ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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濡れ手で魂

 この日は二日続いた晴れも曇り空。舞島学園内を見回るパンツスーツの二階堂は放課後に自転車置き場の生徒たちに声をかけ、タブレットを小脇に抱えて中央校舎西側へ向かった。

 

「先生、さようなら」

「さようなら」

「じゃーね、せんせー!」

 

 立ち漕ぎする男子の自転車がスピードを上げて側を追い越し、二階堂は嘆息を漏らして生徒の多い行く手へ目を向けた。白髪に染めて高年女性メイクで年齢を偽る彼女は温厚な副校長で通っている。怒って声を荒らげたりせず早足で正門通路まで追いかけ、厳しい目つきで「絶対に他人とぶつかるな」と心の中で彼へ命じて立ち止まった。自転車は生徒の間をジグザグ走行し、正門から来たエリの横を通り過ぎた。

 麻雀部へ行くところのエリは中央校舎前に二階堂を発見し、怖い顔で仁王立ちする姿にヤバいと思った。

 

「ハ、ハイッ」

 

 中等部校舎裏を指差す彼女へ直立不動で返事をした。天文部の固定端末を魔法で故障させた件を追及されるのではとビクビクし、ブレザーのボタンをきちんと留めて二階堂の跡を追った。二人は中央校舎西側の角を曲がり、後ろを付いて歩くエリが落ち着かない様子で話しかけた。

 

「二階堂先生、何かおっしゃりたいことが…」

「まあ、そう慌てるな」

「わたし部活があるんですけど」

「そうそう、情報提供者によるとまた新種が出たらしい。法治省内では『分身駆け魂』と呼ばれてデータベースにも登録されてないそうだ」

 

 中等部校舎裏に来ると二階堂は人目のつかない木陰で振り返って手を腰に当てた。その口振りはエリに「自分は法治省と関係ない」と言っているように聞こえた。

 

「じゃあ、二階堂先生は……」

 

 エリは情報提供者を法治省に潜入したスパイと考え、二階堂の駆け魂狩りに協力して良いのか疑問を持った。このままでは舞島学園のために在校中タダでこき使われる予感がした。とてもじゃないが付き合い切れないと体の後ろに手をまわして横へ向いた。

 

「新種といえば今週からローサンで春スイーツが発売されてますね。おとといが餡入りイチゴ、昨日がよもぎショート、今日が桜花びらクレープ。明日はどろどろ生カスタードなんで、わたし帰りに寄って買おうと思うんです」

 

 駆け魂に興味ないといった態度でエリが雑談を始めた。二階堂は一瞬意図が分からず呆気に取られたが、真の狙いがあるに違いないと腕組みしてストレートに問いかけた。

 

「桂木妹、はっきりと言ったらどうだ」

「まあ、そう慌てなさんな」

「私も忙しいのだが」

「そうそう、地獄の沙汰も何とかって言いますよねぇ」

 

 話し方を真似したエリははぐらかしつつ本音を匂わせ、二階堂へ背中を向けて両手を頭の後ろに組んだ。

 

「……金次第か。ずいぶん世間が分かってきたと見えるな」

 

 顎に手を当てて二階堂は一人の少女を思い起こした――かつて、邪悪な古い悪魔(ヴァイス)が支配した旧地獄に辺り一帯を火の海にする超兵器があった。それは彼らの言いなりになる知能が未発達な悪魔の少女だった。新しい悪魔は激しい戦いの末にヴァイスを封印・追放し、地獄を冥界として理性と秩序によって統治した。そして、彼女を二度と利用されないように転生させて駆け魂隊に登用して人間界へ送った――その少女がエリだと考えていた二階堂は相手の出方を探る彼女を訝しんだ。とはいっても膨大な魔力を持つ悪魔に変わりはなく、駆け魂を捕まえるにあたって知能があるに越したことはなかった。

 二階堂は学園予算の流用に二の足を踏んで回答を保留し、先に情報提供者から聞いた法治省の話をエリに振った。

 

「ところで、弱って動けない駆け魂の回収作業は順調なのか」

「え、そんなことまで知ってるんですか」

「うむ。少し耳に挟んでな」

 

 情報局が人間界での駆け魂回収に本腰を入れ、非正規のアルバイトを雇ったという噂。詳細は情報提供者から聞いてないが、すでに働いていることを含めてエリがペラペラと喋ってくれた。

 

「ハクアさんに紹介してもらったんですど、それが…。あまり見つからなくて困ってます」

「駆け魂回収に苦労しているのか」

「はい。けど回収した分報酬が出るし、必ず一網打尽にしてやりますよ!」

「ほほう、威勢がいいな」

 

