いきなりそんなことを?」
柴田は、裏方のプロになれと言う。僕には能力があるのだと。
でも、僕は僕自身がそれを信じることができない。僕が持ち得る裏方としての技術は、所詮は一年程度のもの。柴田がお世辞で人を褒めるタイプじゃないことも理解しているけど、僕はどうしてもそれを信じることができない。
前にプロの舞台を見学させてもらった時だって、劇団の原田さんにプロを目指さないかと誘われた。
僕は、その誘いに未だ答えを見つけることができていない。原田さんが僕にあると言うだけの熱量が、本当に僕の中にあるのか自信がなかった。
今の僕にとっては、大和さんとの約束の方が大切だ。
将来のことは今でなくても、この夏が終わった後でもいい。だけど、大和さんとの関係や約束、この気持ちは今でなければいけないのだから。
「麻弥ちゃんは、山科君のこと『ジブンに似てる』って言ってたけど、あたしはそう思わないんだよね」
「確か、前にもそう言ってましたね」
表面的には似ているだろう。でも、核心的な方向へと進むたびに僕と大和さんの差は歴然となる。だから、僕達は何も似ていない。
氷川さんはその違いが分かるのだろう。前にも一目見て僕と大和さんを「違う」と言ったのだから。
白鷺さんは僕の嘘を全て見破って、巧みな芝居で僕の核心を引きずり出してきた。
だけど、氷川さんはそうじゃなくて。簡単な計算問題を解くみたいに、当然のように僕の核心を抉り出してくる。
「それに麻弥ちゃん、この前のライブの後からまた何か考えてるっぽかったし。たぶん、山科君が原因なんだろうなって」
「それは……」
解決した話題を掘り返されたような気持になったが、氷川さんが知らないのも無理はない。約束をしてから大和さんは演劇部にしか来ていないから、氷川さんが今の大和さんの様子を知らないのは当然だろう。
僕がライブに行った時の感想をきっかけにしていたので、その指摘は間違いじゃない。
「その件は、とりあえず大丈夫だと思います」
「え、何かあったの?」
「話すと長くなるので……」
葛西さんにすら話していない約束のことを氷川さんに話すのは嫌なので、すぐに「それで」と口を挟ませないように言葉を継いだ。
「夢について、でしたよね。僕と大和さんが似てないことと、どういう関係が?」
嫌な空気を感じて引いてくれる性格ではないと思っていたけど、誘導には乗ってくれたようで「えっと」と話の流れに乗ってくれた。
「前に、麻弥ちゃんが『アイドルとしての夢がない。アイドルなのかも分からない』って言っててさ」
それは、約束の時に僕も聞いた内容だった。
周りがアイドルとして活躍している中で、自分は今までと何一つ変わっていないのだと。今の自分は、アイドルではなく裏方のまま舞台に立っているのではないかと。
「麻弥ちゃんは夢が分からないって言ってたけど、なんかあたしとは違う感じだし。でもさ」
目が合った。
「山科君は分かりそうだなって。夢ないみたいだし」
「え?」
「どうしたの? 夢、ないんだよね?」
「そんなこと言いましたっけ?」
「ううん。でも、山科君見た感じなさそうだったし」
あっさりと言われた言葉に、思わず顔が歪む。
やっぱり、パスパレの人達は苦手だ。どうしたらいいか分からない。
「あるの?」
「……ない、です」
しぶしぶ頷く。
あるなんて嘘をついたってしょうがないのは事実だ。
「大和さんは、夢を持つ前の段階にいるんだと思います」
「前の段階?」
「そもそも大和さんは自分がアイドルとして不適だから、アイドルにならなきゃって思ってる」
アイドルになりたいと思っている人が、アイドルとしての夢を持てるわけがない。
アイドルとしての夢は、アイドルでなければ持つことができないのだから。
「だから、まずは大和さん自身に、“大和麻弥はアイドルだ”と理解してもらう必要があると思うんです」
「え? でも、麻弥ちゃんはアイドルだし、夢とかは関係なくない?」
「ありますよ」
大和さんはそこで思考を止められない。今アイドルの仕事をしているのだからアイドルだ、なんて単純に考えることができない。
自分で違和感を覚えてしまったら、それを解決するまでは納得できない。
仮に、今の大和さんが“ドームライブをしたい”なんていう夢を抱いたとしても、次に考えるのは「そもそも今のジブンじゃ……」という否定だ。
今の大和さんでは仮にも夢ができたところで、それを自分自身で潰してしまう。
「なるほどねー。じゃあ、まずは麻弥ちゃんを“アイドルにする”ことから始めないといけないんだ」
「そうです」
頷く。
大和さんに自信を持ってもらうこと。それが、僕と大和さんの約束。それを果たすことができれば、大和さんは夢を持つためのスタートラインに立つのだと思う。
