照らされざる君に   作:山石 悠

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7/21(土) 「体験」

 4時が過ぎて運動部の人達が練習を終えた時間帯。

 裏方担当の人達は、連れだって体育館に移動した。これから、照明や音響の機材を実際に触っていくのだ。

 

 体育館に着くと、暗幕を閉めていく。本番の時は閉めたうえでテープで完全に明かりを遮るようにするのだけれど、今回は触ってみるだけということで暗幕を閉めるだけだ。

 暗幕が閉まり体育館の照明だけになったところで、大和さんが僕を手招きした。

 

「山科君、こっちです」

 

 大和さんに呼ばれるままステージ下手にある調光卓の場所まで移動する。すぐ後ろには音響卓もあり、音響と照明の基本的な位置はここになるのだろう。

 大和さんは調光卓と音響卓の近くにあったスイッチを二つ押して明かりをつけた。これが作業灯らしい。

 

「今のが作業灯です。まず、客席側の照明を落としますね。ちょっと見比べててください」

 

 大和さんが下段のつまみを動かすと、それに従って照明が落ちていった。二階席下の部分と二階席、天井の三種類に分かれている。また、その三つを同時に操作することのできるようだ。

 

「つまみと実際の変化にラグはないので、違和感なく操作できると思います。どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 実際に調光卓の前に移動した。

 つまみをゆっくりと上下させながら、どのように変化するのかを確認していく。僕がつまみを上下させるのとほとんどタイムラグなく明るさが変化していく。特定の照明を消したり特定の照明だけを点けたりする。

 どの照明がどの程度の明るさか、どこまでを照らせるのかを自分の目で確認していく。

 

「山科君、楽しそうですね」

「え?」

 

 大和さんが声をかけてきたことで気が付いた。

 

 つまみを触る手は熱を帯び、口元には笑みが浮かんでいる。

 なるほど、確かに傍目から見れば楽しそうに見えることだろう。

 

「ええ、とても楽しいです」

 

 初めての舞台で初めての機材を触ることがこんなに楽しいだなんて。これで舞台を作ることができたら、どれほど楽しいのだろうか。

 

「他のも触って大丈夫ですか?」

「はい。ボーダーも操作してみましょうか」

 

 ボーダーは客席側の上、上段に設置されている部分だった。ボーダーは三つおきに一纏まりになっているので、その三種類と三つをまとめたつまみが用意されている。

 こちらも順番に操作しながら、明るさやその変化の様子を確認していく。基本的にはうちの高校と変わらないので、扱いやすそうだ。

 

 一度、全部の照明をつけて大和さんの方を振り返る。

 

「どうでした?」

「うちの高校と感覚部分では大きな違いもなかったのでやりやすかったです。照らせる範囲や明るさはなんとなく把握したので、演出に反映させられるといいなと思います」

「あれ。思ったより、しっかり考えてたんだ?」

 

 その場にいた別の女子が驚いたような表情を見せていた。

 思わずそちらに視線を動かすと「あ、ごめん! バカにしてたとかじゃないんだけど」と手を振った。

 

「すごい楽しそうだったし、ずっと上下に忙しなく動かしてたから、楽しくて遊んでるのかと思っちゃった。ごめん」

「ああ、いや、全然そんなことないよ。実際、遊んでたのと変わんないし」

 

 実際、気持ちは楽しんでいるだけだったので否定することはできない。

 

「じゃあ、次は音響卓の方を触っていきましょうか」

「分かりました」

「今CDを……あ、体育館の入り口に置いてきちゃったんで、ちょっと待っててください」

「あ、はい」

「じゃあ、私が開けて説明しておくね」

「はい。涼さん、お願いします」

「まかせて」

 

 そう言って大和さんが袖からいなくなると、涼さん、がこちらを向いた。

 

「自己紹介まだだったよね? 私は二年の葛西(かさい)(りょう)。よろしく」

「二年の山科遥です。よろしく」

 

 ぺこりと頭を下げると、葛西さんが不思議そうな表情をした。

 

「山科君って、私の時はタメでしゃべるんだね」

「え? ……ああ。それはどちらかというと、大和さんには敬語で話してしまう、っていう方が近いかも」

 

 大和さんはずっと敬語なので、つられてずっと敬語になってしまうのだ。大和さんがタメでしゃべるようになったら、僕もタメでしゃべるようになるんじゃないかと思う。

 

「あ、それはないよ。だって、麻弥ちゃんって誰に対しても敬語だもん」

「……そういえば」

 

