歩道の端で小さな女の子が先程まで笑い合った少年とじゃれていた。未紗紀は兄妹のような二人と少し離れて足元の溝に目をやって時間を持て余した。自転車が通り過ぎ、彼らが来た。お下がりなのか、先頭の子はだぼだぼの襟付きシャツとスカート。彼女が表情をにこやかに自分へ向け、年上の自覚を持って笑顔で迎える。一段盛り上がったスタンドから手のひらを小さく横に振った。
「は~い、こんにちは。私は宮町未紗紀、よろしく」
「こんにちわ、エリって言います。け…裕太の叔母さんの家の者です」
「あら、親戚のお子さんなの。夏休みで遊びに来たのかな」
「中三で職業体験に来たんですけど。まぁ~、そんなところで」
エリは曖昧な返事でへらへらと笑った。それを訂正しようとする京太は前へ足を出し、すかさず彼女が斜め後ろに手を伸ばして胸を小突いた。彼はムッとして顔を背けた。誤解させておいた方がプラスという彼女のやり口に嘆息が漏れた。
彼らのやり取りの意図が理解できない未紗紀はただ単に年齢と背恰好のギャップに驚いた。
「えっ、中学生なの。私、はなはだ勘違いをしておりました」
歩道から見上げる子供っぽい笑顔の女の子が年上だと知って見方は変わる。緩んだシャツの裾を腰で絞るスタイルがお洒落に見え、汗をかいた出無精の肌も潤いある女性の美白を感じさせた。焼けて皮が剥がれてきた自分の腕を反対の手で押さえた。ぱっと見て似合わない恰好のエリへ称賛する言葉が口を衝いて出た。
「とても素敵なコーディネーションなさってますわね、エリさん」
「いえいえ、未紗紀さんには敵いません」
「まあ、私なんかは子供ですから…」
「宮町家のご令嬢といえば舞島市では有名じゃないですか」
「そ、そんなことありませんわ」
お世辞に慣れた未紗紀が謙遜した態度をとった。否定するのを見てエリは嫌らしい口振りに変えた。
「またぁ、すっごいお屋敷に住んでいるんですよね」
「えっ、あなたも。それが目当てで近づき……」
未紗紀は「屋敷」と聞いて顔が強張り、エリを見る目つきが鋭くなった。わなわなと震える肩で視線が合わなくなり、頭がふらついて前へ倒れた。
さっと縁石に足を掛けたエリが両手を広げ、未紗紀の体はキャップを引きずって肩に落ちた。腰を落とした京太が二人の傾く体をがしっと後ろで受け止めた。早速、エリは肩に乗っかる後頭部へわざとらしい声を上げた。
「いいなあ。あーいう所で働いてみたいなー」
「はぁい?」
未紗紀はもうろうとしかけた意識で耳元への振動に気のない返事をした。体温に包まれた感触とひしゃげた帽子が目に。ハッとして反対へ振り返るとエリが小鼻を膨らませた。
「お嬢様、屋敷で使用人体験できませんか。わたしたち何でもします」
「ああ、私なんてことを…ご迷惑をかけて申し訳ありません」
「何をおっしゃる、未紗紀さん。知り合いの知り合いは家族も同然ですよ」
体を起こすのを手伝うエリは笑顔を絶やさなかった。彼女に優しく手を添えられ、未紗紀があまりの親切に畏まって微笑んだ。頭の中は人前で取り乱した恥ずかしさが溢れんばかり。張り詰めた顔を上げると、京太がそっぽを向いて指先で頬を掻く。彼のあきれ顔が目に入って愕然とし、凄くたまらない気持ちが込み上げ、未紗紀はこぶしを握り締めて口に持ってきた。気づくと親指の爪を噛んでいた。
何か言った方がいいのかな――とエリは歩道から見上げ、キャップを頭の形に整えてつばを握った。未紗紀から怒り、不安、苛立ちといった感情が伝わってくる。兄が居たら頭を撫でてなだめてくれるだろうと思った。彼女は思いきって側溝をぴょんっと飛び越えた。段差の端に両足を着いたものの、体が後ろの歩道へ落ちかけて腰を振り、反動で顔を未紗紀の肩にぶつけた。
「――してないで。ちゃんと相手の話も聞かないと」
優しい声が肩口から聞こえて未紗紀の目は覚めた。自分に引っ付いたエリが鼻を赤くし、失敗も笑って済ます。二つ年上の先輩は精神的に大きく見えた。いきなり抱きつかれて意表を突かれ、離れる時には一人相撲で膨らませた緊張がすっかり解けていた。
