うららかな舞島海浜公園。ブレザーの制服に黒いダウンジャケットを着たみちほがベンチに腰掛け、その前に学生服の夏也がしゃがんでいた。彼女は思い詰めたふりをして彼へ視線を下げ、自分を攻略させるために練ったシナリオを開始した。エリから話すように言われた夏也が約束を守ろうと口を開いた。
「みっちゃんが聞きたいなら話すよ。僕が勝手に思ってることだけど」
「そ、それでも聞きたいです」
「じゃあ、ちょっとハンカチを押さえててくれるかな」
夏也は彼女の左手とハンカチの間からすっと自分の手を抜き、膝の傷口を彼女自身に押さえさせて立った。みちほから少し離れた位置でベンチに腰を落とすと空を見上げた。
「僕、前は鳴沢市に住んでたんだ。家はマンションの上の方で小学校から帰るといつもタブレットゲームで遊んでた。クラスメートと話すのは苦手で……」
「へー、そうだったんですかー」
元々の性格が内気なのは予想通りと思いつつ、みちほは意外な顔をして目をパチパチし、話に聞き入るように彼の横顔を覗いた。ベンチに手をついた夏也は彼女の方へ体を開き、照れくさそうに鼻の下を指でこすった。
「こっちで友達ができた。早矢ちゃんたちのおかげだよ」
「良かったですね」
「うん。父さんはどっかに行ったけど舞島市に来れて良かった」
「元気にしてるといいですね」
「それでさ、ずっと商店街で暮らしたいから煎餅屋を継ごうと思っているんだ」
「へー、先輩ってお煎餅が焼けるんですね」
「ううん、今はできないよ。だけど修行したらいつか一人前になれるし、その時はみっちゃんも店を手伝ってくれるかな」
「ひょっとして女子を集めてメイド煎餅屋を開くつもりですかぁ」
シナリオ通り返しにくい質問を投入して彼を一旦黙らせる。みちほがそばかすの上に嬉々として目を細め、夏也は出かかった「アルバイトで」という言葉を飲み込んだ。澄ました表情が多い彼女の微笑みを可愛いと感じ、自分のために履いたスカート姿をまじまじと眺めた。
幾つか考えられた夏也の反応に対し、みちほがとる行動は抗議の目を伴う怒った態度の一択だった。
「やだ。どこをジロジロと見てるんですか、いやらしい」
みちほはとっさに夏也の視線を読み、セリフを作り出して右手で左の腕を押さえた。彼女のツンツンした態度はご機嫌取りを誘う芝居である。褒めてきたら態度をだんだんと軟化させ、恥ずかしがって頬を染めるパターン。彼と反対へ向いてムッとして見せるものの、二人がイチャイチャする場面を頭の中で思い描いてにやけた気分に浸った。
彼女の思惑と違い、マイペースな夏也は別の事を考えていた。体をみちほの方へ向けて静かに側に近寄った。
「みっちゃん、そのリボンが付いた制服とても似合ってるね」
「どうせ、お尻が大きいとか思ってるんでしょ」
「違うんだ。胸は大きくないけどスタイルはいいし、隠すなんてもったいないと思ってさ」
「もぉ、どういう目でわたしのことを見てるんですか」
「どういう目かって説明するのは難しいけど、路地裏で見た時に一目惚れしていたのかな。すぐに君のことが好きになっていたから」
「えっ、それって……」
傷口を押さえるハンカチが桟橋にぽとりと落ちた。みちほは唐突な告白に慌てて彼へ向いたが、すでに夏也は真剣な黒い瞳で彼女を見つめた。凄く純粋で積極的なイケメン男子の彼を拒む理由はなかった。台本のいちゃつくシーンを削除した彼女はスカートの脇に手を置き、目をつぶって少し顎を上げて身を委ねた。
唇同士がコツンと当たって接触と同時に夏也の緊張が伝わってきた。みちほは音のない呻き声を口の中で発した。何も見えずドキドキして彼と繋がる時間はほんの数秒で終わった――やっぱり、先輩も初めてなんだろうか――漠然と考えてみちほが目を開けると、夏也がキスの失敗を恥ずかしそうに視線を逸らせた。もし彼に完璧な口づけをされたら、それはそれで満足して終わってしまう気がした。ぎこちないキスは逆に恋愛関係の進展する余地を感じさせる後味があった。
