前回と打って変わり、静かに歩道上を車いすが押された。天気は秋晴れで爽やか。会話の押し売りを覚悟していたみちほも気を許して時間を持て余し始めた。早速、手をバッグに入れてPFPを引っ張り出し、昼休みにやる乙女ゲームを起動する。彼女の耳元へエリが意地悪く囁いた。
「いーけないんだ。今度、副校長に言ってやろっと」
ありきたりな脅し文句に、みちほは構わずゲームを続けた。志穂の養女が外聞の悪い行為をするはずがなかった。足を止めてエリは彼女の頭を撫でた。
「うそうそ、言ってみただけ。でも、それって野球ゲームとかと違ってクリアしたらできないんでしょ。好きなのは分かるんだけど、何本も買わないとダメじゃない?」
エリが乙女ゲームに関して知った風な口を利いた。みちほは面倒くさいと思いつつ、バッグの上にPFPを置いて両手を上げた。
「フリマのサイトで中古をまとめ買いするから……こんだけしか持ってないけど」
彼女は右に人差し指をピンと立て、左に手のひらを広げた。想定内の本数にエリは頷いた。
「15本か、結構持ってるわね。じゃあ後どれくらい…」
「あ、一桁違ってますよ。それに買い増す予定、積みゲーはほぼクリアしたし」
「ひゃっ、百本以上あんの」
ぎっしりと乙女ゲームのケースが並ぶ棚を想像してエリは手で口を押さえた。しかし、ここで驚いてはいけないと、ブンブンと首を振って半笑いした。
「あははは。じゃあ、乙女ゲームを買い続けるの」
「うん」
みちほが首を縦に振り、エリは黙ってしめしめと微笑む。PFPの画面に再び目を落とした彼女のうなじを見つめ、グリップを握って出発した。車いすは前輪をキュルキュルと回転させ、エリが
京太との仲を優しく言い聞かせた。
「ゲームもいいけど、お兄ちゃんと仲良くしないとダメだよ」
「裕兄とは仲がいいからいいじゃん」
「そっちじゃなくて。もう一人いるでしょ、もう一人」
「まあ、一応ね」
「そうよ、京太も案外いいとこあるし。一度じっくり話し合ってさ」
「ハイハイ、分かりました」
みちほは淡々と応じた。朋己の事を聞かされてないため、熱のこもった言葉も兄がいないエリの知ったかぶりに思えた。学校の部活にも入らず、日記で母や兄をののしり、口を開けばUFOの話ばかり。面倒見の良さは裕太と比べて天と地ほどの差があり、ゲームの世界でも京太を良く言う妹などいるものかと思った。
さすがに暇つぶし用のゲームは同じキャラに会ってフラグ回収する作業が多く、みちほは黙々と親指を動かす。彼女の後ろでエリが大きい声を出した。
「そうだ。ジュース飲もう、みちほ」
エリは勝手に車いすの向きを変えて押すスピードを上げた。公園の入り口が顔を上げたみちほの横を通り過ぎ、人気のない遊歩道を車いすがそのまま突っ走った。自動販売機の手前で有無を言わせず急ブレーキが掛かり、青ざめたみちほが胸を手で押さえて後ろを向いた。
「ビックリするから急に止まらないでよ」
「オーケーオーケー。喉が渇いたでしょ、ジュース十本ね」
「え、いや、そんなには…」
彼女の驚く顔を気に留めずエリはスカートのポケットからM42を出して念じた。端末を向けると、側の四角い自販機がまばゆい光に包まれた。魔法が制御回路上に電流となって次々とジュースが溜まった列のストッパーを外し、がたがたと音を立てて何本もアルミ缶が落ちてきた。みちほは体を前へ倒して取り出し口を覗いた。立ち上がって自販機前まで歩き、商品のタッチパネルを指で突っついた。
離れたみちほを見てエリは車いすを公園の側溝へ向けて前輪を金属の網に載せた。横へそうっと股を開いて足を摺らせ、スニーカーを乗せて踏んづけた。みちほはジュースの缶を一本取り出して振り返り、エリが彼女へ手をバタバタと振った。
「大変大変、前輪が溝にはまっちゃった」
「は、何でそうなるの」
みちほは戻ってハンドグリップを掴んで揺らした。車いすはキャスターが固定され、キィ―ッと悲鳴を上げた。真面目な顔をしてエリは彼女の手を押さえた。
「ダメよ、壊れちゃうわ。このまま動かさないで」
「けど外さないと帰れないしさ」
「いい、待っててちょうだい。わたしが人を呼んでくるから」
「エリ姉、ちょっと…」
すっ飛んで行く背中へ手をかざし、みちほは呆然と突っ立った。が、すぐ彼女は手で首の後ろをさすった。
「まあ、いいか」
みちほが車いすの前に回り込み、バッグを芝生に置いてシートに腰を下ろした。桂木家には誰もいないから黒田の家へ行くだろうし、昼休みに帰っている祖父が来てくれるだろうと悠長に缶の蓋を開けてジュースに口をつけた。彼女の関心は自然に乙女ゲームの続きへと切り替わった。
手元のPFPからテーマ曲が流れ、みちほは乙女ゲームのエンディングに胸を打たれた。祖父が来て帰るまでに他のキャラクター攻略を始めるべきかどうかを考えて車いすの背に体を預ける。彼女の横顔に傾いた太陽が射し込み、頭をほかほかと温めた。
