【完結】輝けケアキュア 〜紫陽花の季節〜   作:主(ぬし)

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文中に登場する植物の花言葉一覧
アイビー:永遠の愛
アカツメクサ:豊かなる愛
アサガオ:儚い恋
紫陽花(あじさい):冷酷・変化・耐え忍ぶ愛


いつか彼が紫陽花になるまで 6話

「ご愁傷さま、まだ生きてるわよ」

 

 『ルキナ死す!?』のテロップが流れ去り、次の話題のテロップが画面下部にぴたりと固定されたところでルキナはテレビの電源を切った。こっちの気も知らないで、好き勝手言ってくれるものだ。リモコンを乱暴にベッドに放り投げ、その後を追うように自身の身体を投げ出す。くたびれたスプリングがギギッと踏ん張り、同年代の平均よりずっと軽い肢体を優しく受け止めた。

 ふぅ、と気だるげなため息をつき、ルキナは自らの右手を差し上げてじっと見つめる。

 

 

『ねえ、ルキナ。貴女にも、夢があるはず。そうでしょう?』

 

 

 その手には、ケア・アストレアが差し伸ばしてきた手を払い除けた痛みがいまだに生々しく残っていた。ショックを受けたアストレアの沈む表情を思い出し、チクリとしたトゲのような痛みがルキナの心に刺さった。ケアキュアたちと戦っていたのはほんの一か月ほど前のはずなのに、なんだか遠い昔のことのように感じる。不思議なことに、ルキナはその頃を懐かしいと思っていた。

 

「……夢なんて……」

 

 そんなもの、自分には無い。それは変わらない。虐げられ、軽んじられ、空虚(みじめ)な人生しか送ってこなかった自分は未来への希望を思い描く下地すら持たない。それに……他人の夢をさんざん踏みにじってきたのに、今さら自分が夢を持つなんて、そんな資格があるはずない。そんな都合のいいことが許されるはずがない。今まで、さんざん面白がって他人の夢を妨害してきた。ゲキヤックにケアキュアモドキ(・・・)として利用されたとはいえ、利用されることを望んだのは間違いなく自分の意志だ。自分もまた見当違いの復讐心でゲキヤックを利用したのだ。やさぐれて、己の不幸の八つ当たりを他人に押し付けたのは、他ならぬ自分だ。

 ルキナが足蹴にした彼彼女たちのなかには、きっと自分を匿ってくれた青年のような、純粋に夢を追い求める人たちが大勢いたはずだ。そう思うと、過去の自分の行いがとても腹立たしく思えた。見も知らぬ他人のことなんてどうでもいいと思っていたはずなのに、青年の姿と重ねると津波のような罪悪感が心に押し寄せてきて、恐ろしくて震えが止まらなくなる。青年が悲しむことは、自分が傷つくことのように───自分が傷つくこと以上に、たまらなく不愉快だった。許してはならないことだった。

 

「オレには夢なんてない」

 

 ベッドに横たわったまま、目線だけで部屋の隅に目をやる。壁の日陰に大事そうに立て掛けられた油彩画の数々に目を流し、その一つ一つを愛おしげに見つめる。アイビー、アカツメクサ、アサガオ、そして紫陽花(アジサイ)。青年の情熱の結晶たちが本物の花々のように咲き誇っている。描いているところを見たことがない作品も、じっと見ていると、真剣な表情でキャンバスに向き合う青年の姿をそこに幻視できた。額から汗が流れ落ちることも頬を油絵の具で汚すこともいとわず、ただ一心に筆先を動かしている。そのひたむきな青年の横顔に、胸がとくんと熱く切なく疼く。

 

「でも、叶ってほしい夢(・・・・・・・)なら、ある」

 

 叶えたい夢は持たない。けれど、実現して欲しい夢ならある。夢を叶えてほしい人がいる。幸せになってほしい、大切な人がいる。

 熱っぽく潤んだ瞳に、ベッドのすぐ目の前、まだイーゼルに置かれたままのキャンバスが写る。今朝方、3層目の色塗りを終えたばかりの人物画。青年が「綺麗だ」と言ってくれた絵。「本物より劣るけどね」と付け加えられた一言がとても誇らしくて、そのうっとりとするような柔らかい声がずっと鼓膜に残っていた。まるで丹念に化粧を施すような繊細な手付きが視界に蘇る。青年のそばにいると心が安らぐのに、絵を描く青年を見ていると心がざわめき、惹き込まれる。どうしてそうなるのか、ルキナにはもうほとんど察しがついていた。認めることをわずかに拒んでいるだけだった。それも、あと一歩だった。