みちほが胸先で両手の指を合わせてチラチラと視線を送り、夏也は苦笑いして頭を掻いた。
「ははは、いきなりはマズかったかな」
「いえ。わたしも先輩のこと…好きですから」
たった一言だけど自分の気持ちを伝える重要な言葉だった。頬を染めたみちほは不思議なくらい気分が晴れ晴れとした。感動のラストはエンディングテーマでなく現れたエリの威勢のいい声が聞こえ、心のスキマから駆け魂が出ていったことを知った。彼女は張り詰めた緊張が一気に解けてふらっと夏也の胸に倒れ込んだ。
キスを交わした二人が付き合うグッドエンド――という風にリアルはいかなかった。エリに見とれていた夏也はみちほが倒れ掛かってギクッとして顔を下へ向けた。眠るようにもたれるいたいけな彼女に、思わず彼は本音を漏らした。
「いやぁ、一年生か。二年生にはかなり告白されたけどなあ」
腕に抱えてデレデレする夏也は彼女が疲れて寝てしまったと思っていた。だが、彼の独り言を耳にしたみちほはパッと目を開けた。浮気を匂わす言葉に信じられない顔をし、本気で夏也を責め立てた。
「先輩は二年生に大勢好きな子がいるんですかっ」
「あ、いや、告白されただけだよ」
「喜んでるじゃないですか!!」
「そうかな。けど、今まで『好き』って言ったのはみっちゃん一人さ」
「それじゃあ、他の女子には言うつもりはないんですね」
「うん、たぶんね」
「たぶん?」
みちほは曖昧な返答に幻滅を覚え、彼の満足げな表情に人間性を疑った。中学校で夏也が女子に囲まれてへらへらした姿を想像すると無性に腹が立ち、こんないい加減な奴のファーストキスに喜んだ自分にも怒りが湧いた。こぶしを握り締めた彼女は大した事ないと考える彼を睨んでプイッと顔を背けた。
あかね丸の甲板ではエリがみちほと夏也のキスシーンを撮影し終え、М42と勾留ビンを手にタラップを急いで下りた。みちほから出た分裂駆け魂が今まさに飛び去ろうとしていた。
「グヒッ」
「今度は逃がさないわよ」
エリは駆け魂の正面に回って身構え、十字形の外蓋が付いた勾留ビンを1メートル程度に長くして脇に抱えた。「駆け魂、勾留!!」。魔力を集中するとビンの蓋がパカッと開き、黒い鎖のようなものが凄い速さで真っ直ぐ伸び、駆け魂に突き刺さってぐるぐると全体に巻き付いた。頭を切り離せない駆け魂は咆哮を上げて懸命に体をねじ曲げたが、エリが注ぐ魔力によってビンの中へ引っ張られた。完全に駆け魂を吸い込むと特殊なビンは施された魔法が解け、大量の白煙を発生させて蓋が閉じた。
「ぶはっ。一体何なの、これ」
勾留ビンを放したエリは大わらわで周りの煙を払った。トレーナーの袖口を伸ばしてスキニーの太腿をこすり、すすが付いていないかを確かめた。幸い、数回しか履いていないパンツは汚れてなく、全くもって迷惑な機能だと眉をひそめて元のサイズに戻ったビンを地面から取り上げた。
一瞬、空が影になって目の前にドスンと人が落ちた。金色のふわっとした髪に二本の角が生える少女。黒いセーラー服を着たシャイロが桟橋に尻もちをついた。
「アイタタタ、また着地に失敗ですわ」
「シャイロさんどうして。魔法で飛行するの難しいのに」
エリが空から降ってきた彼女に驚いた表情を見せ、お尻をさすって立ったシャイロは首に掛けたくねくねした布を手のひらに載せた。
「ですから、羽衣を使いましたの」
「え、羽衣って何です?」
「変形や伸縮が可能な魔布で、飛行もサポートしてくれますのよ」
「まさか、この縮んだタオルみたいなので飛べるんですか」
「ウィ。電魔ナノマシンから作られていて羽衣に包まれると完全に身を隠せますわ」
「へー、これ電魔ナノマシンでできてるんだ」
魔法の布に感心してエリは先端を指でつまんだ。洗濯ラベルに『電魔ナノマシン100%』と表記されている。羽衣の生地は手が透ける程ペラペラで薄く、手触りが機械とはまったく感じさせない精巧な作りだった。何とかして分裂駆け魂と交換できないだろうかと腕を組み、勾留ビンで肘をトントンと叩いて思案した。
