新舞島駅を二時過ぎに出た列車は舞島市と鳴沢市の山間部で二回ずつ、住宅街が広がってからも二駅に停車した。数人が座る車内でエリが長いシートの端で足を伸ばす。ドアが開くたびに彼女は外の景色を覗いた。ストレスも最高潮。少し離れて端末に夢中な京太へ不満を爆発させた。
「もぉ~、なんで各駅停車を待ってたのよ」
「あぁ、次で降りますから…」
京太が画面に目を落としてさらっと重要な事を言った。エリは呆気にとられ、首を振って座面をバンバン叩いた。
「桂木のおばあさんって鳴沢に住んでるんじゃないの」
「あ、UFOの波長が……だから、もう鳴沢市に入ってます」
「えっ。じゃあ、鳴沢駅に行かないんだ」
彼女は車窓へ顔を向け、まだ緑が目立つ街並みに残念そうな口振りをした。用事を済ませた後に駅ビルで遊んで帰る予定だった。兄への土産話が一つなくなって吐息をついた。
電車が坂にさしかかってエリの体が少し傾いた。上りきってゴトゴトと橋の上を通過し、下りとともにブレーキの音がして後ろに引っ張られる。屋根の下を『中鉢野』と書かれたプレートがゆっくりと流れた。電車が止まり、スカートの膝に両手を置いて立ち上がった。ホームに降りた彼女は反対側を通過する特急のなめらかな曲線へ目を奪われた。途端、京太が背中にぶつかった。
「痛っ…急に止まらないで下さいよー」
「う、うん、すぐ行くから。えーっと、あれっ」
エリは島状ホームの左右に顔を向け、両側にある出口への階段に首をひねった。「またか」という感じで京太が指を北へ向けた。
「ほら、出口はあっちです」
「ちょっと京太、こっちは初めてなんだから先行ってよ」
「ハイハイ。じゃ、はぐれないで下さいね」
すたすたと歩く彼の後ろをエリはついていった。結局、階段は上でもベンチを挟んで向き合い、彼らは北側の改札を通った。正面は一面ガラス張りで二本の線路が鳴沢の都心へと延びた。再び階段を下りて西口から駅を出た。
鳴沢に京太が良く来るのは舞島よりUFO関連アプリの反応がいいからであり、準急に乗るのは初めてだった。いつも家族と車で行く桂木の祖母宅から駅までの経路を詳しくは知らない。急行より遅く走る電車内で宇宙ガンマ金属粒子が広範囲モニタに引っ掛かったと喜ぶ京太はなるべく画面から目を離さないようにし、アルファ波長の数値が上がる前方への道を選んだ。そうとも知らずにエリは大船に乗ったつもりでいた。
居酒屋と歯医者の脇を過ぎ、電柱も街路樹もない大通りに来た。飲食店が歩道にズラリと並び、エリは手の甲でよだれを抑えて横断歩道を渡り切った。都市部の細長い建物が立ち並ぶ路地は奥で道幅が狭まり、さらに進むとフェンスに囲まれたコンクリートの用水路。短い橋を渡った先のせり上がっていく丘の斜面では上り坂の両側に四角い二階建ての住居がひしめいた。
「こ、この住宅街、彩香さんとこより断然大きいわ。さすが政令指定都市」
エリが頂上へ目を凝らした。それ程駅から離れていない住宅街まで運よく来られた。とはいえ、上の方にあるとしか手掛かりのない家は簡単に見つかるものではなかった。
ここでも京太はUFOに気が向いていた。特に、山のてっぺん付近は目撃情報が多く、彼は手元を見て坂を上った。最初の内はエリも住宅の塀際に植えられた樹木に手を伸ばしながら歩いたが、横道に入って何度も同じ場所を通り、次第に口数が減っていった。ブランコだけの狭い公園の入り口を通過し、子供達がペットボトルを振り回して遊ぶ。喉が渇いた彼女は奥の古ぼけた蛇口を羨んで首を垂れた。
碁盤の目のような道をうろつくこと一時間。京太は行き止まりへ擁壁が伸びた敷地の角を折れ、家の正面へ向かった。手前の塀は彼の背丈程あり、先でガレージがもっと高く構えている。シャッターまでのほぼ中央に目隠しの門扉があった。
太い門柱に張り付いた黒いパネルの前で京太が立ち止まった。エリはアルファベット表札と高い塀を見上げ、溜まった驚きを吐き出した。
「すご~い。ここが彩香さんの実家なんだ」
「はい、そうです。かなり前に建てられたと聞いてます」
京太は顔を上げ、少し下へずれた眼鏡を直した。それまでの不満にエリが唇を尖らせた。
