ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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姉へ向ける顔

 新舞島駅の南側に広がった住宅街。桂木家の前は国道に繋がる道路が走り、電線が埋まって白線が引かれる。真夏の昼下がりに『わ』から始まるナンバーの三列シート車が家の門を塞いだ。

 玄関先にスリッパで出て京太は指差した。お団子をふわりとさせた頭の女性がスロープを上ってきた。ドアの開く半径内にたどり着き、祖母の志穂は出迎えた孫に向けて目の周りにできたシワと一緒にニッコリと笑いかけた。

 

「こんにちはー、京太。元気そうね」

「桂木のばあちゃんが…なんで」

「まあ、ダメでしょ。スリッパを外まで履いてきちゃ」

「え、はい。これでいい?」

「ああ払わないと。もう、しょうがない子」

 

 彼女はホールに上がって頭を掻く京太にたるみかけの頬を緩めた。ひさしの下から玄関に入り、部屋の前に立つ女性に気づいた。ちはるが手を後ろにまわして外の会話が途切れるのをじっと待っていた。日頃はきっちりと閉める戸を開けたまま、自分の方を向いた志穂に顔を綻ばせて手を差し出した。

 

「こんにちは。駅から暑かったでしょ、さあ入って」

「こんにちは、ちはるさん。お久しぶり」

 

 二人は目を合わせて微笑んだ。ちはるは思いがけない来訪の志穂を歓迎し、一年足らず前に会った義姉にもかかわらず何を話そうかとうずうずした。耳の横で軽くウエーブした彼女の髪を見てまとめた自分の髪を弱く引っ張った。

 ちはるにリビングの入り口脇で手招きされ、志穂は慌てて何も持ってない両手を上げた。

 

「あ、でもここでいいの。本当に…」

「遠慮しないでよ、中は涼しくしてあるんだから」

「ほら、ねえ……」

 

 胸の前に手を合わせてウインクした。彼女はボーダーシャツにチノパンと普段よりカジュアルな服装をしていた。首をかしげたちはるに耳障りな声が聞こえた。

 

「上がったらいいじゃない。この家って玄関も暑いしさ」

 

 髪の短い女性は直角に曲がるスロープでなく、カーポートを斜めに横切った。駐車場から玄関へよく通った低い声が響く。志穂の後方から千夏が現れ、穴の空いたジーンズで階段を上がってポーチに足を上げた。

 家の中から小さく見えた姿が大きくなり、ちはるは表情を強張らせ、本物の姉へ半身に構えて腕を組んで口を尖らした。

 

「私のバイクに傷を付けてないでしょうね」

「今日は一つも指輪してないわ」

「年寄りは手すりを持ってスロープから上がってきなさいよ」

「陰になってるし、近いんだから断然こっちじゃない」

「じゃあ、お帰りもそちらでどうぞ」

 

 二十近く離れた姉に冷たく言い放ち、手の甲を見せて振った。疎ましい肉親へは容赦なく嫌味を浴びせた。そんな心無い対応にも千夏はどこ吹く風。Tシャツの襟に指を入れて首を振り、カーキジャケットの袖をたくし上げた。顔に向けて手をパタパタして孫の元へ近寄った。

 

「さあ京太、鰻を食べに行くわよ」

「ばあちゃん、その、実はそうめん食べてるんだけど」

「はぁ、仕方ないわね。ちゃんと断らないと」

 

 振っていた手を京太に向けた。ぷっくりとした頬をふいと、ちはるへ向いてニヤリとした。

 

「どーせ、ただ茹でただけの代物なんだからさ」

「ちょっと、失礼じゃないの」

「あら、事実でしょ。他はカレーとうどんしか作れないとか」

「うるさいっ。パスタも作れるわよ!!」

 

 ちはるは顔を上気させて馬鹿にした姉に詰め寄り、タンクトップから覗く丸い肩を怒らせた。対する千夏は上着のポケットに手を突っ込んで胸を張った。結婚生活の長さだけでなく、身長が高く体格的に妹なんぞ恐れるに足りないと迎え撃つ。険悪な姉妹の間は見えない火花が散り、狭い玄関でケンカが開始されようとした。側にいた志穂は壁の手すりを掴んで運動靴のかかとに指を掛け、ボーっとする孫に叫んだ。

 

「京太、何してんの。早く止めなさい!」

 

 とっさに京太はちはるの片腕を取った。だが簡単にはねのけられ、勢い余って廊下に飛び出た角で背中を打った。志穂は靴を後ろへ放り脱ぎ、反動でホールに上がって飛びついてハグをした。

 

「ストップ、ちはるちゃん。さあ落ち着いてちょうだいね」

「あっ…。う、うん」

 

 懐かしい匂いを嗅いでちはるは怒りが収まり、子供のように頷いて首元へ顔を寄せて余韻に浸った。騒ぎを聞きつけたエリが箸とガラスの器を手にしてリビングの戸口に姿を見せる。ホッとした志穂は知らない少女が目に入り、手を振って話を逸らした。

