ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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私の中のお姉さん

 桂木邸のガレージを出発した車内では志穂がハンドルを握って街中に目をやり、中学生が入れる店を紹介した。その間、エリは助手席で淡々と相槌を打った。住宅、商店、ビルと明かりが次から次へ通り過ぎても喜ぶことなく、暗い景色を待っていた。そして今、鳴沢南ICのゲートを通過して鳴舞バイパスに乗った。真西へ延伸する高速道路に代わって南寄りに山間部を抜け、新舞島駅の北側に出て舞島市の桂木家に一時間足らずで行ける。走行レーンに合流して速度メーターの点滅が自動運転システムの作動を知らせ、志穂は肩の力を抜いた。

 

「『気晴らしが必要』って、ちはるさんの薦めでこの車を買ったの。三角窓がフロントドアに付いてて珍しいでしょ。買い物しか乗らないけどスピードは出るのよ」

 

 志穂の愛車は白鳥技研のEVクーペで車高がやや低く丸いデザイン。運転席の後ろに座る京太は狭そうに頭を下げた。エリが愛想笑いをした後、きょろきょろして窓の後方を指で差した。

 

「あの電気がいっぱい点いてる場所は鳴沢大学かな」

「あ、大学ならもっと北で駅の向こうだし見えないんじゃない」

「そうなんですか。こっからは見えないのか、うーん」

 

 エリは後部座席へ上体を向け、額に手をかざして遠くを見るふりをした。視線だけを京太へ向けて無言で合図を送った。すでにガレージで打ち合わせ済み。彼は手のひらを見せて頷いた。彼女らの思惑通りに、志穂はドライブ設定パネルを操作しつつ聞き返した。

 

「そうね、今は進学する人も減ったわ。エリちゃんは大学に興味があるの」

「はい、高校は舞島学園に入って大図書館で歴史を勉強して大学に行きます。海外留学から帰って族議員の秘書をして大臣になるつもりです」

 

 体を戻したエリは両手にこぶしを握り、志穂に向かってきっぱりと言い切った。微笑み返されて心の中で「イケる」とつぶやく。真っ暗なシートの後ろで京太が事前のメモを読み上げた。

 

「マ、マイジマ学園ですか、たしか入学金とかが相当タカイ……」

 

 省エネで暗くなった画面に京太は一旦口を閉じた。だが、頭上が少し明るかった。そーっと見上げると、志穂の首元が青白く光っていた。飛び退いた彼の手の中から端末が落ち、手前の座席下へ転がっていった。彼が意識を取り戻すまでは時間がかかった。

 志穂はハンドルの固定スイッチを押し、助手席へ視線を向けた。やはり、ひねたところがなく元気のいい少女に見える。夫に似てお人好しな彩香が真面目に話を聞いたのは分かるとしても、どう騙すと面倒を見る気になるのかが疑問な点だった。焦れたエリが後ろへ首を振り、シートに片膝を立てた。志穂がセンターアームレストを指でトントンと叩いた。

 

「こっちからは下着が丸見えよ」

「あっ、ははは…」

 

 すぐ足を下ろしてエリは両手をスカートの膝に置いて苦笑いをした。何かを誤魔化したと感じた志穂はハンドルに片手を掛け、上半身を彼女へ向けた。

 

「ねえ、あなたがあの手紙を考えたんでしょ」

「ははは、何のことでしょう」

「別に怒っている訳じゃないのよ。この前、行った時に彩香から聞いたの。お兄さんと舞島学園に通いたいのは分かるけど、他人を騙してお金をもらうのは良くないわ」

「はい、ごめんなさい……あれ、どっかでこんな事あったな」

 

 頭を下げたエリが記憶をたどっていると、志穂がフロントガラスへ向いてボソッと言った。

 

「彩香も中学生に騙されちゃうんだから…」

「へぇっ」

 

 エリはびっくりして顔を上げた。まったくの誤解だった。ちひろに渡した手紙はまだしも、彩香に対して悪気もなく計り事をした覚えもなかった。彼女は志穂へ両手を広げてバタバタした。

 

「ち、違います。騙してなんかいません。わたしが寂しそうにしていたら誘ってくれたからついて行きました。そしたら素敵なカフェがあって、兄の話を聞いてもらって嬉しかったんです」

「それで知らない人についていったの。悪人かも知れないし気をつけなきゃ」

「いいえ、彩香さんはいい人です。でなきゃ、育ち盛りだからって毎日肉ばっかり食べさせてくれません。今日、鳴沢市に来て分かりました。志穂お母さんも優しいし、ちひろおばあさん、ちはるさん、周りにいい人がたくさんいます。大きな家で育って、バイクにも乗れて、わたし、姉さまが羨ましいんです!」

 

 必死な顔をしてエリが言い返した。感情的な子供っぽい言い分だが、志穂は彩香が彼女の成長を気遣っていたことや羨望の的となっていることに驚かされ、嘘とは感じなかった。ただ、一つだけ気になり、赤くなった瞳を覗き見た。

 

「エリちゃん、今言った事を彩香に話した?」

 

 少女は首を振った。納得した様子で志穂はシートに深く腰掛け、前をまっすぐ見つめた。もう一つ彼女から気づかされたことがあった。つい、彩香を過小評価してしまう癖。いつからか娘に自分と同じように生きて欲しいと願い、それができないと失望した。志穂にもエリの気持ちを理解できる時期があった。

