ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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時に嘘は

 舞島学園高等部の合格発表から一ヶ月あまりが経ち、養女のエリは半年間通った中学校で卒業を迎えた。二階堂が計らった補欠合格は2日後に連絡があり、母・志穂に代わって彩香がオンライン入学手続きを行った。卒業式に保護者として参加するのも彩香の役目。務めを果たした今は下ろした髪を後ろで結び直し、上着を椅子の背に掛けてインスタントコーヒーに舌鼓を打った。弟や妹となる二人と食事をした夏から一冬越え、桂木家のリビングダイニングは春の温かな日差しが窓辺に射し込んだ。

 早々と昼食をとったエリは市販のジャージに着替えて制服の採寸に出かけた。朋己と舞島学園に通うことを楽しみにする様子は見ていれば分かった。彩香はカップをテーブルに置いてリビングへ向かい、ソファーに腰掛けてハンドバックからスマホを取り出した。

 

「でも、朋己がくれたバッグが役立つなんて」

 

 子どもの式に着ていく服がない彩香はまたもや姉・美雪に借りた。しかし、さすがにバッグまで借りる気になれなかった。部屋に戻ってグレーのスーツ上下を壁に掛け、クローゼットを開けて目に留まったのが黒い革のハンドバッグでその服にピッタリと合った。朋己のプレゼントは偶然だと思うが、妹想いの彼なら考えていたのかも知れないと思わせるものがあった。

 朋己へ送る得意げなエリの写真に微笑んでいると、雑誌棚の家庭電話機が鳴った。スマホを卓上に置いた彩香はやれやれと立ち上がり、リビング隅の棚に行って受話器を顔の横に当てた。

 

「もしもし、母さん。エリの卒業式に行ってきたわよ」

「ありがとう」

 

 ブラウスを着る志穂の上半身が電話機のディスプレイに映り、一言礼を言って彼女が老眼鏡を上げて視線を下へ落とした。

 

「エリちゃんは今、黒田家へ向かっているようね」

「ふーん。スマホのGPS見てんだ」

「昨日の電話で採寸に行くと聞いたけど美雪に何か用があるの」

「さあねぇ」

 

 もっとエリの卒業を喜ぶと思った彩香は棚に手を付いてつまらなそうにもたれ掛かった。桂木邸の方ではディスプレイが娘の背中で暗くなり、その投げやりな態度にあきれつつも志穂はエリの近況を尋ねた。

 

「まあいいわ。変わった様子はないか聞かせてちょうだい」

「エリに変わったことはない…こともないか。高等部の試験が終わってから積極的に家事を手伝ってくれてるわ。洗濯物を干したり取り込んだりとか、ゴミを出しに行ったりとか」

「じゃあ、元気がないと感じたことはないの」

「全然。『スマホ持って欠けた玉を探して走り回ってる』って京太くんが言ってたわよ」

「それは良くないわ、ゲームは時間を守らせないと。それじゃあ、ご飯を食べ残したことは?」

「ご飯は毎日お代わりしてるし、しないのはカレーの日くらいかな」

「そう。彼に聞いていないのかしら」

「ま、母さんが心配するようなことはないけど」

 

 エリに関する問答が終わり、ふと彩香は振り返って気がついた。有名人の祖母が建てた桂木邸は5台の電話機があり、いつもの母はリビングに話が筒抜けの台所横から電話をかけてくる。ところが、今日は後ろの壁から察すると和室にタブレットを持ち込んでいた。彩香は志穂が都合の悪いことを隠していると邪推して笑みを浮かべた。

 

「ねえ、そっちで何かあったんでしょう!」

 

 彩香が調子に乗ってディスプレイへ人差し指を振り、志穂は自分に関係しそうな話を他人事のように面白がる娘にため息をついた。老眼鏡を外した彼女は改まった顔つきで養子縁組の件について話し始めた。

 

