セーラー服の少女はショッピングモールを飛び出し、歩道に兄の背中を追いかける。
信号待ちをしている木陰にたどり着き、置いて行かれたことに頬を膨らませた。それでも、兄から新しくできたコーヒーの店へ誘われると、嬉しそうに付いていく。
兄妹は7月初めの太陽に照らされ、新舞島駅へ向かって並んで歩いた。
舞島市の東に広がる市街地。住宅の路地から気ままなエンジン音が聞こえてくる。
のんきな孫はバイク乗り
人口15万人を超えた舞島市は中心市街の商業施設が年々新しくなり、IT化が完成して全ての都市インフラはネットワークで結ばれていた。それでも、隣の鳴沢市に比べてまだまだ田舎の地方都市。在来線の沿線は相変わらず閑散とし、市街地を少し離れると田んぼが広がる。
平日にもかかわらず交通量が多い新舞島駅の通り。歩道脇では夏の日差しを受けてガラス越しに数台のスクーターが並び、建物は二階に『寺田モータース』と大きく店名が掲げられた。
店の奥で女性は両腕を上へ伸ばし、他人がせわしなく働く日にとれた休みの解放感に浸った。
遠くどこからか女の子の声が聞こえてくる。
この近くで遊んでいる子供かしら。
午後の時間が自由に使えるっていいわね。うーん、久しぶり。
思いきって伸ばした体はそこかしこがカターイ。
もう三十路、めんどくさい事はもう結構。
イナズマートで夕食の材料を買った帰りに親戚が経営するバイクショップへ。おじさんは外出中で、息子にガレージでエンジンを診てもらっている。事務所は冷房のおかげで涼しい。ドアを閉めるとすぐ汗が引き、契約カウンターにレジ袋を放って反対側の窓際に来た。ここならジャケットをガレージに置いてきたけどちょうどいい温度。
通りに面した窓はすべてガラス張りで隅に低いテーブルと椅子が置かれた。彼女が椅子に座って組んだ足を抱え、道路を眺めるとバスが音もなく通り過ぎていった。今の時代は二輪、四輪にかかわらずEVが主流であり、路線バスは排気ガスを出さずに静かに運行した。
手持ち無沙汰になり、テーブルに置いてあった販促用うちわを片手にうろつく。ひっそりとした事務所で棚からバイク雑誌を取って戻り、一ページめくっては最新のモデルに目を通しつつ右手のパタパタを繰り返した。腰のポーチからスマホを取り出して気になる型式をパチリ。一応、メール等を確認するも、父からの同じ男性を薦めるメッセージの山に辟易してすぐに仕舞い込んだ。
すると、ガレージから入ってきた作業着の男性が正面にドンと座った。整備をする油臭い彼・純一は舞島で一番気が合う。中肉中背だが腕っぷしが強く、山道のツーリングに欠かせない。
「ブレーキパッド減ってるけど、ついでに交換しときます?」
「もう減っちゃってるのね。じゃあ、頼もうかな」
「彩香さん、自分でメンテしてないんすか」
「う~ん。いろいろ忙しくってねー」
「へー、会社員っていいっすね」
「まだ契約社員よ、契約」
彩香は伯母の芸能事務所に雇ってもらって三年目になり、毎週土日は決まって時間が取れた。けれど、慣れない仕事でストレスを受けるせいなのか、フリーター時代と違ってなぜか少しもやる気が起きなかった。
この店にも今年になって初めて。だから純一の顔は半年以上ぶりに見たことになる。店内が模様替えされたような気がして周囲に目を配り、テーブルの脚に引っ掛かっていた冊子を見つけて拾い上げた。表紙は舞島出身のアイドル・Masamiが飾り、つまんで彼へ向けて振り回した。
「まーだ、Masamiの追っかけなんかやってんの」
「あっ、それ探してたやつ…。ちょっと、変なとこ持たないでくださいよ」
「私がサインもらってきてあげようか」
「マジっすか。この前、おばさんが『毎日パソコンとにらめっこ』って言ってたんすけど」
「えっ、母さん来たの」
母の来訪を聞いた途端、父からのメッセージが頭をよぎり、背筋にイヤな汗をかかせる。純一はそれを打ち消すように母が舞島市に来た理由を報告した。
「お姉さんのところですよ。下の子ってもう中学生なんですね」
「そう、お姉ちゃんの家に……」
相手をせずに済んでホッとする。父の見合い話をことごとく無駄にしてきた彩香には元より母と合わす顔などないが、来た時ばかりはしおらしく嫌味を聞く義務が発生した。
知らない間に厄介事が片付いて自然と機嫌も良くなった。こうなると姉の苦労も他人事だ。
「ほんと、お姉ちゃんも子育て大変ねー」
低い背もたれに体を伸ばす仕草に、彩香と付き合いが長い純一はその本音を見透かしていた。
「私にはまだ先の事だって言ってるように聞こえますけど」
「あんたはどうなのよっ、純一」
「俺の心配なんかしてていいんすかぁ」
「うわー、生意気なヤツ!」
手に持つうちわで純一の眉間を指して悪態をついた。いつの間にか家族の話になり、彼はテーブルに両肘をついて手を組み、正面のそばかす女を見据えてニヤニヤした。こうして、純一とはいつも自分のことを棚に上げて他人の話で盛り上がるのだった。生来、物事を深く考えない彩香は目の前にいい人が現れないかと漠然と思っていた。身近に変わりない同世代の彼がいることが安心感をもたらす要因とも言えた。
彩香は中学生から鳴沢市の実家を出て今は亡き曾祖母の家で世話になり、死後もそのまま住み続けた。三歳下の純一は弟のような存在であり、周りが結婚していく中で相手がいないのはこの二人ぐらい。早くに結婚して子どもを育てる姉も舞島市に住み、ときどきやってくる母は孫に関心が移りつつあった。
ジーンズの膝を叩いて笑った彩香がポニーテールを揺らした。バイクジャケットを脱いだのを忘れ、Tシャツの半袖から出る白い肌に窓から刺す強い紫外線を浴びた。彼女は一人で毎日のほほんと暮らし、日常の細かい変化に気がつかなかった。