そして、今のように悩んでいる姿ではなく、本人が心からアイドルとして舞台に立つ姿を見ることができたなら。その時はきっと、僕はこの気持ちを諦めることができるんじゃないかと思う。
氷川さんは納得したように言葉を咀嚼するそぶりを見せると、僕を見て少し首を傾げた。
「……さっきから思ってたけど、山科君って前に会った時から何か変わった?」
「変わった?」
覚えはない。
強いて言うなら大和さんへの気持ちを諦めたことだけど、それは関係ない、と思う。
「前に会った時はなんか、何もなくてつまんなそうだっけど。今は、ちょっとだけ麻弥ちゃんに近くなった気がする」
「大和さんに?」
意外なことを言われた。似てないと、つい先ほど言われたばかりだったのに。
「似てないけど、前よりは似ているみたいな?」
「はぁ……」
分からないけど、どうやら僕自身も気付かないうちに変わっているらしい。
「まあ、変わったところで、夢を持てたわけでもないんですけどね」
結局、僕は何も手に入れてない。
大和さんへの気持ちを手に入れたけど、あっという間に捨てなければならなくなった。新たに手に入れたものなんて全然ない。
「山科君は、どうして夢が持てないの?」
「どうして……」
どこまで話すか考えて、取り繕うのは無駄なんだろうと思った。きっと、白鷺さんの時とそう変わらない。
「だって、僕には得意なことがないですから」
芝居も、楽器も、運動も、勉強も。照明の操作だってそうだ。
僕には何一つ人に誇れるものがなくて、夢にするべきものがない。
「なにそれ? どういうこと?」
「僕はどれも半端で、人に誇れるものがないですから。自信を持って、夢にできるモノがないんですよ」
なれるものがない僕には、夢がない。
自分を語れない僕には、夢を持つ資格がない。
自嘲気味に答えると、氷川さんが首を傾げた。
「それ、なんかおかしくない?」
「…………え?」
それは、予想外の否定だった。
「どうして、できることじゃないと夢にならないの?」
「それは……」
何を言われているか分からなくて、口が動かない。
「イヴちゃんは武士になるなんてぜったいに無理だって思える時でもなりたいって、夢だったって言ってたよ? 彩ちゃんだって、セリフ噛むしリズム合わせるの下手で失敗ばっかりで得意だなんて言えないけど、アイドルになるって夢を叶えたよ?」
「それは……!」
「夢を持つのに、資格っているの? なりたいと思ったら、それが夢なんじゃないの? 山科君の夢は違うの?」
幼子が大人の袖を引いて質問をするように、氷川さんは僕の言葉を本当に理解できていないみたいだった。
ただただ浮かぶ疑問をひたすらにぶつてくる。
その言葉の意味は分かっても、頭は理解を拒んでいた。
「でも! 何にもできないままで『プロ野球選手になる!』なんて言ったって無理じゃないですか。僕が言ってるのは、そういうことで──」
「でも、それも夢じゃないの? 叶えるか諦めるかなんて、夢を持った後に考えることじゃないの?」
「────!」
氷川さんの言葉には、何の間違いもなかった。
「山科君は、今のままやりたいと思ったことを、夢だと言っていいと思うんだけど」
「なんで? なんで?」と僕を見る氷川さんに、返事をすることができなかった。
「…………あぁ」
僕もまた、大和さんと一緒だったのかもしれない。大和さんが言う似ているとは、そういう意味だったのかもしれなかった。
ずっと自分のことを認めることができなくて、何者にもなれていないと思い込んでいただけなのかもしれない。大和さんがみんなにアイドルだと言われても信じられないように、僕もみんなの言葉を信じることができいなかった。
「そういうこと、だったんでしょうか」
ただ自分を少しだけ認めてあげる。
僕に必要だったのは、それだけのことだったのかもしれない。
「山科君は夢が分からないわけじゃないんでしょ? じゃあ、持てるんじゃないの?」
「僕の、夢……」
いったい僕は何がしたいのだろう。
将来──十年、二十年先の未来──で、僕はどんな姿でありたいのだろう。
「パスパレのみんなと話してた時に聞いたんだけど、“夢と目標はグラデーション”なんだって」
あやふやな未来を望む夢から、確かに道程を得た目標。
いきなり遠くに飛ぶのではなく、今行ける確かな一歩をまずは考えてみること。
「……今やりたいこと、は」
そんなの、一つしかない。
「僕は、大和さんにアイドルとして輝いてほしいです」
「じゃあ、それが山科君の夢?」
「分かりません。それに、僕が叶えるというのとは、また違うし……」
