中学三年のエリは奨学金の審査に落ち、鳴沢市にある彩香の実家・桂木邸を京太と訪ねた。
ちひろに舞島学園への進学を相談するものの、京太に物忘れが酷いと聞いて諦め、彩香の母・志穂から学費をもらう作戦に切り替えた。
エリは車で送っていく志穂に彩香を騙したと疑われ、彼女を慕いつつ羨む想いを吐露した。志穂が千夏に憧れた過去を語って微笑んだ。だが、彩香の中退した話を持ち出すと、一転怒り始めた。彩香に会った時と似ていると感じたエリは不満を吐き出させる。心のスキマに隠れる駆け魂が飛び出し、車の窓ガラスに勾留された。呆然としたエリが本音を漏らして作戦は失敗に終わった。
舞島市で京太を降ろして車は施設へ向かった。志穂はエリに妹として彩香を困らせて欲しいと頼んだ。
娘をしっかりさせたい母親の気持ちを知り、兄と舞島学園に通えるとエリは喜んで養子となった。
人材補完計画
黒ずくめの女が大通りに面したビルの玄関へと入った。鳴沢駅に程近い一等地を所有するのは言わずと知れた角習研究社。エントランスホールは三階まで吹き抜け、休憩エリアとしてテーブルや椅子が並んだ。もこもこしたロングカーデと裾の広がるスカートにスノーブーツを履き、会社員と思えない恰好をしていた。彼女は中央に立つ受付ロボットに名前と用件を告げ、エスカレーターに背を向けてトイレの奥にある右隅の通路へ歩いていく。先で待ち受けるエレベーターに乗った。
十月も半分が過ぎ、秋空に恵まれた快晴が遠くまで広がった。彼女はガラス張りの窓に近寄って手をつき、ビルの合間から見える都会の眺望を楽しんだ。昨日まで文明の香りがしない地域に居たおかげで自慢のロングヘア―がぼさぼさだった。それでも、家へ帰る前にやる事があった。
ノンストップで最上階に着いてエレベーターを降りて進むと、T字になった通路の突き当りにスライド式ドアがあり、上に社長室のプレートが掲げられていた。脇の認証パネルを無視して彼女は人差し指を横へ動かす。扉が静かに滑った。部屋の左側は広くソファーセットが置かれ、太陽が射し込んだ東南の角は全体が窓で開放的。一方、扉のある右側は窓にブラインドが閉じ、電灯の下に簡素なデスクと壁際に業務用キャビネットが配置された。室内に入って真っすぐ机の前にたどり着く。椅子の背もたれにスーツの上着が掛かり、卓上に黒縁眼鏡と雑誌が散らばった。
彼女は経済誌を手に取り、表紙に『怒野ユイの提唱する新教育・TEELE』という大見出しが躍った。インタビュー記事をパラパラとめくり、口をへの字に曲げ、部屋の隅へ顔を向けた。
「私なんか前時代的な瓶持って山ん中の駆け魂を拾い集めてるってのに。あなた人間にでもなったつもり、ノーラ。こんな偽名まで使って金稼いでどうしようってのよ!」
「ん、誰……ハクアか、待ってなさい。よっこいしょっと…」
浅黒い肌の女性がソファーの陰から現れ、幼子を白いブラウスの肩に抱いて姿を見せた。ノーラと呼ばれた彼女は光の中に穏やかな表情をたたえて近づいてきた。我が子を慈しむ顔に、ハクアは嫉妬が掻き立てられて雑誌を放った。デスクにお尻をつけ、両手をついてドスンと跳ね乗った。
「ふつう、子供は新地獄に置いてくるもんでしょ。旦那はどーしてんのよ」
「あの人は研究所で働いて忙しいから。ほら、シンちゃん。オバさん怒ってるね~」
「大体、何で私が資源課なのよ。そっちは情報局でも調査部だし、すぐに部長に昇進して」
「そりゃ、私はあんた達と違うし。ま、主任になれて良かったじゃない」
ノーラは分厚いカールをかき上げ、ちらっと短い角を出した。由緒ある家柄の証拠と言える。ただし、悪魔の間では。彼女たちは死んだ人間の魂を浄化する地獄に住み、本来は地上に居座ることもない。人間界へ許可なく抜け出した悪魔の魂を『駆け魂』と言った。冥界と称する現在の地獄は法に則った統治組織を作り、駆け魂を捕獲するために部隊を編成した。かつて、ハクアとノーラは隊員を束ねる地区長として舞島市でキャリアを重ねた。
その後、冥界内で二つの勢力が覇権を争う。二人も粛清に巻き込まれて左遷された。階級こそ落ちなかったものの、ハクアは自分を含めて六人の回魂資源課に送られた。弱って動けない駆け魂を収集するのが主な任務であり、アジアを一人で飛び回った――彼女が諦めたように息を吐き、手を横へ上げた。
「さっさと冥界情報端末を渡してちょうだい。午後から面談するんだから」
魔力を持つ少女に駆け魂センサー内蔵の端末を渡して協力者にする。それまでは考えられなかったが、とある病院で女性に出会った。彼女の話を信用して準備を進めた。後は本人に会って口説き落とす段階に来ていた。
お構いなしに息子が柔らかい胸元に手をトントンし、ブラウスのボタンを突っついた。ノーラは下がってきた彼を「よっ」と引き上げた。逆に、ハクアの鼻先に手を差し出した。