「私たちが朋己くんと養子縁組の審理を受けたのは知っているわね」

「エリの試験前に打ち合わせした家裁でやる面接だっけ」

「ええ。朋己くんの心情を尋ねたり、私たちの家庭や経済の状況を調べたりするのよ。何も問題なければ裁判所が審判書を送ってくるから、区役所に養子縁組届と一緒に提出することになるわ」

「じゃあ、あとは役所に養子縁組届を出せば二人は正式にうちの養子になるんだ」

「それがエリちゃんの審判書は届いたけど……」

 

 エリの事だけ言って志穂は口ごもり、ディスプレイの彩香を見ながら沈黙した。母がもったいぶる態度に見えた彩香は固い話に飽き飽きし、後ろに下がってソファーの背に寄り掛かった。

 

「で、朋己のはいつ届くのよ」

「残念だけど、朋己くんは不許可だったの」

「えぇっ」

 

 彩香は朋己が養子になれないと聞いて腰が抜けて床に尻もちをついた。けれど、痛みは気が動転して感じなかった。初めて訪ねてきた時の妹を想う朋己の表情や、兄が養子になりたくないと知って家を飛び出したエリの姿を思い出し、立ち上がってとぼとぼと志穂の前に進んだ。彼らへの思いが胸に込み上げた彩香は兄妹揃って家族に迎えることを諦めきれず、棚の上に両手を乗せて横長の小さい画面を覗き込んだ。

 

「それでどうするつもりなの」

「どうするって、エリちゃんの養子縁組届を区役所に出すしかないわ」

「それじゃ、朋己は…」

「桂木家の籍にエリちゃんだけ入ることになるわね」

 

 志穂が冷静に養子縁組の現状を伝えると、彩香は感情が高ぶって電話機の横をドンと叩いた。

 

「朋己が一人になっちゃうじゃない!!」

 

 腰を90度折り曲げた彩香の顔がディスプレイに迫った。悔しそうな唇を噛む表情と心配で震える声は志穂を驚かせると同時にハッとさせた。母には娘の欠点ばかりが目につく。こういうところが彼には思いやりのある女性に見えるのかと目を細めたが、志穂は和室の壁時計へチラッと目をやると受話器の通話口にコホンと咳払いをした。

 

「落ち着きなさい、彩香。戸籍は別でもエリちゃんと区別したりしないわ。朋己くんは舞島学園の寮生活を続けるけど、これまで通り金銭的に支援するし、困ったらいつでも頼ってきて構わないと言ってあるのよ」

「でもでも、エリになんて言ったらいいのか」

「あら、『嘘も方便』と言うでしょう」

 

 真面目な顔の志穂がディスプレイへ人差し指を向け、体を起こした彩香は涙が溜まる下瞼に指を当ててきょとんとした。常々正直に生きる教えを説く母は「朋己が桂木家の養子になった」と周りに嘘をつく方針を淡々と彩香に話して聞かせた。

 

「朋己くんには本人の事だから話さないといけないわね。エリちゃん以外の人には必要になるまで黙っていましょう。それと、義姉さんは口が堅いから話しておくわ」

「それで、朋己になんて言うの」

「私が伝えてエリちゃんには言わないように説得するから」

「うん。分かった」

「じゃあ、私は午後の授業に行くから切るわね。あ、そうそう。あなたもいい大人なんだし、この件で話す時はくれぐれも彼の気持ちを配慮するのよ」

 

 エリにどんな嘘をつけば良いかは教えなかった。志穂は受話器を肩と耳に挟んでスーツの上着に袖を通し、思案する彩香の表情を目に入れながら通話を切った。

 彩香は手で顎を押さえてソファーに戻り、クッションを横にどけて腰を下ろした。エリにとって朋己が戸籍上だけでも兄でなくなるのは一大事だ。バレないような嘘をつく自信はないが、彼女の悲しむ顔は見たくないと思った。テレビの上にかかる時計を見上げてエリが帰るまでの時間を確認し、なるべく自然なセリフを考えてブツブツとつぶやいた。テーブル上のハンドバックを見つめ、「三人で」、「三人で」と自分の頭に言い聞かせた。

