国道から新舞島駅へ抜ける住宅街の道路は人通りがなく薄暗かった。カフェの前を通り過ぎた京太が塀の上から桂木家を覗くと、玄関側は少年を待つかのように一階の明かりが点っていた。彼はデニムのポケットに手を入れ、端末を通信させて施錠を外して門を通り、手すりを伝ってスロープをぴょんぴょんと玄関ポーチへ上った。
珍しく聞こえるシャワーの音を耳にして玄関のドアを勝手に開ける。「入りますよー」と小さく声をかけ、スリッパを履いてリビングの戸を引いた。いきなりの来客へ二人の女性は同時に視線を注ぎ、新聞の社会面を読むちはるが厳しい顔をしたままソファーから声をかけた。
「フーン。とうとう壊されたのかしら、この家のインターホンも」
「また迷惑な人が出たんですか。でも、俺はちはるさんを煩わせてないでしょ」
「まあ、言い訳していると私の姉さんみたいになるわよ」
彼女は大げさに読者を煽る記事を閉じ、血の繋がった京太をソフトに諭した。彼は自分に向けられた祖母への悪口を軽く無視する。かわりに端末を取り出して部屋の隅を指し、ビデオ通話しかできない機器へ目を動かした。
「せっかく無線が届くんだから自動応答なんかに変えればいいのに」
「お金がかかるのよ。それに志穂さ…おばあちゃんが来た時に使えないとね」
「鳴沢のばあちゃんなら平気さ。あの家は家電メーカーが試作品を送ってくるらしいし。今は二階の廊下をゴミが浮いて集まってくるんだって。さすが有名作曲家だよね、ひいばあちゃん」
「そ……」
ちはるは明らかに母の話題を嫌がった。苦虫を噛み潰したような表情をし、屈託なく話す京太に「元作曲家でしょ」と下を向いた。しかも相手をしてくれなくなり、彼はダイニングの方へ行って持ってきた袋を掲げた。レンジフードの下で彩香がフライパンに滑らせる魚から顔を上げた。二人のやりとりに笑っていた彼女は目配せをした。
「あー、そこに置いといて」
手際良く菜箸で魚の身が上にくるようにひっくり返し、小麦粉の焦げ具合に満足を見せた。京太はナスが入った袋をテーブルに置き、役目を終えてカウンターの皿にまばたきした。小さく四角い野菜が縦に並ぶのを見てすぐに別の用事を思い出した。
「そうそう、母さんがチャック壊されたとか、11号なのにとか言って怒ってたけど」
「ぬぉっ…」
彩香はお椀から溢れそうなみそ汁に肝を冷やした。姉に借りた洋服を宅配クリーニングに出して一週間。お礼のメッセージを添えて運んでもらうサービスを使い、生じた不具合に知らん顔を決め込んでいた。ぐつぐつとする音に慌ててコンロの火を止め、いわしを二尾ずつフライパンから皿へ移した。余った漬け汁が付いた長さの異なる箸二本をくるくるっとして空中で垂れた。四つ上の姉は子供の頃からヒステリーな一面がある。怒った顔が頭に浮かんだ。
「どんな感じなの、お姉ちゃん?」
「さあ、いつも怒ってるし」
「なら土下座してたって言っといてよー」
「え、何か差し出した方がいいんじゃないですか」
「う~ん。そうねぇ……」
少年の的を射た意見に現在の所持品を考えて悩み始めた。しかし、縦に長い姉に横が勝る彩香のあげられる服は少ない。靴、バッグ、コート、……。洗ってない包丁やまな板に散らかる野菜くずの前で転がったお玉に映る伸びた顔を見つめた。
ちはるが醤油の甘い匂いに誘われ、カウンターにやってきて皿をテーブルに持っていく。椅子に腰を下ろした彼女は両肘をついて京太へ手招きした。
「それで今日はどこへ行ってきたの」
「あ、やっぱり分かりましたか」
「シャツの襟がよれてないわ。よそ行きでしょ」
彼女の言葉に待ってましたと京太はテーブルの端に近づいて端末を振り回した。待ち受け画面にボブが似合うアイドル風の女性が映り、それをさっと隠して自分で付けた目印が点滅するマップを表示させた。
「動画でやってたUFOが下りてくる場所が分かったんですよ」
「また、山追ダイスケなの」
「そうです。あ、グラサンどうもです」
「美雪には内緒よ。それに目立つから外でかけちゃダメ」
「かっこいいじゃないですか、オレンジ」
「そういうものかしら。で、どうして分かったの」
「ええ、角研が売ってるソフトで空気中の炭素波長を分析して――」
得意満面に彼は隣り町へ行ってUFOを探した話を語った。家族には飽きられたオカルト話に、まだ耳を傾けてくれる人がいる桂木家で目を輝かせた。一方、ちはるは鳴沢の同じ家で美雪と彩香の姉妹より先に生まれた者の使命として、幼き日に相手をしてくれた義姉への感謝の気持ちから、彼女の孫である京太に優しく接する。母親の美雪に代わって拙い説明に進んで耳を貸し、いつ終わるかも分からない話に好物が冷めるのを我慢した。
「でね、その場所は小さいコンビニがあってさ」
「じゃあ、店の奥から宇宙人が出てくるって言うの」
「そうじゃなくて駐車場の方に――」
はつらつとした甥の様子が彩香の目にも入った。ダイニングに久しぶりの賑やかな夕食。日頃、一人しかいない静かな家に何やかやで人が集まってくる。彼女は考え事をやめて調理台の前でほっと息をついた。冷めてしまったお椀をレンジに入れ、上に載った菓子パンへ目を向けた。盛り上がる会話の区切りを待つ間、空腹を抱えて一点を見つめていた。