 幻の青年がキャンバス越しに自分を見つめている。焦げてしまいそうなほどの強い視線が胸を熱くする。それほどの魅力を自分に見出してくれているのだと思うと喜びがチカチカと視野に溢れた。想像上の青年に触れようとそっと手を伸ばし、我知らずルキナの唇が震える。

 

「オレには───わたし(・・・)には───」

 

 と、次の瞬間。アパートの前で自転車が派手にひっくり返る音がしたかと思うが早いか、バーンと大きな音を立てて部屋の扉が開け放たれた。幻の青年の背後から本物の青年が勢いよく顔を出す。

 

「た、た、大変だ!」

「んひゃっ!?」

 

 絶妙なタイミングの悪さだった。仰天したルキナが猫のようにベッドの上で跳ね上がる。心臓が口から飛び出そうなほどの驚愕に思わず女の子のような悲鳴をあげてしまった。自分がなにを口走ろうとしていたのか理解したのだ。同時に、生まれつき回転が早く地頭のいい彼女は、先ほどまでの自分を客観的に捉えたら、まさに“恋する乙女”そのものだということにも一瞬で気が付いた。それらの羞恥が相まって、ルキナの頭は真っ白に塗りつぶされ、泣き笑いのような青年の表情を見てもまったく思考が働かなかった。

 

「聞いてくれ、聞いてくれよ!大変なんだ!」

「ちょ、ちょっと……!?」

 

 動転して何が何やらわからず目を白黒させるルキナに向かって、当の青年がドタドタと手足を振り乱しながら駆け寄る。そして勢いよくルキナの両肩を掴むと、出し抜けにぐっと顔を近づける。パーソナルエリアの“パ”の字もない無遠慮な近さに、ルキナの頬がイチゴのように紅潮する。

 

「さ、さっき高校の恩師から電話があって、有名美大の教授で公募展の審査員もしている方が、僕の作品に興味を持ってくれたって言うんだよ!『紫陽花』を気に入ってくれたんだって!すごく著名な方なんだけど、“出来るなら今すぐ作品を見てみたい”って言ってくれているんだそうだ!それで───」

 

 青年の慌てふためきようの理由は、彼に思いがけないチャンスが訪れたからだった。画家が大成するには様々な道筋があれど、オーソドックスなルートは有名美大を卒業することだ。そうでなければ美術公募展(コンクール)で良い評価を得るくらいだが、美大出身ではない無名の画家が日の目を見るには相当な才能がなければならない。公募展は数え切れないほど多くの作品が全国どころか海外からも出展されるからだ。当然、ハードルは恐ろしく高い。しかし、そこで事前に審査員の目に留まっていれば話は異なる。出展前からすでに審査員の目を引くとなれば、周囲からの評価も当然違ってくる。マイナーな画家にとっては夢のような話が舞い込んできたといえる。

 これらのことは、青年から現代画家の事情を世間話として聞かされていた普段のルキナになら理解できる話だった。彼女は物覚えがいいほうだった。だが、青年の胸板を押し返すことに必死になっている今の彼女はそれどころではなく、話の半分も耳に入らなかった。あと数センチで唇と唇が触れてしまうことにルキナは気付いているが、青年は気付いていないのだ。熱弁を振るう青年がぐんぐんと迫り、ルキナの背中が弓のように仰け反る。そのままベッドに押し倒すような形になるが、子どものように喜ぶ青年はやはりそれに気づかない。ルキナの背中がマットレスに深く食い込む。二人分の重みを背負ったスプリングがギシギシッとひときわ激しい音を立て、それがまるでセックスの最中の軋みを連想させて、ルキナの羞恥は限界まで高まる。元は思春期真っ只中の男子だったルキナの想像力は容易に暴走し、青年と自分がこのベッドでまぐわう(・・・・)様子を脳裏に浮かばせてしまった。

