ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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待つや待たざるや

 冥界法治省の情報局で人間社会の情報を集める部署の一つが東アジア調査部。ノーラが部長に就任後、日本全国に支社がある角習研究社を買収し、冥界のグレタ東砦と繋がる人間界の舞島沖から近い鳴沢市に今の本社ビルを建てた。

 悪魔の拠点である角研ビル最上階は端の一部分だけが完全に隔離される。社長室に行くには一階からの直通エレベーターを利用するか、屋上ヘリポートからの階段を使うしかなかった。社内の会議は全てリモートで行われ、社長が一般社員に細かく指示することはないが、部下の悪魔に直接命令することはあった。カットソーの上にジャケットを肩掛けしたノーラはデスクに尻を乗せた。腕と脚を組んで八分丈のパンツ裾から足首を覗かせ、冷ややかな目で後ろのノートPCの画面へ首を曲げた。

 

「冥界情報端末を失くして桂木プロの調査報告は一切できない訳ね。つまり、この半年間何もしてないと…」

 

 奥のソファーに寝る子どもが目を覚まさないようにトーンを落として話した。しかも、相手はコネで法治省に入った名家の若い御令嬢。どんな役立たずでもクビはおろか、怒ることさえもできなく、やれやれと肩越しに手を振った。

 

「もういいわ。けど、端末はお父様の方に頼んでちょうだい」

 

 振り向かずに画面へ手を這わせてウィンドウを閉じ、降りて椅子に腰を下ろした。デスク上に片肘をついてマニキュアを赤く塗った爪でコツコツと叩いた。特に、東アジア調査部はヨーロッパのお嬢様方が物見遊山感覚で任務に就き、責任者の彼女を苛立たせた。いつもなら廊下の壁を蹴りに部屋を飛び出ている。だが、今日は思いも寄らない客があり、PCのキーボードへ指を伸ばして一階で待つ彼に上がってくるようメッセージを送った。

 今朝、ノーラは社長室に来てメールが届いているのに気づいた。差出人は黒田京太。数日前に法治省本部から彼女のバディに採用したと通知が来た正にその彼だった。調査部にバディは必要性がないと思ったが、部下の体たらくを見て気が変わって会うと決めた。

 メッセージを送って五分もしないうちに社長室の扉が開き、学校の制服を着た少年が入ってきて立ち止まった。若くして他人を待たせない京太にノーラは感心し、忠実な面構えに使えそうな奴だと微笑んだ。線は細いが背は大人と比べても遜色がなく、秘書にして連れ回すのも悪くないと思わせた。ノートPCを閉じて彼女が椅子の背にもたれた。

 

「見どころがあるわ、おまえ。名前何て言ったかしら」

「は、はい。黒田京太と申します」

 

 京太はエリが考えた作戦の一環で学校をサボった。新舞島駅裏の駐輪場に自転車を止めた時は母にバレたらどうしようかと心配していたものの、電車に乗って鳴沢駅が近づくにつれてソワソワしてきた。一階の休憩エリアで缶コーヒーを飲みながら悪魔との対面に心を躍らせ、社長室に入って激しくなった鼓動は落ち着き、冥界の一員になったようで最高に気分が盛り上がった。

 機嫌を良くしたノーラは引き出しを開けてひょいとM42を取り、立ち上がって颯爽とデスクの前に回った。

 

「今日は冥界情報端末が欲くて来たんでしょ……って、どうしたの」

「ぐへへへへ」

 

 京太の様子がおかしくなり、ノーラは二、三歩踏み出して止まった。眼鏡の下で彼の目がニタッと笑っていた。彼女は見つめてくる視線を手のひらで遮り、眉をひそめた。

 

「げっ、こいつ何かヤバイわ」

 

 ノーラは邪気を感じない人間相手にひるんでいた。角研の採用は大学卒以上であり、最後に未成年の男子と話したのは駆け魂隊の地区長の頃。半世紀以上経ったが、自分のバディの他にもう一人いた事が脳裏にある。顔がよく思い出せない誰かのバディとして行動を共にしたと薄っすら残っていた。京太の不気味な笑みは頭の片隅に封印されし男の記憶をよみがえらせた――確か、名前は桂木と言った。