映像やライブで、僕はパスパレとして活躍する大和さんの姿を見てきた。
その時間は裏方で共に過ごしてきた時間とは比べ物にもならないほど短いけど、確かに僕はアイドルとしての大和さんの姿に心を奪われたのだ。
楽しそうにドラムをたたいて舞台で輝く姿を永遠にしていたかった。
「……でも、何か掴めそうな気がします」
恋の熱とも違う、熱い感情が沸き起こっているのを自覚した。
苦しさなんてどこにもない、純粋な興奮。だけど、今はその姿をはっきりと認識できないから、どこかもどかしい気持ちもある。
この一瞬で夢を得られるとは思っていなかったけど、確かに何かを得た気がする。
夢へと続く、最初の一歩。
「あたし、夢を持つ瞬間って初めて見たかも!」
「氷川さんのおかげです」
氷川さんの一言が、僕に夢への一歩を教えてくれた。
大和さんとの約束は、僕は大和さんを諦めるための代償行為じゃない。僕の夢を見つけるための、かけがえのない光明だ。
それを今、理解したのだ。
「大和さんの悩みは、僕が解決します。そういう、約束をしたんです」
「そっか」
氷川さんはいつもより少しだけ大人っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあさ、もう一回聞いてもいい?」
「何ですか?」
今なら、どんな問いにだって答えられそうな気がしていた。
「山科君ってさ、夢ってどういうものだと思う?」
「そう、ですね……」
少しだけ考える。
今、僕の胸の中にある感情を言い表すことのできる言葉を探す。
「役者を照らすライト、でしょうか」
役者は舞台に立つだけで観客に見てもらえるわけではない。暗転していては意味がない。誰もが自分の人生の主人公だからと言って、常に光が当たっているわけではない。
だから、これはきっと照明だ。舞台に立った役者を誰よりも輝かせ、人々を魅了するための光。
僕達は夢を持つからこそ、輝く場所を歩いている。
この胸にある衝動は、フィラメントの熱にだって届きうるはずだから。
「役者を照らすライト! 凄いね! あたしじゃ絶対に思いついてない!」
氷川さんは嬉しそうに僕の手を握って上下に振った。
「夢は目標とグラデーションだし、その人を照らす光。あたしも、少しずつ夢が何か分かってきたかも」
「氷川さんには夢がないんですか?」
「え? ないよ? あたしには、夢がよく分からないし」
それは、なんだか意外だった。
「氷川さんって夢について分かって嬉しそうだったし、それを知りたいのかと思ってました」
「それはあってるよ? あたしは、夢が何か知りたいの」
「……じゃあ、それは夢じゃないんですか?」
夢が何かを知りたい。
それは、夢を知らない人が持つ夢にはなりえないのだろうか。
「…………」
しばらく沈黙した後、氷川さんが慌てたように自分を指さした。
「じゃあ! あたしの他の人のことが分からないから面白いし、もっと知りたいっていうのも、夢?」
「かも、しれないですね」
僕もまだ夢を見つけたわけじゃないから、その確証はない。
でも、今の僕と同じような話だった。
夢の存在に気付いていなかったような、そんな感じ。
「夢じゃなかったとしても、僕みたいに、夢に届くきっかけになるかも」
「……そっか! あたしも、ちゃんと夢あるんだ!」
氷川さんは嬉しそうに声をあげた。
氷川さんはすぐに何でもできる人だと聞いた。
だから、できないことなんてなくて、いつかという気持ちは今叶ってしまう。その結果が、夢を抱くことができないというモノだったのだろう。
なら、きっと。
「あたし達、夢見つけちゃったね!」
「ですね」
僕達が一緒に見つけた、今やりたいこと。
それは夢に続くものになるはずだ。
「山科君、面白いね!」
「そうですか?」
「うん!」
よく分からなかったけど、悪い気分じゃなかった。
遠くから僕達を見つめるメンバーをよそに、僕達はこの胸の内に隠れていた夢の存在を捉えた喜びを二人で分かち合った。
今回は氷川さんとの邂逅ですが、パスパレでは白鷺さん以来の一対一でしたね。
もともとパスパレは氷川さんと白鷺さん二人しか出さない予定でしたが、何とかその通りで終わろうとしています。
パスパレは“夢”をよくテーマに持ち出すので、本作でも取り扱っています。
ずっと「得意なことがないから」と夢を語らなかった山科君ですが、夢とはそもそも何かを問う話です。夢がないメンバーである氷川さんが出たのは自然なチョイスでした。前回は意味あり気に消えていきましたからね。
今回二人が見つけたのが夢かどうかは、これから当人達が決めることです。ですが、きっと夢を見つけるヒントにはなるのではないかと思っています。