舞島学園に程近い公園を出て北へ行くと国道にぶつかり、国道は西の旧市街へ延びて鳴沢、舞島を含む複数市をまたぐ大動脈と繋がる。舞島市の交通はパニックになっていた。それもそのはず、エリのかけた魔法で市内のバスは明後日の方向に走り出し、国道の信号機は赤に固定されて旧市街を中心に大渋滞を引き起こした。おかげで、新市街方面はすいて一台の車が通ってから次の車が来るまで大分時間がかかった。
制服のエリが両手をついて角に足を掛け、スカートを擦らせて屋根に上がった。川の手前に建つ農機具小屋は前を走る国道を遠くまで見通せた。首にぶら下げた双眼鏡を交差点へ向け、500メートル先に眼鏡を掛ける少年が見えた。歩道が途切れて兄妹の乗った自転車は車道の端をフェンスに沿って走り、彼女は今のところ問題なしと頭を低くした。荷台に妹が横向きで座り、運転する兄の腰に掴まって会話していくうちに仲良くなるのが一番理想的な展開だった。
実際は口を結んだ京太がせっせとペダルを漕いだ。事前にエリからみちほに嫌われている理由を聞けと言われた。だが、彼女はスポーツバッグの二つの持ち手を両肩に通して後ろ向きで荷台を跨ぎ、エリの作戦を封じ込める姿勢をとった。彼は声をかけるどころか黙って乙女ゲームのBGMを聞き、学ランがバッグの硬い底板と接して汗ばんだ背中にもたれる体重がのしかかった。
国道は橋に近づいて徐々に上っていき、ペダルが重く回らなくなった。諦め顔で京太が両足を路面に着けて自転車を右へ傾けた。みちほはずり落ちそうになり、左足を道路についた。
「おっと」
PFPだけは離さず乙女ゲームを続け、みちほが右足を浮かせた。京太は後ろへ首を曲げた。
「なあ、向こうへ渡りたいんで降りて歩いてくれないか」
「…ったく、役に立たない運転手だ」
みちほは片足で路面を蹴って荷台をずって端まで進み、反対の足をコトッと下ろした。自転車の脇に立った彼女がゲーム画面のほこりをブレザーの袖で払った。ほっそりして同い年の男子より背が高く、エリが褒めるのも京太は分かる気がした。
二人の側を前方から来たトラックが通り過ぎ、先にみちほが両手をPFPに添えて車道を渡り始めた。
自転車の向きを変えて京太はサドルに跨ったまま跡を追った。彼女は茶色の学生靴で左足を真っすぐに出し、障害がある右足を斜めに引きずり気味に歩いた。スラックスを履くのは短下肢装具を裾で隠したいというより、あぐらがかきやすいためだ。小学生の頃はスカートを履いていた記憶があった。
「低学年の時は遊んでやったよな、みちほ」
「あン?」
センターライン付近で止まったみちほが顔を向けた。元から膨らむ頬とそばかすの上に瞳が寄る不満げな細い目。京太はハンドルの上に腕を乗せ、前へドサッと身を倒した。
「おまえさ、何でいつも怒ってるんだ」
まるで他人事のように尋ねる京太。みちほはあきれた表情を見せてプイッと顔を背けた。彼女の前を乗用車が猛スピードで通過して風圧で分け目のない前髪が揺れる。彼女が唇を噛んで肩を震わせた。これ以上エリが掘った穴にはまらないために誰もいない畑へ向かって怒鳴った。
「知りたきゃ、自分の胸に聞いてみろっ」
みちほが怒りをむきだしに突き放し、京太は体を起こして首をかしげた。心に思い当たることはなかった。
「うーん」
頭を抱えた京太だが、嫌がる時ほどしつこく聞けともエリからアドバイスを受けていた。怒らせたら必ず人は本音が出るらしい。みちほがセンターラインを越えていくのを見た彼は両足で同時に路面を蹴り、自転車で追い抜いて彼女の肩を掴んだ。
「待てって、分からないから聞いてるんだから」
「この人殺し野郎め」
「な、何のこと言ってんだ……」
京太は謂れのない悪態に面食らった。彼の手を強引に振り切り、みちほはPFP画面へ向いて道路を斜めに横切った。兄の頭は疑問符だらけになった。妹の乱暴な言葉遣いは初めてではないが、今回はより切ない気持ちにさせた。その様子を眺めるエリが屋根に這ってまずまずといった顔をした。
エリは双眼鏡を構えてレンズを覗いた。国道を走ってくる車の種類と大きさを見定め、M42を向けて「それ!」と魔力を放った。
歩道の先にある民家や畑に京太は目を凝らして人影を探した。橋の近くで新たな作戦を受け取る手はずとなっていた。切妻屋根の奥からエリがひょっこりと顔を出し、M42の画面を見せて指で叩く。農機具小屋へ視線を上げた京太が変な顔をすると、ムキになって何度も叩いた。彼は上着のポケットから端末を出してメッセージを読んだ。
「練習した魔法をやるわ、車の前へ大げさに飛び出して――か。はねられたり…しないよな」
不安を感じて京太は横を見た。目前に配送トラックが超スローな速さで迫り、フロントガラス越しにドライバーが懸命にドアを開けようとした。彼が思ったのとは逆だが賽は投げられた。