うまく言いくるめる方法を画策すると、エリの手からポロッと丸いビンが滑り落ちた。転がった足元へ手を伸ばすものの、先にシャイロが腰を屈めて喜んで拾い上げた。
「分裂駆け魂を捕まえてくれたのですね」
「ええ、今勾留しました」
「それでは遠慮なく頂きますわ。オルボアール」
シャイロは自分が捕まえたように勾留ビンを掲げ、羽衣でふわりと浮いて空へ飛び去った。
「あっ。ちょっと、まだ話が終わってないんですってーー」
空を見上げたエリは両手を大きく振って叫んだ。分裂駆け魂をタダで持っていかれ、遠く離れていくシャイロへ悔しそうに指を鳴らした。だがしかし、魔法のバイクを置き忘れているので取りに来るはずと考え、次に会ったら必ず魔道具をもらおうと鼻息を荒く振り返った。
シャイロの反対の方角にはメイド服のメルクリウスが翼を水平にして飛行し、エリを見つけると徐々に高度を下げた。桟橋に着地して白い翼は折り畳まれて小さくなり、彼女が背負う四角い配達バッグからはみ出ているように見えた。女神は背中に翼が生えているかに見えるが、実際は女神の力が翼形になって肩甲骨辺りから出現しているに過ぎなかった。おもむろに歩いて側に来た彼女はシャイロへ指差した。
「桂木えり、あの悪魔と知り合いなのか」
「あ、こんにちは。シャイロさんと何かあるんですか」
「いや、何でもない」
「メルクリウスさんは仕事ですか。大変ですね」
エリは背中のバッグへ目をやり、いいところに来たとニヤリとした。キスした後の親密な彼らを見れば、彼女は夏也のパートナーをみちほと認め、壊れた煎餅ビン代わりの駆け魂回収道具を喜んでくれると踏んだ。回収した駆け魂の報酬で桂木家のカフェを再開しつつ、兄・朋己の恋人を探すことが舞島学園に入学してからエリの仕事だ。
二人の仲良くする様子をメルクリウスに見せるため、エリが少し先のベンチへ人差し指を向けてわざとらしく驚いたふりをした。
「あーーっ、夏也くんとみちほだわ。こんなとこでデートをしてるなんて~」
「ほぉ、デートか。それで夏也のやつがペコペコしているのだな」
「げぇっ。何やってんの、あの子たち」
桟橋に来てから初めてベンチを見て仰天した。みちほは頬を膨らませてそっぽを向き、夏也は手を合わせて彼女に謝っていた。さっきキスをしたばかりなのに二人の間に何が起こったのか理解不能だった。
彼らの声が届かない場所からはけんかをした後のようで二人は仲良く見えなかった。それでも、メルクリウスは前髪から片方だけ出る目に笑みを浮かべた。宿主として長く同じ時間を共有した歩美も彼に怒ったり、彼になだめられたりして彼らはお互いの理解を深めた。仲違いと仲直りを繰り返す昔の歩美たちを思い返し、呆然とするエリの肩をポンと叩いて声をかけた。
「心配するな。しばらく仲が悪いだけだ」
「な、仲は悪くないですっ」
「どこをどう見ても仲が悪そうにしか見えんが…」
「そうだ、証拠ありますから。ちょっと待ってて下さい」
エリは下を向いてムキになって画面に指を擦らせ、М42のストレージ内に二人がキスをする動画を探した。このまま夏也たちの仲が悪いと思われては駆け魂回収が滞り、カフェの再開も朋己の恋人探しも頓挫して困る。画面に表示されたファイルの保存先を手当たり次第に突っついた。
端末と格闘するエリを見ながらメルクリウスは頭を掻いた。ロング丈スカートのポケットに手を挿し入れ、折り畳まれた紙を取り出して開いた。紙は住宅地図が印刷されて煎餅セットの配達先に印が付けられて商品名が書き込まれていた。彼女は手書きの赤い丸を目で数え、終わりそうにないエリの指操作へ視線を向けた。
「おい、配達が残っているから行っていいか」
「待ってって言ってるでしょ!!」
「分かった、分かった。夏也とみちほは仲が良いと認める」