 こぶしを握るエリからは駆け魂を回収して情報局の報酬を受け取る気満々なのが伝わった。紹介したハクアは二階堂の駆け魂隊隊長時代の部下で現在は情報局員だ。彼女が嘘をついてないと確信し、駆け魂回収が取引の材料になると目論んで交換条件を持ちかけた。

 

「では、特別に高等部校舎裏の林に入る許可をやろう」

「えっ。そこ入っちゃいけないんでしたっけ」

「『特別な理由なく立入禁止』だ。冥界と繋がるゲートが舞島沖にあるせいで学園上空は駆け魂の通り道になっている。負のエネルギーが切れて学園に落ちた駆け魂は見つけ次第ロボットに回収させるが、東側に広がる林は土壌が軟弱で入れずに何年も放置されてきたのだ」

「それじゃ、弱った駆け魂の宝庫ですね」

「ふふ、まあな」

 

 二階堂は駆け魂回収に食いついた反応に微笑を浮かべ、背後からエリの顔を覗き込んで肩をポンと叩いた。

 

「そのかわり学園内の駆け魂狩りは任せたぞ」

「うへへ…」

 

 両手のひらを上へ向けてピクピク指を震わせ、エリは手から溢れる駆け魂の山を想像してニヤついた。二階堂は彼女の表情を確かめると白い前髪を払い、見回り経路の中等部校舎裏を体育館の方へ向かった。学園の女子生徒に取り憑く駆け魂を捕まえさせ、対価として学園の林に溜まる弱った駆け魂回収の許可を与える。まさに一石二鳥。舞島学園の駆け魂はエリによって掃討されるだろうと考え、今年度の行事予定を頭に描きながら歩を進めた。

 

 

 文化系クラブの部室がある南校舎はベランダが陸上部の練習するトラックへ向く。三階の麻雀部ベランダでみちほが手すりに両腕を掛け、遠くから夏也の走る姿をうっとりして見守った。

 奥のテーブルで見学していたみちほはエリが部室に来ないと見るや、前に座る佐知子へ本棚の麻雀マンガを読んでいいか尋ねた。コミックスを取るために車いすから立ち上がると、案の定、佐知子が驚く声を上げて紅莉栖たちが麻雀卓から注目した。みちほは全員に少しなら歩けることを説明し、窓に手をついて歩いてベランダに出てみせたのだった。

 

「立ってるのがきつくなったら遠慮なく言ってね」

「はぁ…」

 

 みちほはトラックへ向いたまま生返事を返した。ベランダ入り口の段差で転ばないように佐知子が付いてきて横に立っていた。よく気がつく親切な先輩だが、できれば一人で静かに彼のことを考えたかった。

 陸上部男子の練習をじっと見つめるみちほに、佐知子は嬉しそうにスマホの画面を向けた。

 

「見て見て、やっぱり載ってたのよ。あの男子でしょ」

「誰のことです」

「スポーツコース一年の高原夏也くーん」

「は?」

 

 なぜ夏也のことを知り得たのかとみちほが振り向いた。佐知子のスマホには男子の顔写真付きのデータが縦にずらっと並び、氏名、生年月日、身長、体重等の他に彼女の有無が『○』か『×』で表示された。みちほは画面に指を下へ擦らせてページを一番上へスクロールさせ、「舞島学園イケメン情報」のタイトルに目を見開いた。

 

「チッ、校内サイトにこんなページ作んなよ」

 

 舌打ちして小声でぶつぶつとページの作者を非難し、みちほはくさくさしてトラックの夏也へ顔を向けた。彼を気にする様子を見て取った佐知子が親指を立ててグッと突き出した。

 

「大丈夫。バツだから黒田ちゃんにもチャンスあるわ!」

「あははは……」

 

 みちほは恋しい気持ちを悟られた佐知子に苦笑いで誤魔化し、おせっかいなだけでなく侮れない観察眼だと思った。夏也が彼氏と気づかれないように押し黙って陸上部の練習を眺めた。ニコニコした佐知子は気を利かせて「用があったら呼んでね」と言って部室に入った。

 

「ハァ~」

 

 手すりに寄り掛かってみちほは大きくため息をついた。入学式から二日、すでに夏也は他の女子生徒に目を付けられていた。イケメンの彼が恋人なのだから多少は仕方ないが、女子なら誰でもデレデレする夏也の性格を考えると頭の痛い問題。学園内で二人の関係を隠すことにしたのは誤ったルート選択だったのか、悩ましげに頬を押さえて雨がぱらつく中走る彼を見つめた。

 

 

 エリは勾留ビンを詰め込んだリュックを背負い、学生靴をスニーカーに履き替えて舞島学園にうきうきして戻った。高等部校舎裏の林で辺りを見回すとあちこちに弱った駆け魂が目に入り、校内のゴミ箱程度の大きさの勾留ビンを抱きながら駆け回って次々に開口部を色々な方向へ向けた。