「あんた、下ばっか見てよく歩けるわね」
「はぁ。通常、一度見たマップなら頭の中で再現できますね」
「ふつーはそんな事できないわよっ」
「俺だってそれだけですよ、妹なんかは…」
「あっ」
彼女たちの前で幅広い門扉の片側が奥へ開き、エリはすぐさま姿勢を良くした。けれど、物音がしない内部に腰を曲げて覗き込んだ。すると、門柱のスピーカーから声が聞こえた。
「エリ―、いいから入っといで」
「へっ。カメラどこ?」
「ほれほれ、ここだぞぉ~」
門柱の膨らんだパネルを京太が指して入っていった。エリも後に続き、門扉を閉じてそっと振り返ると、横向きに車を停められそうなスペース。目の前でつづら折りになったスロープは右奥から上っていけた。彼女はガレージある左の壁へ首を向けた。京太が玄関ポーチに足を掛け、遅れたと思って小走りで自転車が置かれた低い屋根の脇を通って階段を駆け上がった。
エリが踏み入れた玄関で甘い香りが鼻をくすぐる。前方に四角いガラスのはめ込まれた白い扉が見え、すぐ右の壁にも同じ扉があり、脇の台で瓶に入った花びらが色をつけた。京太は土間の右端の扉が開いた小さい部屋で手を洗っていた。彼女は後ろから覗き込んだ。
「へぇ~、手洗い場があるなんて学校みたいね」
「それじゃあ、扉を閉めてみて下さい」
「え、嫌よ。こんな狭い場所に京太と一緒なんてさ」
「なっ……い、一緒とは言ってませんよ」
「で、この部屋は何なの」
「服に付いた花粉とか砂粒とかが取れるんですっ」
「ふーん、色んなのがあるのね」
効果があるのかとエリは疑った。玄関で時間がかかっている二人へ廊下の奥から呼ぶ声がした。
「何しとるんだ。早くおいでー」
エリは急いでスニーカーを脱ぎ、下駄箱がなく靴下のままで奥へ行った。京太は舌打ちをして手すり下の壁を叩いた。開いた引き出しのスリッパに履き替え、彼女の分を手にして跡を追った。
入った部屋でエリは開いた口が塞がらなかった。舞島で過ごした桂木家のリビング・ダイニングよりやや広い部屋は二階の屋根まで吹き抜け。へこんだ壁際に薪ストーブが置かれて煙突が上へ伸び、向かいは中二階があり、階上の両サイドが回廊の透明な腰壁に挟まれた。天井までの高さと広さに、不安を感じて側の柱に手をかけた。
呆然としたエリの足元へ、京太が横からスリッパを離した。彼女は下を向いて足を入れ、顔を上げて目に階段を下がってくる人影が映った。右手を彼女たちに振って左手を手すりに滑らせる。足を動かしていないことに気づき、エリは人差し指を向けた。
「ふぁっ。京太、あれ本物のユーレイよ!」
少女の叫びが耳に入り、海外ロックバンドのロゴ入りTシャツを着た老女は腕を振り上げた。
「だ~れが幽霊じゃ。まだ足はついとるわいっ」
彼女は床で止まり、七分丈のパンツから伸びた細い足で板の上から軽く跳ねた。顔はシミとシワが多い肌で白髪の生え際を赤と黒に染めていた。折りたたまれる機械音を背にして二人に近寄ってきた。
その声と姿で京太は電話に出たのが彼女だったと気づき、手をポンっと叩いた。ぼーっと眺める少女の耳元へ囁き、奥の壁にあるレールを指して室内エスカレーターであると示した。
エリはハッとして我に返った。手をスカートの前で合わせ、聞いた名前を出してお辞儀した。
「初めましてエリです、ちひろおばあさま」
「こんにちは。高校生かい、エリ―」
「あ、えーと……そ、そう見えますかぁ」
「うん、そうかそうか。こんな子がいたんだな」
ちひろは少女が髪につけた三角形のヘアピンに目を細めた。彼女の濁った眼に制服姿がぼやけて映る。脳裏に焼き付いた高校時代の日々を懐かしんで口元を緩ませた。
予定と違う自分より背が低い老婆に堂々と応じられ、エリは珍しくうろたえた。混乱を最小限に抑えつつ、余計な事を言わないように話を合わせる。浮気した父とする人物はおそらく高齢。この家の隠し子になる計画は仕切り直しを迫られた。
―― 次章予告 ――
ちひろが手紙を読んで呆然とする中、志穂が帰ってきた。夕食の後に彼女は子供たちを送っていく運転席で優しく語り始めた。けれど一瞬、本音を漏らした。エリの目には彼女が… ⇒FLAG+12へ