エリは彩香のだらしない性格を意図的に持ち上げ、かっかした志穂がアクセルペダルを強く踏み込んだ。速度メーターの数字が70、80、90と上がって先行車に近づき、白鳥技研の安全テクノロジーが自動ブレーキングした。彼女はハンドルを豪快に切り、赤いテールランプが見えなくなった隣の車線で再びスピードを上げた。
闇夜のバイパス道で前を走る乗用車を二台、三台と抜き去り、志穂は娘たちへの不満をぶつくさと言った。自分で怒りの炎を燃やす彼女にエリは助手席から話を合わせた。
「美雪さんは舞島市立大学。鳴沢からだとちょっと遠いですね」
「そう、初めから魂胆があったの」
「魂胆?」
「電車で通学すると一限目に間に合わないから下宿させてくれって……こっちは子供を作るために下宿させた訳じゃないのよっ!!」
「あ、それで京太たちが生まれたんだ。でも初孫だし、ハッピーじゃないですか」
ずけずけと言うエリの態度は志穂を苛立たせ、彼女の声調がヒステリック気味に変わった。
「も、物には順序があるのよ、エリちゃん。きちんと夫婦で生活基盤を整えてから子供を産むのが筋道だわ。単に避妊を忘れてたってだけでしょ、なーにが『授かった』だ」
志穂は先行車感知の警告が表示されたセンターディスプレイを乱暴に手のひらで叩き、ブレーキを足裏で蹴るように踏んづけた。
「それは凄く分かります、うんうん」
急にエリは神妙な顔をして頷いた。車の前方から『危』マークが付いたタンクローリーの背面が迫っていた。ここでハンドル操作を誤れば大事故になる。本当に燃えてしまっては洒落にならないと固唾を呑んだ。
ドロドロドロドロ……
後部座席に怪しげな音色が聞こえて京太は虚ろに目を開けた。座席下に端末を落としたのを思い出し、狭い足元に肩を挟み入れて拾い上げた。端末の画面にはドクロマークが表示され、目と鼻のくぼみが赤く点滅した。彼がタッチした画面からフードをかぶった黒いマント姿の3Dホログラムが現れ、ゆっくりと柄の長い鎌を運転席の方へ振り下ろした。
「こんなアプリ入れたかな。そうだ、さっきの青白い…」
京太は志穂の首元へ顔を向けたが、奇妙な現象は見られず端末に目を落とした。どす黒い色をして背面のロゴが読めなくてスペックも詳細不明。だが、超常現象のアプリが満載のこの端末を信用していた。
志穂が荒っぽく車線変更して京太の体は前後へ揺れた。手の中で跳ねた端末の角を掴むと、ホログラムの鎌の方向が変わった。何かを検知したかのような怪しい動きで、指した方向は首元が青白く光った祖母が居た。試しに画面を縦、横、斜めと回転させた。黒いマントの人物が持つ鎌は画面の向きに関係なく運転席を指し続け、彼はある考えが浮かんだ。
「これって白いやつに反応してるんじゃないかな。やっぱり、まだ桂木のばあちゃんの中にいるんだ。未紗紀の時みたいに」
京太が言った「白いやつ」とは冥界から抜け出した悪魔の霊魂・駆け魂である。人間界へ逃げた彼らは女性の中に入って心のスキマに隠れ、負の感情を食糧にしてエネルギーを蓄えた後でその子供として転生する。偶然京太の手に渡った端末は悪魔が使うもので、彼の推測通り、このアプリは人間界で駆け魂を探すための道具『駆け魂センサー』だった。
駆け魂の事をエリに教えようと京太は気がはやった。しかし、前の座席からは彼女が志穂に話す声が聞こえ、うかつに割り込むと作戦の邪魔になる可能性があった。会話が彩香の話題に変わって志穂の声は元気がなくなり、感傷的な雰囲気を漂わせた。
「最近のお見合いは三人に一人しか会ってもらえない。とっくに適齢期が過ぎちゃったわ」
「そんなこと…ないですよ。つまり、その、えーっと。そう、明るい彩香さんの旦那さんはきっと真面目な男性です。それにお尻が大きいから、丈夫な赤ちゃんを産めます」
「そのパートナーを探すのが大変なの。だから、子供を産むなんて無理……はぁ」
「これからじゃないですか、彩香さんは料理上手だし、ポイント高いですよ。まあ、気分で味が甘かったり、辛かったりしますけど」
エリは志穂の怒りが峠を越えて大分収まってきたと感じた。そして、舞島学園に通う学費の話をしようとチラチラと様子をうかがい、ため息をついて頬をさする志穂へ体を向けた。顔の前で手を合わせたものの、彼女の首元に淡く白い光が見えて指で目をこすった。
