Bloody Masquerade   作:ヤーナム製薬

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人の心の奥底には、悍ましい獣が潜んでいる



3. Break Out the Veils

 転校初日は、実に何事もなく過ぎていった。

 

 私は岳羽さんに学校まで送り届けたもらった後、彼女は新しいクラスに、私は職員室へと向かった。そこで鳥海先生に諸々の説明を受けた後、始業式に参加し、そして今後一年間過ごす教室でホームルームに出席する。昨日の波乱万丈な出来事から一変したよう平穏な一日は、派手さや華々しさこそないものの、とても心地よい安心感があった。

 あまりの安心感に微睡んでいると、いつの間にホームルームは終わっていたようで、各々が放課後を謳歌すべく好き好きに行動を始めていた。私も何処かに遊びに行こうか、それとも校内を散策でもしてみようかと、机の上に頬杖を突きながらボーっと考えてみる。

 そうやって時間を浪費していると視線を感じ、此方に歩いてくる足音が聞こえてきた。

 

「よっ、転校生! 初日から眠そーじゃん、元気してる?」

 

 青いスポーツ帽子をかぶり、高校生らしからぬ顎髭を生やした少年が陽気な口調で話しかけてきた。眠気が覚めやらぬまま、私は軽く手を振って元気さをアピールする。

 

「あー、・・・大丈夫か? まあ、実はオレも中2ん時、転校でココ来てさ。転校生って、いろいろと一人じゃわかんねえじゃん? だから不安がってないかなってさ」

 

 どうやら彼は、転校したてで右も左もわからない私を心配してくれているようだった。頭をガシガシと掻きながら、目線を彷徨わせる彼をしげしげと観察していると、岳羽さんが話に加わってくる。

 

「まったく、相変わらずだね・・・。女の子とみりゃ馴れ馴れしくしてさ。ちょっとは相手のメーワクとか考えた方がいいよ?」

 

 岳羽さんと髭の彼は友人同士の様で、気負わない関係性が声の調子から感じられた。因みに、彼女と私は同じクラスに在籍している。周りの人間を誰一人として知らないために、顔見知りの彼女が居てくれるのは心強かった。

 

「な、なんだよ。ただ親切にしてるだけだって」

 

「ふうん、なら、いいんだけど。じゃ私、弓道部の用事あるから行くけど。順平、この子に手出したりしないでよ?」

 

 アタフタとしつつ応答する彼を咎めるように見つめ、岳羽さんは教室を後にした。それを見送ると、彼は子供のような不貞腐れた顔で、怖い怖いと大袈裟な身振りでおどけていた。

 

「あの方、保護者か何か」

 

 茶化すような彼の指摘が思いのほか的を射ていたため、私はクスリと笑みを溢した。岳羽さんは中々面倒見が良い性格をしていることは今朝に知っていたが、どうやら少し過保護な一面もあるようだった。

 

「あっ、言っとっけど、マジでヤマシイつもりはないからさ。何か困ったこととかあったら、いつでも相談してくれよな!」

 

 キラーン、と効果音が聞こえてきそうに白い歯を見せつけて親指を突き立てると、彼は颯爽と教室から歩き去っていった。正直なところ、頼るのならば同性で同じ寮に住んでいる岳羽さんに頼る心積もりであったが、折角の親切を無碍にすることもない。何かがあったら、彼を訪ねることもあるかもしれない。

 そこでふと、まだ彼の名前を知らないことに思い至った。しかし明日にでも訊けば良いことであるので、私は悠々と帰路についたのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 学校が始まってから数日経ち、私はすっかり新しい生活に慣れ始めていた。ここ最近はクラスメイトと親交を深めたり、岳羽さんと一緒に学校付近のショッピングモールへ遊びに行ったりと、充実した毎日を送っている。今日も一日が無事終わり、明日に備えて自室でゆっくりと休んでいた。そして、だからこそ思い出すことがあった。

