ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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話によく聞く娘と

 夕日が赤く染まる中、二人は日陰になったカフェの前に自転車を停めて店に入った。エリは奥に行って壁のスイッチで冷房と明かりを点け、扉から家のキッチンへ入っていく。京太が座るカウンター席の前はコーヒーを淹れる道具が並べられた。

 エリは左手に薬箱、右手にぴっちりと詰められた袋を持って戻り、京太の背中を回り込んで隣の椅子に座った。箱から肌色のシートを出して彼の青い膝下に貼り付けた。

 

「ほら、これで大丈夫。もう帰っていいわよ」

 

 薬箱の蓋を閉じてカウンターの端に寄せた。代わって手にした袋の上部を開け、鼻を近づけて空気を吸い込んだ。京太は椅子を回転させて彼女の反対側へ下りた。卓上の紙や容器類が目に入って香ばしい匂いが鼻に届き、息をついた彼は振り返って分かり切った質問をした。

 

「それには何が入ってるんです」

「フフフ、新しい豆。あのミルで挽いてコーヒーを淹れる練習よ」

「俺も手伝いましょうか」

「いいのね。じゃあ、味見してちょうだい」

 

 彼女がひらりとカウンターの内側に向かい、彼は腰を下ろした。ミルに豆が入って縦ハンドルが回された。鼻歌交じりに数分。エリは挽いた粉を箱からごそっとフィルターに移し、透明な容器の上に載せた穴の開いたカップに置いた。キッチンから持ってきたポットのお湯を注ぐと、コーヒーの香りがカフェ全体に漂う。白いカップに黒々と濃い液体を注ぎ、二人は口をつけた。

 

「ん……苦いわ。何これ」

「うーん、入れた豆が多いんじゃないかな」

「そ、それよ。次は大丈夫」

 

 エリは気を引き締め、普通のスプーンを数回往復させて豆挽きをやり直した。粉の分量が大幅に減った。抽出したコーヒーをごくごくと飲み、彼女は「薄くなった」と唇を噛んだ。もう一度ミルへ豆を投入し、ハンドルを高速で回転させて細かい目のさらさらなパウダーに。前回より倍に増やした。まろやかな味が口の中に広がるのを想像したが、最初より苦くなった。手動の豆挽き器はエリには難しく、何回かやるうちに味が分からなくなって途方にくれた。

 ガラス張りの窓外が暗くなり、ステンレスポットの湯も冷めた。最終的に、奥の扉が開いて夕食を作りに来たちはるが待ったをかけた。

 

「エリ、まだ居るの。程々にしておくのよ」

「あ、教えてください。ちはるさん、コーヒーの淹れ方が分かんないんです」

 

 ちはるは早々に室内へ引っ込んだ。すぐ後をエリが駆け込み、話し声がカフェへ漏れてくる。

 

「ごめんなさい、私は彩香と違って詳しく知らないの」

「えぇ~、姉さま今日遅いんですよね」

「そう、だからカレーにしましょう。って、枯れ葉が背中に付いているわ」

「え、どこどこ?」

「もっと右よ。それ付けに自転車で山の方へ行ったんでしょ」

「えへへ、サイクリングに行ったんだ」

「虫に刺されるから、今度は長いのを履いて行きなさい。それにヘルメットもよ」

「納戸の段ボールの中ね。わかった、後で探しとく」

 

 ちはるとの会話は仲の良い家族を思わせた。桂木家に早くも馴染んでいることに疑念はあるが、京太は屈託ない性格がそうさせるのだと感じた。彼自身が裏表のないエリに惹かれ、こうして一日中付き合っていた。決して嫌々従った訳ではなかった。

 京太の口内はコーヒーの苦みが残り、彼は腰を上げた。調理台へ手を伸ばそうとすると、エリがキッチンからひょっこりと笑い顔を見せた。

 

「おーい、ちはるさんが京太も食べていきなさいって」

「うん、すぐ行くよ」

「よかった。歩けるなら、コーヒー飲んだやつとか全部持ってきてね」

「え、それはないんじゃ…」

 

 京太が掴んだポットは空だった。カウンターに斜めに置かれたトレーに載せ、二人分のカップを添えた。キッチンへ向かう彼の両手は塞がり、鎮静剤が効いた脚がジンとした。レンガ屋敷では自動化された機械がやってくれる。ぶつかったのがティーセットを運ぶワゴンじゃなくて良かったとしみじみ思った。

 

 