 

 

 それは美雪が鳴沢市で暮らす髪の長い小学五年生の頃。夜11時過ぎ、パジャマを着て二階の廊下に出ると、明かりが漏れる吹き抜けから話し声が聞こえた。一階の広いリビングで両親が長椅子の中央に並んで座り、テーブルに広げたノートPCの画面へ母が指を差した。

 

「選り好みしても仕方ないわ。この活動に決めましょう」

「うーん。なぁ、ボランティアなんてやめないか」

「ダメダメ。こんな大きい家に住んでいるんだから、少しでも社会貢献をしないと」

「母さんが慈善活動してるし、俺たちまでしなくてもいいだろ」

「分かっていないわね。私たちだけ遊んでちゃ、世間体が悪いでしょ」

「別にそんなの気にしなくても…」

 

 母が決めた事に父が渋々従うお馴染みの光景に、腰壁から下を覗いた美雪はすぐ興味なさそうに奥のトイレへ向かった。結局、父は長続きせず母は一人でボランティア活動を続けていく。

 この時は「世間体」という言葉を聞いたことすらなかったが、中学生になると事あるごとに言われるようになり、大学生の美雪が真裕との間に子ができたと言った時に母から二度と聞きたくなくなるほど浴びせられた。彼女は家を飛び出して舞島市で結婚・出産し、母に対する反発心から自分の子にやりたいようにやらせた。そして、黒田家では子どもたちが三者三様に育った――長男の裕太はグラウンドでサッカーの練習に明け暮れ、次男の京太はUFOや宇宙人を探すため鳴沢市に足しげく通った。彼ら兄弟が活発に行動する一方、人付き合いを避けて部屋でゲームをして引き籠る末娘のみちほは不安の種だった。

 家の外でキキーッと勢いよい自転車のブレーキ音が響き、美雪は台所を出てお彼岸行事の連絡に来た町内の人だろうと足早に廊下を歩いた。だが、玄関にはジャージを着たエリが立っていた。

 

「こ、こんにちは。今日は電気自転車を返しに来ました」

「あら、返しに来なくてもいいのよ。もう何年も使ってないんだから」

「いいえ。それでは真裕義兄さんに悪いですし」

 

 エリは体を後ろにひねって戸を閉め、土間の端にある車いすへ目をやった。本当は学校をサボったみちほと一緒に制服の採寸に行くために来た。早く来過ぎてエプロン姿の美雪と鉢合わせし、その場で借りていた自転車を返すことを思いついた。勘の鋭そうな美雪に嘘がバレていないか不安でエリは身を縮めた。

 以前に電話で話した少女は礼儀正しくハキハキした印象だった。美雪は何かを気にする様子を見抜き、脇のラックへ手を伸ばしてスリッパを取った。

 

「さあ、上がってちょうだい」

「は?」

「エリちゃんはみちほとメッセージアプリで連絡を取り合ってるの」

「はい、スマホで」

「忙しいとこ悪いわね。あんな子のために来てもらって」

 

 スリッパの置かれた足元からキリッとした目が顔を覗き込み、エリはみちほの仮病で疑われていると感じて息を呑んだ。美雪を怒らせると怖いというイメージはエリにも浸透していた。「あははは…」と笑って誤魔化し、スニーカーを脱いで框のスリッパにつま先を入れた。

 エリはビクビクして美雪の後ろをついていった。10cm高い彩香より彼女はさらに背が10cm高く、背筋をピンと伸ばしてロングスカートの裾を揺らして廊下を歩いた。

 

「実は一ヶ月前に初めてが来たばかりでね」

「初めて?……あ、女子のですか」

「ええ、今回も不安で学校は行きたくないんだわ。あの子友達が一人もいないから」

「そうなんですか」

「それで、いつにも増して今日は朝から死にそうなオーラ全開なの」

「はぁ。いつも大変ですね」

 