志穂の心のスキマは不満をぶちまけたことで狭くなり、駆け魂の一部が飛び出した。エリが目にしたのは残像。その実体である霊魂は後部座席に出現した。目、鼻、口の位置に穴が開いたバレーボールより一回り大きく白い塊。レンガ屋敷で見た時になかった表情は不気味さを伴い、駆け魂の顔に驚いた京太は後ろへ体を引いた。
志穂に隠れた駆け魂はエネルギーを蓄えながら外の状況にアンテナを張り、そこで聞き捨てならない言葉を耳にしていた。今、目の前に人間が居て都合が良かった。駆け魂は静かに問うた。
「コイツ…コドモ…ウメルカ…」
駆け魂の低い声は威圧感があった。シートに背中をへばりつけた京太は「コイツ」が誰を指すか分からなかったが、車内には祖母と中学生のエリしかないため首を横に振った。ショックを受けた駆け魂が口をへの字に曲げた。志穂が産む子供の肉体を我が物にできなくなって抑えていた敵意が表情に現れ、心のスキマに隠れた残りが飛び出して青白く光を放って合体した。
駆け魂は天井いっぱいにぐるぐると旋回して明かるさを振りまく。突然の事にエリが口を開けたまま、顔のようなものがある白い霊魂を気持ち悪そうに見上げた。
「ニガサナイ…コドモウムマデ…」
凶悪な呻く声が響き、少女は何が起こったのか全く理解できずに鳥肌が立つ腕を抱えた。
助手席で横を向くエリの頭上を白い霊魂が飛び回った。その時、センターディスプレイにフードをかぶるお茶目なドクロの顔が表示された。状況に困惑するエリは助けを求め、志穂へ手を小さく振った。だが、彼女は何事もなく平然とハンドルを握って運転していた。
テーテレッテーと効果音が流れ、ディスプレイには「駆け魂を勾留しますか」という短い文章の下にOKボタンが表示された。エリは駆け魂を見上げ、恐る恐る画面に手のひらを押し付けた。
しゅるる~、しゅるるる~~
白い渦を巻くようにして駆け魂は三角窓へ吸い込まれる。一瞬で元の暗さに戻った車内。窓ガラスの内側に閉じ込められて顔の模様が残り、エリは呆然と見つめた。京太が後ろの窓を開け、さっと首を出して前後を見回した。彼の位置からは行方が分からず、外へ出たのではないかと思って捜していた。周辺はオレンジの照明灯で明るく、すぐそこにバイパスの出口があった。
「あれ、私どうしたんだろう。何だか肩と首のコリがとれて軽いわ」
志穂が頭を左右に振った。ウインカーを出してミラーを確認し、ハンドルを持つ手をゆっくりとクロスさせた。中学生のエリに愚痴をこぼしたことに後悔の念があった。それでも、久しぶりに素直になれた気がする。彼女は自分自身に言い聞かせた。
「結局、娘たちが私の期待通りに生きるとは限らないのよ」
「そこに白い顔が……」
駆け魂が勾留された窓を指してエリは固まっていた。志穂は出口までの距離を示す『美里北』の標識に目をやり、速度を落とした。
「ふふふ、静かになったわね。もう眠たくなったの、エリちゃん」
「えっ、何?」
「ね、こんな話聞いても大学に行きたいかしら」
祖母の顔に戻った志穂は優しく尋ねた。エリは悪魔の形相が頭から離れず、うっかり本音で答えた。
「ええ、よく分からないです」
エリは口に出してからハッとした。舞島学園に行く理由は大学に進学するからだったはず。駆け魂のせいで学費を出してもらう作戦は失敗に終わった。志穂が「やっぱりね」と小さく頷いた。
車は一般道に降り、だんだんと建物が多くなっていった。真っすぐな道路にいくつもの青信号を通り過ぎた。線路の高架下をくぐり、舞島市民病院の看板が見え、反対側の歩道にバス停。エリは彩香のにゅっと出たポニーテールが揺れる顔を思い返し、頭の後ろに手を置いてシートにもたれ掛かった。京太が肩口に現れ、くさくさした彼女はわざと知らないふりをした。
「何かいるの、きょろきょろして」
「未紗紀の屋敷で見た白いやつが車内で飛んでて。その後、一瞬で消えたんです」
「ふーん。どうせユーレイだったんでしょ」
興味のない返事で座席間に会話は途切れた。エリが誰かを喜ばせたり怒らせたりする必要もなくなった。彼女は正面の赤信号を見ながら兄と離れず高校に通う方法を考えた。交差点を新舞島駅の方へ曲がれば桂木家は近く、街角に浮かぶ三次元電飾で帰ってきた実感が湧いた。
志穂は髪を肩で揃えるエリに目を向けた。頭の回転が速く、中学生なのに短い間で彩香のことをよく理解している気がする。天を仰ぐ少女の傍らに母親の熱い眼差しが潜んでいた。