ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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怒った少女にオーマイガッ

 明くる日の昼はお歳暮に送られてきた木箱のそうめん。黒田家の食卓に三兄妹が揃った。彼らの前に母が小さいコップのようなガラスの器を出した。午後からのパートに行くため、バタバタと忙しそうに台所を動き回った。

 

「いい、食べ終わったら片付けとくのよ」

 

 兄妹に後片付けを言いつけた彼女はハンドバッグの取っ手を掴み、扉を開けて廊下を駆けていった。食卓の中央、大きめの透明なガラスボウルに白くて細い麺がどっさりと盛られた。

 裕太は練習時間が迫って食事を口にかき込んだ。室内用のサッカーボールが手元になく、飲み込んだ後で見当たらないのが悔しそうにテーブルを叩いた。そのボールは彼がぐっすり眠る部屋から母が回収して物置にセットされていた。父の考えた自転車を誘導するロジック。出ていく後輪が紐に引っ掛かって入り口へ転がった丸い球体に帰宅した彼が目を留めない訳はなかった。このパターンで裕太は毎日物置に駐輪し、リフティングしながら家に入ってくる。彼以外には公然の秘密だった。

 親の手のひらで踊る兄が眉間にシワを寄せて箸をせわしなく動かす。京太も教える気はさらさらなく、上から目線に彼をからかった。

 

「とうとう、ボールに嫌われて逃げられたな」

「言うじゃないか。ボールから逃げてゴールネットに絡まったのは誰だったっけ」

「い、いつの話してんだよ」

「まあ、今でも自分からは向かっていけないだろうけど」

 

 恥ずかしい過去を蒸し返され、京太は麺つゆの容器を握ってこらえた。とっさの思いつきで考えなしに喋ったとは思うが最後の言葉は嫌味に聞こえた。それ以上に悪く言い返そうと唇を尖らせて箸を振った。

 

「そっちは棒みたい突っ立ってるだけじゃないか」

「そりゃあ、俺ぐらいになるとポストプレイのために必要なのさ」

「何だ、背が少し高いだけなのに自慢かよ」

「それでいいじゃん。仲間が信頼してパスくれるんだから」

「フン、どーせ決まらないんだろ」

 

 サッカー部キャプテンの兄に最後まで強がってみせ、京太はボウル内のそうめんを箸先で多めに巻き付けて器に取った。兄たちの様子にみちほが目をパチクリとさせる。いつになく二人の会話は噛み合っていた。麦茶を飲み干した裕太は立ち上がり、せせこましい弟へ余裕の笑みを向けた。

 

「ま、神のみぞ知るって……あっ、時間だ」

 

 慌てて裕太がスポーツバッグを肩に掛けて台所を出ていった。飛び出た椅子の前では卓上に箸や食器が散らかった。そして、妹もそそくさと後ろの戸から居間へ消えた。まるで計ったかのように京太だけ取り残され、食卓にそうめんが有り余った――ちぇっ、お前らの分まで片付けてやらないからな。

 京太は母から隠した携帯端末を太腿の間から取り、箸を口にくわえて人差し指でアプリを起動した。

 

 

 台所は端末を手に首をかしげた京太がもごもごと食事を続けていた。午前中に二階の家族で使うPCに修正したデータを入力した。再計算されたUFOの出現ポイントが無線通信を介して端末に送られてくる。前回と位置があまり変わってなく、失望した彼は器に残る伸びた麺を無理やり口へ押し込んだ。

 

プルルルー、プルルルー

 

 正面の壁から統合端末の電話機能が音を立てて近くの人間を呼び、焦った京太は胸を叩いて喉につかえたそうめんを胃に流した。椅子を立ってもたもたと食卓を居間側へ回り、戸を開けて面倒くさそうに体を伸ばして台に片手をつき、ディスプレイを確認せずに受話器を取った。

 

「ハイハイ、黒田です」

「京太くん?」

「え、え、えっと」

 

 聞き慣れない若い女性の声に名前を呼ばれて動揺した。彼は足を居間に移動させて体を回転し、カメラに寝ぐせが跳ねた頭を晒す。ようやく画面に映った顔が昨日の少女だと分かった。

 

「エリさん。ど、どうしたんですか」

「彩香さんに家で暇してるだろうって聞いたから」

「え、はい。それほど忙しくないですけど…」

「じゃあ、今から来てくれないかなぁ」

 

 無遠慮な声の背後で窓へ光が射し、薄く影がかかる表情は不遜な態度に思えた。そうでなくても叔母のでたらめを真に受ける人間にいい気がしなかった。京太は断ろうと顔の前で両手を合わせて彼女の反応を見た。エリが肩に揃えられた髪を揺らして首を振った。画像を拡大させ、あどけなく頬を膨らませた少女に納得がいった――やっぱ見た目通り子供っぽい性格だな、怒ってる――叔母の家で怖い顔をして睨まれた事が頭に浮かんだ。腰まで長い黒髪の彼女に。

 

「アアァーッ!」

 

 手で滑った受話器が台に転げ落ちた。ディスプレイに映るエリが着替えをした前後で変わったと気づき、回転する受話器の集音口へ叫んだ。

 

「行きます、すぐ行きます!!」

 

 震える指でパネルを押して居間から廊下に出て首を左右へ振り、Tシャツにパジャマの下という恰好に自分の部屋へと舞い戻った。

 家を出た京太は火が点いたように自転車を漕いだ。田んぼの間をジグザグと通り抜け、乾いた泥にタイヤの跡を付けて広い道路に来た。端に引かれた白線の外で狭いアスファルトが切れて雑草を踏みつつ、車が向かってくる横を住宅街に通じる橋まで上った。銀のフレームに耐久力を高めた通学用の荷台付き自転車はペダルが重く、体を傾けて無心で足を動かした。

 昨日の壁際に迫力ある女性の髪が長く、今日の画面に愛らしい少女の髪が短い。この食い違いに桂木家へ向かう感情は道路脇にできた凹凸からの振動に煽られて沸き立った。

 上り終えた橋の歩道で開放的な気分を抑えて平坦な路面を車輪が回った。住宅街から吹く新しい空気が川の反対に渡った京太に爽やかさを運ぶ。並んだ家々へ向かって次第に下っていき、少年は風を切って特徴的な屋根のカフェを目指した。

 




―― 次章予告 ――

桂木家に呼び出された京太はカフェでエリの言動に振り回される。外出に付き従わされ、朋己の恋人探しを手伝うことになった。彼女の口から「UFО」と聞かされて空を見上げ… ⇒FLAG+07へ

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