みちほは黒田家の不良少女だった。彼女が京太と話し合う糸口を求め、エリは部屋の前で廊下を行き来し、奥に並ぶ段状の細い壁に近づいた。手をついた時から気になっていた表面をさすった。
「これ扉かな。掃除のロッカーと違って引くところがないけど、どうやって開けるの」
「ああ、ようやく気づきましたか」
京太が壁の右側に手のひらをかざした。上にずれたパネルの下に現れたボタンを彼は押した。
「あっ、あああ…」
二枚の扉が一枚ずつスライドして収納され、エリは口を開けて見守った。納まった壁枠を押さえつつ、中に足を踏み入れた。両手を広げて指先が壁に届く大きさのホームエレベーター。木目調の手すりをなでた。
「わぁ~、スゴイ。ほんとに一般住宅にも付いてるんだ」
「じゃ、俺はトイレ行くんで。二階に着いたら遊んでないで下りてきて下さいよ」
エリに指示を残して京太が廊下を戻っていった。扉が閉まるアナウンスが流れ、彼女は後ろを向いた。
「もぅ、不親切ね」
エリは狭まる隙間へ唇を尖らせた。体が重く感じ、エレベーターが上昇して二十秒程して静かに止まり、体がふわっとした。開いた扉から出た彼女をまた真っすぐな廊下が待っていた。壁がある部分に手すりが設けられ、みちほがこうやって移動するのだろうかと端を伝い歩いた。
階段の方へ曲がると、緑色の中学ジャージを着た少年がサッカーボールを浮かせ、二階に上がってきた。彼は床に跳ねるボールを足裏で引き寄せ、少女を見てニヤッと笑った。
「エリさんだろっ。ちょっと待って」
呆気にとられる彼女をフェイントでかわして戸が空いた部屋へボールを蹴り入れた。満足そうな横顔は眼鏡を外した京太と同じだ。エリは体を反転させ、思わず指を差した。
「あなた、裕太ね。双子でソックリって聞いてた通りだ」
「おっ、知り合いか。ほんじゃ、表裏をしないとな」
裕太はエリの肩をポンと叩き、廊下の突き当りに行って脇の扉を押し開けた。背丈が京太と同じくらい高く、体格の良さは頼りがいを感じさせた。彼は人懐こい笑顔でエリへ手招きした。初対面の彼女もすいっと近寄り、体を傾けて部屋を覗いた。
「テレビがあるし、何だかリビングみたい。ね、表裏ってどんな遊びなの」
「みんなで使ってる部屋だよ。遊び相手なら喜んでするぜ」
「それは有難いけど、今は考える事があるから」
「そうだ、外は暑かっただろ。台所から飲み物を持ってくるよ、俺」
「まあ、親切なのね。ありがと」
エリは階段を下りる裕太に吹き抜けから軽く手を振り、案内された洋室に入った。中はシーツをかぶったソファーに脱いだ服が掛かり、シミつきのクッションが転がる散らかり様。気乗りはしなかったが、せっかく彼が勧めてくれたからとトコトコとソファーの後ろを回った。座ろうとした彼女は扉の陰で見えなかったディスプレイを載せた机が目に入った。傾いた上体を起こし、座面を見せるオフィスチェアへ向かった。
お尻を乗せた椅子でエリが回転し、黒いパネルに顔が映った。感知式のPCによってログイン画面が表示された。彼女はディスプレイの下からキーボードを引き出して首をひねった。『keita』の後に誕生日を続け、Enterキーを押す。一瞬でデスクトップに大量の動画アイコンが広がり、彼女を辟易とさせた。
「うぇ~、これ全部UFOのやつなの。これじゃあ、みちほに言われるのも無理ないわ」
息を吐いたエリはディスプレイ全体を目玉でぐるりと見回した。一つだけノート型のアイコンがあるのを発見し、タッチパネルの画面へ指を伸ばした。そこには不定期の日付と短い文章がズラズラと日記風に並んでいた。母親の悪口や裕太をバカにする言葉の他はUFOや宇宙人などの用語が溢れ、頭を押さえて「う~ん」と唸って最後まで目を通した。
「はっ、角研社長のバディになるってどーいうことよ」