 楽しい日々が続くからこそ、平穏な日々が愛おしいからこそ、狩人として目覚め、初めて獣と刃を交えたあの夜を強く思い出してしまうのだ。青ざめた空に浮かぶ赤い月、ヤーナムの獣、怪しげな男。自分が渦中にいる運命の全貌は未だに全く掴めていない。

 

___私は、どうすればいいのかな

 

 部屋にコッソリと隠しているノコギリ鉈を取り出し、込み上げてくる不安を誤魔化すように、刀身を優しく撫ぜる。窓から差し込む月明かりに照らされてギラギラと鈍く輝く狩道具に自分の顔が映り込む。自分を見つめる二つの赤い瞳は、心細さに揺れていた。

 

「こんなことじゃ、駄目なのになぁ・・・」

 

 私は大海原の真っ只中で一人迷子になってしまった気分だった。何処に向かえば良いのか、何を考えればいいのか、誰に頼ればいいのか。少なくとも、手に伝わる硬質な金属の感触は私を導くことはない。本当に何もわからなくって、それが少しの焦燥と不安を駆り立てている。

 きっと、私はがむしゃらに走り続けるしかないのかもしれない。時には疲れて休んでしまうこともあるだろうけど、そうしていれば、いつかは自分の為すべきことが見えてくるかもしれない。今は、信じ続けるしかないんだ。そう自分に言い聞かせる。

 

 窓の外をふと見上げる。今夜も青ざめた空に浮かぶ大きな月は世界を赤く染め上げようとしていて、私がどれだけ悩んでも変わらないんだと威張っている様に見えた。

 なんにせよ、手掛かりとなる情報が全くないのだ。これ以上悩んでも進展しないのであれば、時が満ちるまでに出来ることをすればよいだろう。今夜はなんだか眠る気分も失せてしまったので、帰りに買ってきた柔らかい布と研磨剤をビニール袋から取り出し、私は今後お世話になるだろうノコギリ鉈をじっくりと磨き始めたのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 巌戸台分寮の4階にある一室の中、閉め切った薄暗い部屋の中で明るく輝くディスプレイの前に桐条は腕を組んで立っていた。ディスプレイには部屋でくつろいでいる有里の姿が映っており、桐条は一挙一動も見逃さぬと画面を凝視していた。

 部屋の片隅に置かれていたラジオからは、最近巌戸台周辺で話題になっている疾患を懸念するトークや、桐条グループの系列会社に関する露骨なマーケティングが垂れ流されていた。時計の針が0時を指そうとするまで後少しとなった所で、軽快なミュージックに載せて番組の終了が告げられた。

 

「KJ プレゼンツ、The Bay Happy Tuners、えー、来週もまた、この時間にお会いしましょう。この番組は、人に・永遠の・快適時間、桐条エレクトロニクスの提供でお送りしました。0時です」

 

 0時を知らせるアナウンスと同時に、電源を消したわけでもないのにラジオがぷっつりと途切れる。暫くすると、ガチャリと部屋の扉を開けて岳羽が中に入ってくる。扉の奥に見える廊下は、まだ電灯がついていた筈だったが、まるで停電のようにそれらも消えてしまっていた。

 しかし、部屋の中を薄暗く照らすディスプレイは消えることなく、変わらずに有里の姿を映していた。彼女は監視カメラに盗撮されていることに気付いた様子はなく、岳羽と桐条はそれを眺めて話し始める。

 

「お疲れ様です。あの、どうですか。有里さんの様子は?」

 

「相変わらず、平然として起きているよ。やはり"影時間"に適性があることは確かなようだ」

 

 "影時間"、毎晩0時になると訪れる隠された時間。普通の人間は棺のようなオブジェに姿を変えて、この時間が存在することを認識することすらできない。影時間の中で動ける人間はごく限られた数であり、彼女たちの存在は稀有なものであった。そして仮に影時間の中で動ける適性があったとしても、日常の外側に潜む時間に迷い込んだ人間は得てして不安定になるものだ。最初のうちは桐条たちも取り乱したり、記憶の混乱が見られたものだ。

