桂木家にあって陽当たりの良いカフェ。八角形の屋根だけでなく、カウンターの方にも日差しがきつく照りつけた。一方で、ひさしが覆ってガラス戸から入り込むのをかなり緩和していた。
シャッターを上げて照明も明るいカウンターでエリは真ん中の席に座った。彼女の頭につけられたピンクのアクセサリー。以前に自分があげたヘアピンを目に入れ、内側で彩香がIH調理器からコーヒーポットを持ち上げて作業台に移動した。挽かれた粉が入った紙フィルターの上へ注ぎ口を傾けて小さく回す。しゅんとした少女へ冗談めかして問いかけた。
「突然、ぴょーんと飛んできた理由は何なのかな~」
「昨日の夜、電話したけど繋がんなかった」
「あー、あの電話どこか触らないと鳴らないのよね。で、どうしたの」
「……ぅん、奨学金もらえないんだって」
「白鳥育英会かぁ。どうしてかな…学校の成績が悪いとか」
「わたし、テストで80点以下取ったことないのに」
エリが悔しそうに見上げた。彩香はあまり勉強をしない彼女に意外な思いで作業を続けた。
「それは凄いわねー。じゃあ、内申書が原因なのかな」
「えっ、内申書?」
初めて聞いた言葉にエリのまばたきが繰り返された。ポットの細く伸びた先で熱湯が粒になり、それを彩香は作業台に置いた。サーバーに滴る雫へ目をやりながら彼女に顔を向けた。
「あれ、知らないの。うちじゃあ、母さんがよく言ってたけど」
「そんな事、施設じゃ誰も教えてくんないよ」
「あ、そう。そうなん…だね」
一緒に下を向きそうになるのをこらえた。彩香はフィルターに浮いた雑味を残し、ドリッパーを隣の流しにバンッと叩きつけた。涙するのはまだ早かった。
エリは両肘をつき、抽出された濃い液体が容器に溜まったのをじーっと見てつぶやいた。
「あーあ、これでお兄ちゃんと同じ高校に行けないや」
「い、いつだって会えるじゃないっ」
寂しそうな表情を見せるエリに声が上擦っても、手は冷静にコーヒーをカップへ注いだ。口では慰める彩香だったが、これといって考えはなかった。彼女は前向きな性格だと分かっていた。金の工面は難しく、できる事は沈んだ気持ちを支えてあげるだけだった。
砂糖を付けず、ただ皿の上に載せる。苦くて温かい飲み物をカウンターの上に置いた。入り口が完全に閉まっていない店内に、アプローチ横の木からセミの鳴き声が聞こえてきた――まだ十分な時間があるし、これからのことは彼女自身が決める。ここは見守るのが正しい選択だ。
「はい、少し熱いけど飲んだらスッキリするわ」
「ありがとう、姉さま」
引き寄せた器にエリが鼻を近づけた。香ばしさを堪能した彼女は取っ手を握り締めて持ち、唇を前に出してふーふーした。口をつけて「おいしいなー」と驚いてカップを置くと、両手で掴んだ内部を覗き込んだ。黒く揺れる液面にうっすらと反射した顔は真剣モードになっていた。
自分の分を用意する彩香は彼女の感想を聞いて気を良くし、いつもの調子で自慢を始めた。
「まあ、これくらいわね。こう見えても…」
「ねーさま、わたし決めました」
「ん、何を?」
彩香は前を向いたエリにふと顔を上げた。目を輝かせた彼女の腕が真っすぐ上へ伸ばされた。
「高校に行かず、このカフェで働きます!」
「えっ」
一瞬固まったものの、すぐピンと立った指先に視線が導かれた。住居と変わらず高くない天井につり下げられたライト。直接、電球を仰ぎ見てチカチカして顔を下げる。目の前で無鉄砲に意識を高める少女の瞳があった。彩香はデジャヴを見た気がした。
「ええぇ~~」
エリへ向いたメイクの下で迷惑そうにそばかすが踊った。彼女は気にせず、ずずっとコーヒーを飲み干す。彩香は後悔した。少女に何を言うべきだったのかと今更ながら考え、腕組みして狭い通路をうろうろした。
その時、奥でキッチンへの扉が開いた。ちはるが何事かとホースを片手に入ってきた。
「どうしたの、大きな声出して」
「ああ、ちはるさ~ん」
彩香の前に救世主が現れた。情けない声を聞き、ちはるが扉の脇に掃除機を置いた。やれやれといった感じで奥のカウンターに近寄り、うろたえる大人の思考に耳を傾けた。
ちはるは話を聞いた後、エリに乗ってきたバスの時間を尋ねた。彼女は施設を昼前に出たと答えた。思った通りだと小さく頷き、手招きして彼女と一緒にキッチンへ入った。しばらくして一人で大きなビニール袋を持って出てきた。
「エリに棚のパンと冷蔵庫の残りを食べさせるわ。それとゴミ、ここに置いといて」
「はい、いいですけど……彼女、ちゃんと高校行きますよね」
「当り前よ。奨学金の募集は他にもあるし」
「でも、朋己くんの近くに居たいって。だから白鳥のじゃないと」
「会いに行けるくらいでもいいんじゃないかしら」
「公立だと寮がないから通えませんよ」
「あのね、私立でも入学金や授業料が安いところはあるし、家庭環境によって補助金も…少しは美雪と世間話をしたら」
「え~、嫌ですよ。私には真兄ちゃんとの話ばっかして当て付けてさ」
エリの将来を案じる話の最中に彩香がブツブツと口先を尖らせた。ちはるはまぶしい窓の外を見やって嘆息し、ともかく掃除を終わらせるのが先と、かさばるゴミ袋の口を強く握った。週明けの収集日に備えてカウンターの端まで運び、ポイっと放した。そして、腹立ち紛れに片付けられる作業台へ振り返った。
「私がエリを説得するから、彩香はコーヒーのお湯を沸かしといてね」
「はぁ、ちはるさんも飲むんですか」
「もう忘れたの。今日は志穂さんが来るでしょ」
「え、待って下さいよー」
伸ばした手の前をすたすたと通り過ぎ、ちはるがカウンターの角を回ってキッチンへ入り、扉をバーンっと閉めた。彩香はとばっちりを受けたような心境になった。頭の中で少女への気がかりが薄らぎ、母が来る煩わしさへと傾いていた。