 思い返してみれば、先ほど葛西さんに話しかけていた時も敬語だった。

 

「まあ、仲良くなったらもう少しは砕けるとは思うけどね。山科君も、機材オタクなんでしょ?」

「いや、僕は全然詳しくないし」

「そうかなぁ?」

 

 大和さんと話していてよく分かった。

 大和さんは機材の仕組みやメーカーブランド等についても詳しく、僕は使い方しか知らない素人でしかないと感じた。

 

 葛西さんは鍵を取り出して音響卓の扉を開けて、卓の電源を入れ始めた。

 

「まあ、そんな詳しくない山科君に、もっと詳しくない涼ちゃんが解説するよ」

「あはは、よろしく」

 

 冗談めかした口調で、葛西さんが慣れた手つきでスイッチを押していく。

 

「まず、これが主電源ね。舞台の音響にはCDだけ入れるから、使うのはこのCDデッキの部分だけ。CDって書いてあるし、分かると思う」

「うん、大丈夫」

「後はまあ、一般的なものと変わらないと思うんだけど、トラックを変えるのがこのボタンで、音量ミキサーはこっち。CDはここから入れるようになってて、最大で3枚まで入るけど、普通は1枚しか入れないかな」

 

 DVDやマイクなど、種々の音響関連の機材の一角が演劇の舞台で使用するCDデッキだ。舞台で使用する音響は一つのCDに焼いて、それを流すようにしている形式になっている。

 音響卓の左上に主電源があり、卓の中央辺りにCD関連の部分がある。中央にはデジタル表示の部分があり、ディスク番号、トラック番号、音量などの情報が表示されている。

 

「音量は0から100の表示で、BGMは30程度、効果音は60で十分だと思う。それ以上は、うるさすぎるかもしれない」

「なるほど」

 

 頷いたところで、足音が聞こえ大和さんが戻ってきた。

 

「すみません。今戻りました。どこまで説明しました?」

「ほぼ全部。今、麻弥ちゃんが戻ったところでCD入れて曲流してみよう、って言うつもりだった。ナイスタイミングだね」

「あはは、ありがとうございます。じゃあ、さっそく入れてみますか」

 

 CDを入れてトラック番号1の音を再生すると、小さくピアノの音が聞こえてきた。

 

「ちょっと客席の方に移動してみて。どの音量でどれくらいに聞こえるのかやってみるから」

「分かった」

 

 葛西さんの言葉に従って客席の中央辺りに移動する。すると、他の人達が舞台で簡単な即興劇(エチュード)を始めた。

 

「どうですか?」

「台詞を邪魔しないで聞こえるのは、確かにこの辺までになりそうですね」

 

 一緒に来た大和さんに答える。

 すると、大和さんが何かを取り出した。手に収まる程度のサイズで、コードから伸びたマイクのようなものが大和さんの口元に近付く。

 

「じゃあ、効果音お願いします」

 

 大和さんがそういったところでピアノの音が止み、ガラスが割れるような音が響いた。

 不意打ちで来た音に体が跳ねるのを見て、大和さんが笑った。

 

「びっくりしました?」

「そりゃしますよ」

 

 僕は割と根に持つタイプだ。

 いつか、絶対にやり返す。

 

「すみません。……あ、これインカムです。つけてみてください」

「あ、ありがとうございます」

 

 大和さんが取り出してくれたもう一つのインカムを受け取る。

 イヤホンを耳に嵌めてみると、くすくすと笑ったような声が聞こえてきた。

 

『今のが60の音量の効果音。びっくりした?』

「葛西さん……」

「音響の方はもう大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫だと思います」

『じゃあ、片付けておいてもいいかな?』

「お願いします。ジブンは山科君と二階席に行くので、そちらの片づけはお願いします」

『りょうかーい』

 

 大和さんは僕のインカムを取って、あるスイッチを押した。

 

「ここでマイクのオンオフが切り替えられます。喋らないときはオフにしておけばいいですけど、まあオンにしっぱなしでも大丈夫だとは思います。あと、設定すれば特定の相手にだけ話が伝えられますけど、基本的には使わないので説明は割愛しますね」

「はい、分かりました」

「じゃあ、山科君が一番好きなあれを触りに行きましょうか」

「はい!」

 

 そして、大和さんに連れていかれながら僕らは二階席へと向かった。

 

 

 