 

「ヒィ~、気持ち悪い」

 

 眼鏡を掛けたキモオタ顔が浮かんで背筋がぞっとし、しつこく追いまわされた出来事を思い起こして非常に不快な気持ちになった。思わずノーラはM42を床へ放り捨てて両腕を抱えて後ずさった。

 カラカラと音を立てて端末が横に回転して滑り、京太の靴にぶつかった。彼はへらへらと妄想にふけり、円盤型UFOに乗ってエリに冥界を案内中だった。不意に黒光りの床に亀裂が入り、バランスを崩して後ろに倒れて尻もちをついた。正気に戻った彼が側に落ちているM42を拾った。

 

「あれ、この端末…そうそう、これをもらってもいいですか」

「ほ、欲しけりゃ、くれてやるわよ」

 

 端末を向けられたノーラが「帰れ」と言うかのように彼へ手の甲を振った。京太は彼女が豹変した理由が分からず、立ち上がってとぼとぼと出ていった。

 ノーラはこぶしを握って閉まった扉へ敵意をあらわにし、デスクに載る雑誌を投げつけた。

 

「フンッ、あんな奴はタダ働きでこき使ってやる!」

 

 ムカムカした感情を必死に抑え、ソファーへ向かって歩き出した。午前中は思い通りにいかないこと続きでストレスが溜まっていた。応接テーブルにジャケットを放り、我が子を胸に抱いて微笑みかけた。目を開けた子が安心して笑った途端に、ノーラの服に温もりある染みが広がって彼女は顔をしかめた。

 

 車いすの少女は一人で廊下を移動し、二階のエレベーター乗り場に来た。クラスメートとろくに会話しない彼女にも放課後は誰かしら付き合ってくれるが、テストで早く終わる今日のような日はみんな元気に階段を下りていった。みちほはドアが開くとハンドリムを回して中央へ行き、車いすを一回転させた。もう一台乗っても大丈夫なくらい広く、ボタンに手が届かない。彼女はスマホを取り出してタッチした。するとすぐ上向きの矢印は下向きに変わり、ふと口を衝いて出た。

 

「リアルの世界も分かりやすいな」

 

 生徒が学ぶ棟を隠すように学園正面へ向く二つの中央校舎が建ち並んだ。その間はアクリル板の屋根が覆い、真ん中に木が生えた。みちほは校舎の壁に貼られる舞高祭のポスターを横目に、段差が撤去された広い通路を通り抜けて日の当たる場所に出た。色白でそばかすの目立つ顔はニタニタしていた。彼女がバス待ちで教室にいる間に他の生徒は帰り、葉のない枝が多い木々に囲まれて校門へ向かう頭の中は乙女ゲームの続きをする事でいっぱいだった。

 テストの点数は各教科ごとに75~85の範囲に収めた。休みが多いのに満点では周りから不審に思われ、低過ぎると母から文句を言われる。エリが帰った後に夜更けまで2D美少年の攻略に専念した彼女はあくびをして校門を出た。

 

「おっ帰り~、出てくるの待ってたよ」

 

 舞島学園のプレート前で左のこめかみ辺りにヘアピンをしたエリが立っていた。昨日と同じ灰色のセーラー服を着て手を振り、自分へ向かってくる。みちほは興奮して指を差した。

 

「こ、こんなとこに来やがって。あんた、いい加減にしろ」

「ちょっとぉ、エリ姉でしょ」

 

 エリが唇を尖らせて腰に手を当てた。みちほは話にならないと無視し、すぐに来る舞島学園前のバス停へ急いだ。IT化された電子案内板はバスの現在走る場所や到着予測を表示した。今回は体よく断れると下から上へ目を這わせていった。

 

「次の市内循環Bは現在位置不明、7時間45分遅れと……え、えぇーっ」

「こりゃ当分来ないわ。今日暇なのよね、わたし」

 

