中学三年のエリは桂木家で彩香の妹として暮らし始めるが、ハクアが来て悪魔だと告げられた。
冥界情報端末・M42を魔力で使いこなせたエリは「悪魔の魂を持つ人間」と言うハクアを信じ、朋己と兄妹に変わりないと安堵した。しかし、その事を彩香には言えず、電話で京太に打ち明けてバディになるように頼んだ。
翌日、黒田家を訪れたエリはみちほが乙女ゲームをする姿に驚き、京太を小馬鹿にする態度に腹を立てた。その上、学校をサボる不良少女と分かった。彼女の悪行を正すと決めたものの、作戦が思いつかず彩香に相談し、姉妹が協力する話に感銘を受ける。週明けの月曜、学校帰りにエリは魔法を使う練習をし、みちほを従わせるプランに自信を見せるのだった。
妹と仲良くさせるため、頼りない京太の尻をエリが楽しそうに叩いた。悪魔の血がたぎるかのように。
目論見アドバルーン
深夜の黒田家で廊下を動くジャージ姿の人影が一つ。みちほは尖足のつま先で跳ねないように階段や吹き抜けの腰壁に体重をかけて横歩きし、PCのある部屋にこっそりと入った。エレベーターは降りてすぐ脇の部屋で両親が寝ているからNG。彼らが二階へ行った後に電灯の自動スイッチを切ってあった。
暗闇でディスプレイの前に座った彼女は京太のパスワードを入力した。リモートでも操作できるが、タブレットの狭い画面は見落とす可能性がある。一度痛い目を経験した彼女はデスクトップの動画アイコンを指で数えた。以前より増えているのに舌打ちし、サーバーのリンクを押した。
「……なす、なす、なす、きゅうり、きゅうり、きゅうり、トマト、トマト、トマト。うん、じいちゃんのファイルには異常なし。しっかし、後100ピコしか残ってないんじゃなあ」
こちらを調べるのが一番の目的。画面のメニューを触ってコンソールを出した。データを確認するためコマンドを叩き、ファイル先頭の数百バイトを見て胸をなで下ろした。
スイッチに手を伸ばしかけ、点滅するアイコンに気がついた。京太の雑記帳をОSが編集中であると警告してくる。勝手に見ても良心の呵責に苦しむ相手でなく、彼女は躊躇なくファイルを開いた。おとといの日付が書かれた下の文章中に『みちほ』の文字が目に入った。
「はぁ~、気持ち悪い。勝手に他人の名前書くんじゃねえよ」
自分の行為を棚に上げて雑言を吐いた。しかし続きに彼女は驚き、その文章を人差し指でなぞった。
『みちほを三年の高原先輩とデートさせる気らしい。エリさんは――』
椅子から腰を浮かせた彼女はディスプレイに顔を近づけた。エリには軽蔑させるつもりで横柄な態度をとり、自分に関わりたくないと思わせたはず。予測と全く違う展開に、ルートを間違えたのかと寝ぐせのついた髪を掻きむしった。
みちほは今の生活に満足していた。家では何でも言う事を聞いてくれる祖父と優しい上の兄がいる。祖母や父は仕事が忙しそうで何より。怖い母は怒らせないように気を配り、変な下の兄貴がいても問題はない。学校の授業は教科書を読めば大体理解でき、無理に行く必要を感じなかった。当然、計画的な登校を好ましく思ってない桂木の祖母・志穂は煩わしいお客さんだった。エリを養子にしたと聞き、そちらに教育的指導が向けられる期待を持った――彼女は再び深く腰掛けて原因に考えを巡らせた。
家まで車いすを押して帰ろうとした行動から、エリを面倒見がいい真面目な委員長タイプと仮定した。であれば、志穂が気に入ったのも頷けた。世間体を大事にする考え方の古い祖母だが、現実的な面もある。桂木家にエリを住まわせたのは孫たちに生活面や学習態度の模範を示す狙いがあるのだろうと腹の上に指を組んで画面へ目をやった。運動神経抜群で腹筋が割れた背の高い美少年とのデート。文章で誇張された夏也を頭に思い描き、少々めんどくさいが与しやすい相手だと顎をさすった。
