舞台は半分を過ぎ、舞台に残されたのは男子高生、女子大生、中年男性、OLの四人。
走っていった警官と主婦を見送りながら、中年男性がぼうっとしている。
「どうしました?」
「私も、勇気を出さないといけないと思ってね……」
中年男性はベンチに座り込んで、ため息をついた。
「実は、今日は仕事帰りではないんだ」
「え?」
「先日リストラされて、今は無職で……」
それは、家族に言えてない事実だった。
子供は進学の予定もあり、このままでは諦めてもらうことも考えなければいけない。今は仕事に行くふりをして就職活動をしているわけだが、その結果もあまり芳しくはない。
この先の問題は一人だけの問題ではない。
早く事実を告げねばならないとは理解しつつも、心配を掛けたくないという気持ちが告げることを躊躇わせていた。
「明日は一体どうなるのかと、ずっと不安に駆られている」
告げることだけならできよう。
だが、告げたところで変わるのは、不安に駆られるのが一人から四人になるという点だけだ。
「リストラって……」
「大して偉くもなく、歳だけとった荷物はいらないということだよ」
若い者にカッコつけようとした結果がこれだった。
情けは人の為ならずと言ったところで、現実はそんな都合よく幸福になれたりなどしない。
「そんな……」
「少しくらいずる賢く生きていた方がいいのかもしれないけど、私にはどうしても合わなくてね」
「だけど、そんなの」
中年男性が自嘲気味に呟くが、誰もそれに反論することができない。
最も年上のOLですら中年男性よりも若い。彼の積み重ねた日々に反論するだけの重みが三人にはない。
「でも、家族のこと考えられるの、凄いと思います」
OLは弱気に呟いた。
母が倒れてこの街に戻ってきた。父は亡く、病に侵された母は介護がなければ日常生活がままならない。入院するには健康で、老人ホームに入るには若すぎる。自宅で生活しなければならないが、一人では決してできない。
最低な親であれば気安く見捨てることもできたのだろうが、自分を一人で育ててくれた母を見捨てることはできなかった。
OLにだって生活がある。結婚をして家庭を持ちたいという気持ちがあった。だが、母の介護をしながらではそれも難しい。
彼女にとって、自分の将来と母の日常を天秤にかけなければいけない現実が辛かった。
「頼りなくはありますが、親ですから」
中年男性は優しく頷いた。
「親は子供の将来が気になるものだからね。それは、きっと貴女のお母さんだってそうだと思うよ」
「そういうモノでしょうか」
「ああ」
少なくとも、OLの母親は彼女の幸せを願える人だと思えた。だって、こんなに母のことを想える娘が育っているのだから。
「……なら、きっと、貴方のご家族も大丈夫だと思います」
彼の言葉を咀嚼しながら、OLは半分無意識でそう呟いた。
「子供だって、親のことが大切ですから」
時には嫌だと思うこともあるけれど、ここまで育ててきてくれたから。
だから、きっと悪意で報いたりはしないと思うから。
「だから、ちゃんとお子さんも話を聞いて考えてくれるはずです。学校なら奨学金制度もありますし」
親だからこそ、子供に迷惑をかけたくないという親の気持ちを察することはできる。
子だからこそ、親の困りごとに手を貸してあげたいという子の考えを想像することはできる。
相手が誠実な人だからこそ、その家族だってきっと誠実であると思えるから。
「……帰ったら、話してみようと思います」
「私も、家族に説明してみるよ」
将来に不安があっても、きっと支えてくれる誰かがいる。大切な誰かがいる。その誰かに勇気をもらっているからこそ、前に進む力が出てくる。
どうなるか分からない未来を繋いでくれるのは、いつだって勇気をくれる大切な人だ。
中年男性は残っていたコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。そして、互いに少しだけ頷き合って、やはり今までの人達と同様に歩き去っていく。
「みんな、行っちゃいましたね」
「そう、ね」
残されたのは、最初にこのベンチにやって来た女子大生と男子高生。
「じゃあ、今度は私が、君の話を聞いてあげようかな」
「え?」
「何かあったんじゃないの? わざわざ部活帰りに公園に寄る理由なんてないだろうし」
「それは……」
もう少しだったというのに、試合に勝てなかった。練習通りの実力であれば確実に取れる内容だったはずだ。