 二階席は思ったよりも広かった。

 体育館の照明につながっているのであろう大型のケーブルや屋上につながるドアがあり、明らかに関係者以外は入れない場所であることが分かった。

 

「あれです」

 

 大和さんがある機材を指さした。

 それは、ステージの方からも少しだけ見えていたシーリングとスポットライトだ。

 

「シーリングとスポットライトは、普段はコードを抜いているので使う時はそこのコンセントにさしてください」

 

 大和さんがコードを差すとコントローラのデジタル表示が光った。

 

「シーリングの操作は照明卓と一緒です」

「ですね」

 

 つまみを操作しながら、明るさを確認する。時折、ライトの部分についている羽根を弄りながら明るさの範囲を調整してみる。

 

「スポットライトは説明が必要ですか?」

「いえ、大丈夫そうです」

 

 スポットライトは僕の学校にあったのとほとんど同じなので使い方は分かる。うちの高校では大きさしか調整できないのだけれど、ここのは明るさまで調整できるらしい。

 羽丘の設備は、どれもこれも青蘭の設備よりも良くてありがたい。

 

「使います?」

「もちろん!」

 

 思わず鬼気迫った表情をしてしまった。大和さんを驚かせてしまったようなので、すぐに表情を戻す。

 

「あ、すみません。使わせてください」

「……あ、はい! もちろんです! どうぞどうぞ」

「では、失礼して……」

 

 スポットライトの左に立つ。

 軽く様子を確認して左手で正面にある持ち手を、右手はライトの後ろにある持ち手を掴む。これがホームポジション。

 こういったスポットライトにはポインタが付いていたりするものもある。僕は大会の会場でしか見たことないし、流石に羽丘のこれにもそれはなかった。

 

「じゃあ……」

 

 ライトについている絞りを調整してライトを閉じてからスイッチをオンにする。隙間から強烈な光が漏れるのを確認してから、ほんの少しだけ絞りを開く。

 

「うん、イメージ通り」

 

 明かりがない状態ならともかく明かりがある状態で、スポットライトの絞りはほんの少しだけ開いたとしても、客席側からは確認することができない。正確に言うなら、そんなものがあると思っていない観客は見つけられないのだ。

 これは、ポインタがない状態でライトを操作する方法として覚えているものだ。

 

 一度、ライトから手を放してインカムをオンにした。

 

「葛西さん」

『ん、何?』

「あ、よかった。つながった」

 

 インカム越しに葛西さんの声が聞こえる。

 

「ちょっと暗転してもらえないかな?」

『うん、いいよ。ちょっと待ってて』

 

 しばらくすると、体育館中の明かりが落ちる。

 インカムのマイクを襟元に付けてライトに手をかけた。

 

「葛西さん、そのままステージ中央に出てきてもらっていい?」

『中央? うん、分かった』

 

 ガサガサと音がして、葛西さんの姿がステージに出てきた瞬間ライトをつけた。

 

『うわっ!?』

 

 ステージに出てきた瞬間に葛西さんにピンスポが当たる。

 

「ふふっ。ほら、中央に移動してよ」

『あー! 絶対、さっきの根に持ってたでしょ!』

「持ってない、持ってない。ほら、動いて動いて」

 

 葛西さんがため息をついてステージの中央に歩いていくので、それを追いかけていく。

 

『……山科君、追うの上手だね』

「まあ、基本的にこれしかやってないから」

 

 好きなのだ、この仕事が。

 

 僕自身は全く注目されていないけど、僕の動かすライトの輝きがその舞台を彩っていると感じる。

 このステージを作っている中に僕がいるんだと感じることができるから、僕はこのスポットライトというのを好きでいるのだ。

 

 葛西さんが中央まで終わったタイミングで、フェードアウトする。

 初めて触ったライトではあるけれども、いつも通りの仕事ができていると思う。

 

「ありがとう」

『山科君のライト、滑らかだね』

「そう? そう言ってもらえると嬉しい」

 

 ライトを元に戻してから大和さんの方に振り返った。

 大和さんは少し奥の方で「大丈夫でしたか?」と確認してきた。

 

「ええ、大丈夫でした。一通り触らせてもらってありがとうございます」

「いえいえ。いい舞台を作るためですし、気にしないでください。あ、もういいですか?」

「はい、大丈夫です」

 

 返事をすると、大和さんは電源が消えていることをその場から確認してコンセントを抜いた。

 

「やっぱりこの景色、いいですよね」

「景色、ですか?」

「はい」

 