京太からみちほがログインしたと聞き、エリは午後の授業が終わってすぐ学校を出た。M42を電気自転車に向け、制限された加速の最大値を三倍に引き上げた。田舎の一本道を原付並みにぶっ飛ばし、十分程で黒田家に着いた。門を入った塀の内側に自転車を立てて玄関へ駆けた。
「ごめんくださーい」
引き戸を開けたエリは玄関の脇にある車いすを目にし、廊下の奥へ大きな声を発した。使用者はテスト週間で家に帰っている。リュックの肩紐をギュッと握り、靴下のままで上がり込んだ。
ようやく彼女のお出ましかと、みちほは慣れた手つきで母の目を誤魔化すために用意されたゲーム機のコントローラを掴んだ。エリが気を引き締めて部屋に入ると、シェードは全開して障子が開けられた窓から小上がりの畳へ光が射した。クローゼットの陰に隠れるテレビ画面でゲームをする少女。緑のジャージを着たショートヘアの彼女にエリは笑顔で近づいた。
「ふふふ。こんにちは、みっちゃん」
「こんにちは」
「私立はテストが早いのね。でも、テレビゲームで遊んでて大丈夫?」
「夜は勉強してるから」
「あ、そうだ。わたしのことはエリ姉って呼んでね。聞いたわよ、ちはるさんや彩香さんを『ちは姉』、『彩姉』と呼んでるんでしょ」
小上がりに腰を掛けて鼻歌交じりでリュックを下ろし、無愛想な顔を向けるみちほに明るく振る舞った。彼女へのアプローチは仕切り直し。布団は端に寄せてあるものの、前と同じくティッシュや食べ終えた菓子の袋が散らかった。エリは足元の畳に転がるテレビのリモコンをチラッと見た。
みちほは笑いを漏らした。小さい頃、「ちはるばあちゃん」と呼んだ時につり上がった女性の目を思い出した。祖母の妹なのにと怖気づき、子供心に考え抜いた呼び方だった。
「ま、そう呼んで欲しいのであればいいですよ」
「それじゃ、今からそうしようね」
エリはうんうんと頷きながら、内心で首をひねった。今回はみちほを自分のペースに引き込むために押しつけがましい人間を演じたのである。落ち着き払った態度をとられ、最初からつまずいてしまった。やはり彼女に小手先は通じないとリュックを開けた。用意した携帯ゲーム機の電源ボタンを押し、掴んだ手を後ろへ回した。
「ジャーン、このゲームで勝負よ。PTAだっけ、えっと……」
「ほほう、かなり古いPFPですね。けど復刻版の方か。それなら親機と通信対戦できるな」
「そうそう、PFP。このゲームはホームラン、フォームラン、フォーミュラん?」
エリが自分の好きなゲームに理解を示すのを予想していた。テレビゲームは専門外の彼女がしどろもどろになり、みちほは畳に手をついて壁際へ体を伸ばして立ち並ぶゲーム機から『PF九』と刻印された黒い筐体を手元に引き寄せた。
咳払いをしたエリは足裏を払い、小上がりに上がった。みちほの隣にお姉さん座りでPFPを両手に持ち、壁に貼られたシート型テレビへ向かう。もちろん、M42でチート済み。
「よーし、レース勝負よ。かかってきなさい」
「あ、まだ繋いでないんだけど…そっちのメニューに接続出てないよね」
みちほは古いゲーム機用の万能コンバーターに絡まるコードを配線し直した。PFP側のスタート画面とにらめっこするエリの接続設定も代わってこなし、やはり彼女は先生に言われた通り勉強する良い子なのだと澄ました顔でPF九を起動させた。
50インチ画面の左右に二台の運転席からの眺めが並び、カウントダウンの数字がゼロになると両者は同時に発車した。だが全10周で始まった対決は呆気なくエリの敗北に終わった。彼女が不正を感づかれない程度に最高速を上げたマシンは周回遅れにされ、圧勝したみちほはコントローラーで体をあおいだ。
「コーナリングが甘いな、ギリギリまでブレーキを我慢しないと」
「ははは、練習したのにおかしいな」
「今日はゲームしに来たんすか、エリ姉。もっと他に大事な用件があるんじゃないんですかぁ」
余裕の表情を浮かべ、みちほは彼女へ目を向けた。ついでにエリがデートを画策する男子・高原の話でもしてもらおうとあぐらに組んだ足を回転させ、ゴミを周囲にまき散らした。