だけど、試合になるとどうしても体が動かなくなる。不意に頭が真っ白になって、暗い底から不安がよじ登ってくる。
「試合に、負けたんです」
ずっと本番に弱かった。
一度失敗すると、二度目の失敗を恐れた。二度目の失敗に対する不安がそれを現実にし、それが三度目の失敗を連想させる。
「初戦はいい。勝ち上がっていくほどみんなが期待してくれて、期待されるたびに失敗したときのことを考えちゃって、そうすると本当に失敗して……」
実力がないのならそれでもよかった。
でも、彼には確かに実力があって周囲から期待されてきたから、諦めるわけにはいかなかった。
「いつもそうなんですよ。大事な場面でいつもやらかして迷惑かけて」
「本番に弱いんだね」
「はい」
自分はダメだ。能力があるとしても、それを活かすことができないなんて意味がない。
実力を発揮しなければいけないと思えば思うほど、それが逆に不安を強くして失敗を繰り返す。
「……そういう、貴女は?」
「え? あー、そうだよね。私の方が、よっぽど何かあったって感じだよね」
女子大生は怪我の治療のために靴を脱いでいた足を振った。
「彼氏にね、振られたんだ」
「失恋、ですか?」
「いつの間にか後輩のことが好きになってたんだって」
ずっと好きだったし大切にしていたはずだった。
あまり束縛が強い人だと思われないように距離感も考えてたし、プレゼントやデートの内容だってちょうどいいものを選んでいた。
だけど、それがそもそもの間違いだったと知ったのは、今しがたの話だった。
「恋人はわがままな方がいい。自分に頼ってくれる人の方がいい。そう言われちゃった」
恋人として無理のない心地の良い距離感は悪手だった。
気遣いができてしまうことが、彼女の致命的な問題だった。
「迷惑かける彼女になれなんて、そんなの無茶じゃない。私には無理だったの」
恋は正しいものが正解とは限らない。相手の好きなものが正解になるだけ。それは、時に間違いだといわれることでも正解だったりする。
女子大生は、致命的に正しすぎたのだった。
「って、ごめんね、君の話だったのにね」
「いえ、こっちのは大したことないですから」
「ううん、そんなことない。私の方がつまんないことだもの」
女子大生は靴を履いて静かに立ち上がった。
「私ね、この性格は直らないんじゃないかなって思うんだ。君の本番に対する弱さも、きっとそう」
「ここって、せめて場数を踏んで慣れようとか。そういうアドバイスをするところじゃないんですか?」
「だって、言われ慣れてるでしょう?」
「…………」
確かに、ずっと彼は聞いてきた。
試合を繰り返していけば慣れていく。そうすればいつかは本番に対する緊張だってなくなって、きっと本番に弱い性格も直るんじゃないかと。
「君は何度だって緊張して、不安に駆られて失敗してしまう」
だが、それを直しても仕方がない。
失敗をしない人生なんてない。恐れてしまうのは仕方のないことだ。
そして、女子大生はそんな彼の性格に少しだけ救われていた。
「君は、私の怪我をちゃんと治療してくれた」
ぴょんぴょんと飛び跳ねてみせる。痛みはあまりない。
「その性格は直らないかもしれないけど、その性格だったから君は治療する準備を日頃からしていたわけでしょう? そして、そのおかげで私はちゃんと治療してもらえた」
「……そんなこと」
「あるの」
女子大生は要領がいい。気遣いもできるしミスをすることも少ない。だからこそ、男子高生の言葉を全て肯定してあげられる。
彼氏に振られてしまった要素は、ここで彼を助ける強みになる。
「ありがとう、ございます」
「ううん。私の方こそ聞いてくれてありがとう」
少しだけ晴れやかな女子大生の表情に、男子高生は首を傾げた。
「ショックだったんじゃ、ないんですか?」
「うん、辛かったかな。でも……」
振られたのは悲しかった。自分のやって来たことが見当違いだったなんて思ってもみなかったから。
「私、もう彼のこと、なんとも思ってないみたい」
女子大生は男子高生と向き合うよう、観客に背を見せて
「……そうですか」
「うん」
振り返る。
表情は既に今までと変わらない女子大生のままだ。僕達には、彼女のその心情を推し量る術はない。
彼女は男子高生に手を差し伸べて彼を立たせた。
「ねえ、あれ見える?」
「あれ?」
女子大生は空に向かって指をさした。
「夏の大三角で見る星、わし座のアルタイル。意味は“飛翔する鷲”」
「はあ」
「アルタイルって、連星って呼ばれる種類の星でね、知ってる?」
「いえ」
