ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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思わぬ人物

 玄関のドアが開く音がして騒がしくなった。紺のフレアワンピース。真っ先に、エリが手に紙袋を下げ、リビングに入ってきた。白いシャツ襟の上に満足げな笑みがこぼれた。

 

「志穂母さん、たっだいまー」

「はい、お帰りなさい。今からご飯の用意をしようと思うんだけど…」

「食べてきたよ。姉さまがお腹すいて動けないって言うから」

「じゃあ、手を洗ってきて。そうそう、部屋に学習道具が届いているわ。段ボールを開けて整理しなさい。来週から通学だし、制服のクリーニングカバーも取るのよ」

 

 ダイニングテーブルで迎えた志穂に、「はーい」とエリが片足を上げて半回転した。彩香が両腕にレジ袋を通し、コメの詰まるビニール袋を抱えて背を丸め、彼女の後ろをすり足で進んだ。妹の白い靴下が軽く跳ね、リビングを出ていく。志穂がジーンズを履いたガニ股の姉へ無言で手を振った。彩香は荷物を全て下ろし、カットソーの袖で額を拭って近づいた。

 

「疲れたぁ。ちはるさん全然持ってくれないし。ねえ、何で10kgもコメを買ってこさせるのよ」

「定期購買で二週間後に届くのよね。それまでカップ麺とおかずを夕食に出すつもりなの」

「なっ……そ、そんな事すると思ってんの。私だって栄養ぐらい考えてんだから」

「はいはい、わかりました。ところで例の件、手続きが進んでないようね。連絡を取り合っていると聞いて一任したのに。このままじゃ彼女が心配するわ」

「エリには審査が長いと誤魔化してる。けど、朋己くんの方から忙しいって言われちゃあねぇ」

「くれぐれも二人を不安にさせてはダメよ。にしても一ヶ月ね、ふぅ…」

 

 志穂は腕を組んでまばたきを繰り返した。彩香の目を見つめて近寄り、小声で会話を続けた。

 

「話す前にエリの養育委託を受けてしまったから。朋己くん、気を悪くしたんじゃないかしら」

「そうかな。母さんが棚に置いてった縁組制度の説明を読んだらお礼言われたし」

「彼自身について切り出した時はどうなの。嫌な顔してなかった?」

「そんなのスマホだったからよく分かんないわ。『ああ』とか『ええ』とか言った後に考えさせてくれって。それからは一週間おきに同じメッセージが来るだけだしさ」

「まあ、それで放って置いたの。あなた今年で三十一でしょ」

 

 静かに喋ってはいても母からいい加減な娘へ、つい小言に年齢が出てしまう。触れられた彩香は頭に血が上り、テーブルを平手で叩いた。

 

「もぅ、何で私が責められんのっ。朋己くんが養子になりたくないなら仕方ないじゃない!」

 

 彩香が声を張り上げ、志穂をキッと睨んだ。ちょうど、リビングの戸口にエリが顔を出した。

 

「この先っぽ、取れちゃったけど……姉さま、ほんとなの」

「いぇっ、居たのね。エリ…」

 

 しまったと思い、彩香は振り返った。眉をひそめたエリと目が合って苦笑いを浮かべた。彼女が壊れた書道の筆を放って姿を消した。穂先を蹴飛ばして廊下へ追いかけると、玄関のドアは開いたままだった。ため息をつき、朋己のところに行ったのかと顔を押さえた。

 手を洗ってきたちはるが廊下からキッチン横の戸を引いた。水切りかごの二枚の洋皿を目にし、ニコッとした。ダイニングに立つロングスカートの後ろ姿へそろそろと歩き、パッと飛び出た。

 

「志穂さん、駅裏で買った苺ショートおいしかった?」

「あっ、脅かさないで。え、ええ、とってもおいしかったわよ」

「義兄さんの分、もう一個買えば良かったわ」

「いいのよ、彩香が我慢してくれるでしょうから」

「そうね。お昼でしょ、すぐに用意するから待ってて」

 

 ちはるは椅子を引き、遠慮する志穂を座らせた。冷蔵庫のカレーを温めに台所へ向かった。

 リビングには彩香が腕組みして戻ってきた。朋己は養子の話をしてから電話が通じない。志穂はテーブルに片肘をつき、楽しそうなちはるを見ている。なぜか自分だけが焦っていた。彩香は母とエリの密約を知る由もなかった。床で自立するコメ袋に腰掛け、首をかしげた。

 

 エリは新品の白いスニーカーで路地を走り、住宅街の坂を下りきった。大型トラックが行き交う国道に横断歩道はなく、自動車用信号は赤色が点っていた。側に歩道橋が架かるが、彼女は右左と首を振り、両方からの車の接近を見計らって横切った。