 

「・・・しかし、彼女は何故あんなに物騒な刃物を持っているんだ? 直接話して没収すべきか、それとも暫く監視を続けるか」

 

 女子高生が所持するには、それどころか正常な人間が所持するには似つかわしくない暴力的な刃物を優しい瞳で撫でている有里の姿は、桐条と岳羽の目から見ても異常にしか映らなかった。とはいえ彼女たち二人も、世間一般と比すれば異常な人間に分類されるのだ。武器の保有についても、自分たちだって人の事は言えない。

 岳羽もそれを自覚しているのか、それよりも大事な問題があるという意識が絶えず頭をよぎっており、おずおずと桐条に進言した。

 

「あの、やっぱり・・・良くないですよね。今からでも、監視してたことを謝って、直接事情を話したほうがいいんじゃ・・・」

 

 有里の監視は、当然のように無許可であった。自分が事情を説明された時や勧誘された時は、もっと穏やかに事が運んでいただけに、有里を謀ってコソコソとする方法を岳羽は許容しかねていた。しかし、有里の事情は岳羽とは違うのだと、言い聞かせるように桐条は答えた。

 

「・・・そう言ってくれるな。私だって、こんな真似を続けたくはない。だが、有里は普通じゃない。影時間の中でも全く取り乱さないどころか、むしろ落ち着いている。

 それに、彼女の来訪と影時間の変貌は無関係とは思えない。私たちは、・・・彼女を見極めなければならない」

 

「それは、わかってますけど・・・」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それがある日突然、月は血のような赤色に変貌し、空は血の抜けたような青白さに覆い尽くされてしまっていた。そして、その変化が訪れた日は有里が巌戸台分寮に現れた日でもあった。これが何の関連性もない偶然だとは思えないだろう。この疑わしい関係と有里本人の異質さのために、桐条たちは様子見に徹するという選択を取らざるを得ないのだ。

 辛い沈黙が薄暗い部屋の中を蔓延する。桐条は現状を割り切っている様子だが、岳羽にとっては違うようだった。体調が優れないので、今夜は部屋に戻らせてください。良心の呵責に耐えられず、そう言って仮病を使ってでも休ませてもらおうと岳羽が思いついた時だった。ピコーン、と外からの緊急呼び出し音が鳴り響く。

 

「こちら、作戦室だ。・・・明彦か、どうした?」

 

 桐条が音声の通話を繋げ、マイクに向かって呼び出し元の状況を訊きだす。明彦と呼ばれた少年の興奮した声がスピーカーから流れた。

 

「凄いヤツを見つけたっ! これまで、見たこともない奴だ!! ただ、あいにく追われていてな・・・もうすぐそっちにつくから、一応、知らせておく」

 

 部屋の空気が凍り付く。

 

「それ・・・奴らがここに来るってことですか!?」

 

 岳羽が動揺するのも無理のない話だ。桐条と明彦とよばれた少年は実戦経験がある一方で、岳羽は一切奴らに挑んだ経験がない。しかも、向かって来ている奴は少年ですら見たことがないという程の相手だ。

 なんにせよ、最早こんなところで時間を潰すような猶予は存在しなかった。二人は急いで階段を駆け下り、寮のロビーで少年が帰ってくるのを待った。

 一分もしないうちに、扉が蹴破られたかのように激しく開いて一人の少年が転がり込んでくる。口の端から血を垂らし、息も絶え絶えといった具合で肩を上下させている彼は、キラキラと瞳を輝かせて喋りだした。

 

「おい、すごいのが来るぞ。見たら、きっと驚く」

 

「面白がってる場合か!」

 