 この場所は、舞台のすべてを見ることができる。

 客席も、ステージも。舞台のすべてがこの眼下に映っている。

 

「僕はこの特等席から芝居を見るために、ここにいるのかもしれません」

 

 この場所から物語を眺め、そして僕が物語を作る一端を担う。

 その満足感は、他の役職では得ることができない、特別なものだと思っている。

 

「この場所が、この仕事が、すごく好きです。だから、できればこの舞台もここから関われたらいいなって思っているんです」

「いいですね、そういうの」

「そうですか?」

 

 ちょっと自分でもクサいこと言ったかなと思ったけれど、大和さんがそう言ってくれるなら大丈夫だ。

 

「さて、そろそろ降りましょうか」

「はい。……大和さんは、この景色見ていかないんですか?」

「え? ……あー……ジブン、高いところがあまり得意ではなくて」

「そ、そうだったんですか!? すみません、苦手なのにわざわざ」

「いえいえ。高所恐怖症と言うほどでもありませんし、足場が不安定な場所にいると怖い、くらいの話なので」

 

 大和さんはテキパキとコード類を片付けると、少しだけ速足で扉の方に移動した。

 

「さあ、行きましょう。本番まで時間もないですし、頑張っていきましょう!」

「はい!!」

 

 

 

 帰り道。

 

「ねえ、柴田」

「どうした?」

「瀬田さんはどうだった?」

 

 そう尋ねると、柴田は少し考えこんだ。

 

「あれは、日頃から演技しているから上手いのか? 素が演技みたいだから上手いのか?」

「え?」

「俺も同じ部屋で聞いてたけど、なんていうか言動がいちいち芝居がかってる人だったな」

「そう、だな……」

 

 と、柴田が少し立ち止まって、うつむいた。

 いつもの、演技をする前の精神統一だ。

 

「『やあ、少年。ところで、君の方はどうだったのかな? あの子猫ちゃんと、どんな儚い時間を過ごしたんだい?』」

 

 声はいつもの柴田よりも高めだが、女性としては低め。動きは少し大げさで舞台に合うようなジェスチャーが混じっている。

 距離感がいつもよりはっきりとして、僕に質問をするときの距離の近さはかなりのものだ。

 そして何より、その芝居ががったような、少しゆったりとした喋り方と声音。

 

 なるほど、大和さんの時も感じていたが、これが瀬田さんなのか。

 

「ま、こんな感じだ」

 

 そして、不意に瀬田さんから柴田に戻る。

 

「評価としては、変人だな」

 

 柴田がしみじみとそう言うと、僕と高橋が呆然と顔を見合わせた。

 

「うーん。柴田に言われたくはなさそう」

「確かに。柴田に言われたくはないだろうな」

「おいこら、どういう意味だ!」

「そのままの意味かな? ね、高橋」

「そうだな、山科」

 

 僕と高橋がうなずき合うと、柴田が納得いかなさそうに吼えた。

 

「なんだよそれ!」

「いや、柴田も大概、変人だよ」

 

 演劇バカ、と呼んでもいい。

 

「うるさい! それを言うなら、山科だって機材オタクだろ」

「僕は大和さんと出会ってよく分かったよ。僕は機材オタクを名乗るわけにはいかないってね」

 

 大和さんみたいな、筋の入ったやべー人が本当の機材オタクというものだ。

 僕みたいな「好きー」って言ってるくらいの人間は、オタクを名乗るのは早い。

 

「それ、山科のさらに上を行く機材オタクっていうだけで、山科が機材オタクであることは否定できないんじゃないか?」

「あっ! それ言っちゃいけない奴だって、高橋!」

 

 まあ、別に言われたところでだから何かあるわけではないけれど、こうなると高橋も巻き込んでしまいたくなる。

 

「高橋なんて、新藤さんとお菓子つまみながらおしゃべりに興じてたわけでしょう?」

「えっ、ちょっ」

「『女子とお菓子食べながら話してた』とか言ったら、どう思うだろうなぁ?」

「おい、ちょっと柴田!」

「普段女子と関わる機会がない皆は絶対に天誅しにくるよ」

「違いない」

「お前ら!」

 

 三人だけで女子高に行ってる時点で、皆から揶揄られることは分かっている。

 だったら、三人仲良く天誅されればいい。

 

 

 夕焼けが眩しい道を、僕らはわいわい騒ぎながらゆっくりと帰った。

 

 この、特別な日々の始まりを祝うように。


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