 樹木がうっそうと両脇に生い茂った二車線道路は島の先端へ延びた。エリが歩道を真っすぐ行くと、開けた入り口から自然公園と奥に複数の集合住宅が見え、テレビドラマに出てくるような団地が並ぶ風景を眺めて通り過ぎた。交差点で舞島学園を示す案内標識を見上げた。横断歩道を渡って曲がり、制服姿の数人が目に留まる。六角形の校章を胸に付けた男女がバスに乗り込んでいき、来年は自分もと鼻息荒くコンクリート塀の横を進んだ。

 校門に『学校法人舞島学園』の黒い文字が浮き出ている。聞きしに勝る広大な敷地で建物までは少し距離があった。エリは葉が落ちた木の並ぶ通りを歩いていく。タイヤの隠れた自走式ロボットが追い抜きざまに顔や背恰好をレンズで捉えた。頭に当たる部分がピカピカと光った。

 

「舞島学園へようこそ、中学生ですね。今日はクラブ活動ですか。それとも、学校見学ですか」

「えーっと、見学の方かなぁ」

「それでは15分以内に中央校舎の事務に届け出て下さい。許可なく校内をうろ……」

「いいよ、わたし勝手に見て回るからさ」

 

 腰くらいの高さの頭をパンパンと叩き、エリは駆けていった。天文部の部室を探して朋己に会うのが目的だった。左右対称な二つの校舎を繋ぐアクリル屋根の下を歩き、大木の太い根元を通って中庭に出た。芝生の中央に生える黄葉したシンボルツリーへ午後の日が射した。左右の二棟は扉が開かれ、汗をかいた彼女は日陰になった西の校舎に入った。

 ガラス張りの中庭側は最上階まで吹き抜け、一直線の階段が全ての階を繋いだ。一階でエリが職員室、会議室、保健室、……と教室札を確かめた。部活に使えそうもなく、手すりを掴んで階段を上り始めた。

 エリは最後の段を上がって廊下の最奥に着いた。四階は特別教室ばかり。早速、側の教室に駆け寄ってドアの取っ手を引いたが、ビクともしなかった。学園内は電子ロックが使われ、施錠と開錠は専用端末で管理された。彼女が片足を上げてドア枠にかかとを掛けて両手で引っ張る。青筋を立てていると、自走式ロボットが警告音を鳴らして近づき、胸の部分に赤い点滅を繰り返した。少女はハッとして飛び退いた。

 

「うわっ、いきなり何すんのよ!」

 

 片膝をついて怒鳴った。ロボットの背部から投げられた三角形の網が床に広がり、回収するモーター音が激しく唸る。エリは廊下の先から聞こえてくる別の物音へ首を振った。同じ機体が二体とさらに増え、顔色を変えてスタコラと逃げ出して階段を二段飛ばしで下りた。

 一階でもロボットが三体並んで待ち受けていた。だが、エリは構わず猛然と迫った。残り数段という所で両手を前に伸ばし、両足を揃えてジャンプする。最前の頭頂に手を突いて跳び箱のように足を水平に広げて一気に飛び越えた。勢い余って素っ転んだ少女が急いで振り返り、飛び出た網が互いに絡まる様子に大きく息を吐いた。彼女はゆっくりと立ち、めくれたワンピースの裾を直してほこりを払った。

 エリが向かう出口でタブレットを持ったスーツの人物は口元にシワを寄せる。センター分けの白髪の女性が二、三歩前に出て腰に手を当てた。

 

「私は副校長の二階堂だ。いけないな、学校を遊び場にしてもらっては」

「ち、違います。天文部の兄を探してただけです」

「天文部、天文部と。すでに部室が閉まっているし、午後の使用許可は出ていないが」

「それじゃあ、寮に帰ってるんだ」

「ほう、お兄さんは寮生か。今日は田舎から出てきたのかい」

 

 二階堂はタブレットから目を離し、少女に微笑んだ。エリは朋己に会いに行っても同様に許可が必要だろうと押し黙った。後ろでピコーンと音が響き、二人は廊下の隅へ顔を向けた。二枚の扉が外側に吸い込まれ、エレベーターを車いすの生徒が降りた。ショートヘアの中学生は頬がぷっくりとし、エリは写真で見覚えがあった。

 

「あれっ。たしか京太の妹、みっちゃん」

「小阪…いや、黒田みちほか。彼女と知り合いなのだな」

「親戚です。わたし、桂木エリって言います」

「では中等部棟に来た訳は……おい、ちょっと待て」

 

 エリは止めるのを聞かず、みちほの元へ走っていった。二階堂は細い肩に揃う髪が小中学生を思わせて調べるのをやめた。職員室へ戻ろうとした時、彼女の背中に髪が黒々と伸びて映り、改めて目を向けた。

 

「あれは確か桂木妹、名前は――」

 

 向いた表情はあどけなく見えるものの、二階堂がつぶやいた。みちほが顔を背け、後ろのエリが大きな瞳で笑いかける。女性はタブレットで頭をポンポンと叩き、その場を後にした。

 


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