ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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叔母と伯母の狭間

 リビングは入り口側の壁際に低めの棚が置かれ、雑誌が並んで電話台を兼ねる。ちはるは受話器を取って家庭電話機のディスプレイを眺めた。数回で呼出音が途切れ、そばかすが顔にうっすらとした女性が映し出された。「今日は何?」といった反応を見ていきなり要件から入った。

 

「もしもし、姉さんに替わってくれる」

「ええ、分かったわ」

 

 挨拶なしで通じる女性が消えて居間の薄白い天井が映り、受話器の向こうで彼女が移動しながら義母を呼んだ。背後でわめく子どもの声が聞こえ、棚の上を指先でトントン叩いて姉が出てくるのを待った。

 通話相手の端末が切り替わるメッセージが出た。何かの棒をくわえた女性のショートヘアが映ったかと思うと真っ暗になり、揺れる銀色の筋が電灯に照らされてディスプレイの上部に現れた。

 

「もしもし…」

 

 低い声の主は相手を確かめるため、スマホ画面を前に持ってきた。ちはるは姉の顔がアップになるや否や映像のスイッチを切った。耳元へ漫才番組が囃子を奏でる中、彼女は咳払いをして静かに会話を始めた。

 

「もしもし、ちはるです」

「で、何なのさ。私忙しいのよ」

 

 ちはるはその無愛想な顔を見なくても脳裏に描けた。お笑いコンビの調子の良い喋り声が遠くに聞こえ、隣で義兄がお構いなしに笑う。普段は鋭い目つきで物事を見通す彼女も、この姉の前に出ると眉間にシワを寄せた普通の女性となった。

 

「再来週の日曜日、彩香は握手会に行けないから」

「はぁ。仕事よ、仕事」

「警備なんてアルバイト雇えばいいでしょ」

「そーじゃないわ。彩香も他に仕事が色々とあんだしさ」

「ただの契約社員でしょ。土日に呼び出して、こき使うんじゃないわよ」

「だから、ちゃんと代休あげてるけど」

 

 ちはるの要求は取り留めなく、姉からの適切な答えに交渉にもならない。そこに彩香を諭す時の冷静さはない。側のシングルソファーで張本人も聞き耳を立て、肘掛けに寄り掛かった。

 

「姉さんとこの仕事が彩香を太らせたんだわ」

 

 電話口での突然の言い出しに、彩香が思わず腕を滑らした。ムッとした姉は反撃に転じた。

 

「何言ってんの。あんたが肉ばっかり食わせてたからでしょ」

「いいえ、それはとっくの昔だわ」

 

 もちろん、妹は突っぱねる。興奮した彼女の口からは有ること無いこと。だんだん本来の目的を離れ、ただの言い争いになっていった。

 

「彩香にボーナス払いなさい、このケチ」

「へいへい、どうとでもお言い」

「どうせ保険と年金の経費を誤魔化してんでしょ」

「ま、失礼ね。健康診断は毎年事務所の指定病院で受けさせてるわよ」

「あら、姉さんが行ってる病院ってシワ伸ばし専門じゃないの」

「ぬぁにー、言ったわね。あんたこそ全然似合わない金髪に染めてるくせにさ」

「そっちのメッシュの方がどーかしてるわ。還暦過ぎたばーさんが――」

 

 ちはるが受話器を棚の上にドンっと立てて声を張り上げた。立ち上がった彩香は止めようとしてソファーの脚に引っ掛かって前方へ倒れた。勢い良く棚と彼女の間に飛び込み、彼女の体をテレビ台の横へと押しやった。

 彩香はたまたま掴んだ受話器にビックリ。恐る恐る耳に当て、伯母にどうやって取り繕おうか考えあぐねた。その向こうで投げられたスマホを拾った少年が面白そうに使い出した。

 

「ハロー、ちはるさん。俺の声聞こえてるー」

「あぁ、良かった。裕太くん、そこに姉さん居る?」

「え、おれ長男だよ」

「……。じゃあ、電話切るから」

 

 甥とは会話が噛み合わず口げんかの仲裁を諦め、受話器を置いて振り返った。ちはるは反対を向いて片手で後ろ髪を掻き上げ、「悪かったわ」と声を落ち着かせた。元の彼女に戻ったと彩香は胸を撫で下ろした。すると、彼女が後ろへ首をひねった。

 

「肉ばっかり買ってきて…」

 

 ちはるが残念そうな表情をし、彩香は開いた口が塞がらなかった。いざこざに疲れてリビングからキッチンの方へのそのそと離れた。

 

 

カラ、ララーン

 

 氷を落とした二つのコップにお茶を注ぎ、両手に持った彩香はリビングへ戻った。隅の棚に飾った写真では曾祖母と中学生の自分の間に自信ありげなちはるが立ち、背を屈めて二人の肩に手をまわす。桂木家に来た頃からずっと彩香にとって頼りになる大人の女性。上着に袖を通したちはるはソファーに座って天気予報を前に考え事をした。彩香が傍らにコップを近づけると、彼女はそれに気づいて「ありがとう」と受け取った。

 

「ごめんなさい。姉さんとはいつもああなっちゃう」

「きっと社長も事務所が忙しくてストレスが溜まってるんですよ」

「そうかしら、家でビールを飲むと全部忘れるんじゃない」

「まだ怒ってるんですか。麻里ばあちゃんの見舞いやお葬式に来なかったとか」

「そんなことないわ。昔から……」

 

 聞かせたくない過去を思い起こし、ちはるはコップに口をつけた。鳴沢で生まれた彼女は母が仕事で忙しく構ってもらった記憶があまりない。家には年の離れた兄がいて妻である彩香の母が幼い彼女の相手をし、彩香たち姉妹が生まれて一緒に育てられた。中学生で舞島に来て『峠の雪女』と呼ばれた祖母から直接バイクの手ほどきを受けた。近くに嫁いでいた姉は義母と折り合いが悪く、たびたび桂木家を訪ねてきて鬱憤を晴らすように彼女にも悪態をついた。胸に燻ぶる小さな反発心は母親と瓜二つの姉へ向かった。

 隣に座った彩香がローテーブルのリモコンに手を伸ばし、ちはるは優しい顔を向けた。

 

「明日は来られなくなったから、帰ったら戸締りはちゃんとしてね」

 

 冷たいお茶をゆっくり飲み干し、立ち上がって入り口へ歩き出した。リビングの戸を引くと廊下に流れる空気の生ぬるさを感じ取れた。すっかり冷静になった彼女は見合いの件を思い出し、テレビ番組に噴き出す彩香へ振り返った。

 

「志穂さんが来る前に返事しときなさいよ」

 

 ちはるは部屋の戸をピタッと閉めた。また余計なことをしてしまったと頭を掻き、ぶつぶつと反省を口にして玄関を出ていった。リビングでは彩香がリモコンをローテーブルへ放り投げ、スマホを横目にソファーに足を伸ばして転がった。父からのメールを開こうかやめとこうか逡巡しながら天井を眺めた。

 路地からEVの疑似エンジン音が遠ざかり、ひっそりと静まるリビングで等間隔にいびきが音を立てた。叔母によって高めに設定された冷房温度は彩香が出して寝ている腹に心地よい。妹たちの想いが起こした行動は交錯し、住宅街に騒がしい声を響かせて夏が始まるのであった。

 




―― 次章予告 ――

夏休みが始まった頃、桂木家にセーラー服の中学生が訪ねてきた。ちはるは少女に懐かしい面影を感じ、困惑する彩香に決断を迫る。彼女は迷った。カフェで肘をついて物思いに… ⇒FLAG+03へ
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