 背後から楽しそうなエリの声が聞こえる。慌てたみちほは祖父を呼び出そうと、ジッパーを全開させてバッグからスマホを掴み出した。

 

「繋がらない。どうしてこんな時に…」

「ああ、そうだ。今日はインターネットできないって聞いたわ」

「じゃあ、ネットワークに障害が出ただけか」

 

 みちほは辻褄が合う答えが見つかって素直に信じた。悪魔がポケットに手を入れてM42で魔法を使ったなどと考えつくはずもなく、案内板の表示もバグだと結論付け、エリが学校に来るイベントはリモート講師の授業が潰れて公立中学が午前中で終わったせいかと納得した。彼女の車いすが校舎方向へ回転して脇を通過し、エリが慌ててブレーキに飛びついた。

 

「なんで学校に戻るの。待ってもバスは来ないのよ」

「固定回線借りるに決まってんでしょ」

「え、固定回線?」

「そう。学校、駅、公共施設には緊急時用にあるんだよ、エリ姉」

「待って待って。ほら、わたしが送ってくし」

「いいよ、じいちゃんを呼んで来てもらうからっ」

 

 みちほはハンドリムを握る手に力を込め、エリは路上の点字ブロックに足を引っ掛けた。いつもドライな少女が顔を真っ赤にさせ、スラックスの足先をバタつかせた。高等部が授業中で静けさを保つ舞島学園の正門前でギャーギャーした声が響いた。

 ちょうど、学園の敷地から出て来た人物が二人の騒ぎに気づいた。革の書類入れを持った女性は真っすぐに向かった。少女たちの近くで長い白髪をかき上げ、諭すように声をかけた。

 

「我が舞島学園の生徒が路上でけんかとは頂けないな」

「あっ、副校長」

 

 後ろ暗いところがあるエリは両手をパッと離し、反動でみちほの体はつんのめって膝に載せたスポーツバッグが歩道に落ちた。舞島学園の副校長・二階堂の足元に転がり、彼女がスカートの裾を押さえて屈んだ。中等部と高等部を兼任する彼女は双方の生徒から慕われるが、みちほは微笑みの裏で考えを見透かされる気がし、廊下で擦れ違う時は目を合わせなかった。二階堂は拾って軽く上下させた後、頬を緩めて差し出した。

 

「テストの日も勉強道具を持ち歩いているようね、黒田さん」

「ど、どうも…」

 

 上目遣いのみちほがおずおずと受け取り、さっとバッグを抱えた。しおらしい態度に、エリは背後へ抜き足差し足。車いすのグリップを片手で握って二階堂へ手を挙げた。

 

「はいっ、ふざけてたんです。彼女を送っていくので失礼します」

 

 言い終るや否や、エリは車いすを回転させてピューッと走り去った。取り残された二階堂は頭を掻いた。指先に髪が絡まり、根元が黒くなった毛が抜け落ちた。彼女は訳あって過去に舞島学園で教師をしていた悪魔である。二十五年前、当時の白鳥家当主に請われて舞い戻った。彼らは人間より寿命が長く姿形が変わらないため、怪しまれないよう髪を白く染め、目元や口元にシワを書いてカムフラージュした。副校長として忙しい日々を送り、今日は私立高校関係者の集まりで鳴沢市まで行くところ。前髪の分け目に手を当てつつ、バス停へと歩を進めた。

 7時間40分遅れ。二階堂は疲れているのかと目をこすった。しかし、横断歩道を渡り切ろうとする二人へジロリと視線を向けた。

 

「タクシー代の分はいずれ返してもらうぞ、桂木妹」

 

 上着のポケットからスマホを取り出し、画面をすーっと顔から遠く離す。彼女は老眼でもないのに目を細める仕草が身に付いた。表示が改変された案内板からは魔法の痕跡が市街地の上空へ広がる放物線を描いた。二階堂はバスが来るのを諦め、少女の計り知れない魔力に訝しげな目つきをしてたたずんだ。

 

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