階段を下りて客席の方に移動すると、葛西さんの姿を見つけた。客席の傍でインカムのチェックをしているらしい。
手に持っていたインカムのコードを簡単にまとめながら葛西さんに声をかける。
「葛西さん」
「あ、山科君。インカム回収するね」
「ありがとう」
「全然。それより、この後も頑張ってね」
「うん」
インカムを渡し、その顔を少しだけ見つめる。
僕と同じ道を歩いていて、きっと僕より先の道を歩いている人。葛西さんがいなければ、この舞台だけではなく僕自身のこともどうなっていたか分からない。
大和さんへの想いについては、葛西さんのアドバイスがなければどうにもなっていなかったはずだから。
「葛西さん、本当にありがとう」
気持ちは自然と口から出ていた。
「どうしたの? そういうのは、麻弥ちゃんに取っておきなよ」
「ううん。葛西さんにだって、たくさんお世話になったから。ちゃんと伝えたかったんだ」
真正面からちゃんと伝えると、葛西さんは少しだけ照れたように頬をかいた。
「すごい感謝されてるけど、全然気にしないで。私の方こそ、山科君には勇気をもらったんだから」
「僕から?」
「うん。舞台ではたくさんのアイデアをもらったし。抱えきれないくらいの荷物だから」
僕が葛西さんにできたことなんてほとんどなかったと思うけれど、葛西さんがそう言うならきっとそうなのだろう。
葛西さんが僕と大和さんの約束を知らないように、僕は葛西さんの全てを知っているわけではない。
僕がこの一か月でたくさんのモノを手に入れたように、葛西さんもまたこの一か月で何かを得たのだと思う。
「私へのお礼はもうたくさん受け取ったから、後は麻弥ちゃんのために頑張って」
「うん、分かった」
話しながらも葛西さんがインカムの電源を入れなおして設定の確認をしていると、ふと「あー」と声を上げた。
「山科君のインカム、マイクつけっぱなしだったよ。終わる時はちゃんと切っておいてね」
「あ、ごめん。完全に忘れてた」
思わず頭を下げるけど、その言葉でふと体が固まる。
……マイクがオンだった?
「あの、大和さんは?」
「麻弥ちゃんなら、先に行くって言ってたよ」
「どんな感じだった?」
「ぼーっとした感じで。やっぱり、舞台終わった時ってなんか寝起きみたいな感じになるよね。……あ、麻弥ちゃんはこの後のこともあるかもね」
「……そ、っか」
葛西さんの言葉に何とか返事をしながらも、僕の心臓は異常なくらい早くなっていた。
あの時、大和さんはインカムを付けたままだった。
なら僕のあの最後の告白もすべて聞こえていたのではないだろうか。少なくともインカムはマイクをオフにすることはあっても、イヤホンをオフにしておくことはない。
「……僕も、先に行っていいかな?」
「分かった。みんなには私から言っておくから」
「ありがとう」
葛西さんに頭を下げて、振り返る。
すると、葛西さんが「山科君」と僕に声をかけた。
「何?」
「私、男の子の中では山科君のこと、一番好きだよ」
少し前ならともかく、その言葉の意味をきっと理解してしまっている今なら、動揺することもない。
「僕も、葛西さんに会えてよかったよ」
それだけ告げて走り出す。
体育館脇の大きな金属製のドアを開いて、きっと僕のことを知ってしまったであろう彼女の下へと向かった。
倉庫に駆け込むと、いつものスペースの前に大和さんが立っていた。
「やま、と、さん……」
「山科君」
少し荒い息を必死に整えながら大和さんの前に移動する。
「約束を、果たしに来ました」
「はい」
返事を聞いて、一度だけ深呼吸をした。
「ですが、その前に一つだけ確認したいことがあります」
「なんでしょう?」
「インカム越しの言葉、聞こえてましたか?」
「────っ!」
大きく見開いた目を見て確信する。もう言葉で答えてもらう必要なんてどこにもなかった。
「聞こえてたんですよね?」
「……はい」
いざ肯定されると、自分で思っていたよりもずっと落ち着いているなと思った。
「聞こえちゃったなら、もう大丈夫です」
「でも、あれは……」
「気にしないでください」
この想いを告げないことに意味があった。
でも、伝わってしまったのなら隠したところで意味はない。
「僕はずっと大和さんのことが好きで、だから大和さんには悩んでいてほしくなかった。アイドルとして頑張る大和さんにとって、僕という存在は邪魔になると思ったので告げる気はなかったんですけど」
「それ、は……」