 話を聞いてエリは美雪が怒っていないと分かってホッとしつつ、我がままなみちほが日頃から手を焼かせていることに気づいた。これを利用すればみちほと二人きりになれると考えたエリが急に駆け出した。廊下の角と美雪の間を体を横にして擦り抜け、台所の前で驚いて立ち止まった彼女へ手の指を広げて胸をバンッと叩いた。

 

「みっちゃんの面倒は任せて下さい!」

「えっ。いいのよ、いつものことだから。これから制服の採寸に行くんでしょ」

「大丈夫です。美雪姉さん、午後はパートでお仕事ですよね」

「まあね。でも机の上にお昼を置いといても食べないし、多分夕方まで寝てると思うわ」

 

 学校を休んだみちほは昼食に一切手を付けず、毎度パートから帰ってきた美雪にため息をつかせた。登校拒否が終わってずいぶんと肩が軽くなり、彼女はその立役者であるエリに迷惑を掛けっ放しでは申し訳ない気分だった。

 美雪がやんわりと申し出を断ると、帰る羽目になると焦ったエリは目をキョロキョロさせて口任せに話をした。

 

「わ、わたし、施設で年下の子たちの面倒を見てました。本当の弟や妹のように一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり。だから、みっちゃんも妹としか思えなくて。4月からは同じ学校に通うことになるし、これから何でも頼って欲しいんです」

「それじゃ、エリちゃん……」

 

 エリの面倒見がいいお姉さんアピールに美雪は深く考えさせられた。それまで、母・志穂が世間体を良く見せる目的で両親がいない朋己たち兄妹を引き取ったと思い込んでいた。「みちほのために…」と一瞬思ったものの、すぐに首を横に振った。身内の面倒を見させるために福祉施設の孤児を養子にする方が世間体は悪いはずだから。母の真意はつかめないけれども、養女となった年上のエリにみちほが見守られることは有り難かった。

 美雪は照れくさそうに手の甲をさするエリに腰を屈め、優しく微笑んで両肩に手を掛けた。

 

「ありがとう。エリちゃんがそう言ってくれて助かるわ」

「あ、でもその、まだ何もしてないので」

「じゃあ今からお粥を作るから、みちほに食べさせてもらえるかしら」

「はい、分かりました!!」

 

 エリは命令を受けた警察官のようにビシッと敬礼し、美雪が台所に入るのを見届けた。腕を下ろすとすたすたと廊下の奥へ歩き、みちほの部屋の前で台所の方へ顔を向けた。首をひねったエリがあんなクサイ芝居で本当に信じたのか不思議そうに部屋の戸を引いた。

 調理台の前に立った美雪はトレーナーを腕まくりした。出してあったタッパーを開けて片手鍋に残りご飯をバーッと入れ、たっぷりの水に浸った鍋をコンロの火にかけ、沈んだ米の塊を菜箸でほぐしながら鼻歌を歌った。これからはエリが社会性の欠如したみちほを姉代わりとしてサポートしてくれる。不安が払拭した彼女の心には桂木家の末妹に感謝するとともに、志穂へのわだかまりを融解させる気持ちが芽生えていた。

 

 

 みちほの部屋は西に青空が覗く高窓と北の窓に閉まる真っ白な障子が落ち着いた明るさをもたらした。奥の小上がりにすっぽりと人がかぶる掛け布団が見え、戸を閉めたエリはわざとスリッパの足音を立てて近づいた。

 

「ほら、起きてちょうだい。制服の採寸に行くんでしょ」

「だけど、まだ母さんが家に居るんだろ」

「美雪さんはお粥を作ってるわ。後で取りに行くことになってるから大丈夫よ」

「あー。そういうことか」

 