「データが先。山に逃げ込んだオールバックの刈り上げは撮ってきたんでしょうね」
「分かってるわよ、もうっ」
ハクアが小さいメモリカードをポケットから出してデスクに滑らす。彼女たちは腐れ縁であって気が置ける仲間ではなかった。ノーラは止まったカードに目をやりつつ、背中で隠して引き出しを開けた。一個のどす黒い端末を指先でつまみ上げ、彼女が座る脇に下ろした。
「安い取引でしょ。長官に知られず手に入れるのは結構大変なのよ」
「そう、ご苦労さん。けど元独裁者なんか本になるのかしら」
「そこは知り合いにってね。もし買い手がつかなければ音声を加工するわ。オカルト雑誌の付録にビックフットの声と偽ってもマニアなら受けるし」
「ふーん、あこぎな商売だこと。ノーラに騙される間抜けの顔を見てみたいわ」
「よく言うわよ、旧悪魔の魂をこっそりと転生させてさ。あいつ等がタダで仕えると思う?」
「そ、それは違う。彼女は抗体チェックでも反応しなかったし、羽衣を持っていた。訳アリなのは認めるけどヴァイスじゃないわ。凶悪な駆け魂が増えてるのを話したら、自分から協力したいって言ってきたのよ。それと経費の範囲内で報酬は払うつもりだし……ちょっと聞いてんの」
いつの間にか静かになった母子は授乳を始めた。そっちのけにされたハクアは握りこぶしを振り上げた。だが、すぐに腕を降ろした。これがうまくいけば自由に動かせる部下ができ、駆け魂が多い舞島市近辺の雑用を押し付けられる。彼女はノーラが放つ幸せな雰囲気へ手を伸ばそうとする自分に気づいていた。
ハクアは音を立てずにデスクから降りた。体を半分ひねって冥界情報端末を掴み、卓上の小物にひらめいた。側の眼鏡を指で引き寄せた。
「コレもらってくわ。どうせ伊達メガネなんでしょ」
返事を聞かず振り向かず、すたすたと出口へ向かった。自分の欲望に素直になった彼女がそこに居た。
ところ変わって桂木家は土曜日の昼前。志穂はローテーブルにケーキと紅茶を出し、黒田夫婦をリビングのソファーで接客した。隣に義姉・千夏が座り、窓際に彼女の夫が並んだ。立ち上がった義兄が尻ポケットからキャップを取って頭にかぶせた。裾のごく短い毛を押さえて妻の横を通り、掃き出し窓に手をかけた。大きなお団子頭の志穂が慌てて立ち、ソファーの後ろへ回った。
「ああ、お帰りですか。今日はありがとうございました」
志穂はお腹の前に手を重ね、義兄へ頭を下げた。毎年、この時期は庭木の剪定に来てくれる彼にお茶を出してきた。それも最後との想いで千夏も一緒に招いた。
エリと彩香はちはるの車でイナズマートへ出かけた。今朝着いた志穂は午前中に掃除をしておくからと三人に生活用品を買いに行かせた。ちはるが居ない方が都合が良く、彼女と仲が悪い義姉に新しく娘に迎えるエリの性格や育った環境を伝えておきたかった。
千夏がティーカップを傾けて飲み干す。立ち上がり、長居をしたといった感じで腰を押した。
「そんな畏まるこたぁないよ。新しく買った機械の試用みたいなもんだし」
「いえいえ、雑草まで刈って頂いて助かりましたわ。これからは家の周りの清掃とか彩香がエリに見本を示せると良いのですが…」
「なあに、大丈夫さ。このところ彩香に仕訳の勉強をさせてるんだ。次の年度にはいよいよ正社員だろ。うちは経理がいないから、締め日の前は私も忙しくてね」
「は、はいっ。でしたら四月までに資格を取らせますわ」
志穂は側に近寄って思わず千夏の手を取っていた。壮年を過ぎて共通の孫が生まれ、学生時代のように会う機会が増えた。ただ、長女が黒田家で押しかけ女房になったり、次女を会社に採用してもらったりと迷惑を掛け通しの感があった。
千夏が力を抜かせようと志穂の肩をポンと叩く。彼女もまた両親の世話を任せきりにし、持ちつ持たれつの間柄だった。彩香に期待する話しぶりも元気づけるため。本心では自分と似て面倒くさがりな姪が一念発起するとは思わなかった。生真面目な義妹に柔和な表情が戻り、眉にかかる銀のメッシュを払った。顔を横へ向けると、時計の針が正午を指そうとした。
「さ、帰るかな。うるさい妹が現れる前に……おっと、これは預かっとくよ」
「あら、一体何なんでしょう。理科室にありそうですけど」
「そうだな、世の中は前方だけ見て歩いてちゃいけないってことさ」
それはハクアが棚の上に仕掛けた盗聴するためのアンテナである。アルミハンガーのような細い楕円形をした金属に緑色の基盤が付く。どこかで聞く人物がいるのは分かっていた。千夏は事務所で同じものを見つけたからだ。彼女が中に指を入れてくるくると回し、庭へ出ていった。
志穂は窓の枠に両手を添えて舞島市で一番頼りになる背中を見送った。裏口の路地から軽トラのエンジン音が聞こえ、夫婦が平らげた皿を片付けながら役目の終わりを感じた。