「白鷺さんにも言われてたんです。大和さんと関わるならちゃんと考えて、と」
僕には、大和さんのアイドル人生やファンの人達の期待を、全て背負う勇気がなかった。
意気地なしの僕は、その責任を果たすことができなかった。
「たとえ好きでも、大和さんへの迷惑になるくらいなら諦めようと思いました」
そして、その代償行為として、大和さんの悩みを解決しようと思った。
もし一つでも大和さんのために何かをできたのなら、それは充分気持ちを諦める理由になりえると思ったから。
好きな人が、最後には少しでも僕のことをいい人だと思ってくれれば嬉しいと願って。
「僕が大和さんと約束したのは、そのためです」
「そうだったんですか……」
きっと今の今まで知らなかったのだろう。だけど、それは僕がちゃんと今まで隠すことができていた確かな証拠だ。
「告白の返事はいらないです。もとより、貰う気もなかったわけですし」
そもそも、これが最後の会話になるのだから返事をしてもらう必要がない。
そして、伝えないために捨てるつもりだったのだから、この想いを諦める理由もなくなってしまった。
「それよりも、今は約束の話をさせてください」
僕は手提げから、大和さんにもらった色紙を取り出した。
「これは……」
「大和さんのサインが書かれた色紙です」
大和麻弥が正真正銘のアイドルであるという、間違いのない証拠だ。
「僕は羽丘との合同公演が上手くいくか不安でした。初めての人達と一緒になって頑張れるか分かりませんでした」
だけど、そんな僕の背中を押してくれたのは大和さんだ。
きっと大丈夫だと言ってくれて、この舞台を頑張る勇気をくれたのは大和さんだった。
「大和さんに勇気をもらったから、僕はこの舞台を頑張ることができました。プロの舞台を見てそれを活かそうと思えたのも、大和さんが悩んだ時に頑張れたのも、全部大和さんが勇気をくれたからできたことです」
ずっと人に流されるままに生きていた。自分で選んだことなんてほとんどなかった。
でも、大和さんに勇気をもらって、頑張ろうと一歩を踏み出すことができるようになった。
この初めての恋に対して、自分から動こうと勇気を持つことができるようになった。
「大和さんに勇気をもらった証を一つでも残したかったから、このサインをもらいました」
パスパレの人達とは何人も出逢ったけれど、僕に勇気をくれたのはたった一人だけだ。
僕のアイドルになってくれた人は、目の前にいる彼女以外にはありえなかった。
「大和さんは、僕のアイドルなんです」
この胸にあるのが恋だったとしても、ありのままの大和さんに勇気をもらった事実は揺るがない。
大和麻弥はそのままで誰かに勇気を与えられる、正真正銘のアイドルだから。
「…………」
「大和、さん?」
大和さんが俯いていた。
僅かに肩を震わせて、両手で顔を覆っていた。
「うぅっ、うぅ……」
少し顔を覗くようにすると、指の間から滴が垂れた。涙だと気付いた。
「ずっと、ずっと、アイドルなんて名乗れないと思っていました。裏方としてもアイドルとしても中途半端だったから」
「そんなことないです。大和さんは裏方としてもアイドルとしても活躍していました。両方、ちゃんとできてました」
言葉を重ねる。
大和さんが抱えている不安は僕が全部振り払う。
僕が大和さんから勇気をもらったように、僕は大和さんから不安を取り除いであげられるはずだから。
一人では頑張れなくても、二人でなら頑張れるようになるはずだから。
「フヘヘと笑って、機材のことに熱くなってしまう。そんな、アイドルらしくないジブンでも、アイドルだと胸を張っていいんでしょうか?」
「もちろんです。大和さんが嫌だといっても僕が証明します。大和さんが、自分をアイドルだと信じられるようになるまで、ずっと」
恋をしている。でも、それと同じくらい応援している。
だから、一人のファンとして好きなアイドルへこの想いを伝えよう。声が枯れるまで、何度でも。
「……本当に証明してくれるなんて、思ってもいませんでした」
「好きな人のためですから、当然です」
「当然、ですかぁ」
涙声から、少しだけいつもの調子に戻ってきた。
「ありがとう、ございます……」
「いえ、僕は自分のしたかったことをしただけですから」
そう、これはただの恋を諦めるための代償行為なのだから。
大和さんの不安を取り除くことができたのなら、それだけで充分すぎる成果だった。