 

「ぁ、ぅ、」

 

 このまま行けば、どうなってしまうのだろう。自分はどんなこと(・・・・・)をされるのだろう。心臓がバックバックと胸郭内で狂ったように暴れまわる。下腹部の奥底がキューッと絞られるように疼く。慌てるルキナが白い手の甲に血管が浮かぶほど力を込めても、大きな胸板は戻るどころか押しつぶす勢いでのしかかって来る。アルバイトの途中だったのだろう。シャツは汗でわずかに湿り、肌は火照って、男らしい体臭がほのかに匂う。バイト中に恩師から連絡を受けて、嬉しくてたまらず、真っ先にルキナに報告しようとアパートに飛んで帰ってきたに違いない。いの一番に吉報を知らせたいと思ったのが、喜びを共有したいと願ったのが、友人たちではなく自分だったことに、ルキナは恥ずかしくて決して口には出せない嬉しさで胸がいっぱいになった。視界にキラキラと星が舞うようだった。

 

「ルキナ、君のおかげだ。君は運命を連れてきてくれた」

「な、なにを言って、」

 

 告白の台詞のようであることに青年の自覚はない。ルキナの視界いっぱいに青年の顔が迫る。感動で湖面のように潤んだ双眸に自分の顔が映り込んでいる。興奮して熱くなった吐息が鼻先に吹きかかる。青年の発するすべてに覆われて、世界が青年で覆われる。もう青年しか見えなくなる。世界(じぶん)が青年で塗りつぶされる。理性の自分が恐怖を覚えて拒絶を訴えるのに、下腹部(ほんのう)の自分は手放しで歓喜している。それは女性となったばかりのルキナにとって初めての経験だった。自分の肉体なのに自分の制御を離れていくことにルキナは激しく混乱した。股関節の中心部にもう一つ心臓ができたかのような鼓動を感じる。太ももの付け根に血流が集中し、充血していくのを感じる。それでいいの(・・・・・・)それがいいの(・・・・・・)と喘ぐような女の声が頭の中から囁いてくる。その声は自分そっくりだった。

 

(……えっ、これって、まさか、)

 

 意志とは関係なく、まだ毛も生え揃わないそこ(・・)が湿り気を帯びた。自分の身に起きたことを悟ったルキナの背筋がピクッとさざ波のように震え、全身に鳥肌が総毛立つ。理性の手綱を振りほどかんと蠢く女の肉体(からだ)が、未成熟なくせに一丁前に青年を受け入れる(・・・・・)準備を始めようとしているのだ。ルキナの意思など無視して、勝手に青年に身を任せようとしているのだ。ルキナはそれを察して、

 

「───だめ!離れて、離れてってば!今すぐ!!」

 

 腕だけでなく脚も総動員し、ルキナは渾身の力を振り絞って青年を自分から引き剥がした。そうしなければ越えてはいけない一線を飛び越えてしまうと恐れたからだった。バタバタと子どものように暴れたルキナに胸をしたたかに蹴られた青年がハッとして我に返る。

 

「ご、ごめん。あんまりにも嬉しくて、つい我を忘れてしまった」

「忘れすぎ!いきなり押し倒すな!ロリコン!」

「悪かった、悪かったよ」

 

 恥ずかしそうに後ろ頭をかいて青年が陳謝するも、頬は相変わらず緩んだままだ。その幸せが溢れるヒマワリのような表情を見ていると、今の自分が全力で抵抗しても青年にとっては痛くも痒くもないという事実への腹立たしさも薄らいだ。弱体化しているとは予想していたが、年頃の少女より筋力が低くなってしまっている。これでは、もしも(・・・)のときに抵抗できない。

 

(なんで、ここ(・・)がこんなことに)

 

 荒い息で上下する己の両肩を両手で抱きしめ、気を落ち着ける。湿ってしまった太ももの付け根をタオルで拭きたかった。モジモジと太ももの内側同士を擦り付けそうになるも、そんなことをすると青年に気付かれてしまうと悟って動きを留めた。

 

