ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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先輩との付き合い方

 エリが三階の麻雀部部室に連れていかれた頃、みちほと夏也は同じ建物内の一階にいた。屋上へ向かう途中、二人は食堂で話題にしたオムボナーラパンを買いに立ち寄った。東西に分かれる南校舎は東側一階に食堂があり、西側一階が購買部となっていた。飲み物、おにぎり、パン、栄養食品などの自動販売機がずらりと並び、昼時は買い求める生徒たちで所狭しと賑わった。

 車いすに座るみちほは弁当箱が入るポーチの紐をほどいたり、結んだりして廊下で待った。彼とは毎日スマホでメッセージを交換したものの、直接会って話す時間は格別であっと言う間に楽しい昼食を終えた。それと逆に、一緒にいない数分がずいぶんと長く感じられた。

 生徒の密集を抜けた夏也が車いすの前に戻り、柱の側に置いたスポーツバッグを持ち上げた。

 

「ふぅー、上級生たちに押されて大変だった」

「どこ行ってたんですか、先輩」

「何か言った?」

「人が並んでない方へ行きましたよね」

「じゃあ、これ持ってて」

「はい…」

 

 みちほはポーチと『チョコツイスト 三本入り』の袋を両手に抱えた。わいわいがやがやして声が聞こえないのか、夏也は買ったパンを預けて彼女の疑問をスルーした。彼は行く時にオムボナーラパンの行列へ向かったが、別の自販機方向から戻ってきた。その怪しい行動の原因は彼に話しかけた上級生の女子にあると思った。

 車いすは夏也に押されて廊下の奥へと進み、自販機のエリアから離れて学用品の売り場前を通った。さっきの女子が気になるみちほがそーっと後ろへ体をひねった。

 

「話してた二人組の女子は高等部の上級生ですか」

「たぶんね。それが…フフッ」

 

 夏也が女子との会話を思い出して笑い、みちほは詰まらなそうに顔を背けて口をすぼめた。

 

「で、何を話してたんですかー」

「それがさ、あの人たちに『車いすの子は彼女?』って聞かれたんだ」

「えっ」

「やっぱ、カップルに見えるのかなぁ」

「そ、そうですか……」

 

 戸惑いの表情を浮かべたみちほ。恋人同士に見られること自体は嬉しいけれど、そういう風な関係であると中等部で噂が広まるのは勘弁して欲しかった。高等部の先輩と付き合う女子とにわかに注目され、友達がいない彼女は教室の中で居心地が悪くなると思った。

 

「それで何て答えたんです」

「うーん、ほんとは『恋人です』と言いたかったけど」

「言ってないですよね」

「ははは、つい笑って誤魔化しちゃった」

 

 夏也はエレベーター前で車いすを扉に向けて停め、頭を掻きながら前にまわって上矢印ボタンを押した。みちほは彼が思いとどまったと聞いて「ふー」と息を吐いた。しかし、今度また聞かれた時に恋人宣言されないようにと考え、エレベーターの階数表示を見上げる夏也のブレザー袖を弱く引っ張った。

 

「あ、あの、友達の代わりに面倒を見てるってことにしてくれませんか」

「えっ。どういうことかな」

 

 不思議そうに夏也が振り返って彼女の顔を覗き込み、みちほは彼と目を合わせずに伏し目がちにボソボソと喋った。

 

「それはその、学園内で変な噂が立つと困るから」

「変な噂?」

「高等部の先輩とデキてるみたいな…」

「全然へーきだよ」

「わ、わたしが困ります!!」

 

 鈍感な夏也の言葉にみちほは頭にきて顔を上げるが、エレベーターの到着音がして彼は扉の開く方へ首を振り、気にせず車いすの後ろに戻ってかごの中央に押し進めた。説き伏せるにはタイミングが悪く、顔の向きは車いす共々回転させられて彼と話す方向でなくなった。

 二人の会話は途切れてエレベーターが上昇した。操作盤の前で夏也が頭の後ろに手を組んで液晶画面へ向き、みちほは彼の背中を眺めてぽりぽりと頬を掻いた。彼はエリと同じく知らない人に平気で話しかけられる陽キャであり、彼女の感性とは相当ギャップがあった。乙女ゲームの男子のように都合よく心境を察してくれるわけもなく、夏也の首を縦に振らせる手立てはないものかと考えを張り巡らせた。