正気になった未紗紀はエリからの頼まれ事を思い出して真剣に考え込んだ。屋敷に職業体験をしに来た人は今までなく、心配そうに胸元に指を絡めて彼女へ顔を寄せた。
「あ、あのー、調理場での作業なんかでよろしいですか」
「はい、三日でいいので!」
エリが頬の近くに「オッケー?」と親指と人差し指で輪を作って三本の指を立てた。その仕草が可愛らしく見え、未紗紀は初めて遠慮なく笑った。
「屋敷へご案内しますわ。さあ、一緒に参りましょう」
艶のある栗色の髪で背中を覆い、給油の終わる黒塗りの車へ向かっていった。エリはキャップの接ぎ合わせ部分を指先でなぞり、堂々と歩く未紗紀をうっとりと眺めて独り言を口にした。
「小麦色の肌をした健康的な美少女。背が高くないからお兄ちゃんとは釣り合いそう。三歳差なら恋人としてピッタリだわ。でも彩香さんみたいに料理はできないんだろうな。まあいいか、なんといっても金持ちのお嬢様だ」
エリがうまくいったかのような表情をした。京太は腰に手を当て、冷ややかな視線を送った。
「口車に乗せられていっちゃいましたね、彼女。最後なんて言ったんです?」
「人聞きの悪い言い方しないの。こっちからウソは言ってないし」
「やっぱり、分かってるじゃないですか。兄貴とか親戚とか思わせて」
「怖い顔してないで。さ、わたしたちも行くわよ」
革のシートに座った未紗紀が奥に見え、ドアの側に立つ運転手。給油スタンドの太い柱が伸びた屋根で陰になる高級車へとエリは大手を振った。元気な後ろ姿に揃った髪が肩で揺れた。後を追う京太はエリとの関係に少しも疑問を持たれないのが頭に引っかかった。特に、血縁もなく似ているはずもなかった。
「後先を考えないで行動するし、やたらに自信家だし。例えるなら、叔母さんとばあちゃんを足したような性格して……あれっ」
車はエンジン音を静かに発車して新舞島駅の通りを走った。子供が三人でゆったりとした後ろの座席で真ん中のエリは乗った記憶がない普通車を珍しそうに低い天井を見回していた。来た方向へ戻り、未紗紀が通う桐山女学園に通じる交差点も越えた。彼女は膝に手を置いて前を向き、京太はリアガラスへ首を曲げた。
「あ、学校の方はいいんですか」
「はい。クラブ活動は自主性を持って行うものですから」
「へぇ~、さすがにお嬢様学校ですね」
「そういえば、裕太さんはサッカー部だと噂で聞きましたけど」
「さあ、聞いたことありません」
兄の名を聞いて京太の悪癖が出た。未紗紀が首をかしげ、エリは二人の間でパッと両手を広げてカーテンを作った。思いついたかのように片足を上げてボールの蹴り真似をした。
「ははは、そーなんですよ。シュートってね」
後ろに手をまわして京太をバンバンと叩いた。未紗紀は目を細め、手を合わせて身内の遠慮のなさに興味を示した。
「ふふっ、お二人はいつも仲がよろしいんですね」
「まぁ、こんなの普通以下ですよ」
「羨ましいですわ。私、兄妹もいないので」
「欲しければどうぞ、持ってっても構いませんから」
「いいんですか。あっ、もう一人ご兄弟がいらっしゃたとかも…」
「さあ、聞いたことありません」
エリは彼女の気を惹くように話を合わせる。背後で京太はふてくされた。取り出した端末で使い慣れたアプリを起動するために指先を何度も画面に押し付けた。
和やかな雰囲気の後部座席と対照的に運転手は黙ってハンドルを握り、泥のはねたフェンダーに車は橋を渡り切って田園地帯へ入っていく。並走する線路の列車に追い抜かれ、センターラインが白くなった道路を真っ直ぐ、温度を下げる効果のあるアスファルトにも先は白く揺らめいた。
屋敷に向かってレールが敷かれた進行方向に、エリの計画は細部がまだ真っ白のままだった。
―― 次章予告 ――
二人は高級車に乗り込んで未紗紀の家へ向かった。赤レンガの外壁に囲まれた屋敷に着き、エリがはしゃぐ。翌日から朋己の恋人にしようと情報を収集。命じられた京太が調べて… ⇒FLAG+08へ