ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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夕食は姉のような叔母と

 西の空が赤くなって住宅街に夕風が吹いた。桂木家は雑に閉じたカーテンの隙間からリビングの明かりが漏れ、レンジフードを通して炒め物の匂いが外へ立ち込めた。ちょうど、キッチンで食事をほぼ作り終えた彩香がエプロンを外した。

 

ガーッ、ドン!!

 

 敷地の反対側。駐車場の跳ね上げ式門扉が自動でゆっくりと下りた。バックで車止めにピタリと停められたミニバンから女性が降り、薄暗い中に玄関灯の光が届いてパンツスタイルの彼女が長い髪をなびかせた。

 玄関ポーチの端への短い階段を上って彼女はカフェの方向に目をやり、いつもと違う雰囲気を感じつつ玄関先へスマホをかざした。解錠表示がされない画面を確認して舌打ちし、我が家のようにドアを開けて中へ入っていく。パンプスを脱いで框に上がって向き直って揃え、出してあるスリッパを履くと振り返って廊下を足早に進んでリビングの戸を引いた。

 

「お帰りなさい、ちはるさん」

 

 左手のダイニングキッチンとは間仕切りがなく、彩香がカウンター越しに声をかけた。右手は壁際にテレビが置かれ、その前にローテーブルが長方形の三辺をソファーに囲われる。ちはるの目は誰もいなかったであろう部屋のシーリングライトへ向けられた。直線的な髪型に整う顔が電灯に照らされ、高い身長が彼女の体形をシャープに見せた。

 

「ちょっと彩香、電気はこまめに消しなさい」

「ハイハーイ」

「それに玄関は閉めときなさいって言っているでしょ」

「はい、分かってますよ」

「こんなんじゃ変質者が入ってくるわ」

 

 リビングの隅に干された下着へ視線をチラッと向け、ちはるはスーツの上着を脱ぎ、ソファーの背に掛けて横に座って足を組んだ。側に投げ出されたリモコンを拾って冷房温度を3度上げ、それをローテーブルの端に合わせ置いた。

 彩香は適当にコンロの火を止め、雪平鍋から移したみそ汁のお椀を両手にダイニングテーブルへせっせと運ぶ。ペットボトルのお茶を湯呑みに注いで椅子に腰掛けた。新聞に目を通したちはるがやってきて正面の席に座り、二人で「いただきます」と夕食に手を合わせた。

 

「今日の外ハネ揃ってますね」

「テレビに出たからよ。ここ数年、無茶な運転が多くて呼ばれるの」

「それにしても女性が多いですよね」

「ええ。なぜかしら…そうそう、私にも兄さんから見合いメール来ているわよ」

「がはっ」

 

 外堀を埋める父の見合い戦略に、彩香はご飯が喉につっかえて胸をこぶしでドンドンと叩いた。

 

「もぉ、そんなの捨てちゃってよ」

 

 怒りで口調が昔に戻った彩香が箸でご飯とおかずを口一杯に詰め込んだ。ちはるは子供のようなふくれっ面を見ながら、一番手前にある野菜の皿に箸をつけて肉ごと口へ運んだ。一瞬、舌を襲う苦み。皿の上をよく見て緑色のギザギザをつまんだ。

 

「この野菜炒め、ゴーヤ入りなのね」

「何言ってるんですか。チャンプルーですよー」

「は、卵も豆腐も入っていないじゃない」

「豆腐はここに、ほら」

 

 彩香はお椀から白い四角をすくい出して何食わぬ顔で説明した。彼女が多少の事を気にしないことは織り込み済み。豆腐は諦めて卵を自分の皿で探すが、やはり見当たらなかった。

 

「私のところに卵は入っていないわ」

「おかしいなぁ。ちょっと待っててください」

 

 フライパンの残り物を取りに席を立つ彩香。しかし行くまでもなくカウンターの角でビニール袋と包丁に隠れた白い楕円が目に入った。「今から入れます?」といつも通りに苦笑い。ちはるの箸もいつも通りに止まらない。

 

「もういいわ、このままでも味がついているから」

「ハハハ、今日はちょっと」

「何かあったの。カフェのシャッターが上がっていたけど」

「まあ、少し綺麗にしてみようかと」

「また店を始めるつもりなら電気調理器を一度業者に見せないとダメよ。内部が故障してて火災を起こすかもしれないし、それに水道だって……」

 

 ちはるは出かかった言葉を呑み込んで口をつぐみ、今更細かいことをとやかく言う年齢ではないと箸を進めた――もう、彩香も三十だし。

 箸と食器がぶつかる音、皿や椀を置く音、汁をすする音しかしなくなった。リビングの端からカウンターまでの間、狭いダイニングに置かれたテーブルの両サイドに椅子が二脚ずつ並ぶ。廊下側と窓側に彩香とちはるがそれぞれ卓上を広々と使い、無言で食事が続いた。

 最後にみそ汁を飲み干したちはるがお椀を持ったまま気にかけていたことを彩香に尋ねた。

 

「外にバイクが無かったのはどうしてなの」

「あー、おじさんとこ」

「それじゃあ、今年は舞島レディースを欠場する理由をきちんと伝えたんでしょうね」

「うん。純一にはちゃんと仕事って言っといたし」

「あんたねえ、親戚といっても最低限の礼儀があるでしょ」

 

 彩香は大学生の頃から舞島サーキットで開催されるバイクレースに参加し、母の従兄が経営するバイク店は移動や整備を担った。彼には感謝するべきだが、中学生から店に入り浸る彼女は一向に遠慮がなく、ちはるはそれが歯がゆい。苛立ってくる自分を抑えようと箸を置き、ゆっくりと喉にお茶を流し込んだ。それでも行き場のない感情にその矛先が変わってきた。

 

「大体、姉さんは人使いが荒いのよ。演歌歌手の握手会だっけ」

「山河原崎せーじ、って人です」

「その人は例のディナーショーに行ってなかったの」

「舞島の姉御が取り仕切ってたやつですか」

「そう、それよ。参加した全員なるさわTVを出入り禁止になったわ」

「大丈夫だと思います。社長が怖い顔してみんなに『絶対近づくな』と言ってたから」

「姉さんの顔は元からでしょ」

「ははは……」

 

 雇い主である伯母の悪口に頷く訳にもいかず、彩香は愛想笑いを浮かべてやり過ごす。ちはるは湯呑みをテーブルに置いて立った。

 

「でも勘だけは取り柄だから、あの人」

 

 気に食わない姉を投げやりにフォローし、自分のお椀や食器を重ねてキッチンへ向かった。

 ちはるは全てを流し台に置いて手が空くと、使われなかった卵を両手に取って踵を返した。手の甲で器用に開けて冷蔵庫に仕舞い、閉じた扉に貼ってあるカレンダーの数字を目で追った。彩香がダイニングで残ったおかずに口をもごもご動かした。彼女へ振り返らずに声を上げた。

 

「まだレースに間に合うわね。片付けが終わったら姉さんに頼んであげる」

「うぇあ、びびべすけぼっ」

 

 食べ物と一緒に口から出た言葉を無視してキッチンを片付け始めた。ちはるは十分大人になった彩香を遠くから見守るべきだと頭では理解している。けれど、事あるごとに一回り年下の彼女に対して前のめりに。次々と食器がスポンジの泡に吸い込まれ、水を切ってかごに並べられた。彼女をテーブルに残して食事の時間はつつがなく終わっていった。

 

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