 みちほがアームレストにもたれているとブレザーのポケットでスマホが振動した。相手はエリしかいない。はたと夏也を納得させる解決策を思い当たり、体を起こしてパチンと指を鳴らした。

 

「そうだ。エリ姉を踏み台にすればいいのか」

 

 年下の自分は夏也にとって何かと言いくるめやすいが、エリの意見は彼も簡単に無視できないと気づいた。ポケットに手を入れてスマホ画面を傾けて目をやり、「今どこ?」のメッセージを見て返事は屋上に着いてからにして話を練った。

 舞島学園の校舎は全ての屋上が緑化され、白いコンクリートの所々で植栽ユニットに生える1、2メートルの木を背もたれのないベンチが四角く囲み、フェンス際は様々な種類の草花植物が足元を覆った。中等部の校舎に近い南校舎西側は昼休みに生徒の姿がなく、屋上に出た夏也は車いすをすいすいと奥へ押して進んだ。

 入り口に最も遠いベンチの角に車いすを停め、誰もいない屋上で二人は正面から日が当たる木の南側に腰掛けた。夏也が体の横に置く手まで距離が30cmほど空いた。みちほはもう少し近づきたいと思う気持ちを抑え、スラックスの膝に手を置いて泰然として話を切り出した。

 

「夏也先輩、他人の幸せを目の敵にする人についてどう思います」

「え、いきなり何の話?」

「テレビドラマだとカップルを妬んで嫌がらせする先輩いるじゃないですか。エリ姉が言うには、リアルでも学校は愛憎と嫉妬が渦巻いて人間関係がドロドロして見所が…じゃなくて危険がいっぱいとか。だから、付き合ってる人の話はなるべく周囲にしない方がいいって」

「ふーん。意外とエリさんって心配性なんだね」

 

 夏也は真面目に考える顔を向けた。みちほはエリから受け売りされた昼ドラの話を適当にアレンジし、さも彼女が二人の関係を学園内で隠すことを勧めたかのように話した。

 

「エリ姉は昔からそうなんです。小学生の頃は帰りが危ないからと毎日家まで送ってくれて、中学生の不良が道を塞いでいたら追っ払ってくれたりしたんですよ」

「へー、不良に立ち向かうなんて勇気あるなぁ」

「その時は『みちほに手を出したら許さないわよー』と大声で叫んでました」

「ははは、昔から威勢がいいんだ。それじゃあ、学園にいる時は彼女に世話を頼まれたってことにしとこうか。僕がエリさんの代わりだけど、それでいいかい」

「ええ。そうしましょう」

 

 さらに作り話を加えると夏也は恋人関係の秘匿に納得し、心配事が片付いてみちほは微笑んで彼と目を合わせた。学園内では恋人でないふりをするといっても、他の生徒が居なければイチャつくことは可能だった。初めてキスを交わした時と同じ二人でベンチに並んだ状況。二ヶ月前より日が高く気温も上がり、頬を赤くしてネクタイの結び目に指を掛けた。

 

「き、今日は暖かいですね」

「喉が乾くよね。そうそう、お茶買ってあるよ」

 

 夏也はベンチの向こう側へ体を曲げ、バッグの中に手を入れてお茶を探した。その間にみちほはポケットからスマホを取り出し、屋上に居ると伝えるメッセージを送った。エリからは「すぐ三階に下りてきて」と返ってきた。

 

「ちぇっ、少しは気を利かせろよ」

 

 みちほはスマホに文句を垂れて「ムリ」のメッセージを30秒おきに送る予約をし、画面を表示させたままでブレザーのポケットに放り込んだ。エリの呼び出しをスルーしてでも、昼休みの残りを夏也と一緒に過ごしたいと思った。

