エリが大慌てで南校舎西側の折り返し階段を一階に下りた。廊下を走りながら窓の外に見えた黒いスーツの女性へ手を振り、気づいた副校長・二階堂は警戒した表情で中庭から南校舎の間へ足を向けた。自身も悪魔である彼女は古悪魔(ヴァイス)の侵入に備えてエリを補欠合格させ、加えて舞島学園内の駆け魂狩りを頼んだ。入学早々に駆け魂を見つけたのかと思い、通用口を出たエリへ手招きして中程まで歩いた。
東西に分かれる南校舎は二階部分が渡り廊下で繋がり、三階はその平らな屋根の上を通って行き来でき、一階はその下を連絡通路として利用された。西側の壁は正午を回って日陰が覆った。エリがかくかくしかじかと事情を話し、二階堂は意外な顔をして壁を背に腕を抱えた。
「体育系では男子部や女子部というのを聞くが、文化系の部では初耳だな」
「『初耳だな』じゃないですよ!!」
他人事な態度にエリは頬を膨らませて両手にこぶしを握った。怒る原因は10分前の事――三階の廊下を天文部へ向かうと男子が部室から出て戸を閉め、横のパネルを指でつついて入り口をロックした。早速、エリが天文部への入部の意志を伝えた。だが三年生の彼は「女子は入部できない」と言い、理由を問われて『男子部』で登録されているからと話した。
入りたての新入生から文句を言われ、苦笑した二階堂は学園管理タブレットに指を擦らせた。
「ふむ。天文部は100年以上も前からあるのか」
「ひゃっ、100年!?」
「おそらく、男子部で登録したのはデータ入力時のミスだろう」
二階堂がクラブ情報の画面を差し出し、エリは目を丸くして創設年欄を覗き込んだ。男女区別欄は「男子」で、人数欄は「14名(中等部6名、高等部8名)」と表示され、天文部の詳しい情報を見ようと手を伸ばす。さっと、タブレットが持ち上げられて裏返った。
「悪いが個人情報は見せられんのでな」
「見ようなんて…。そうだ、その画面で変えられないんですか」
空いた手で首筋をさすったエリはひらめいてタブレットへ指差した。二階堂は腕を下ろしてタブレットの画面へ目を向け、考え込む様子で顎を手で押さえた。
「……部室の固定端末ならば可能か」
「え、副校長のタブレットは無理なんですか」
「ああ、これは表示しかできん。学園のクラブ活動は生徒会が運営し、各部は生徒が中心となって部員や備品を管理する。クラブ情報も部室の専用プログラムで管理しているはずだ」
「じゃあ、天文部のデータは変えられるんですね」
「ま、男女区別データを変更できるかは分からんがな」
責任が持てないといった風に二階堂は肩をすくめたが、エリは部室のデータを変更する固定端末を知ってニンマリした。たとえプログラム画面で変更できなくとも、天文部の男女区別データを変更できると目論んだ。М42の魔法で電子機器を操れば、部室入り口の電子ロックも固定端末へのログインもお茶の子さいさいだ。
エリは口元に指を当てて少し考えて思い出し、リュックの紐を握ってペコリと頭を下げた。
「二階堂先生、ありがとうございました」
「ん、もういいのか」
「はい。それじゃ、失礼します」
元気良く挨拶してエリが喜び勇んで横にある通用口に消えた。二階堂は長い白髪を手ですいてグラウンドの方へ向かい、久しく聞いてなかった呼び名に表情を崩した。
「ふふ、二階堂先生か…」
南校舎の間を抜けて東側の角を曲がって校舎沿いに歩き、調理場を通り過ぎて食堂の窓から中の光景に目を留めた。スポーツバッグを肩に提げて車いすを押す生徒。舞島学園では生徒同士が互いに協力し合い、恵まれた環境の下でのびのびと成長していく。「キーンコーン」とチャイムが鳴って午前の授業が終わった。外に出た生徒たちの楽しそうな声が響き、食堂のテーブルは続々と席が埋まった。副校長の顔に戻った彼女は学園内の見回りを再開した。
天文部部室は右奥の隅に白い事務机が置かれ、近づいて二階堂が言った固定端末を探した。天板を上げるとノートPCのようにディスプレイとキーボードが現れた。クラブ情報管理のプログラムに男子部を変更する機能はなく、エリは魔力を込めて「男女部に変えろ」と念じてМ42を画面へ向けた。魔法は人間に見えない光を放ち、クラブ情報の男女区別欄は『男女』に変わった。
これでお兄ちゃんと同じ天文部に入部できるわ――と笑みを浮かべたエリはМ42をブレザーのポケットに仕舞った。事務机の天板を下ろし、足音を立てずに部室を横切って入り口に着いた。
「あれ、ちょっと空いてる」
入り口の戸は10cmほど開いており、閉め忘れたのかと思いながら少し引いて顔を出した。
「うわっ……な、何をしてるんです」
「それは見ての通り撮影よ」
スマホのレンズを向けた女子が居て驚いた。彼女は半袖ブラウスの上に白いスクールベストを着て襟に夏服の赤いリボンという季節感のない恰好。エリは左右へ首を振って他に人が居ないか確かめ、素早く廊下に出て戸を閉めて何事もない顔をして振り返った。
「あの、何の撮影でしょうか」
「男子部の天文部部室に不法侵入する女子生徒のよ」
「違います。戸が空いてたので誰かいると思って入りました」
「とぼけても無駄よ。証拠があるんだから」
「いえ、とぼけてなんか…」
「さ、私に付き合ってもらうわ」