苛立って声を荒らげる少女に、話を早く済ませるためにメルクリウスは両手を上げて降参の意志を示した。「仲を認める」と聞こえたエリはМ42から顔を上げ、すぐさま駆け魂回収道具を要求した。
「じゃあ、新しい駆け魂回収道具を下さい」
「まだ何か欲しいのか」
「えっ。それはその、煎餅ビンはガラスだから割れたりするので」
「ならば、店に来るがいい」
「はい、ありがとうございますっ!」
もらえると分かった途端にエリが満面の笑顔に変わり、メルクリウスは現金な奴だとあきれて吐息を漏らした。配達先の紙をポケットに仕舞うと背中に翼を広げ、いつか歩美夫婦と変わって煎餅店を切り盛りする二人を想い、祝福するような女神の微笑みをたたえて飛び立った。
エリは作戦が成功裏に終わってホッと胸をなで下ろした。腰のベルト通しに手を当ててベンチへ目を向けると、もう彼らは向き合って話していた。メルクリウスの言う通りにたわいのない痴話げんかだったのかと眺めた。だが今も夏也だけ心なしか申し訳なさそうな態度に見え、さっきの様子を思い出して手で口を押さえてクスクスと笑った。
「みちほと付き合うのは大変でしょうね、ふふふ」
これで残すは舞島学園高等部の合格を確認するのみ。М42を尻ポケットに挿したエリは足取り軽くバイクを停めたあかね丸へ向かった。
正午を過ぎて舞島学園の合格発表はがらんとし、エリは堂々と中央校舎東側の横に空飛ぶバイクで下りた。ヘルメットリングの輪っかを首から取り、壁に貼られた用紙の前で受験番号を一つずつ指で差していった。
「653、659、661、673……」
進学コースの『0』から始まる四桁の数字にエリの受験番号はなかった。桂木家の養子になって朋己と同じ高校に通おうとした努力は打ち砕かれ、大きな口を開けてエリは唖然として立ち尽くした。試験前の数日は余裕をこいて作戦にかまけていたとはいえ、一ヶ月近く真面目に勉強して万全のはずだった。
通用口にパンツスーツを着た副校長・二階堂がタブレットを持って現れ、学園内の見回りに中央校舎の角へ歩いた。肩にかかる白髪をさっと後ろへ払い、私服姿の少女を「フッ」と鼻で笑った。
「残念ながら学力不足だな、桂木妹」
「そんなぁ~」
エリは副校長から不合格を告げられてしょんぼりと肩を落とした。二階堂はつかつかとエリの側に近寄った。高等部校舎裏と駐輪場へ右左と視線を動かし、顔の横に立てたタブレットで口元を隠して声を潜めた。
「安心しろ。後日、家に補欠合格の連絡が行く」
「補欠……ご、合格でいいんですか」
不正を案じるエリが二階堂の顔を二度見したが、目を逸らせた彼女は腕を抱えて話を変えた。
「ところで、さっきの勾留ビンは使えたか」
「はい、一発で勾留できました」
「フフフ、やはりな。弱い包魔陣だが発動するだけでも相当魔力が要ったはずだ」
魔法が施された勾留ビンは並の悪魔が使える代物ではなく、二階堂は見込んだ通りと満足そうに口元を緩めた。何事もなかったようにタブレットで校舎東側を異常なしと入力し、軽く手を上げてエリの脇を通った。
「これから『も』学園内の駆け魂狩りを頼んだぞ」
「はぁ…。駆け魂ですか」
半信半疑な表情で通り過ぎる二階堂を見送った。何より兄の朋己が大事なエリはたかが駆け魂と考え、入学させてまで駆け魂狩りを依頼する意図を理解できず小首をかしげた。大体、悪魔の世界は駆け魂隊がいるのだから彼らに任せれば良いのにと思った。
ともかく、あとは舞島学園からの連絡を待つしかなく、桂木家に帰ることにしてヘルメットをかぶった。エリは魔法で飛ぶバイクに慣れて簡単に校舎よりも高く浮かせた。が、家で駐車する場所を考えて空中でピタリと固まった。人間に見えなくても実体として触れられるため、人が入ってきそうなカフェの前や駐車場には置いておけない。裏に停めてシャイロが取りに来るまで彩香に見つからずにいられるか、その事に頭を悩ませながら住宅街へとバイクを飛ばした。