 場の空気を全く読まない無責任な発言に、桐条が憤慨する。悪びれる様子もなく、少年は楽し気な様子であり、桐条はそれを見てこれ以上問い詰める事を諦めた。

 そして直ぐに、追跡者は寮に到着した。大型トラックでも突っ込んできたのかと疑うような衝撃が寮を襲う。地震とは違う、明らかな衝突音が響き渡る。桐条はこの場にいる誰よりも早く対応策を考え、すぐさま岳羽へと指示を飛ばす。

 

「岳羽! 君は上にいる有里を連れて、裏から逃げるんだ!」

 

 桐条は戦闘経験のない岳羽と有里を逃がすことを優先した。ここで迎え撃つ以上、不確定な戦力には離れてもらった方が互いのためになる。それを岳羽も理解して、階段へ駆け出した。

 

「・・・っ、わかりました。先輩たちも、ご無事で」

 

 去っていく岳羽を見届けると、桐条と少年は腰に下げた銀色の拳銃を手に取って臨戦態勢を取った。ピリピリと緊張し真剣な面持ちの桐条とは対照的に、少年は危機感の足りない様子だった。

 

「さて、俺たちはどうする、美鶴?」

 

「ここで何としても食い止める。明彦、つれてきたのはお前だ。責任は取ってもらうぞ」

 

「奴らの方が勝手についてきたんだ! まったく・・・」

 

 軽いやり取りをしていると、扉から敵が雪崩れ込んでくる。二人は()()()()()()()()()()()()()()、躊躇いなく引き金をひいた。

 

 

 

***

 

 

 

 寮が大きく揺れ、ズウンという重苦しい音が建物を反響した。ちょうどノコギリ鉈を磨き終わり、ホットミルクを淹れて月でも眺めようかと思っていた時の事だった。その時、私は運命の歯車が動き出す気配を感じ取った。

 今夜、何かが起こるという確信めいた虫の知らせに従って、私は動きやすい服装に着替えると、丁寧に磨いたノコギリ鉈を手に取った。裸で持ち歩くわけにもいかないので、隠して持っていけるように丁度いい大きさのスポーツバッグにしまい込む。こんな時のために買っておいて良かったと思う。

 いざ、文字通り人気のなくなった街へ繰り出そうと、バッグを肩にかけて扉に向かった瞬間、大きな音を響かせて扉が乱暴に開いた。

 

「ゴメン、勝手に入るよっ!」

 

 開いた扉から飛び込んできたのは岳羽さんであった。彼女はいつものピンクのカーディガンを羽織った制服姿であったが、それに似合わぬ仰々しいヒップホルスターと、それにささっている銀色の拳銃が目を引いた。

 

「悪いけど、説明している暇ないの。今すぐ、ここから出るから!」

 

 彼女は私の手を引っ張り部屋の外へと駆け出した。ここ数日で彼女が信頼できる人物であることは確認できており、私は本当に緊急事態なのだろうと察した。

 廊下を駆け出し階段を降りだすや否や、岳羽さんは耳に手を当てて小声で何かを話し始めた。彼女の制服の襟にマイクがくっ付いていることから、誰かと通話しているのだろう。彼女は突然驚いた表情で、マジですか!? と叫んで足を止めた。それと同時に階段の下の方から窓ガラスの割れる音と、それに続いて何かが入り込む音が聞こえる。

 

「ヤ、ヤバッ! ゴメン、上に急いで!」

 

 階段の下の方に何かがいるのだろう。獣であるようなないような、どちらにしろ怪しい気配を私は感じた。岳羽さんの走る速度に合わせて、私たちは踵を返して階段を駆け上がった。

 

 

 

***

 

 

 

「ふぅ、鍵も掛けたし、一先ずは大丈夫かな・・・」

 

 屋上まで逃げ込んできた私たちは入口のドアに鍵をかけて、開けた空間に陣取っていた。岳羽さんは一息ついているようだったが、こんな薄っぺらな扉程度なら私でも蹴破れるので安心するのはまだ早いと思う。