 

「駆け魂、回収、回収、回収!!」

 

 小雨が降りしきる林に駆け魂を吸い込む魔力が幾度となく線状にほとばしった。円筒形のビンは10匹以上の駆け魂がぎっしりと詰まり、蓋を閉めたエリが中身の見える透明な側面に笑顔で頬擦りした。回収した駆け魂の分だけバイト代が出る。麻雀部のことを忘れて夢中になって林の中を走ったり、跳んだりし、リュックの勾留ビンを使い切って上々の結果に満足して帰った。

 桂木家にエリが着いた頃には雨もやみ、湿ったリュックを玄関マットの上に置いた。ブレザーとスカートは脱いで下駄箱に掛け、靴下をスニーカーに突っ込んだ。どれもびしょ濡れというほどでないと判断し、後で洗面所に運んで乾かそうと思って二階へ上がった。

 部屋に入るとブラウスの胸と腕の間に抱えた勾留ビンを段ボール箱に収め、M42を握って着替えずベッドにうつ伏せに寝転がった。早速、ハクアの家へ送るビンの集荷予約をした。舞島学園で思いも寄らない幸運に恵まれ、朋己を告白させるカフェの再開資金が労せずして貯まった。そのままM42の画面に動画サイトおすすめのカーニバル動画を表示し、サンバの音楽に合わせて小刻みに足を動かした。剥き出しの太腿が冷えたエリは起き上がって部屋着を手に取った。濡れた制服の件はすっかり頭から抜け落ちて階段を下り、玄関をスルーして廊下を陽気な気分で真っすぐ踊り歩いた。

 少し経って玄関に彩香が仕事から帰ってきた。契約社員だった桂木プロダクションで正社員に採用され、スーツを着て先輩に付いてクライアントの外回りに行った。出先から直帰した彼女は肩掛けのビジネスバッグを框に下ろして腰を屈めた。

 

「ふー、雨が降ってたんだ。仕事に集中してて気づかなかったわ」

 

 玄関マットの冷たいリュックに触れて心地よい充実感に包まれた。が、下駄箱に載る泥が跳ねた制服を見て目を丸くし、エリのおてんばにあきれ果てつつ廊下に上がった。

 スリッパを履いた彩香は重要なことに気づき、玄関の手すりに上着を掛けて制服を手に洗面所へバタバタと歩いた。今日は週半ばの水曜日で学校はあと二日。スカートは洗濯ネットに入れて強力洗浄モードで汚れを落とせば朝までに乾くと踏んだ。けれども、洗面台に広げたブレザーの斑点模様は簡単に落ちそうになく、シャワーが止まってピシャピシャと足音のする方へ聞こえるように愚痴をこぼした。

 

「クリーニングに出すしかないわね。こーんな汚くしてさ」

「おかえりなさい、姉さま」

 

 浴室から出たエリがしれっとした表情でバスタオルを首に掛け、彩香はブレザーを側のスチールラックに掛けて彼女へジロリと視線を送った。前髪を拭いたバスタオルで目が隠れると、エリに近寄って無防備なお腹を人差し指で繰り返し突っついた。

 

「こらっ、何やってたか白状しろ」

「ちょ、やめてよー」

「第2グラウンドを制服で鬼ごっこしてたとでも言うつもりかぁ」

「林、校舎裏の林で生物調査してたんだよ」

「嘘おっしゃい。学園の林は立入禁止だったはず」

「あ、そこダメだって。だ、だから…副校長の二階堂先生が許可してくれたの」

「えっ。二階堂先生が……」

 

 卒業する時に副校長だった二階堂が今も続けると聞いて彩香の手が止まった。その隙にエリは手早くバスタオルで体全体を拭き、下着の上下を身に着けて薄手のトレーナーを頭から引っかぶり、丸い襟首から口をすぼめる反抗的な顔を出した。

 

「嘘だと思うなら舞島学園に電話してよ」

「生物調査でしょ、分かったわ。けど、それで制服を泥だらけにしたのだから反省しなさい」

「ハーイ」

 

 テキトーな返事に部屋着のスカートを持って手を頭上へ上げ、エリはさっさと洗面・脱衣所を出ていった。

 

「もぉ、本当に反省してんだか」

 

 彩香は家の中を下着でうろつかないように注意したのにと眉をひそめ、下はショーツ一枚で楽しそうに腰を振って廊下で踊る姿を眺めた。一昨日は朋己の所属する天文部に入部できないと元気なかったが、今日は様子が一変して妙に明るくなった。腕を組んで「あの林を調査ねぇ…」とつぶやいた。高校に入ってすぐ生物に興味を持ったとは思えず、エリが良からぬことを企んでいるのではないか不安が頭をもたげた。

 

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