分からない、解らない、理解らない---。
人は理解と許容、幾許かの妥協で行動する生き物だ。
ならば、なればこそ。
俺は人では無いのだろう
「人理継続保証機関フィニス・カルデア、ですか」
「そうよ。あなたには来週から其処へ出向いて貰います」
毎度の如く唐突に呼び出され、急に海外へ行けと命じる目の前の初老の女性に対して疑問を持つことは有れど、その事について言及はしない。
「…分かりました。しかし、来週と言われましても学校や役所などにも連絡をしないといけないのでは…」
「学校でしたらもう此方から自主退学、という形で退校させて貰う連絡をして受理して頂いたわ。
荷物といってもどうせ必要の無いモノばかりでしょ?あちらで処分して貰う様申請しておきましたからね」
唖然。
しかし表情に浮かべてはいけない。
息をついてもいけない。
何か不平、不満があるという事が目の前の女に知られるといけない。
勤めて平静を保ち、心を落ち鎮める。
「…はい、手続きまでして頂きありがとうございます。
来週という事は月曜日に出立すれば宜しいので?」
「そうよ。航空チケットや業務内容についての書類なんかはあなたの机の上に纏めておきましたから、目を通しておきなさい。
くれぐれも、アニムスフィア家に目を付けられる様な真似は厳として慎む様に」
アニムスフィア家というと、英国にある魔術師の総本山である時計塔の中でもロードと呼ばれる上位階級の内の一つであったと記憶している。
「アニムスフィア…という事はカルデアとは魔術師の機関なのですか?しかし私は魔術は…」
「向こうの言い分では魔術回路よりもある適正が有るかどうかの方が重要らしいわ。それに、向こうで行う活動の内容如何によっては命を落とす可能性も少なくは無いそうよ。
そんなところに我が家の大事な跡取りを向かわせられるもんですか、だからあなたが丁度良いのよ。予備とは言え貴重な刻印を移す前の話で助かったわ」
な、るほど。
久し振りに怒りとも悲しみとも、憎しみとも言える感情でどうにかなりそうになるが、今まで通りの、何時ものことだ。
落ち着け。
「…そうですか、分かりました」
「あっ」
階段を降りようとしたところで、背後から気配がする。振り向くと実に愉快そうな顔で此方を見ている女と目が合う。
気付かない振りをすれば良かったかもしれない。
「聞いたわよ、アンタこの家出てくんですってねぇ」
「…はい、来週に」
先程の女を若くした様な女が、面白くて仕様のない顔をしながら尋ねてくる。
「フフフフッ!ねえ嬉しい?やっとアタシ達から離れられるって事になって、嬉しい?でも残念。
契約期間が終われば、またこの家に戻される事になってるのよ、アンタ」
聞いてもいない事をまくし立てた後、勝手にこちらが絶望すると思っている女はそれが楽しくって仕方ないといった様子で揶揄ってくる。
「卒業したら出て行こうと色々コソコソやってたのバレて無いとでも思ってたんでしょ?
でもアンタが必死で貯めてたお金、もしかしたら今頃何処かの空き巣に盗られちゃってるかもね〜?」
階段を駆け下りる。
そんな、まさか。
だって、何年も気付いた素振りなんて誰も無かったじゃないか。
有り得ない、部屋だって荒らされた形跡なんて無い、何時もの質の悪い冗談だ。
だから、いつもの隠し場所に在る筈だ、引き出しの鍵を開けて二重底を見ればーーー。
無い。
今朝方に一度確認した筈なのに、其処には何も無かった。
突然の事に思考すらも無く崩れ落ちる。
「あら〜?冗談で言ったつもりだったんだけど、まさかマジで空き巣にやられたの〜?