エリが昨日の記事を読んで机を叩き、その時、眼鏡を掛けた少年が部屋に入ってきた。平然とした彼へ彼女は目をギロッとさせた。
「ちょっと、何でわたしのバディとして申請してくれなかったの」
「あれ、『メー』の発行者に興味がないなんて…冥界から現れた悪魔が超科学で地球に来るUFOを探してるんです。この凄さ、分かりませんか。大体、エリさんの方は駆け魂回収を手伝えばいいんでしょ」
開き直った京太は画面をタッチして雑記帳を閉じ、エリは腕を肘掛けに乗せて踏ん反り返った。
「フン、どうなっても知らないんだから」
少女は電話で京太にバディの申請を頼んで失敗したと不貞腐れた。彼は机の横からディスプレイへ身を乗り出し、嬉しそうに動画アイコンをあれこれと指差した。うんざりしてエリは足を組んで頬杖をついた。
「似たような動画を整理すればいいじゃない。無断で他人のデータを消さなくてもさ」
「さっきの雑記帳に書いてありましたか、そんな事。でも削除したのはファイルサーバーに残ってたじいちゃんの園芸動画の要らないやつだし、ディスク整理ですよ。俺の動画は消えると困るので冗長化してあります。世界中の人々から『アッパレ』、『グッド』、『ハラショー』の声を送られまくる人類の宝ばかりで誰に見せてもUFOが飛ぶシーンには感動するという――」
京太は隅に置かれた3ベイのストレージ機器の上に手を乗せ、集めたUFO動画に鼻を高くして話す。彼の妄言を手の甲でポイっと払いのけ、エリは不満な顔を向けた。
「お兄さん、こっちの作戦の事も考えてくれるかしら」
「え、だって今回はみちほからゲームを取り上げたらいいだけでしょ」
「ブッブー。お兄ちゃんなら絶対しないわ」
「はぁ、どうして朋己さんが出てくるんですか」
「とにかく、そんなの最悪。みちほの機嫌を取るとか少しは裕太を見習ってよ」
エリが頬から手を離して見上げ、京太が顎を押さえた。しかし、考え込んだかの姿勢をとったのも束の間、彼は両手を広げて肩をすくめた。
「兄貴のようにはいきませんよ、みちほの面倒を小さい頃から見てきたんだから。まあ、このまま適当に付き合ってくのがいいんじゃないですか」
「ほ、本気なの…京太」
当然とばかりに少女を見る京太の目に、エリは大きな衝撃と失望を覚え、すっと立ち上がった。
「……もう、今日は帰るわ」
部屋を閉めた扉に背を向けたエリはすたすたと歩いた。二階の廊下を回って階段を下り、玄関へ真っすぐ向かった。彼女がスニーカーにつま先を突き入れ、かかとを引っ張った。土間に置かれたみちほの車いすを見ながらつま先をトントンし、初めて台所へ振り返った。ガラスの部分から動く人影にため息をついた――そりゃ、裕太の方がいいお兄ちゃんよね。
エリは借りた電気自転車に乗って桂木家へ戻ってきた。門扉の前で止めて降りた彼女を蒸し暑さが襲った。もんもんとした帰り道を過ごし、シャワーを浴びたい気分でもあった。
「ただいまー。今帰ったよ、姉さまー」
玄関のドアを開けて彩香に聞こえるように叫んだ。リビングからの応答はなく、代わりに二階で物がぶつかる音がした。何事かとエリは靴下のまま階段を駆け上がった。彼女の前に垂れ下がった階段の裏側があり、頭上から呼ぶ声が聞こえた。
半信半疑で手すりがない幅の狭い段差を天井の四角い穴へ上がった。そっと顔を出すと、傾いた
天井の低い空間でTシャツにトレパン姿の女性が横座りしていた。
「屋根裏部屋か。ねえ、ここで何をしてるの」
「洗面所に棚が必要だから探してたのよ。ほら、この組み立て式のやつ」
彩香がステンレスパイプの束を床に両手を突く少女の前へ出した。よく見えなかったが、エリは周りに積まれた段ボールから年季が入ったものだろうと思った。屋根裏は小さい天窓が一つだけで電灯をつけなければ文字を読める明るさもなく、頭を打ちそうな気がして膝で立った。手前に置かれた箱を開けたり、閉めたりした。突如、その中の一つで手が止まった。彩香は彼女の反応を面白がった。