 ペットボトルを手に夏也が振り向き、それをみちほに渡して代わりにチョコツイストの袋を手に取った。食堂で総菜パンを山ほど食べた後に菓子パンは変な気がした。みちほは冷えたペットボトルを両手でこね、楽しげな顔で袋を開ける彼へチラチラと目を動かした。夏也は出した長細いパンの端を人差し指と親指でつまんで水平に持ち上げた。

 

「ゲームしよっか。二人で両端から食べて顔を背けて折ったら負けのルール」

「え、それってパンを使ってやるゲームでしたっけ」

「大丈夫だよ。このチョコツイストは普通のより細いし、女子が簡単にくわえられるんだ」

 

 夏也がバッグの上に袋を置いてみちほへ親指を立て、他の女子との経験を疑った彼女は目を見開いた。

 

「もしかして…。やったことあるんですか」

「あっ」

 

 これこそがエリの言う『愛憎と嫉妬』なのかと、夏也はつぶらな小さい瞳から想いを感じ取ってビクッとした。慌てて浮気の嫌疑を否定し、誤解を解くために大きく手を横に振った。

 

「いやいやいや、初めて初めて」

「ほんとですかぁー」

「こ、このゲームはさっき購買で話した上級生の人が教えてくれたんだ」

「それがチョコツイストを買ってきた理由ですか」

「そうなんだ、あははは」

「もぉ。それじゃ、彼女たちに『そのゲームをする関係』と言ったのと同じですよ」

 

 苦笑いする夏也へあきれた表情を向けるものの、みちほは釈明をすんなりと受け入れた。食べ進めていくとキスに至るゲームは彼女の乙女心に響いた。腰を少し浮かせて彼の側へすっと移動し、ワクワクして胸の前で手を合わせた。

 

「うまくできるかな、わたし運動神経ないし」

「二回は失敗してもOKって考えると気が楽になるよ」

「三本ありますもんね」

「うん。じゃあ、ゲームを始めよう!」

 

 楽しげな夏也が体を横に向け、みちほの口の高さにチョコツイストを指で固定した。彼女は螺旋状のパン生地をぐるぐると目でたどり、彼の口と触れるイメージを頭の中で膨らませた。少し首を伸ばせば端をくわえられる距離に二人は顔を向き合わせ、屋上での昼休みイベントはクライマックスを迎えようとしていた。

 ベンチに片手をついたみちほがチョコツイストの端をパクっとくわえた。夏也が反対側に口を近づけると、校舎の下の方から「みちほぉー」と大声で叫ぶ声が聞こえ、彼は後ろへ顔を向けた。

 

「エリさんの声だけど…」

「たぶん、三階の外通路にいるんだと思います」

「渡り廊下の上か。でも、何でそんな所にいるんだろう」

 

 夏也がみちほへ向き直り、口を放した彼女と顔を合わせて目をパチクリとさせた。屋上に激しく責め立てる少女の怒声が響き渡った。

 

「いかがわしいゲームしてるんでしょ~。許さないわよっ!」

「ヒェッ。なんでエリさんに……」

 

 明らかに怒ったエリの声を聞き、夏也はみちほとしようとしたゲームのことがバレていると思って仰天した。彼女を妹のように心配する話を聞いた後だけに、エリの逆鱗に触れてしまったと狼狽して立ち上がった。せわしなくチョコツイストを袋に半分突っ込んでベンチに置いた。

 

「け、決して手を出すつもりはなくて…そんじゃ、僕もう行くね」

 

 スポーツバッグを肩に掛けた夏也がみちほに片手を上げ、パンとお茶を残してそそくさと塔屋の入り口へ歩いていった。結局、屋上でのイベントはエリの一声で何事もなく幕を閉じた。ヒューと風が吹いて後ろにある木の葉を揺らし、みちほは何が起こったのか分からずにベンチで呆然と彼を見送った。

 

 

 夏也が去った数分後の屋上。リュックを背負うエリが興奮して車いすの前で麻雀だの駆け魂だのとまくし立て、みちほはブレザーのボタンを外して手であおいだ。アームレストに片肘をついて面倒くさそうに話を聞き、きりのいいところで体を起こしてエリの顔を見上げた。

 