通常走行時はスピードに応じて人工音を発するEV車も低速過ぎて静かで気づかれにくく、彼の30センチ手前でピタリと停止した。みちほが白い線まであと少しと近づく。彼女の方へ京太は自転車を放り倒した。即興で演技する恥ずかしさで頬を赤くし、みちほの後ろで両手を広げて大きく横に振った。
「止まれー、ぶつかるぅー」
京太が体を張って妹を守ろうとした風に見えるエリの演出。みちほは数秒平べったいガラス窓を眺め、ヒゲ面のオッサンに興味なさそうな顔で歩き出した。あえなく三文芝居は終わった。
プップーー、プーーーッ
突然クラクションが近くで鳴り響き、みちほの体がビクッとした。彼女は手からPFPを道路に落とした。正面で大音量を受けた京太はふらふらと後ずさって腕をぶつけ、振り向いた路上に妹がすとんと膝をついた。
「悪い悪い。ん、どこか痛いのか」
「……真人が死んじゃった」
みちほがPFPへ愕然と手を伸ばし、画面に『Now Saving...』の文字が固まっていた。そっと京太は彼女の手元を覗いた。キャラクターのセーブデータが消えたのを悲しんでいると分かり、手をパンっと叩いた。消えることを「死ぬ」と言うなら、消すことは「殺す」を意味した。
農機具小屋からエリの手が伸びてM42が左右へ動き、しーんとする兄妹の横をトラックが走り去った。京太は自転車を起こして車道の端に停め、振り返って端末で頭を掻いた。
「ゲームって大抵メモリカードに保存するけど、多分PCの方か…」
考えても考えても乙女ゲームのファイルは出てこなかったが、みちほが根に持つ辺りはファイル整理で一緒に捨ててしまったのかと悪い気がした。もっとも、原因が分かって胸のつかえが取れてすっとした部分もあった。エリに言わせれば問題が解決したら結果オーライだし、気落ちした妹を助けてやるのが現状のベストに思えた。
京太はPFPを元通りに直す依頼のメッセージを送った。それを読んでエリが両腕で丸を頭上に作って道路へ掲げ、指でOKサインを返した彼は端末を仕舞って戻った。へたり込むみちほに京太が申し訳なさそうに手を揉んだ。
「あのさ、二階のサーバーにデータを転送してたんだな」
「それが何か」
「お、俺が間違えて乙女ゲームのを削除したなら謝る…ゴメン」
「そう。いいよ、消されたのはやり直したし」
みちほはゲーム機の本体とデータが壊れて意気消沈し、京太を目の敵にする気も失せた。エリが現れたせいでとんだ災難だと電源の入ったPFPで顔をあおいだ。彼女へ手を差し伸べ、屈む兄がぎこちなく微笑んだ。
「ここに居るとまたトラックが来るからさ」
「ま、それもそうだな」
「ほら、ゲーム機は持っててやるよ」
素直に彼の手のひらにPFPを載せ、みちほは肩を借りて気だるく立ち上がった。自転車の元へ歩き、荷台に手をついて体を車道へ反転させた。顔を上げた彼女がポカンと口を開けた。
京太は左手を広げて雑誌で覚えた宇宙語をペラペラと喋り、農機具小屋の上にいる少女へPFPを持つ右手を高々と上げた。妹を喜ばせるため家族にもバカにされるポーズを彼は堂々と往来の真ん中でやってのけた。みちほが周りをきょろきょろと見回した。誰も見当たらずホッと吐息を漏らし、京太へ頬を膨らませた。
「ちょっと、早くやめてよ。人が来るだろ」
「へへ、ア・クマ星人と交信して直してもらうんだ」
構わず京太は雲一つない青空を見上げて手首をぐるぐると回した。自分から成りきった役は爽快だった。
「そーれ、元通りになれっ」
発せられた魔法の閃光がPFPに届き、京太は直ったのを確信して口元を緩める。みちほが不審な笑いへ白い目を向けて小さく肩をすくめた。本気で宇宙人を信じている兄に付き合いきれず、妹は大きくあくびをした。
「ふぁ~あ、もう好きにしてくれ」
横を向く彼女の予想に反して乙女ゲームの音楽が聞こえてきた。誇らしげな京太がPFPの画面を見せて近寄り、みちほが信じられないような顔で受け取った。フリマで手に入れたゲーム機は魔法によってドット抜けが全てなくなって液晶の発色が格段に良くなった。血色のいい2D美少年が投げキッスをし、一転して彼女は満面の笑みをたたえた。
「サンキュー、京兄」
嬉しそうな妹の短い言葉は兄をジンとさせた。小屋の上へ目をやるとPFPを直した悪魔の姿はなく、すでに次の場所に先回りした。京太は自転車の反対側に回ってみちほの肩を叩いた。
「さあ、俺たちも家に帰ろう」
「おーし。安全運転で急いでくれたまえよ」
みちほはあくまでエリに対抗して荷台に後ろ向きで座り、京太は一通り作戦をこなしてペダルを力強く漕いだ。背中合わせの兄妹はそれぞれに満足感を得ていた。手を携える二人が昼下がりの穏やかな海風を受け、橋を渡った自転車はエリの待つ黒田家へ一直線に向かった。