彩香に言われて反省したエリは長袖ジャージを着てゴム長靴で放課後の舞島学園に来た。昨日と変わって泥だらけになっても大丈夫な恰好。リュックを自分のロッカーに置いて身軽になり、小雨が降ったりやんだりの林で飛び跳ねた。
今日も弱った駆け魂を思う存分回収し、小さくした勾留ビンを片手に意気揚々と高等部校舎裏に戻った。校舎中央の裏口を入った廊下の両側にある個人ロッカー室の右側へ曲がり、位置はうろ覚えで扉の番号へ目をやりながら歩き、番号が近い向かい合わせのスチールロッカーの横で足を止めた。ロッカーに駆け魂が詰まったビンを仕舞って扉を閉め、エリは満足げに空のビンを握り締めて裏口の方へ引き返した。
前面の壁がない開放的なロッカー室は側面の入り口も扉や戸がなく、廊下を挟んだ向こうのロッカー室から前に南校舎一階で擦れ違った女子生徒が歩いてきた。長いストレートな髪の眼鏡を掛けた彼女はエリに気づき、廊下に出ると立ち止まって顔をしかめた。
「部活、サボっちゃ駄目じゃない」
「鶴羽先輩!?」
「土が付いてるわ。ソフト部に誘われたんでしょ」
真面目な姿に驚くエリにつかつかと歩み寄り、ジャージに跳ねた泥を指差して尋ねた。エリは勾留ビンを背中に隠して「そんなとこです」と適当に答えた。眼鏡やブレザーは分かるとしても巻き髪を直す理由は何だろうかと観察していると、笑顔を浮かべた彼女は思ってもみない提案を持ちかけた。
「じゃあさ、新入生にアピールしてきてよ」
「は?」
「競技経験がなくて入った子は厳しい練習についていく自信がないと思うの。和気あいあいとした麻雀部の話を聞いたら心が惹かれるんじゃないかしら」
「…と聞かれても。それより、早退なんて体調が悪いんですか」
勝手に麻雀部に仮入部させた紅莉栖と中身は変わりなかった。エリはまた強引に推し進められると困るので彼女のことを聞き返した。今度は、紅莉栖が残念そうに首を振って肩をすくめた。
「ううん、清水さんが家庭教師の日だから部活を早めに切り上げたのよ」
「でも麻雀部にはまだ4人いるはずじゃ」
「新森さんも塾でね。今年の成績次第で高等部に上がった時のランクが決まるし、中三の子たちが来れなくなるのは仕方ないわ。黒田さんが早くルール覚えてくれるといいんだけど」
「あっ!」
「彼女、今日も部室に残ってエリちゃんを待つそうよ」
「みちほのこと忘れてた……」
エリは駆け魂回収に頭がいっぱいで麻雀部だけでなく、駆け魂狩りの協力を頼んだことまで失念していた。しかも、部室で待つということは頑張って紅莉栖の心のスキマを埋める方法を見つけたのかも知れない。しまったと手で口を押さえてみちほの怒った顔を思い浮かべ、ほったらかしにした言い訳を考え込んだ。
突如、ひょいと出されたポスターのような画面にエリが顔を下げた。紅莉栖の持つB5タブレットは教育委員会認定の市販品で、外部サイトへの接続ができない仕様だった。
「なるさわTV杯 中高校生麻雀大会 来たる4月16日(日)開催。あれ、なんでインターネットに接続できるんですか」
「これは学園内サイト。なるさわTV杯は中学生や高校生が出れる三名一組の団体戦よ。メンバーは学校が違ってもOKだけど、麻雀部があるところは大体学校でエントリーしてるわ」
「ふーん。麻雀も大会があるんですね」
「で、エリちゃんに大会のメンバーとして出て欲しいのよ」
出場を頼まれた大会は鳴沢臨海第二ホールで行われ、開会式や閉会式、試合はなるさわTVでテレビ中継される。エリは三日後に迫る大会の募集要項に目を通し、指でエントリー締切日を大きく表示させて紅莉栖へ顔を向けた。
「大丈夫。大会の参加登録は済んでるし、前日までメンバー変更が認められてるわ」
「そうなんですか、う~ん」
果たして麻雀大会に参加して良いものやら。多くの観衆の中で駆け魂が暴走する危険もあるが、断ると紅莉栖の心のスキマを広げてしまう可能性があった。
「あのー、参加したいのは山々ですけど…。その日はみちほの買い物に付き添う予定なので返事は次の部活ということにして下さい。じゃ、ちょっと部室に行ってきます」