「脚、どうかした?痛むのかい?」

 

 のんびりと鈍感そうな顔をしているくせにやけに察しがいいのは観察眼が必須の芸術家故なのか。明るかった笑顔がすぐに心配そうなそれへと反転する。「違う」と口を開きかけ、気遣いで差し伸ばされた無骨な手のひらが太ももに向かって無遠慮かつ無造作に伸びてきて、思わず身構えて硬直してしまう。無垢な白地の素肌に、熱い体温でしっとりと汗ばんだ手のひらが吸い付く。瞬間、ゾワゾワッとした得も言われぬ未知の感覚が少女の幅広の骨盤を震わせて背骨から脳髄へと伝わり、ルキナの首の付根に経験したことのないほど激しい緊張が走った。怖気と歓喜、恐怖と快感。相反する本能的反応がへその奥で爆発し、体内を通った爆風がルキナの顔面から放出された。一瞬で赤面したルキナの顔からはボンッと音が聞こえそうなほどだった。

 

「なんでもない、なんでもないからっ!触っちゃだめ!」

 

 シャツの裾を破れんばかりに伸ばして太ももを隠す。最盛期のルキナであればこんな使い古して薄くなったシャツなんて力任せに扱えば軽く千切れたのに、今はなんとか引っ張るだけで精一杯だった。

 

「デリカシーがなかったね。ごめん」

 

 そんなルキナの赤ら顔に、色恋沙汰に鈍感な青年は気付かなかった。肉体の過剰な反応に気付かれなかったことにルキナは安堵し、そしてなぜかそのことに気づかなかった青年に腹がたった。気付いてほしくなかったけど、気付いてほしかった。矛盾する己の感情にルキナは振り回されていた。

 

「でも、君には本当に感謝しているんだよ。君は間違いなく運命を連れてきてくれた。いや、君が運命そのものだったんだ」

 

 自分の複雑な乙女心を持て余して混乱するルキナの前で、青年が迷うことなく一枚の絵画の前に歩む。そうして、もう完成まであと一歩というそこにある唯一の人物画(・・・)を丁寧にイーゼルから持ち上げると、キャンバスの規格と合致したダンボールに収納してさらに厚手の風呂敷で包み始めた。躊躇なくそれを選んだ青年にルキナはギョッとする。お偉い先生とやらに見せに行く作品は、てっきり他の花の絵のどれかだとばかり思っていたからだ。

 

「ね、ねえ!なんでそれ(・・)なの?もっと良い絵がそんなにたくさんあるのに」

 

 肉体の過剰反応のことも忘れて思わず飛び上がるほどルキナは驚いた。青年が得意とするのは自然画───特に花の絵だと聞かされていた。孤児だった経験からなのか、人物画はあまり描かないのだと苦笑混じりに言っていたことを思いだす。事実、青年の作品は、ルキナが知る限りすべて色とりどりの花々だった。それらはどこに出しても恥ずかしくない出来栄えだとルキナも胸を張って言えた。もしも貶す奴がいたら誰だろうと捻り潰してやると、いもしない“敵”を想像して勝手に熱り立つほどに。けれど、青年が自分の代表作にその人物画(・・・・・)を選ぶのはまったくの予想外だった。

 ルキナが身振りで指し示した壁際の絵画たちに、しかし青年は一瞥もくれなかった。陽だまりのような満ち足りた温もりを讃えた瞳でルキナを穏やかに見つめている。選んでくれるのは素直に嬉しいと思う。でも、相応しくない。青年のことを知りもしない誰かが彼の実力を推し量るのは腹立たしいが、そのことを抜きにしても、その絵(・・・)は青年の人生を左右するものとしては絶対に相応しくない。そんな価値は、ない。

 

「いいんだ。これが僕の自信作なんだ」

「だとしても、嫌われ者(・・・・)の絵なんか持っていってどうするの?そんなの見せても世間からは良い評価なんて貰えるわけない」

 