 部屋の奥から手前へ体がゴロンと回転した。片手を付いて横になった体を起こし、身にまとった掛け布団が後ろに落ち、みちほは寝巻き兼部屋着の緑色のジャージ姿で現れた。仮病を演じる彼女は母が来ないと分かって安心してあぐらをかき、ジャージの中に手を入れてTシャツの上から脇腹をボリボリと掻いた。

 

「で、卒業式はどうだったのさ」

「そうそう、彩香さんが髪を後ろで結ばないで来たの。よく分からないけど、母親っぽく見えるとか言ってたわ」

「まあ、叔母さんは30歳だからな」

「いいえ。30と1歳よ」

「どっちでもおんなじだよ。15歳の子を持つ母役なら少しでも上に見えないと世間体が悪いし」

「そっか、それで普段使わない黒のバッグを持ってたんだ」

「黒いハンドバッグか。そりゃ、エリ姉と写真撮ったら親子に見えるな」

「帰る前にスマホで撮ったわ。校門のところに夏也くんが居て撮ってもらったのよ」

「あはははは……」

 

 頭の後ろに手を組んだみちほは掛け布団にもたれ、卒業式の話に付き合う無責任な笑いがフェードアウトしていった。

 舞島海浜公園でキスをした後、夏也にとって好きな女子の一人だと知って怒ったものの嫌いになれなかった。彼からスマホに届くメッセージには愛想のないひねくれたメッセージを返し、あれから夏也とは一度も会っていない。もう他の女子に乗り換えたのだろうかと考え、みちほがボーっと白い天井を眺めた。

 

「なあ、先輩は何人くらいの女子に囲まれてたんだ」

「ん、夏也くんのこと?」

 

 エリはとぼけながらも、ようやく夏也の話題に触れたとポケットに片手を突っ込んだ。メルクリウスから駆け魂回収道具をもらうまではみちほと夏也の仲を良好に保つ必要があった。人差し指を頬に当てて思い出すふりをした。

 

「えーっと、たしか女子生徒は一人も居なかったわね」

「二年生女子に人気って聞いたけど」

「きっと野球部のみんなで集まってたんだわ」

「それ、ほんとか。野球部なら女子マネージャーの早矢がいるはずだぞ」

 

 みちほの向ける夏也の浮気疑惑を完全に無視し、エリは学習用タブレットに使うタッチペンを差し出した。

 

「ハイ、これ夏也くんからよ」

「これって例の…」

「うん。『ほんとは二人きりで会って手渡したいけど』って言ってたわ」

 

 好きな人に使い込んだペンを渡すと結ばれると言われ、卒業式で渡すことが中学校で恒例となっていた。教室を出て夏也を探すとすでに昇降口で周りに女子が群がり、彼が満更でもない表情を見せる。マズイと思ったエリはすぐスマホで校門に呼び出した。本当は「みちほが欲しがっている」と言ってもらったが、彼女を喜ばせるために堂々と嘘をついた。

 

「嬉しい?」

 

 エリが腰を曲げてニコニコして顔を近づけると、手に取ったみちほがペンを見つめて不敵に笑った。

 

「フフッ、これで先輩はわたしの物か。中学校じゃ醜い女子共が言い寄ってるらしいけど、うちの学園でそんなことをやる奴には罰が必要だな。校内で悪い噂を広めてやろうか、いや、SNS晒し首がいいか。何しろこっちにはエリ姉という悪魔がいるんだ。二度と先輩に色目を使えないようにキツイお仕置きしてやるわ。フハハハ――」

「へっ、お仕置き!?」

 

 みちほは喜ぶどころか夏也に対する独占欲を剥き出しにして高笑いした。背筋がぞっとしたエリは体を後ろへ引き、学習机に置かれたコップの水と薬が目に入った。

 

「あ、いっけなーい。台所にお粥を取りに行かなくっちゃ」

 