モジモジしたエリは視線を逸らして返答を先延ばしにし、紅莉栖に喋らせないようにすぐ校舎の裏口とは反対方向に行った。二階堂と取引した手前、ここらで紅莉栖の駆け魂を捕まえる目途をつけておきたい。駆け魂回収を中断してみちほと駆け魂を出すため作戦会議だ。広い廊下に出てガラス張りの窓から彼女がいる南校舎三階を見上げ、腕を振って泥の付いた長靴でペタペタと通用口へ急いだ。
グラウンドは雨が完全にやんだが、陸上部は湿ったトラックで練習を続けた。麻雀部ベランダのみちほは夏也が風邪をひかないか心配して手を組んで見守った。部活の終わりを知らせに来た佐知子には「エリ姉を待つから」と方便を使い、彼を眺めたまま帰らずベランダに残った。
「みちほ、待たせてゴメンっ!」
ベランダの戸を開けてエリが両手を合わせて頭を下げた。みちほはボーっとした表情で部室へ振り向き、顔を上げる彼女に幽霊でも見たように大きく目を見開いた。
「なんでエリ姉がここにいるんだ…」
「あら、騒がしいわね。グラウンドに誰かいるの」
「ヤ、ヤバイ!!」
今日は陸上部男子がトラックの校舎側で練習し、ベランダからはっきりと顔が見える夏也に見とれた。昨日と同じくエリは部室に来ないと決めつけていたみちほの思考がフル稼働した。グラウンドの彼を隠さなければと考えて障害がある足をついてこけたふりをし、入り口の段差に足を掛けたエリに抱きついた。
「おっと。右足が引っ掛かった」
「ちょっと、前が見えないんだけど。あんた立つと大きいんだから」
「悪い、悪い。アハハハ」
「今、車いす持ってくるから待ってなさいよ」
エリが離れるとみちほは部室に入って後ろを向き、ベランダの戸を閉めて鍵をかけた。ひとまずは夏也を見られないことに成功して「ふぅ」と胸を撫で下ろした。
どすんとシートに腰を下ろしたみちほを乗せ、エリがその場で回転させた車いすを押してテーブルの横に付けた。みちほは念のため右足首へ手を伸ばしてスラックスの上からさすった。エリは彼女がベランダで首を長くして待っていたと思い、座っていられないほど聞かせたい紅莉栖の情報に期待して声を弾ませた。
「それで紅莉栖先輩について何がわかったの」
「何がって?」
「話したくてうずうずして立ってたけど、来ないからベランダに行ったんでしょ」
「え、いや、その……うん」
みちほはずっと夏也を見ていたことがバレるよりはマシかと頷き、テーブルに片肘をついて紅莉栖の様子を思い出そうと目を閉じた。
「そうだなぁ。あの先輩、今日も帰る前にブラシアイロンで髪を真っ直ぐにしてたな。あと、コンタクト外してメガネかけてたし、スカート折ったのを直してブレザー着てた」
「昨日もなのね。それじゃ、髪型を変える理由は何なの」
「変えるんじゃなくて戻したんだろ。家だと親がうるさいとかで」
「そっか。さすが、みちほだわ」
「こんなの簡単、簡単」
登場人物の行動原理は乙女ゲームで学習済み。三日もあれば余裕で分かるとばかりに、みちほはしたり顔で褒めるエリへ手を振った。得意ついでに行動から性格を推察して麻雀に対する紅莉栖の本心を分析した。
「言葉遣いも丁寧で他人に親切だし、典型的な箱入り娘キャラだね。おそらく、麻雀やってるのも家での厳格な教育への反発からなんだよ。『私は学校でこんな不健全な遊びをしてるんだぞ』って自己満足して帰るのさ」
「じゃっ、麻雀大会で優勝したら心のスキマが埋まると思う?」
「十分アリだな」
「わかった。なるさわTV杯に出て優勝するわ」
駆け魂が出る保証をもらったエリは紅莉栖に頼まれた麻雀大会への参加を決めた。そうと決まれば絶対勝てる秘策をみちほに見せようと、車いすの前で指を開いた手を出して微笑んだ。
「ね、みちほのM42貸してみて」
「おいおい、『持ってこい』と言った本人が持ってないのかよ」
「持ってるけどロッカーに入れてあるの」
エリの恰好は上下ジャージで運動してきたように見え、みちほは「しゃーねーな」とポケットのM42を出して手渡した。受け取った彼女は勝手に『麻雀牌並び替えゲーム』をインストールし、始めたゲーム画面で牌を麻雀の役に並べて手に魔力を込めてM42を麻雀卓へ向けた。
電源を点けたエリが天板中央のミニディスプレイで『四人麻雀』を選び、牌がせり上がると麻雀卓を一周して手牌を立ててまわった。牌名を心の中で唱えるより簡単に牌の並びを魔法に伝える方法を思いついて試したが、どこもまったく役ができておらず、きょとんとして側のオフィスチェアに腰掛けた。