「ふふ、まるで宝さがしね。何か珍しいものでも入ってた?」
「この携帯ゲーム機なんだけど、姉さまが遊んでたの」
「あー、それは私じゃないし、ちはるさんでもないと思う。うちは母さんが厳しくてゲーム機とかダメだったの。かなり古い物だろうし、欲しかったら持ってってもいいわよ」
「そっか、よく見ると色褪せてる。みちほが集めてそうな感じだわ」
エリは段ボールごと自分の部屋へ持っていくことにした。ソフトが一緒に入っていて動作させてみようと思った。みちほを説得するならゲームの事を知っておいた方が良いからだ。彼女とはもう一度会わなければならない。ただ、京太との関係だけは悩みの種であり、答えを欲しがった。
「姉さま、仲が悪い兄妹はどうしたらいいのかな…」
「えっ。どうしたの、いきなり」
箱を抱えたエリが俯き、出口の段差に片足を乗せた彩香は振り向いた。屋根裏の床に半身であぐらをかき、反対の頬をぽりぽりと掻いた。志穂からエリの相談にいい加減な応対をしないよう強く言われたものの、当てがある訳ではなかった。姉の苦労を実感したくない彼女はできる限り子供の相手は先の事にしておきたかった。
「三人もいると大変よね……兄妹の仲か。昔はお姉ちゃんとよくケンカしたし、苦手だったけど、今となっては普通に話せるわ」
「『だった』ってことは美雪姉さんと仲が悪かったの」
「そうね、近くに住むようになっても学生と小さい子を抱えた主婦じゃ、生活スタイルが全然違うから長い間会わなかった。三年くらい前までは…」
「何かきっかけがあったんだ。それを教えて、お願い!」
エリは床に膝小僧を擦りつけて迫ってきた。彩香は彼女の気勢に押され、観念してパイプを下に置いた。面と向かって話すとなると小恥ずかしさを感じ、ぽつりぽつりと語った。
「エリと出会ったバス停前の市民病院。私、バイクで事故って担ぎ込まれんだ。目が覚めた時には病室の天井を眺めてた。両足を骨折してベッドの上から動けなくてトイレは看護師を呼ばないとできなかった。それが嫌で誰かに来てもらおうとしたら運悪く平日続き。ちはるさんを始めみんな昼間は無理だって。仕方がないからお姉ちゃんに連絡したの。きっと断られるんだろうなって思ってた。でも違ってて、文句も言わずに来て看護してくれたんだ」
彩香の苦い経験をエリが作戦の手掛かりにしたい一心で耳を傾けた。彼女は抱える段ボール箱を脇に置いてちょこんと正座して聞き、話の結末に目を輝かせた。
「へー、優しい。京太なんか怖がってるけど」
「あ、でも、そうじゃないの。その、何というか」
「思いやりとか?」
「つまり、必ず協力し合う時が来るんだなって。定めがあるような気がするの」
「…兄妹の協力かぁ、いい言葉ね」
「そ、そうかな。えへへ」
少女に感心されて彩香は年不相応に顔を赤らめた。照れ隠しに忙しそうなそぶりを見せ、パイプの束を手にし、そそくさと二階へ下りた。頬を緩めた彼女は締めるねじを忘れ、廊下を跳ねて洗面所へ行くのだった。
残ったエリは腕組みをして考え込んだ。そして、方向性は決まったと立ち上がった。危うく頭をぶつけそうになり、真上を見上げて天井の近さにドキッとしてよろけた。
「うわっ、と……痛っ」
箱に足をぶつけ、尻もちをついた。眉間にシワを寄せたエリはスカートの後ろを押さえ、へこませた箱の元へ這った。中身の状態を気にして蓋の片側をつまみ上げると、倒れたDVDの間から透明な容器が頭を出していた。彼女は両手で掴んで顔に近づけた。太めの筒状の中で駆け魂が弱々しく光る。階下から彩香の戻ってくる足音がし、慌てて手の中で滑らせた。瓶は階段を転がり落ちていった。