「連星っていうのは、互いの重力に影響しあってくるくる回る星って意味。こんな感じで」
女子大生が、握っていたままの男子高生の手を引いて回り始めた。
「私一人じゃこんな勢いはつかない。でも、誰かと一緒ならそうじゃない」
二人の力で回転はさらに増していく。
短所があったからこそ、女子大生の怪我を手当てする用意を持っていた。
長所があったからこそ、男子高生の言葉にきっと違う道を提示できた。
「加速度がついてエネルギーを蓄えたら、またきっと羽ばたけると思わない?」
この失敗は、挫折は、不幸は、決して人生最大級のモノではない。今後の人生で起こりうる数ある問題の一つに過ぎない。
たとえありふれた失敗だとしても、一人では立ち直れないことだってある。
だけど、一人ではなく二人なら。
一人では決して耐え切れなくても、二人でなら頑張れることだって確かにあるから。
「私達は変われないけど、明日からまた頑張ろう」
変わらなくてもいい。そのままでいい。
今まで積み重ねてきた日々を否定する必要なんてどこにもない。
「……なんか、一方的に元気づけてもらってすみません」
「ううん、違うよ」
女子大生は立ち止まって、男子高生から手を離した。
「君は私をまた歩けるようにしてくれたから」
それは大したことのない治療だったかもしれない。
だけど、失恋して逃げ出して、その果てに転んで足をくじいた彼女にとっては、本当に救われることだったから。
また歩けるようにしてくれた魔法のようだったから。
「君はどこの誰よりも早く、私を勇気づけてくれたもの」
女子大生はさらに男子高生から離れた。
「じゃあ、私は帰るね。本当に、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
女子大生がゆっくりと歩き出し、男子高生はベンチに置いていたリュックを背負った。
「…………あ、あの!」
「ん?」
女子大生が振り返る。
「えっと、俺、何度でも治療しますから!」
「……ありがとう」
それが、最後の言葉だった。
二人がゆっくりと歩き出し、それに合わせて幕が閉まっていく。
ライトを切って、どこか夢見心地な気持ちでその場に立ち尽くした。
どこか酩酊した意識の中で観客席から拍手が響き渡り、インカムの向こう側から『お疲れ!』という声が聞こえている。
一分か二分か。
無意識のまま舞台挨拶をするキャスト達にスポットライトを当てていると、徐々に舞台が終わったのだという実感がわいてきた。
「おわ、った?」
『うん、終わったよ。お疲れ様』
『お疲れ様です』
インカムの向こうから、大和さんと葛西さんの声が聞こえてきた。
「二人とも、お疲れ様です」
『お疲れ。大変だったけど、何とかなったね』
『アクシデントなく終わって良かったです』
キャスト達の挨拶が終わりキャスト達も舞台袖にハケると、舞台は完全に終了だ。
この後、キャスト達は観客の見送りや配布していたアンケートの回収を担当する。裏方の僕達は機材後片づけだ。
シーリングとスポットライトの主電源を切って舞台の方を確認すると、インカムの向こうが少し静かなのに違和感を覚える。
「あれ、他の人は?」
『二階席の子はもう降りてるし、監督達ならインカム外して入り口の方に走っていっちゃったよ』
「あー……本当だ」
下を見下ろすと、インカムを外して見送りの方に交じっている二階席の子や新藤さんと高橋の姿も見える。
僕達はこの一か月の間ずっとつけていたせいでインカムがあることに違和感を覚えないけど、普通はすぐに外してしまうらしい。
「二人はいかないの?」
『CD出したので、今から出ます』
『私も簡単に確認だけしてから行くよ。インカムの回収もしておかないとだし。山科君も下で待ってるね』
「うん」
返事をしてライトを奥の方にしまう。
そして、ふとこの後に待っている出来事を思い出した。
「……ふぅ」
これから、大和さんとの約束を果たさなければいけない。
あの倉庫でかわした約束の通り、僕は大和さんにとってのファンにならなければいけない。
持ってきていた荷物をまとめて中を確認する。
台本はもちろんだけど、直接話に行けるように約束の話に関係のあるものも持ってきている。
手提げを持ってみんなのいる場所を見下ろす。
客席付近では葛西さんがインカムを回収している姿があって、舞台袖の方では大和さんがインカムを付けたままひょっこり姿を現しているのが見えた。
この場所からでも意外と顔はよく見えて、舞台袖付近にいる大和さんの表情も見える。
「……大和、さん」