 

「言わなくてもちゃんと伝わっているのよね、彼女には」

 

 志穂は記憶の中の自分に問いかけた。指で目尻をこすったエリは運転席の満足そうな表情を目にした。

 

 平日と変わらず、夜間の鳴舞バイパスの下りはすいていた。エリは白いLED灯の吸い込まれる道路の先を眺め、舞島学園に通う学費だけでも借りられないかと思った。三人を乗せた車は自動運転で走行し、追越レーンを数台が通過した。Tシャツにスカートの志穂は運動靴を履いた足をアクセルから持て余し、ゆらゆらと揺らした。

 

「私は住宅街が造成された頃から家族で住んでいたの。まだ空き地や公園が多くてね。小学六年の時、近くの公園のベンチで本を読んでいたら、黒いセーラー服の背が高いおねえさんが歩いてきて目の前で両手を振ったわ。『拭くもの貸してくれない?』って。私がハンカチを差し出した。そして、彼女は手を拭き終わったら『洗濯するから来てよ』と一人で歩いていった。昔から強引だったのね。そのまま桂木邸に連れていかれちゃった」

「あっ、それって千夏さんじゃ」

 

 黙って聞いていたエリが志穂の顔を見た。彼女は前を向いたまま、口元に笑みを浮かべた。

 

「ええ、鳴沢に引っ越して来た千夏さんはギターを始めてバンド仲間を集めていたの」

「志穂お母さんもギター弾けるんですか」

「私はキーボードを多少ね。桂木邸はガレージの扉を入った所がおばさん…つまり、お義母さんの音楽関係の仕事場で楽器を練習したり、音合わせをしたりする部屋があるの。ひょこひょこついていってそれだけでも度肝を抜かれたけど、ギターを持った千夏さんは弾き方が凄くダイナミックなの。音も凄くて別世界に来た気分になって、それから遊びに行くようになったわ。実は適当に指を動かしてただけなのに」

 

 一通り過去を語り終えた志穂は顔を横に向けた。バイパスは山間部に差し掛かり、追い越してゆく車のライトを浴びた。みずみずしい肌のエリを見て少しため息をついた。

 

「義姉さんは髪型から態度まで全然変わらないわ。なのに、こっちはすっかりおばあちゃん」

「いえ、そんなことないです」

「いいのよ、孫たちも大きくなって……そういえば京太はあまり義姉さんに似てないわね。美雪は頑固で自信過剰でそっくりだし、彩香はお調子者のところが似てると思うけど」

「姉さまがお調子者か。言えてる、ふふふ」

 

 想像したエリが彩香にぴったりな表現と、手で口を押さえて笑った。顔立ちは志穂と似ているが性格は違う。一口に遺伝と言っても父親から受け継ぐ部分があり、千夏と似るということは正しく桂木家から来ていた。そう考えると、彩香と京太の涙もろいところは志穂にない。エリは真剣な面持ちで彼女に進学の意志をアピールする方法はないかと考え込んだ。

 落ち着いて考える様子を、志穂は読書好きで聞き分けのよかった昔を思い返して見ていた。自分と比べて活動的であるものの、少女から大人の考えを十分理解する利口な面を感じ取った。年の離れた彩香と付き合おうとするエリには社会の道理が通じると思えた。

 

「大学に行くなら公立高校でも行けるじゃない。舞島学園だと進学コースになるし、偏差値が高いから難しいわよ。ほら、京太の父親の真裕さんは美里東でしょ。彩香から聞いてないかしら」

「聞いてます。大学を中退したって」

 

 エリがパッと顔を上げ、テキトーに話を合わせた。志穂は呆気にとられ、一瞬言葉を失ったが、苦笑して少女に顔を近づけた。

 

「そうじゃなくてね。聞いてないかな、鳴沢大学に合格した話」

「え、彩香さん鳴経大を中退したんじゃないんですか」

「しっ、声を静かに。そっちじゃないわ。いい、外で話しちゃダメよ」

 

 そわそわして人差し指を立てる志穂の額にシワが寄っていた。エリは何がいけないのかじーっと見つめた。彼女はひどく世間体を気にする。彩香と同じように他人から良く見られたいとの欲求は母娘で似ていた。志穂は首元の汗を手で拭い、固定したハンドルを掴んで背筋を伸ばした。

 

「その、それで彩香自身はなんか言ってた?」

「えっと、ちはるさんは頼りになるとか。あと笑ってました、彩香さん」

「は、笑ってたっての。ほんっと、迷惑かけて反省の色がないわ」

 

 志穂の目が今までにない怒りをはらんだ。彼女は独り言で顔を赤くし、足元に力を込めた。

 

「わっ」

 

 自動運転が解除されてスピードが上がり、エリは背中からシートに倒れ込んだ。そこに運転する志穂の横顔が目に入った。一言で態度を豹変させた女性。思わず、バス停で激怒した彩香と重なって見えた――そうか、姉さまの嫉妬深いところが志穂さんと似てるんだ――エリは彼女を怒らせてみようと考えた。心に溜まったものを吐き出せば何か起こるだろうと。

 

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