あくまでも白を切るエリに彼女は強気な態度をとり、背中を見せて廊下を歩いていった。エリは瞬時にポケットのМ42を取り出した。天文部入り口横のパネルと天井の防犯カメラへ向けて魔法をかけ、それらのログや映像からエリが部室に出入りした痕跡を消した。スマホ映像は後で消去が可能だと判断してとことこと跡を追った。
彼女は隣の部室入り口前でスマホを触って立ち止まっていた。短めのスカートは太腿まで見え、肩甲骨の下まである髪はハーフアップにしてふんわりと巻かれる。校則には指定制服の着用以外に細かい決まりがないものの、エリの目から見て自由過ぎるように思えた。覗こうとすると意味ありげに笑い、戸を開けて部室の中に入った。天板の色が緑で正方形をした机へ行き、彼女がへりに尻を掛けて天板の縁に両手をついた。
「私は三年でここの部長、鶴羽紅莉栖よ」
「ここって何部ですか」
エリは部室に入ってあちこちを見回し、紅莉栖は注意を引くために机の上を軽く叩いた。
「この雀卓を見れば麻雀部と分かるでしょ」
「ふーん。麻雀って大人がやるギャンブルのやつですか」
「それは違うわ。健全なゲームよ」
「あ、ゲームですか」
「そうよ。やったことないの」
「はい、一回もないです」
紅莉栖は返された言葉にふんふんと頷き、ブレザーの全てのボタンを留めるエリを見て新入生と確信した。麻雀部に初めて来る生徒は大抵初心者だが、とりわけ何も知らない女子に見えた。つかつかと歩いてエリの前に立ち、片手を腰に当てて偉そうに指差した。
「それじゃ、やり方を教えてあげるわ。まず、気の合うメンバーを集めることが重要よ。四人で卓を囲んで喋りながらするの。自分の番が来たら牌山から牌を取り、その牌と前に並べた13枚の牌で役ができるか考える。役ができれば上がりで、そうでなけば1枚牌を捨てて順番を待つ間に雑談をする。これを繰り返して勝ったり負けたりを楽しむのが麻雀よ」
「うーん」
「え、分からないかな」
麻雀の説明にエリが難しそうに首をひねり、思った以上だと頭を掻いた。紅莉栖は一から説明するには昼休みの時間が足りないと考えて質問を受け付けた。
「麻雀で分からないことは何でも聞いてちょうだい」
「じゃあ、多額の借金を作るためにどれだけ負ければいいんですか」
「は、何の話してるの」
「昼ドラで離婚する原因が麻雀の借金なんですけど、どうやって作ったのか気になって」
「…ったく、最近の中学生はどういうドラマを見てんだか」
紅莉栖は麻雀のネガティブイメージにあきれ顔を見せた。教える気が失せた彼女がブツブツと不満を垂れて隅へ向かった。エリは弱みを握られて何を言われるか戦々恐々だったが、大したことがなく胸を撫で下ろした。
厚みのある雀卓は太い一本脚で支えられ、天板中央にミニディスプレイがはめ込まれた。カフェのテーブル席とは違って四方をオフィスチェアが囲み、物珍しさに近寄ったエリは座面のクッションに腰掛け、肘掛けがない両端に手を置いて左右へ回した。雀卓上の細長い切れ目に指を這わせていると、紅莉栖からフレンドリーに尋ねられた。
「ねえ、名前と名字を聞いていいかなぁ。私も教えたんだし」
「桂木エリです」
「じゃ、学生番号は?」
「C111090…って何でですか」
氏名と学生番号の組み合わせを不審に思ったエリが部室隅へ向いた。天文部でも見た白い事務机のディスプレイにクラブ情報管理の画面が表示され、紅莉栖はタッチパッドに指を擦らせてトンと叩いた。
「オーケー、これで仮入部は完了よ」
「へぇっ」
エリは素っ頓狂な声を上げた。仮入部に必要な個人情報は学園データベースから学生番号をキーとして抽出され、アクセスするために本人が発した氏名の音声が使われた。迂闊にも両方を答えて仮入部させられてしまった。
事務机の天板を下ろした紅莉栖が鼻歌を歌って雀卓に戻ってきた。立ち上がったエリは当惑した顔を向けて手のひらを横へ振った。
「困ります。わたし、入りたい部があるんです」
「それで天文部にいたんだ」
紅莉栖は側の椅子に逆向きに跨がって背に両腕を乗せ、楽しそうな顔でエリを見上げた。
「で、彼氏がいるの。それとも憧れの先輩かしら」
「その、兄……」
「でも残念ねー。男子部じゃなきゃ、天文部で一緒になれたのに」
「いや、そっちの件はもう…」
「分かるわ。彼と部室でイチャイチャしたかったんでしょ」
「そ、そうじゃなくて」
「フフフ、本当のこと言っちゃいなさいよ」
勝手に想像した恋バナで盛り上がり、前髪が切り揃えられた下に笑みをこぼした。エリは仮入部前と打って変わって速い紅莉栖の喋るテンポに気圧されて朋己のことを言えなかった。話の止まらない彼女が名案をひらめいたように人差し指を向けた。
「そうだわ、ここで楽しく麻雀しながら彼が来るのを待てばいいじゃない。彼が来たら隣の部室へ入っていって『間違えちゃった、てへ』って言うのはどう?」
「さあ、『どう』と言われましても」
仮入部員にノリノリで話す紅莉栖を前にし、説得を諦めたエリはすとんとオフィスチェアに腰を下ろした。冷静に考えると仮入部は二週間限定で兼部が可能なため問題なく、仮入部させて満足げな彼女が不法侵入のことを言い出す気配は見られない。すでに天文部の男女区別データは変更し、もう一度入部を申し込む準備はできた。エリの本心は昼休みの残り時間に朋己と会って少しでも話をしたかった。