 黒田家に京太が帰った時には辺りが真っ暗で家族の夕食も済んでいた。台所へ向かわず廊下から居間に入り、通り抜けて渡り廊下への扉を開けて出た。渡り廊下の先は離れで、風呂がない2DKの祖父母が居住するスペース。離れの廊下に上がった京太は真っ直ぐ進んでダイニングキッチンに来た。仕切りがない部屋の入り口から祖父が座るテレビ近くの窓際へ話しかけた。

 

「レンガ屋敷の家が代々建設会社って有名なの、じいちゃん」

「え、家でも建てるのか」

「なっ…兄貴に言ってんじゃねえよ!」

 

 耳が遠い祖父の代わりに反応した裕太へ容赦なく罵声が浴びせられた。6畳のフローリングは布団を外したこたつ机の下にい草ラグが敷かれ、兄がサッカーの練習着のまま床にはみ出て寝転がった。部屋の手前はもう一人、祖母がいた。家に居る時は京太が着れなくなった体操シャツと緑色のジャージを着て生活し、夜は大抵テレビを見ながらビールを飲んで過ごす。彼女は空き缶を手にして卓上に肘をついて赤い顔を向けた。

 

「京太、屋敷ろおりょーさんはどうらった」

「もう酔ってんのか。まあ、ばあちゃんでもいいや。宮町建設って有名なの」

「あ、あろめえらら買っちゃいかん。れったい下ある」

「へー、いろいろ知ってるんだ」

「うんにゃ」

「え、なになに?」

 

 京太はいそいそと部屋に入って近寄り、地獄耳の祖母に有力情報を期待して話に耳を傾けた。

 

「彩香んとこ中らくへー居るらひぃ。かわいい女ろ子らんられら」

「えっ。ばあちゃん、どうしてその事を…」

 

 ろれつが回らない祖母に京太が驚いた顔をした。帰ってくるとこんな風。だが、外ではぶすっとして貫禄があり、彩香が気軽に話しかけられるタイプでなかった。彼女は孫を指して笑った。

 

「ははは、やっぱ京太ろ本命はこっひぃか」

「へへ、聞いたぜ。年上だし、気が強い子なんだってな」

 

 裕太が引き続き冷やかして笑い出し、京太は兄もが桂木家のエリを知ることに呆然とした。しかも、気性までが詳細にバレている。真相を聞こうとしたが、なかなか笑いの収まらない二人。彼はとうとう焦れて離れを後にした。

 

「あいつら許さん!!」

 

 気色ばんで渡り廊下を歩く京太に南風が吹いて腕に暑さがまとわりつく。エリと出会って三日、彼女のことは家族に話してない。謎が解けずに母屋に入り、涼しい居間でソファーの肘掛けに腰を乗せた。母・美雪の呼ぶ声が格子状のすりガラスを突き抜け、無視して考えていると台所の引き戸が開いた。

 

「こら京太っ、夕飯どうすんのって言ってんだろーが」

「京太、ちょっといいか」

 

 吹き荒れる美雪の怒鳴り声を遮断するように戸を閉め、物静かに父・真裕が京太に近づいた。

 

「女子の言うことばかり聞いてはダメだ」

 

 日頃子どもに何も言わないだけに妙な父。肩を叩いて背後にドンと座った。190cmを超えてそこそこガタイはいいが、理系の秀才で大人しく三兄妹にとって美雪の影のような存在だった。京太は「またか」という心境になり、壁の方にぴょんと立って廊下への戸を引いた。一瞬、台所の扉から漏れた光に影が横切った。その方向に真っ直ぐ進むと妹の部屋がある。彼は噂の出所がみちほだと悟った。あの時、慌てて出かけた後に通信画面が切れておらず、廊下にいた彼女はエリを見に来たのだ。

 京太は悪趣味な妹に腹を立て、盗み聞きしたと思われる薄い壁の方へ睨んだ。結局、屋敷で未紗紀の顔すら拝めずにエリを憮然とさせた。部屋の音なんか聞こえない廊下が羨ましく思えた――何かいい方法ないかなぁ、作戦に役立ちそうな――頭をひねった彼はソファーの側に舞い戻った。

 

「父さん、確か二階にマイク内蔵の発信機があったよね」

「学生の時に試作した注文送信機か。PCデスクの一番下の引き出しにあるけど何に使うんだ」

「うん、エリさん……。いや、本棚の雑誌を出した隙間を埋めようと思ってさ」

「それはそうと、たまに断らないと遠慮なく次々と頼まれてだな…」

 

 真裕が横を見ると京太は居なくなり、廊下から階段を上がる足音が響く。彼を探しに来た美雪はムスッとしてエプロンで手を拭いた。その娘に息子も振り回されるのかと父はため息をついた。

 

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