「顔つきは千夏さんだけど目元がおじいさん似なのね、みちほって」
エリはスカートを揺らし、桂木家のスロープを上りながら振り向く。京太が自転車を引き入れてカーポートへ向けた。彼は妹の顔を気にしたこともなく、早く話題を逸らしたかった。
「よく分からないなあ。それなら、エリさんは朋己さんと似てるんですか」
「うーん、そう言われると。でも実際そうだと思うよ、兄妹とっても仲良しで……だから、京太もお兄さんだし、みちほを可愛がんないとさ」
角を曲がったエリが頭の上に手を組み、気取って歩いた。京太は停められた叔母のバイクと自転車を並べ、彼女に目もくれずにスタンドを立てた。しれっと無視して端の階段を上がると、玄関先で人差し指がビシッと彼へ伸びた。
「京太、このまま妹に嫌われててもいいの」
「そんなことを言われても…」
「お互いの理解が大切よ。わたしとお兄ちゃんは心が通じてるでしょ」
大マジメな顔してエリは家に入っていった。リビングはすでに志穂とちはるが帰った後、彩香がローテーブルの折り畳みタブレットに顔を寄せる。廊下から戸が引かれて彼女は立ち上がった。
「あ、お帰りなさい。ケーキがあるから手を洗ってきて」
「うん、ただいま」
二人が頷いて廊下の奥へ行き、彩香もキッチンに向かった。ボソボソと口にして彼女は白い箱からケーキを出して皿に載せた。脇の戸を入ってきたエリたちに手渡し、落ち着かない様子で調理台に戻り、下を向いてコポコポとお茶を注いだ。
京太と並んで座るエリはセロハンを巻き取って舌なめずり。フォークを握った背後に、気まずそうに頬を掻く彩香が立っていた。彼女はもぐもぐする横からコップを出した。
「はい、お茶……あのさ、と、朋己くんの事なんだけどね。さっきは口が滑っちゃっただけで彼にはっきりと断られた訳じゃないの」
「れも、姉さまは養子になりたくなさそうって思ったんでしょ」
「そこはそれよ。あ、そう、朋己くんはこっちに来てクラスや部活の友達といった人間関係ができてるの。高校生って敏感な年頃だし、他人の目も気になるわ。名字が変わったら、どう思われるか悩んだりするんじゃないかな」
「えぇ~、お兄ちゃんはそんなこと気にしているの」
ぽろりとケーキの欠片がテーブルに転がった。彩香は椅子の背に手をかけてエリの顔を覗いた。
「だからね、母さんが…わ、私も少しそっとしておこうと思ってるのよ」
エリが生クリームの付いたフォークをくわえ、口をすぼめた。朋己が頑固なのを一番よく知っていた。わざわざ面倒な話を持ち出して彼に避けられるよりも、他人に兄妹である説明をする不便の方がましだった。
首を曲げると彩香が微笑みかけ、向こうで京太にくすくすと笑われた。エリはムッとした。
「何笑ってんのよ」
「だって、お兄さんと心が通じてるんでしょ」
「と、当然よっ。当たり前じゃない」
残ったケーキにフォークをぶっ刺し、口へ運んだ。実際に会えたら兄の気持ちを理解する自信があった。しかしながら、画面越しでは妹からの一方通行になりがちだった。
日が暮れる頃、ハクアは桂木家の玄関ドアの前に下り立った。取っ手を引くが、鍵がかかっていた。こうした機器は万能電子制御ソフトを用いる。悪魔の魔力を使って念じるだけで専用端末から電子機器を自在に操れた。玄関に自動で電灯が点り、ドアを閉めた彼女が手を低く差し出した。
「ああ、お控えなすって。ハクア・ド・ロット・ヘルミニウムと申します」
玄関からドスが利いた女性の声が反響し、リビングの戸口からエリがそっと顔を出した。
「あっ、誰か勝手に入ってきた」
「ほ~ら、ロックをしないとこうなるでしょう」
「え、したはずだけど」
エリの肩を押さえて彩香が渋い顔でリビングを出た。玄関ではパンツスーツを着た四角い眼鏡の人が大股を開いていた。廊下の真ん中で足を止め、首の後ろに手をまわした。
「あのー、うちは訪問販売はお断りしてるんですが」
「え、あれ、極道の家じゃ…」
ハクアは間違いを察し、「えいっ」と人差し指を突き出した。錯覚魔法をかけて見なかった事にさせた。彩香はぼんやりした気分になり、ふらふらと歩く。エリがとことことやってきた。彩香の背中にバッと抱きついて支え、ハクアへ語気を強めた。
「あんた、彩香さんに何したのよ」
「忘れさせる魔法を使ったわ。公園で言った通り、私は悪魔だし」
「あの時のオバさんが……姉さま、起きてっ」
エリが前に回って彩香の顔へ手を振る。寄り添った姉妹にハクアは舌打ちし、上着の内側に手を入れた。邪魔な家族を遠ざける物は用意してあった。以前からノーラの出版社に籍を置いて地上で活動した。会社員を演じるのはお手の物と、薄い胸を張って二人の先へ紙の名刺をヒラヒラとさせた。失礼な態度に怒った少女が手を伸ばしてもぎ取った。