「僕は、本当に大和さんのおかげで変われたんですよ」
自分の才能を信じられなかったけれど、今なら僕は“山科遥の才能”というものを信じることができる。
勇気なんて何一つ持ち合わせていなかったけれど、こうして大和さんのために頑張るだけの勇気を手にれることができた。
将来の夢なんてなかったけれど、今は心の底からやりたいと思えることができた。
この想いを変えることなんてできないけれど、それでも僕には僕なりにできることがあった。
それは、演劇部のみんながいたからこそできたことではあるけれど、大和さんがいなければ始まってすらいなかったことだから。
「だから、一つだけ」
気が付けば、自然と口が動いていた。
「僕の夢を聞いてくれませんか?」
「はい」
柴田との会話で、自分が裏方でいることを望んでいるのだと分かった。
氷川さんとの会話で、大和さんがアイドルとして輝いていてほしいのだと思えた。
だから、
「僕は、プロのライトワーカーになります」
プロの舞台で活躍できる裏方になりたいと思った。
「そして、いつの日かパスパレとして舞台に立つ大和さんを照らしたい」
世界中の誰でもない僕自身が、大和さんの魅力を一番引き立てることができるライトワーカーだと信じて。
────きっと素敵な舞台で、照らされる君に、愛を込めて。
それが、僕の手に入れたかけがえのない夢だ。
「……ダメ、でしょうか?」
大和さんの顔をまともに見られなかった。
恥ずかしいことを言っている自覚はあったけれど、それ以上に大和さんにこの気持ちを余すことなく伝えたかった。
「山科君」
反射的に顔を向けた。
「それなら、ジブンからも一つ、いいですか?」
「もちろんです」
大和さんが一歩近付いてきた。
近付いた距離の分だけ離れようとしたけれど、大和さんは素早く僕の手を取った。
大和さんの体温が手のひらから伝わって、言葉にできない多幸感で頭が眩んだ。
手を握られただけでこんなに幸福になるというのなら、これ以上を望めば僕はきっと死んでしまうかもしれないと思った。
「今まで、本当にパスパレのメンバーとして相応しいのか自信がありませんでした。輝いている素敵なメンバーの中で、ジブンがアイドルだとは思えませんでした」
手に力がこもった。
鼓動が加速する。
「でも、山科君にアイドルだと認めてもらった今なら、ジブンにも夢と言えるようなモノが見つかったような気がします」
視線が絡む。
目を離すことなんてできるわけがなかった。
「ジブンみたいに舞台に立ってもいいのかと、ジブンなんかって悲観的になっている人が、きっとジブンや山科君以外にもいるんだと思います。だから」
その一挙一動が網膜に焼き付いて離れない。
僕は、この時間を絶対に忘れることができない。
「今までのジブン達に、照らされざる皆に、勇気を届けたいと思います」
表舞台に立てないと思う多くの人達、裏方でいなければいけないと思っている人達に向けて。
「ジブンは照らされざる皆のためにアイドルとして頑張りたいです。だから、山科君には……」
「はい、分かってます」
そんな彼女の姿を客席の一番後ろにまで届ける、最高の輝きを贈ろう。
「約束を、してくれますか?」
「もちろんです」
照らされざる皆のために
アイドルと裏方にできるのは、本当にそれだけのことだった。僕達の関係は、それだけで充分だった。
繋いだ手をゆっくりと動かし、小指だけを絡ませる。
「ゆびきった」
僅かに手を上下に振って、小指が離れた。
指先に残った体温を抱きしめる。
これから僕達はきっと歩き始める。その道中で、一人では頑張れない不幸があるかもしれない。
だけど、アイドルはファンに勇気を送り、ファンはアイドルの不安を取り去る。僕達は決して一人ではない。
「行きましょうか」
「はい」
今日という日が終わったら、僕達はもう出会わないのだろう。
僕は大和さんへの恋心を捨てきれないまま、約束を果たすために歩き続けるのだと思う。一緒にいたいという気持ちを抱き続けながら、誰よりも大和さんを魅力的に照らすために。
そして、僕は大和さんと過ごした一か月の日々を、いつまでも大切に抱きしめ続けるのだろう。
僕達は、二人にとって恋人以上の契約を結び、さよならを受け入れた。
約束はこうして果たされました。
裏方としての「照らされざる君」から、アイドルとしての「照らされる君」へと。
夢も勇気もない「照らされざる君」から、夢と勇気を手に入れた「照らされる君」へと。