 それに、ここは建物の外だ。律義に階段を昇るまでもなく、ここまでくる方法は他にもある。

 

 それを証明するように、柵のない屋上の縁に一本の腕が掛かる。

 

「嘘ッ・・・! 外を登ってきたの!? そんな、嘘で、しょ・・・」

 

 野太い腕が一本、また一本と屋上に這って出てくる。それらがグイと力を入れ、本体が屋上に姿を現す。その宇宙的恐怖を湛えた冒涜的存在の姿に、私と岳羽さんは言葉を失うほかなかった。

 大量の人間の死体が結合したような胴体から、テラテラした粘液に覆われた人骨の上半身が生え、それは瞳のない空っぽの眼窩を私たちに向けていた。重たそうな胴体を持ち上げようと、無造作に生え散らかしている乾いて黒ずんだ腕は屋上の縁を健気に掴んでいる。一本だけ投げ出されている巨大な腕は、人間の腕と脚が複雑に絡み合ったような悪趣味な造形をしていた。そして胴体には白くブヨブヨとした脂がへばり付き、その隙間からは名状しがたい汚濁が絶えず流れている。

 悪夢の底から生まれ堕ちたような悍ましい化け物の姿は、まだ完全には姿を現していない。多腕の化け物の体が屋上に登りきっていない今ならば、少ないリスクで先手を取れる。私は手元のスポーツバッグから中身を取り出し、体を屈めて足に力を込めた。ノコギリ鉈を右手に構え、風を切って前へ駆け出す。

 化け物は屋上に体を乗り出すために腕を多く使っているためだろうか、一本の腕だけが私を迎え撃った。それを悠々と躱しながら、すれ違いざまにノコギリで肉を切り抉り、見上げるほどの大きさの胴体まで接近した。見るからに本体らしき骸骨には手が届かないので、仕方なしに目前の胴体に狙いをつける。

 胴体を深く切り付けると寒気のする気色悪い感触が武器を越して手に伝わってきた。腐りきってブヨブヨになった肉を切り裂いたズブリという異様な柔らかさ、スカスカな骨が折れ、糸のような繊維がプチプチと千切れる感触。傷口からは膿が破裂したように黒々とした血液が溢れ出し屋上を汚していく。

 これが小さな相手だったら決着が着いたかもしれないが、相手は巨大な化け物だ。この程度の傷など気にしないと言わんばかりに他の腕を振り回して私を追い払おうとする。私もこれ以上密着しても危険なだけであるため、距離を取って体制を立て直す。

 

 私が次の行動に移る間も無く化け物はとうとう全身を屋上へ表した。鼻をツンとつく刺激臭を発する吐瀉物のようなドロドロの体液が地面に広がると、ジュワジュワと不快な音を立てながら蒸発して消えていった。黒いシミだけを残して消えていった体液が危険であることは明瞭であった。

 次に近寄るタイミングを計りかねていると、化け物の周辺に赤い雲が渦巻き、そこから血の砲弾が放たれた。サッカーボールほどの大きさをした血の塊らしきグロテスクな砲撃を軽々と避け、敵の行動を分析する。

 雑に振り回す多腕は冷静に見ていれば安易な軌道を繰り返すだけで、ある程度近づければ再度懐に飛び込むことは難しくはない。えげつない大質量を持つだろう一本の巨大な腕は、その大きさに比例して鈍重な動きをしている。常に巨腕の逆側を意識して立ち回れば脅威にはならない。そして血の砲弾は前兆が明らかな上、さしたる速度でないために、前兆である赤い雲にだけ注意を払えばよい。

 これで全てではないだろうが、これらの情報である程度の行動予測は出来るようになった。あとは立ち回りのために地形の確認が必要だ。巌戸台分寮は豪華な出で立ちに見合った広大な屋上を備えているようで、私が大きく動き回っても足を踏み外すことはない。万が一を考え、退路も確認するために屋上の入り口に視線を向けると、()()()()()()()()()()()()()()()()()。岳羽さんはもう逃げているだろうと思い込んでいただけに、私は自分の不注意を呪った。