「うっ。な、何のことかな~」
エリが視線を逸らして指で頬を掻き、見覚えのあるポーズにみちほは首をひねった。黒田家に電話を掛けてくる彩香の気まずそうに話す映像が留守録に溜まっていた。口を押さえて「そうか」とつぶやいた。京太の日記には『らしい』と書いてあった。日頃、いとも簡単にゲームの美少年と仲良くなってデートする彼女は現実でも同様にいくものと勘違いしてしまった。頭をポンポンと叩いてみちほが窓側へ顔を背けた。
隙を突いてエリは画面の切り替えボタンへ指を伸ばし、立ち上がった。壁の中央で乙女ゲームのキャラクターが大きく表示され、気づいたみちほが彼を見て頬を赤く染める。彼女に憐れみの目を向け、画面に映った金髪をかき上げる碧眼の美少年を指した。
「みっちゃん、これはゲームよ。こんなペラペラな絵に惑わされちゃダメ。あなたに寄り添ってはくれないの。全然口が動かないし、どう見ても木偶の坊でしょ。いつか、わたしが本音で語り合える男子に会わせてあげるから!!」
エリは反対の手で胸を押さえ、みちほに訴える芝居を打った。あらかじめ京太の雑記帳で高原の名前を見せておき、その上で彼女が大好きな2Dキャラをけなした。怒らせて自分から男子に会うと言わせるのが目標到達地点。得意のレーシングゲームで負かして悔しがらせる一段目が不発に終わり、鎌をかけられてフラフラし、やっと最後の綱である二段目のエンジンが火を噴いた。
作戦ではカッとしたみちほが反論してくるはずだったが、彼女は俯き加減で陰鬱な雰囲気を醸し出してブツブツと口にした。
「ルークルークルークルークルークルークルークルークルーク……」
「え、誰が来るの」
不思議そうな顔でエリが見守る中、みちほが正座になった。彼女は両手を天に向けて絶叫した。
「ルーク、許しておくれ~。ゲーム世界の女王たらんとする、このわたしが少しでもリアル男子に浮気をした事を心から謝罪します。もうしませーん、二度としませーん、絶対にしませーん」
住宅街と違って隣の家が離れているとはいえ、窓が閉まっていても騒ぎが伝わる程に大声を張り上げ、それから何度も畳に両手をついて頭を下げた。エリは乙女ゲームのキャラに平謝りする様子にドン引きし、ガックリと下を向いた。作戦は失敗したかに思われた。ところが、みちほは上体をむくっと起こし、ぷっくりとした頬を向けてエリを横に見上げた。
「でも、本当に連れてこれたら何でも言うことを聞きますがね」
怒りでもなく、乗せられたのでもない。乙女ゲームのプレイ経験とエリの言動を元に、みちほが弾き出した答えだ。遊んでくれた裕太が中学生になって忙しくなり、2D美少年に囲まれて過ごすのが日常になった一年半。物入れにパッケージを積み重ね、薄暗い北側の小上がりで男子と会話の山を築いた。乙女ゲームを現実のように生きる彼女は頭の堅い志穂好みの優等生に手順よく男子とのデートを用意できるまいと踏んだ。完璧な計算――ただ、エリの性格を見誤った点を除いて。
棚ぼたが降ってきたと少女はニンマリとして荷物をまとめた。早速、リュックを肩に担いだ。
「さっきの言葉忘れるんじゃないわよ、みちほ」
勢いよく戸を閉め、足音を立てて廊下を走っていった。また、みちほが首をひねった。彼女はなぜ呼び捨てにしたのだろうと、背中に手をまわしてぽりぽりと掻いた。
エリが玄関を出たところに門から来た京太が自転車を降りた。彼へ自信に満ちた顔で近寄り、かかとを上げて耳打ちで作戦の変更を告げた。トンと肩を押して離れて電気自転車へ駆け、途中で振り返って頬横に垂れる髪を耳に掛け直して言いつけた。
「ちゃんと来なきゃダメよ。明日は京太に任せるから」
「はぁ、普通に学校あるんですけどね」
渋々と応じた京太がサドルを持って自転車のスタンドを立て、しゃがみ込んで空気が減った後輪のチューブを指でつまんだ。エリは屋根の上を見上げて飛行機雲に空高く目を細めた。