何盗まれたか知らないけどお気の毒様〜、お・に・い・ちゃん♡
アタシの部屋の物も盗られてるかも知れないから見てこよーっと、プフッ」
どれくらいの時間、そうしていたかは覚えていない。
ただ0時を告げる時計の音で自分が数時間に渡って意識を手放していた事は朧気な頭でも理解した。
(腹、減った…)
だが自分が勝手に台所の食材を使うと後が面倒だ。夕飯の残りなんて気の利いた物すら、有る訳が無い。
空腹で眠れそうに無いため防災鞄に入っていた乾パンで凌ごう。
(結局、何もかも無駄だったって事か)
これ以上起きていると碌な考えに至らなさそうなのでさっさと寝てしまおう。
寝て忘れた振りさえすれば、大丈夫だ。
翌週。
家を出る当日。
あんなに夢見ていた行動なのに、其れが期限付きだという事と望まぬタイミングという事で、こんなにも浮かばれぬ気持ちになるとは。
物置で埃被ってたスーツケース1個で事足りてしまった荷物を引き空港へと向かう。
彼奴らに見つかると何を言われるか知れたもんじゃ無いから明け方より前に出る。
が、そんな俺の考えなんぞお見通しと言わんばかりに、玄関には見たく無かった顔その2と3が並んでいた。
「私の言った通りでしょ、この男の事だから誰にも気付かれ無い様に払暁より前に出ようとするって」
「フフフフ、お姉様の言う通り。コイツもそうだけど、どうしてこう男って分かりやすい行動しかしようとしないのかしら、アタシ不思議でしょうがないわ」
「あらそんな事を言ってはいけないわ。きっとこの男だけが特別分かりやすいだけなのよ、じゃないと世の男性に種以外価値が無くなってしまうわ」
どうしてこう、世界ってのは俺の行動に対して悉く裏目を引かせようばかりするのだろうか。
深夜や明け方程度だともしかしたら誰か起きている可能性が有ると考えたからこそこの時間帯に出ようとしたのに、そんな忸怩たる思いを極力表に出さないようにしながら感情を乗せず声を出す。
「…公共の交通機関を使えないので、徒歩で空港まで行こうとするとどうしてもこの様な時間帯になってしまいました。
もし私が立てた物音で目を覚ましてしまったのなら申し訳御座いませんでした、ご容赦ください」
咄嗟に出た言い訳に自分でもよく出来たと自画自賛したいところだ。
「あら、違うわよ。これから旅立つ貴方にちょっとした贈り物をしようと、ね」
嫌な笑い方だ。
この女の笑い方はまるで獲物を前にした蛇のそれだ。
この家の女達は揃ってこの様な嫌な笑い方をする。
そのせいで、俺は物心ついた時から蛇が心底苦手なのだ。
「態々アンタの為にお姉様と相談したんだから、感謝なさいよね」
「お心遣い、痛み入ります。ですが私の為に御二方にそこまでして頂かなくとも…」
嫌な予感がする。
この二人が相談までしてまで俺を苦しませようとするのだ、きっと碌な品では無い。
「大丈夫よ、贈り物と言っても実際には物品を渡すとかではないから」
「移動の荷物は少ない方が良いでしょ?」
「…そういうことでしたら、ありがたく」
何だ。
こいつらは一体、何をしようとしている?
「ええ、貴方が疑問に思っているであろう事を餞別に教えて差し上げようかと思って、ね」
「疑問、ですか」
「ねえおにいちゃん、何でアンタがカルデアに向かわなきゃいけないか、知ってるぅ?」
「それは、私に適性が有り、命の危険性も孕む為だと、当主様から…」
そうだとも。死ぬかも知れない任務?
だがそんな事はこの家を期限付きとはいえ出られる事に比べれば、リスクですら無い。
それに此奴らに無くて俺にその適性があるからこそスカウトされたのだ、そこに奇妙な優越感があった事も否定しない。
他の誰でも無いこの“俺”が選ばれたのだ。
アニムスフィア家は俺だからこそカルデアに招聘しているのだ。
「そう、次期当主である私とその補佐を務め分家を興すこの子。
そんな二人をいくら時計塔のロードからの誘いとはいえ簡単には乗る訳にはいかない」
「でも提示された見返りには断るには惜しくなるくらいの金額的支援や有名な血筋の家との縁談の斡旋も含まれていたのよ」
なにを、いっている?
支援?斡旋?
そんな事は書類には一文も…
「ああ、ごめんなさい。もう少し分かりやすく説明してあげれば良かったわね。つまりね、貴方は…
私達の身代わりとして売られたのよ」
「アンタだけが選ばれたから行く事になったと思ってたでしょ?私達二人のどちらかに最初はオファーが来てたのよ」
絶句。
思わず動揺が僅かながら表情として出てしまう。
その変化を蛇が見逃す筈も無かった。
「あら、やっぱりそう考えていたのね。良かったわ、勘違いさせたまま出国させたらあまりに哀れだもの」
「お母様の差配に感謝なさいよね、じゃなきゃアンタみたいな役立たずにロードから誘いが来るなんて、間違いでしかないんだから」
「フフフ、でも良いわ。その顔が見れた事で無様な勘違いをしていた事を許してあげましょう。
ああ気分が良い、弟の貴方の動揺が見れたなんて何時以来かしら?そうね、折角だから家令に車で送らせるわ、そこで待ってなさい」
「かしこまり、ました。感謝致します…」
そう、か。
そうだよな。
わかっていた事じゃないか。
だから怒る必要も、悲しむ必要だってない。
許容も、否定すらも。
ただ俺が
少し、理解出来てなかっただけなのだから。
人類をより長く、より確かに、より強く繁栄させる為の理ーー人類の航海図。
これを魔術世界では『人理』と呼ぶ。
だが、人の理は人に適用されるものだ。
人して扱われず、人を理解出来ないと思う者に
人理を護り、保証出来る事など。
誰が、保証してくれるのだろうか?
お時間を割いて閲覧して頂きありがとうございました
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