 

「岳羽さん! 危ないっ!」

 

 岳羽さんに迫る危機を伝えるために、声を張り上げる。彼女は脂汗を滝のように流しながら、大きく見開いた眼を痙攣させ、荒々しく呼吸をする口からは涎が垂れ、目の前の冒涜的存在に脳液が沸騰しているかの如くだった。恐慌状態に陥っている彼女は拳銃を胸元に掻き抱き、真冬に裸でいる様にガタガタと震えた体で身を竦ませていた。そんな彼女に向かって、今まさに冒涜的な血弾が発射されようとしていたのだ。

 動けそうにない岳羽さんのもとへ駆け寄り、気遣う余裕もなく突き飛ばす。眼前に迫る穢れた塊は最早躱せる余裕などなく、故に全身全霊を込め、ノコギリ鉈を変形させながら尋常ならざる速度で縦に振り下ろす。リーチが伸びて遠心力が加わった長物の鉈がグロテスクな血弾を切り裂き、目の前で真っ二つに飛び散り、私の左右へと飛散した。

 顔を庇うために掲げていた左腕に幾らかの飛沫がかかり、ジュウジュウと嫌な音を立てながら皮膚を腐食する。焼けるような痛みが走るが、我慢できない程ではない。一方の岳羽さんは遂に悍ましい現実の光景に耐えることが出来なくなった様で、プツリと糸が切れるように気絶してしまっていた。

 そして、私は地面に転がっている拳銃に目を付けた。岳羽さんの私物だろうが、どうせ彼女は戦える状態ではないだろう。緊急事態故に手札は一つでも多く欲しく、この武器は私が有効活用させて貰う。一応、一言断りを入れてから手を伸ばす。

 

「これ、借りるね」

 

 銀色に輝く拳銃を拾い上げ左手に握った瞬間、私の中でナニカが胎動するように感じられた。人間の世界とは相いれない、遥か異次元の存在を垣間見たような、奇妙な異物感。知るべきではない啓蒙的真実を耳元で囁く得体の知れない幻聴が、理解できない音の羅列を繰り返している。

 この拳銃の使い方を、私は知っている。未知である筈だと訴えかける頭を、私の中に流れる血が否定する。握りしめた冷たい金属の感触が冒涜的な叡智を目覚めさせてくれる。だから迷いもなく、私はこめかみに銃口を突き付ける。引き金にかかった指が、撃鉄が落ちる瞬間を今か今かと待ちわびる。

 

 深淵からの呼び声に応え、私はその名前を唱えた。

 

 

____ペルソナ

 

 

 引き金をひけば、パリンというガラスの破砕音に似た鋭く甲高い音が頭蓋の中で反響する。青白い燐光をブワリと舞い散らせながら強い風が轟轟と吹きすさぶ。風が収まっていくと同時に、ヒト型の怪物が周囲の光を掻き散らし、威風堂々と現れた。

 その怪物は無数の棺桶を鎖で繋いで背負っており、体にぴったりと張り付いた黒衣を夜風にたなびかせていた。携える一振りの刀は武骨としか言いようがなく、研ぎ澄まされた獣性を感じた。そして、鳥の頭蓋を模した()()()()()()()を被り、深く窪んだ眼窩から暗い瞳が獲物を求めて爛々と輝いているようであった。

 

 耳をつんざく、怪物の産声が夜の闇に響き渡る。

 

 怪物の心地よい咆哮に、私は口元を歪める。次第に、私と目の前の怪物の精神が徐々に同化していく。蕩けていく脳髄は意識と感覚を鈍麻させる。それと引き換えに、言いようのない全能感が全身を駆け巡った。だから私は、()()()()()()()()()()()に手古摺っていたことを、不思議に思ってしまう。