 

「あら、かわいらしい。誰かな~」

「エリっていうの。今、彩香が面倒見ているのよ」

「こんにちは、エリちゃん」

 

 ちはるの肩で微笑んだ女性へ、エリは箸をくわえてペコっと頭を下げた。むっつりと壁を向いた千夏へ上目をチラリ。すぐダイニングへ入っていった。志穂はぶかぶかのTシャツを着る女の子を小学生だと思った。とにかく彼女の出現によって玄関に沈黙が訪れ、ちはるを冷静にさせる貴重な間ができた。

 京太は腰をさすってリビングに入って戸を閉めた。がらんとした室内にエリが一人テーブルで食事をし、箸を置いて黒いボトルを手に取った。麺をつゆに浸した彼女は容器を持って彼へ顔を向けた。

 

「京太はウナギ食べに行かないの」

「はい。じいちゃんばあちゃんのお供なんか兄貴たちで十分」

「じゃあ、聞いていい?」

「どうぞどうぞ」

 

 大人しく座るエリの横へ向かった京太は胸を叩いた。放っておけないというのもあるし、やっといつもの対応をしてくれて嬉しくなった。彼女は警察に顔が利く黒田家の祖母に興味があった。

 

「レンガ屋敷に警察を呼んだ千夏さんはどっちなの」

「いかつい方。若い頃ガールズユニットでギターを弾いてたらしいです」

「そうか、署長は熱狂的なファンなんだ」

「まあ、アイドルは5年で引退宣言して結婚したんですけど」

「それだけ人気ばっばぼべ」

 

 納得したエリが喋りながら口を動かし、京太はさっき同じことをした彩香がいないのに気がついた。

 

「あれ、叔母さんはどこ行ったんですか」

 

 無言でツンツンと箸が対面キッチンへ指された。隠れるようにして背を屈めてそうめんをすする彩香が目に入った。祖母たちを前に委縮する姿は珍しくなかった。それよりも京太は屋敷で見た不思議な現象の話を聞いてもらえると、テーブルを回って正面で勢い良く椅子を引いた。

 玄関では姉妹のバトルが再燃し、けんか腰な声が壁の向こうのダイニングにまで聞こえた。

 

「何さ、親の七光りでアイドルやってたくせに!」

「うっさいわねー。おんなじ道路ぐるぐる回ってるよりマシでしょっ」

「まあまあ、義姉さんも落ち着いて下さい」

 

 彼女たちの間で右往左往する志穂は玄関口から外を覗き、車内の後部座席で待つ家族を思って気を揉んだ。口の悪い二人は互いに譲らず、いたずらに時間を消費していがみ合いは続けられた。

 

 

 キッチンで彩香が腰をトントンと叩いた。ひっそりと一人で食べ終わり、容器はすぐ隣の流しに置かれた。ダイニングで手を合わせたエリが容器を重ねて持ってくる。トンっと置いて目も合わせず、テレビへと一直線に離れていった。彩香は固く口を結んで残った汁を流し、ゴシゴシと汚れの少ないガラス表面をこすった。

 

「フンッ。こんなとこ居たら飯がまずくなる。行くわよ、志穂」

 

 千夏の捨て台詞が聞こえると玄関は静かになり、ばねが柔らかく弾んでドアが閉じた。ちはるがリビングに入って戸をピシャリと閉め、不満な表情を浮かべた。

 

「あぁ~、もう。なんで姉さんまで来るの」

「へへ、母さん帰ったんですね」

 

 布巾を手に彩香はテーブルへ戻った。清々とした顔つきが目に入り、ちはるは眉をひそめた。

 

「親に挨拶もしないで、どういう了見なの」

「だってぇ。前の見合いの人が会いたがってるってメールがいっぱい来るんだもん」

「良かったじゃない…って、そうじゃないでしょ」

 

 両手を上げてイヤイヤと首を横へ振る様子に、ちはるは顔を押さえて大きくため息をついた。玄関でのヒートアップに彼女の背中は汗でじっとりとした。後ろからザバーンッと涼しい水音が耳に届いた。テレビにプールのCMが流れ、彼女はリビングの画面へ振り返った。

 

「そうよ。鰻なんかより夏は海水浴だわ」

「どうしたの、いきなり」

 

 ソファーの背もたれからエリが顔を出した。驚いた少女へ顔を向け、ちはるは微笑んだ。

 

「来週は海に行きましょう、エリ」

「え、わたし泳げない…」

「教えてあげるわ。志穂さん直伝の泳ぎをねっ!」

 

 片目をパチッとつぶってみせた。戸がある方の壁へ向いてこぶしを握り、模様のない白い壁紙に鼻で笑った。玄関を意識した彼女の目には姉の大きな背中が映っていた。

 

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