「フンッ、今時こんなの使って。ロクな人間じゃないわ」
「あ、エリ、失礼でしょ。黙ってなさい」
ここで我に返った彩香はエリの手で破られる寸前の名刺を取り上げた。堂々とするハクアと役職名を見比べ、自分と年の変わらなく見える女性に感心した。あっかんべーをする妹を制止し、彼女へ歩み寄った。
「角習研究社って、教科書や参考書の会社でしたよね」
「ええ、それ以外に調査や研究もやってるわ。私の部署は全国の優秀な学生を調べて学習の状況をモニタリングするのが仕事。今日はその子に会いに来たの」
「えぇっ、エリが全国レベルの成績?」
「そう、聞こえなかったかしら」
「こ、これは何のお構いもしませんで。お茶いれてきますわ」
彩香は偉そうな仕草のハクアを疑いもしなかった。パリッとした身なりで一流企業の人間と信じ込み、あたふたとリビングへ引っ込んだ。
玄関でエリと二人になり、悪魔と名乗るハクアは框にドスンと腰掛けて両手をついた。
「舞島市北部の児童家庭施設に居たでしょう。あ、座っていいわよ」
「何でそれを。ていうか何様、この人」
「あなたが桂木えりって事は悪魔DNAで調べがついてるの。けど、私が教えた方角だけでここに来れたのは褒めてあげる。それと記憶が戻ってないのは仕方がないわね」
「悪魔DNA…教えた方角…記憶がない…何のことだ」
腕組みしてエリは顎に指を押し当てた。怪しい人物なのは間違いないが、さらに人を惑わそうとしている。体をくるりとリビングの戸へ向けた。
「そうだ、姉さまに聞いてこよう」
分からないふりをして入った脇にある電話で110番と。ハクアは慌てず、伊達メガネを取って床に置いて不敵に笑った。
「ふふふ、待ちなさい。見たでしょ、人間から飛び出した駆け魂を」
「え、駆け魂?」
「ええ、表情がある白くて、人間はユーレイとか言ってるわ。奴等はヴァイスと呼ばれる邪悪な悪魔の魂なの。女性の心のスキマに侵入して生まれる子供の肉体を乗っ取る」
「じゃ、あれが……」
エリには一度だけ心当たりがあった。鳴沢の桂木邸から帰る車中で狂暴な形相をした白い霊魂が「コドモ」と呻いて飛び回り、よく分からないうちに窓ガラスに勾留された。霊魂は志穂から出たように見えた。あの車はお下がりとして使えそうな衣類、日用品、学習椅子を運ぶため荷物スペースが多い車に買い替わった。忘れていた奇妙な現象を思い出し、体をゆっくりと少しずつ後ろへ回転させた。
志穂に買ってもらったワンピースを着たエリは桂木家が自分の家となった。玄関に我が物顔で居座るハクアに闘志をみなぎらせ、ヒヒヒと笑う悪魔は悪いことを企てているに違いないと、股を開いて片腕を水平に伸ばした。
「駆け魂め、この家に手出しはさせないわ!」
「そうじゃなくて、冥界から抜け出した駆け魂を追ってる方。私は警察みたいなもんよ」
「め、冥界って死者が行くとこで、うちは墓場じゃないぞ」
エリが廊下の中央で頑なに突っ立った。顔を後ろへ向けたハクアはやむなく革靴を脱ぎ、腰を上げて家に上がった。手の届く距離まで近づくと人差し指を立てた。
「よく聞いて、私はあなたに会いに来たの。悪魔の桂木えりにね」
「へぇっ、わたしが…」
腕を下ろしてエリはまさかと口を押さえた。物心がついた頃には兄が側に居ていつも遊び相手をしてくれ、母親が亡くなって施設に引き取られてからも離れ離れになった記憶もなかった。自分が悪魔とは思えないし、朋己も悪魔とは思えない。ましてや、朋己は兄であり、兄でない朋己は有り得ない。兄妹は血が繋がってない他人というシナリオはまったく考えられなかった。
ハクアは押し黙った少女の顔へ手を振り、反応がなく肩をすくめた。間もなくしてエリは怒りで体をわなわなと震わせて叫んだ。
「わたし、悪魔なんかじゃないもーーん!!」
正面にいたハクアが思わず廊下に尻もちをついた。さっきまで侮っていた記憶のない小娘が全身から魔力を放出し、背後に長い黒髪の女性像を浮かび上がらせた。彼女はヴァイスかと見紛う迫力のエリに目を見張った。それは強い悪魔である証であり、待ち望んだ有能な部下の出現だった。
ハクアは後ろに両手をつき、ニヤリとして見上げた。エリに悪魔である自覚さえ戻れば仲間に引き入れられると舌なめずりをした――見てなさい、ノーラ。必ず男作ってデートしてやるわ。
―― 次章予告 ――
ハクアから自分の正体を教えられ、エリは朋己と兄妹であると信じて事実を受け止める。京太にも妹とは仲良くして欲しいと思った。翌日、黒田家を訪ねてみちほの部屋に入ると… ⇒FLAG+14へ