 異様なオーラを放つみちほにくるりと背を向け、彼女から逃げるように廊下に出た。だが、エリは部屋の戸をピシャリと閉めてほくそ笑んだ。彼女の態度は夏也の周りを囲む女子への嫉妬の表れだと。これ以上彼らの仲を心配することは杞憂と判断し、美雪を喜ばせるためにパタパタと台所へ向かった。

 みちほはまんまとエリを部屋から追っ払い、閉じた戸へ向かって舌を出した。もう作戦の都合で夏也と仲良くさせられても嬉しくなかった。彼は自分からくれる性格でないと考え、無造作に敷き布団の上にペンを転がした。

 

「ベーだ。先輩はそんな気の利いたセリフ言わないもん。そうだ、今日は卒業式のこと書いてくるだろうから『二年生女子とお別れで寂しいですね』でいいや」

 

 布団に埋もれるスマホを手を入れて探し出し、夏也に返す嫌みな文を入力して意地の悪い笑みを浮かべた。しかし、顔を上げたみちほは諦め半分にため息をついた。

 

「先輩にはパラダイスだなぁ。うちの学園って女子の方が断然多いから」

 

 エリに見せた演技は大げさとしても、自分一人の彼氏にしたい欲はあった。移り気な夏也と中学より誘惑の多い舞島学園。暗い顔をして彼が学園内で他の女子と仲良くするシチュエーションに考えを張り巡らせた。親密にならないことを祈るしかないのかと思い、頭を掻いてスマホ画面に目を落とした。

 みちほは何気なくアプリのタブを切り替え、カレンダーの日付に並ぶ印に気がついた。連絡先を交換した日から毎日メッセージが送られてくる。返信後に忘れるようにしていた夏也とのやりとりを一つ一つ思い出して読み返した。

 

2/11(土)

かなり膝から血が出てたけど怪我の方は大丈夫かい

                             まあ -

まだ怒ってるの

    いいえ。他の女子には告白しないと約束してくれましたから -

約束?

           海浜公園で謝りながら言ってませんでしたか -

よく覚えてないから明日会って話そうよ

                  結構です。わたし忙しいので -

ははは、おやすみ

 

2/12(日)

今日は風が吹いて寒かったね。でも月曜は温かくなるってさ

         わたしの心は昨日から冷たい風が吹き荒れてます -

その風で怒りの炎が吹き消えたりしないかな

      二年生女子のことは頭の中から消えたりしないんですか -

ははは、おやすみ

 

2/13(月)

今週はみっちゃんに会いたいなあ

            あいにく中間テストが始まるから無理です -

残念。しばらくは君の顔を想像して我慢するよ

       どうせ他の女子の顔と間違えても分からないんでしょ -

ははは、おやすみ

 

…………

 

 今にして思えば最初は不信感でいっぱいだった。みちほは海浜公園で平謝りした夏也が態度を一変してすっとぼけたと思い込み、浮気すると決めつけて彼を責め続けた。冷静にメッセージを読み返すと、自分に対する熱心な想いがひしひしと伝わった。

 みちほは胸の高鳴りを鎮めるように敷き布団へダイブし、うつ伏せで寝そべって枕に顔をうずめた。

 

「ほ、本当にわたしのモノなんかな。今のところ、先輩は……」

 

 想像するだけで顔から火が出る相思相愛状態だが、このままネチネチしたメッセージを送っていると陰険さに嫌気が差すに違いないと思った。横を向いて胸先にスマホを持ち、いそいそと用意した文の変更に指を擦らせた。「中学卒業おめでとうございます」と書いて手が止まった。俄然、高等部に通う夏也との学園生活に楽しみが湧いてきた。エリがくれた畳に落ちたペンを横目に、頬を赤らめたみちほは彼からのメッセージを待ち遠しそうに足をもぞもぞと動かした。

 




―― 次章予告 ――

ついに、舞島学園に入学。エリは朋己が所属する天文部に入部できず、部室に不法侵入して魔法を使う。だが、その場面を女子生徒がスマホで撮影し、隣の部室へ連れていかれて… ⇒FLAG+22へ
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