大和さんがふと顔を上げて視線が絡む。
その名前を口にする度に鼓動は加速して、言いようのない感情が胸を締め付ける。
視線を合わせているのがなんだか気恥ずかしくて、僕は大和さんからゆっくりと視線を逸らした。
「僕は、大和さんのことが……」
この想いを口にするのは、これが最後だ。
約束を果たすためアイドル・大和麻弥のファンとして想いを捨て去るその前に、一度でいいから言葉にしたかった。
僕は、
山科遥は、
「ずっと、ずっと、好きなんだ」
恋をしている。ずっと一緒にいたいと思った。
だけど、この気持ちは捨て去らないといけない。
僕という存在は大和さんにとっては障害にしかなり得なくて、だからこそここで姿を消すべきだ。
今日でお別れ。
僕達の道は決してつながることはない。
「……言えたら、良かったのに」
インカムを外して階段への扉に手をかける。
そうだ。
僕の想いは、決して照らされてはいけないのだから。
音響卓からCDを取り出したところで、そっと息を吐きだした。
青蘭高校との初めての合同公演。
今までやったことのない夕焼けの演出。
たくさんの初めてがある舞台は注目も高く、今日の観客の数はいつもよりもずっと多かった。
正直言うと、こうして無事に舞台を終えたことに対しては嬉しさよりも安堵の方がずっと強かった。
『おわ、った?』
「うん、終わったよ。お疲れ様」
「お疲れ様です」
どこかぼうっとした様子の山科君の声が聞こえて苦笑する。
舞台終わりの、ふわふわとした夢見心地な感覚がいつになっても慣れないのは分かる。
『二人とも、お疲れ様です』
「お疲れ。大変だったけど、何とかなったね」
「アクシデントなく終わってよかったです」
キャスト達が最後の挨拶を終えて見送りのために入り口の方に行く。
『あれ? 他の人は?』
「二階席の子はもう降りてるし、監督達ならインカム外して入り口の方に走っていっちゃったよ」
『あー……本当だ』
山科君の苦笑が聞こえてくる。
CDをケースにしまって、涼さんから鍵を受け取る。
『二人はいかないの?』
「CD出したので、今から出ます」
「私も簡単に確認だけしてから行くよ。インカムの回収もしておかないとだし。山科君も下で待ってるね」
『うん』
涼さんが簡単に周囲を確認すると、インカムを外して客席の方に出ていった。
音響卓の鍵を閉めてジブンも改めて確認をしてから、舞台袖から舞台の方に出た。
『……大和、さん』
ふと、山科君の声が聞こえて顔を上げる。
ピンスポがあるはずの場所には山科君がいて、こちらを見ているのが分かった。
いつもの山科君にしては妙に熱っぽい声音に違和感を覚えながらも、山科君から視線を逸らすことができない。
『僕は、大和さんのことが……』
聞くな。
この言葉を聞いたら、決定的な何かが変わってしまうような気がした。
その続きに来るようなセリフを、ジブンは一つしか思いつかないから。
『ずっと、ずっと、好きなんだ』
言葉が出なかった。
何を言われているのかが全く理解できなかった。
『……言えたら、良かったのに』
いつから? どうして? なんでジブンが?
数多くの疑問が湧いては消えていく。
客席の方の声が引いて、まるで世界にジブンと山科君の二人だけになってしまったかのような錯覚さえ陥ってしまう。
山科君はこれが聞こえているだなんて思ってもいないのだろう。
だけど、それを聞いてしまったジブンは、この後の約束にどんな顔をして向き合えばいいのだろうか。
「う、そ」
辛うじて出てきた言葉はそれを否定しようとするもので、今の短いひと時の意味は分からないことだらけだったけど。
「どうして……」
一つだけ確信できたのは、ジブンと山科君はきっと一緒にいられないのだろう、という事実だけだった。
binary starは無事に閉幕しましたね。アクシデントを想像していた方はいたかもしれませんが、あれだけ練習したんだから本番は上手くいってほしいという親心(作者心)が働きました。
今回の舞台の内容(彼らの不幸とそれに対する答え)は、山科君が見つける答えに合わせています。そういう風になればいいなと思って作りました。
閉幕以降の会話は、僕がこの作品を考えた時に一番最初に書いたシーンでした。
「インカムのマイクを切り忘れて失言するなんてあるの?」という方はもちろんいらっしゃると思いますが、世の中そういうことをする阿呆がいます。僕です(内容は告白ではなかったですが……)。
このエピソードは、僕が演劇の大会で実際にやらかしたミスを元にしております、ということで。