 

 怪物は私の想像したとおりに動いてくれる。獣のように鋭敏化した神経は、時間が止まったかのように周りの風景を後ろに置いて行き、一瞬にして奇怪に蠢く化け物の目の前に躍り出る。

 化け物が突き出している腕は全て捻じ切って、胴体を引き摺る巨大な腕を一閃して根元から断ち切る。支えを失った体は無様に地を這いつくばり、碌な抵抗の出来ない肉の塊へ思う存分に刃を叩き付ける。

 あっというまにボロ雑巾のような姿になった化け物はしぶとく生き残っているようで、苦し気に呼吸をするよう小さく脈動していた。()()は高揚する精神に任せて、獲物を甚振る様に刀で突き刺し、ノコギリで抉り、叩いて蹴って砕いて潰して、玩具が壊れる寸前まで暴力を尽くした。

 しかしお楽しみの時間は何時までも続かず、やがて飽きが来てしまった。辛うじて形を残していた本体らしき骸骨を力一杯踏みつぶすと、化け物の残骸は大きく吹き飛んで、血の雨を降らせながら青い霞と共に彼方へと消えて行ってしまった。

 

 勝鬨を上げる仮面の怪物は、月を見上げて獣のように咆哮する。血に酔いしれた頭でそれを眺めている私は、いよいよ怪物と自分との境目が曖昧になっていく様を自覚していた。私は、私ではない何かが自分を塗り潰してしまうような気がした。このまま力に溺れ、何もかもを壊してしまうのも悪くないじゃないか。そう、怪物が囁いたように感じた。

 ギリギリの境界線で、目が覚めるように気が付く。気の赴くまま血に酔いしれる自らの醜態に、悪辣に敵を甚振る誇りなき自らの振る舞いに。全く働く様子のなかった脳味噌は、ただの事実として、獣染みた私の姿を如実に想起させた。自身の澱みを掻き消すように、そして自ら選び取った道を確かめるように、赤心からの叫びが湧き上がってくる。

 

「私は、決して・・・血に飢えた獣じゃないっ・・・!」

 

 確かな認識と共に、私と怪物が明確に分離される。初めてのアルコールにやられてしまったような質の悪い酩酊感はすっかり覚め、根拠のない万能感は露と消えうせていた。その代わりに、強い意志に満ちた魂が私の体を支えてくれるのを感じた。

 

「・・・私はッ・・・、狩人なんだ!!」

 

 そうだ、私は狩人だ。獣を狩り、そして悪夢に立ち向かう者。血によって人を失う可能性に怯えながら、それでも自らの意志に従って進む()()なのだ。

 私は大きく深呼吸をする。自身の決意を確かめるように、狩道具を強く握りしめる。もう迷いはなかった。だから、

 

「お前は、消えろ」

 

 私の奥底に潜んでいた異形へ、決別の言葉を告げた。

 

 それを受け入れるように凶暴な獣性は鳴りを潜め、仮面の怪物は沈黙した。ゆっくりと白い光を伴って、あるいは月夜に体を溶かし込むように、怪物の姿が霞んでゆく。

 その姿を見届けると、唐突に疲れが体から吹き出てくる。まっすぐ立ってすらいられず、両膝を突いて屋上に倒れ伏す。暗転していく視界が完全に閉ざされる直前に、懐かしくも温かい声が労いの言葉をくれたような気がした。私はその声に安心して、深い眠りへと落ちていったのだった。

 

 




ハム子「ペルソナなんて必要ねぇんだよ!」

まさかの主人公ペルソナ縛り。プロット通りでも正直ちょっと不安・・・。
まあ、あんまり原作通りだと詰まらないし、多少はね?

それと、九月の中旬まで滅茶苦茶忙しいので、真面目に続きを書けるのはそれ以降になりそうです。
楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、気長に待っていてくだされば幸いです。

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