「あっついわねー。なんで涼しくならないのかなぁ」
「もっと日が暮れてからでないと無理ですよ」
「うそっ、ちょっとは太陽が傾いたから風が吹いてくるでしょ」
「どんな田舎から来たんです、エリさん」
彼女たちが歩く新舞島駅の通りは東西へ延びる二車線道路で少し離れた国道と並走する。駅周辺は交通死亡事故を防止するため、全ての車両が法律で指定された制動装置を載せた。運送会社の不評を買った条例は大型トラックの流入を大幅に減らしたが、かわりに遅い速度で走る普通車が列を成してアスファルト上に暖気の壁を作った。
頭の位置が車より低いエリは手で胸元をあおいだ。歩道の先はガードパイプが途切れ、角張った黒いセダンがガソリン価格の書かれた看板の所を曲がった。フロントグリルで反射した太陽光に彼女は唇を尖らせる。横へ向いて京太は肩をすくめた。
「あれは高級車ですね。ハイブリッドだし余分に熱が出ますよ」
「は、お金持ちなの。セルフって書いてあるじゃない、あそこのスタンド」
「たぶん、運転手が入れるんだと思いますが…」
しばらく進むと、歩道沿いの建物がなくなった。スタンドの真っ白な高い屋根の下、停められた黒い高級車の後部座席にパッチリした目の見覚えがある女子の顔。京太は名前を思い出そうと立ち止まってもぞもぞと背中を掻いた。
「えーっと……」
「何、トイレならもう少し先よ。コンビニがあるわ」
「あっ。宮町だ、宮町未紗紀です」
「え、誰のこと?」
「あの後ろの席に座っている女の子。妹の同級生なんですよ」
「フーン」
興味がないエリは真っ黒なドアの窓に白い襟のセーラー服へ重そうな瞼に眼球を動かす。親指の爪を噛むお嬢様の仕草に、彼女を指して反対の手を京太へ大きく振った。
「あははっ、あれ見てよ。彩香さんの方が上品じゃない」
「はい、どれどれ。あ、指四本で隠れるんじゃ、叔母さんの大あくびには及ばないですね」
目を離す間に未紗紀はあくびをし、側溝の前に出た京太が眼鏡のフレームを上下させた。自分が引き合いに出した彩香の悪口を言い返され、今日も彼女の服を着るエリは馬鹿にされたような気になった。彩香がきつくて履けないスカートを借り、長い半袖シャツは腰にベルトを巻いて着こなした。桂木家で一緒に過ごす中で、家族と考えられないまでも彩香に親近感を抱いていた。エリはへそを曲げて高級車へ背を向けて腕を組んだ。
「フンッ、彩香さんは歴史ある舞島学園出てんだから」
「でも向こうは桐山女学園の制服ですから、歴史は変わらないかと。いやむしろ、舞島市でも線路のあっち側で山の手に校舎があるし、比較にならないお嬢様学校なんじゃ…」
「だ、旦那さんになる人は逆玉なのよ!」
ムキになってエリが彩香のことを良く言おうとし、京太は理解できないといった顔を彼女へ向けた。
「えっ、どーして。というか相手がいればの話ですよねぇ」
「ちはるさんが言ってたの。彩香さんと結婚すれば、もれなく家が付いてくるって」
「あー、そんなところですか」
「ふふふ、こんないい話は他にないわよ」
エリはウェディングドレス姿の彩香が中年男性と寄り添う様子を思い浮かべて目をつぶった。得意げな彼女に現実を教えるべく京太は近寄り、耳元へ手をかざして「未紗紀は使用人付きの屋敷に住んでます」と囁いた。目を開いたエリは驚きのあまり声を出せずにスタンドの誘導看板をバンバンと叩く。鉄製の枠に触れて熱さで飛び上がった。勢い任せに仕掛けた論戦はやけどを招き、京太が肩をすくめた。
ドタバタに気づいた未紗紀は明るい二人に硬い表情を和らげ、思わず車のドアを開けた。座席の外へ揃えた足に白いスカートから膝を伸ばし、降り注ぐ日差しに前髪のウェーブを手の甲で持ち上げた。革靴で静かにコンクリートの上を歩いて京太の後ろに来て止まった。
「あの、黒田さんのお兄さんですね」
「はいっ…俺かな」
不意に呼ばれた京太は振り返って少女を不思議そうに見つめた。コンクリブロック一つ分の段差で目が合う小さい顔。未紗紀は中学一年生としてはやや背が高く細身だった。
「確か、裕太さんでしたかしら」
可愛いと思った未紗紀がポツリと裕太の名を出し、京太の眉がピクリと動いた。双子の兄に間違われると嫌悪感を覚えて敏感に反応する。彼は悪意を持って微笑んだ。
「すいません。家族以外の顔はすぐ忘れてしまう脳ミソなもんで」
「はあ、大変ですね。二年ほど前にみちほさんのことをお話させて頂いたのですが」
「あ、そーですか。あひるの飼育係とか」
「クラス委員ですわ。いやだ、本当にお忘れなんですね」
「ええ、馬鹿ですから。アハハハッ」
京太が頭を掻いて大口を開けて笑った。ひょうきんな人間と思われたのか、未紗紀もくすくすと笑った。二人の笑い声をエリは後ろ向きで聞いた。ジンとする手をもう片方で押さえつつも、交わされる男女の会話に耳をそばだてていた――割と社交的な女子、お兄ちゃんと合うかも――と横に寄って京太の脇腹を肘で突っつき、黙って歩道の端へと行った。
京太は未紗紀に手で断りを入れて付いていく。エリが後ろ手に組んでパイプの支柱をトントンと蹴り、「仲良しさんね」と皮肉った。彼は訝る背中へ手を振った。
「違いますよ。未紗紀は俺を兄貴だと間違えてるんです」
「へぇ~、あんな可愛い子と関係があるんだ。裕太もやるわね」
「ご冗談を。兄貴は妹のおまけです、どーせ何にも覚えてませんから」
「そう、彼女が覚えてればいいの。その方が好都合」
垂れた横髪を耳に掛け直し、エリがニヤッとした顔を覗かせた。怒るどころか嬉しそうな表情で逆に京太を不安にさせる。彼は両手を横に広げた。彼女が何かを企んでいるのは間違いない。
「早まっちゃダメです。お、落ち着いて下さい」
「何、もう忘れたの。あの作戦のこと」
「う~んとねぇ、騒がしいお兄さんの小人をやっつける策謀?」
「どんな耳してんのよっ、あんた」
「いえ、あんまり聞いたことがない言葉だったので」
「だったら、もう一回」
エリは鼻から息を吸い込み、口の両脇に手を当てて未紗紀に聞こえないよう車道へ吐露した。
「うーんと、ふさわしい、お嬢様を義姉さんにするの~」
「ん、何か違うような。いや、それって本気だったんですか」
「もっちろん、これからコンタクトを開始するわ」
振り返った彼女は透き通った空へ人差し指を突き立てた。キャップのつばを上げて開けた視界にターゲットを捉えた。成功の暁には幸せだけでなく、朋己に財貨をもたらすことにもなる。太陽が強く照りつける路上で熱意をみなぎらせた。