みちほの髪型は地味なペタッとしたショートボブ。月末は祖母が行きつけの美容院に連れて行ってもらい、毎朝洗面所で顔を洗って適当に髪をブラッシングした。教室では車いすが置ける窓際の後ろの隅に座り、無口で特段可愛くもなく目立たない。それでも、リアルはどうにでもなると固く信じて疑わなかった。ゲーム世界の女王は男子にモテモテだからだ。
「遅いなぁ、エリ姉」
PFPのホーム画面を表示し、現在時刻はすでに一時を過ぎた。みちほは目を丸くした。
「あっ、じいちゃんの昼休み終わってるじゃん」
乙女ゲームに夢中で時間を気にしていなかった。祖父が来れないとなると、エリが呼びに行ける人は限られた。みちほの表情から余裕が消え失せた。エリや兄たちが通う中学より直線距離が近い母・美雪がパートで働く道の駅が国道沿いにある。自転車を使えば遠くなく、行く時の様子は必ず誰かを連れてくる感じだった。美雪が来れば怒られるのは必至の上、車いすを壊したら家に帰ってから長い説教が待っている。黒田家のピラミッドの頂点に君臨する母。みちほは上体を前傾させて前輪のはまり具合を確認した。
公園内への侵入を禁止される車両が入り口の方で止まった。遊歩道を動きやすい靴が気ぜわしい足音を響かせ、次第に大きくなった。反対を向いて座るみちほは誰が来たのか分からず、心臓をバクバクさせて後ろを向く。彼女の細い目がギョッと見開いた。
「な、何で京兄が……」
みちほは美雪でなくてほっとしたものの当惑した。学ランを着た京太が目の前に立っていた。
「動けないんだろ。自転車の荷台に乗せてってやるよ」
まっすぐ駅から来た京太は一仕事終えた勢いで自信たっぷりに手を差し伸べた。信頼する裕太が迎えに来たならすんなり従ったであろう。だが京太の場合は尊大な態度に思え、みちほは顔目掛けて空き缶を放り投げた。
「フン、余計なお世話だ」
「おっと」
京太が軽く頭を倒し、缶は首の横すれすれを通過した。調子に乗った彼はノーラと会ったことを思い返して胸を張った。
「午前中、エリさんに言われて学校サボって『メー』の角研ビルに行ってきたんだぜ」
「はぁ、んなこと知るかよ」
みちほは顔をPFPへ戻して乙女ゲームを再開した。京太のオカルト武勇伝に興味はなく、母にチクってやろうかと思った。ゲーム画面の文章に目を動かして恋愛イベントを読み進めた――ん、エリさんに言われて?
饒舌に喋る2D美少年を眺めながら、みちほが周囲に聞こえない小さな声でつぶやいた。
「本当にエリ姉がサボれって言ったのか…」
京太の言葉に疑問を感じた彼女は会話の終わった所でセーブし、PFPを持つ手を下げて太腿に置いた。超常現象関連の自慢話で嘘をつく可能性は低かった。ならば、桂木の祖母に気に入られた前提でエリに設定した真面目なキャラが間違っている。みちほは冷静に順を追って振り返った。
出会った日のエリは先輩気取りで話しかけてきた。翌日は部屋に押しかけて乙女ゲームをやめろと言い、京太と付き合うことをバカにすると怒って出ていき、さらに翌日の学校帰りに高原とデートさせると宣言した。次に来た日は高原とのデートの話をはぐらかし、随一の2D美少年・ルークを侮辱して替わりの男子を連れてくると啖呵を切った。今日は乙女ゲームに多少理解を示したり、京太との仲を取り持とうとしたり。
日によって変わるエリの行動は脈絡がなかった。しいて言えば気分屋だが漠然としたキャラ設定に納得がいかず、みちほは髪を掻きむしった。いずれにせよ、ここに居ては仕事中の美雪がやってくると考えて彼女はPFPの電源を切って立ち上がった。
腕組みする京太はブレザーの背中を見せた妹へ口笛を吹いた。みちほが帰りたがらない時の対処法は聞かされてなく、一安心して口を滑らせた。
「ふぅ、作戦通り。そりゃ、母さんが迎えに来るよりはマシだしな」
「さ、作戦だと……それをエリ姉が考えた…」
「なんか言ったか。ああ、ここへ自転車持ってくるよ」
京太が公園の入り口へ向かった。みちほはスポーツバッグを拾い上げ、ハメられたと悟って天を仰いだ。最初に車いすを押されて帰る歩道で京太に怒った時から始まっていた。エリの行動で「高原」に関する部分はPCのファイルを読んで彼女が鵜呑みにしただけであり、そこを抜くと目的が見えてくる。エリは兄妹を会わせるつもりだった。
「くそ~、やられたぁ」
素人の作戦に簡単に引っ掛かり、みちほが猛烈に悔しがった。今まで数多の乙女ゲームに挑んで全てやすやすと成功し、その経験を活かしてリアルの世界も漂う雲に乗るがごとく周りを気にせず飄々と生きてきた。だが、いきなりエリに未知の飛行物体で追い抜かれ、つむじ風が吹いて彼女は真っ逆さまに地上に落ちた。
二人が仲良くなる帰宅イベント。エリが連れてくると匂わせた男子は兄の京太だ。みちほは見え見えのセッティングには乗らないとバッグの持ち手を強く握り締めた。