 言葉が尻すぼみになっていく。苛立ちではなく後悔が胸の内をじわじわと蝕む。ルキナは、今まで自分を置いてきぼりにする世の中への行き場のない怒りを持て余してばかりだった。だったのに、感じたことのない不快な感情が渦巻いて、全身から血の気が引いていく。青ざめた顔が俯いていく。自分の悪行が青年の足を引っ張ることがとても不愉快だった。誰に迷惑をかけようと関係ないと冷笑していた過去の自分が今になって滑稽極まりなく思えた。自分のせいで、叶ってほしい夢が叶わなくなってしまうなんて、想像もしていなかった。自分の幼稚さを突きつけてくる残酷な現実が大嫌いだった。それ以上に自分自身に嫌気が差した。

 

「私が……私がこんな力なんて望まなかったら、アンタは私に出会うことなかった。そうしたらあの紫陽花の絵はちゃんと完成してたのに。そっちの方がよっぽど評価されるのに。私のせいだ。私なんかが、ルキナなんかが生まれなかったら、アンタはちゃんと───」

「芸術家はね、嘘つきなんだ」

「……は?」

「芸術家は観賞者を騙すために様々な技法を凝らす。滲ませたり、重ね塗りしたり。見る者の目を誤魔化し、逸らし、誘導して、自分が魅せたい(・・・・)ものを見せる。それでも、ただ一点において、芸術家は絶対に嘘をつかない。どんな芸術家も、それだけは偽れない。誰に何を言われようと、それだけは全身全霊をかけて決して譲れない」

 

 予想だにしない返事に、悲哀に沈みかけていた思考が優しく掬い上げられる。キョトンとして顔を上げると、風呂敷で包み終わった一枚の絵画を大事そうに抱えた青年が慈父のように穏やかな微笑みを浮かべていた。

 

「自分が美しいと感じたものは、絶対に美しい」

 

 青年がルキナの頬をそっと指でなぞる。震える肌を伝って流れ落ちた一筋の雫を拭い、ルキナの葡萄色の瞳をまっすぐに見つめる。

 

「ルキナ、君は美しい」

 

 「だからこの絵でいいんだ」。そう締めくくって、青年はさらに微笑んだ。ルキナは、それ以上何も言うことができなかった。もう悲しくはなくなったからだった。この世の他の誰でもない青年が「美しい」と言ってくれたからだった。それだけで、もう充分だった。

 

「それじゃあ、行ってきます、ルキナ」

「うん、行ってらっしゃい」

 

 青年を送り出すルキナの表情は、これまでにないほど朗らかだった。気恥ずかしそうにささやかに手をふる仕草は、まさに年相応の少女そのものだった。送り出される青年もまた、今にもこぼれ溢れそうな満面の笑みに綻んでいた。

 晴れ渡る秋空の下、古い自転車がカシャカシャと音を立てて去っていく。小さくなっていくその背中を、ルキナは窓から身を乗り出して見つめていた。のぼせたように熱っぽく潤んだ瞳で、角を曲がって見えなくなるまでずっと追いかけていた。秋特有の冷たく乾いた風が頬を撫でる。音も、風も、匂いも、すべてが輝いて感じられた。

 

「ねえ、アストレア。私にも、夢が出来たよ」

 

 まるで夢うつつであるように、囁くように独りごちる。ルキナの心は、人生で味わったことがないほどの歓喜に満ちていた。心がふわふわとした浮遊感。胸が内側から押し広げられるような充溢感。踊りだしたくなるような心地よい満足感。これが“幸福ということ”なのだと直感で悟った。青年が視界にいてくれるだけで世界が明るく見える理由も、青年のことを思うだけでまるで何かが胸につっかえたように無性に息苦しくなる理由も、ようやく直視できた。自分の心と向き合う勇気が無限に湧いた。

 

「私は、あの人と、ずっと一緒にいたい」

 

 それが、ルキナが生まれて始めて抱いた、たった一つの願いだった。

 

 

 

 

 

 

「貴様からは素晴らしい夢と希望の力を感じるぞ。貴様を使えば、ケアキュアどもを一掃できよう。このゲキヤックの糧となることを光栄に思うがいい」

「だめだ、やめてくれ!僕はあの娘と、ルキナと───」

 

 

 

 

 

 

 叶うことのない、願いだった。




なんのために生まれて

なにをして生きるのか

答えられないなんて

そんなのはイヤだ。
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