「まただ。なんで魔法がかからなかったんだろう」
「イカサマ失敗。こりゃ、優勝は無理だな」
考えを見抜いたみちほが冷ややかな視線を送った。エリはみちほの言葉に興奮して振り返り、M42の画面を人差し指でペシペシと叩いた。
「ち、違うわ。きっと、麻雀卓の方が壊れてるのよ。このゲームで並べた牌を頭にイメージしたのにっ」
「エリ姉、牌を溝に落として次に出てくる牌の背の色が違うのを知ってるか」
「えっ。牌の背は茶色だけど」
「そしたら片付けてもう一回始めてみな」
他の部員の前では麻雀のルールを知らない人見知りを演じるが、みちほは祖母譲りの麻雀知識とふてぶてしさを持った。エリは言われた通り天板の溝に全ての牌を落とし、新しくゲームを始めて卓上に牌をせり上がらせた。天板に並ぶ牌の背が前回と違う青色をしていることに気づき、下からガラガラと牌を混ぜる音が聞こえ、魔法でかけた役が揃う手牌を見て腕組みした。
「二種類の牌が交互に…そうか、最初の牌は並べ終わってたのか」
「そ。天板の上に牌が出た時点で次が配牌される仕組み」
「じゃあ、最初はイカサマができないんだ」
「最初っていうか、半荘で3回上がれば十分だろ。それに手牌で上がったら『天和』って滅多に出ない高得点の役が付いて怪しまれるぜ。少なくとも、10巡前後は牌を取ったり、捨てたりしてからテンパイした体にしないと」
「つまり、バレないようにするわけね」
「ちょっと、貸してよ。うまく牌山にも並べるから」
「ほい」
エリは立ち上がってみちほの指がトントンと叩くテーブルの端にM42を載せた。みちほは造作もなくゲーム画面で牌を並べ直してそれを卓上に滑らせて返し、エリが勢い良く腕を振ってパシッと拾い上げた。
「イカサマ魔法、発動!!」
振り向きざまにM42で麻雀卓へ魔法をかけ、自信満々でオフィスチェアに座って天板に牌を上げた。だが立てた手牌はバラバラでまったくもって揃ってなかった。牌山の上段左端から牌を取って中央のミニディスプレイ前に捨て、次からは上段の牌を一個飛ばしに取る一人麻雀を5分。一つも面子を揃えられないエリは手牌を倒してガクッと首を垂れ、みちほは笑みを浮かべて肩をすくめた。
「ま、上がりの形を覚えてないから仕方ないさ。そのゲーム画面を画像にして必要な牌に丸を付けて、試合前にスライドショーで確認できるようにすればいいんじゃないかな。なんなら、作ってあげようか」
「ほんとに?」
「ああ。そんじゃ、そろそろ帰ろうよ」
みちほはハンドリムを回して早々と部室の出口へ向かい、エリがイカサマ魔法の完成を喜んで牌を片付け始めた。面倒くさい配牌パターンの作成を引き受けた理由はもちろん、夏也が見えるベランダにエリを行かせずに帰らせるため。彼を眺めていたことを知られては恥ずかしいばかりか、学園内で秘密にする二人の関係が彼女の口から広まらないとも限らなかった。現に駆け魂回収道具欲しさにエリがついた見合いの嘘はすぐ黒田家に伝わり、母・美雪が電話で桂木の祖母に「娘に彼氏ができた」と自慢したり、車いすのメンテナンスに来た親戚に喋ったりした。
ロッカーからスポーツバッグを取ってきたエリは部室を出て戸を閉めてロックした。先に廊下に出たみちほはそのバッグを受け取り、一緒に預かった勾留ビンを手に持って首をかしげた。
「なあ、麻雀部サボってたのとこのビン関係あるのか」
「それはね。実は二階堂先生が――」
いつになく協力的なみちほにエリはニコニコして高等部校舎裏で駆け魂を回収していたことを打ち明けた。彼女が自分の苦手な二階堂と親しくして面白くないものの、そちらを手伝わなくて良くなったのはみちほにとって朗報だった。
舞島学園の中庭は雲が晴れた合間から夕日が射し、傘のように若葉の茂るシンボルツリーの脇でエリが高等部校舎へ行った。みちほの車いすは中央校舎を通り抜けて真っ直ぐ校門へ向かって移動した。紅莉栖の駆け魂を麻雀大会で優勝して出すと決まり、みちほは出番がない当日は家でテレビ観戦させてもらおうと気楽に考えた。校門を出るとバス停は次までの長い待ち時間があり、たちまちスポーツバッグからPFPを取り出した。