「なあ、昼休み終わるから教室に戻りたいんだけどさ」

「まだ話が終わってないわよ」

「ハイハイ、紅莉栖って先輩のことはメールで送ってくれたら読んどくから」

「あ、ちょっと待って」

 

 ハンドリムに手を掛けて車いすの向きを変えると、エリが片手をグリップへ伸ばして掴んだ。

 

「そこにパンとお茶を置き忘れてるわ」

「あぁ、先輩が置いてったチョコツイストか」

「夏也くんと一緒に居たの」

 

 立て続けに「どんな話したの」と夏也との仲を興味津々に尋ねた。二人でチョコツイストの両端から食べていくゲームをぶち壊したエリへ、みちほは恨めしそうな顔を向けた。

 

「まったく、誰のせいで先輩が帰ったと思ってんだ」

「誰のせいって、わたしのせい?」

「そうだよ。エリ姉が『いかがわしいゲーム』とか言うからビックリしたんだろ」

「どうして夏也くんが驚くの。みちほがメッセージを無視して乙女ゲームしてると思って言ったんだけど」

「そりゃ、色々と……」

 

 ゲームの真相に口をつぐんだみちほは反対へ向いて顎を押さえた。言われただけで本当にビックリしたのか疑念が湧いた。エリの声を聞いた彼の驚き様は普通ではなく、後ろ暗いところを指摘されてつい本音を口走ったと考えられた。夏也に限って『手を出す』ことはないと思いつつも、高校生男子がエッチなことに興味を持つのは自然に思えた。

 考え込むみちほを置いてエリはベンチへ取りに行き、車いすの横に戻ってチョコツイストの袋とお茶のペットボトルを持った左右の腕を伸ばした。

 

「ほい、夏也くんは陸上部の練習してると思うわ」

「うぇっ」

 

 みちほが両手を反対へ向けて上体を逸らし、チョコツイストとお茶を引っ込めたエリはあきれたように目を細くした。

 

「何でよけるのよー」

「わたしじゃなくてもいいじゃん」

「は?」

「エリ姉が持ってってよ、今日授業ないんだしさ」

「こっちはまだ何も食べてないのよっ!!」

 

 昼食抜きのエリは雑事を押しつけられ、カリカリして封が開いた菓子パンを前に出した。だが、みちほが恥ずかしそうな様子で断り、夏也への態度がキスをする以前に戻った印象を受けて手を下ろした。二人の良好な仲は高原煎餅店の跡継ぎを望む女神・メルクリウスから駆け魂回収道具をもらうために欠かせない。短いため息をついたエリは彼女へ優しく微笑み、三たびチョコツイストの袋を差し出した。

 

「ねえ、夏也くんだって恋人のみちほに持ってきて欲しいんじゃないかしら」

「恋人か…」

 

 にゅっと袋から出るチョコツイストを見てみちほはポツリと漏らした。太腿に載せたポーチを両手で挟み、コンクリートの地面へ目を逸らせて楽しげな夏也の顔を思い返した。

 

「そーいや、昼ドラは女性がよくビンタされてるな」

 

 およそ有り得ない想像にもかかわらず、浮かない表情で思わず頬をさすった。付き合ったばかりで、しかも中等部の彼女を急に押し倒すことはないとしても、夏也が自分に肉体的な接触を求めているのかと疑心暗鬼になった。初めてのリアル恋人に対する不安はみちほの気持ちに臆病風を吹かせた。しばらく彼とは直接会わないでおこうと思い、すごすごと二人で居たベンチの側から退散した。

 エリは「昼ドラ」という一言に不意を突かれ、みちほを黙って行かせてしまった。おまけに、開いた袋からチョコツイストが落ちかけてとっさに両手で押さえると、放したペットボトルは地面にぶつかってコンクリートの上を転々とした。

 

「もぉ~、ビンタって何があったのよ」

 

 どんどん離れていく車いすのみちほへ向かって頬を膨らませた。駆け魂に取り憑かれた紅莉栖は気になるが、彼女なしで駆け魂を出す見通しが立たなかった。とりあえず夏也に昼ドラの話を聞いてこなければならないと考え、ブレザーのポケットからМ42を取り出し、校内マップで陸上部の部室がある場所を探した。

 

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