兄妹の乗る自転車は門を入り、タイヤが滑らかにコンクリ舗装を玄関先までたどり着いた。黒田家の二台置けるカーポートには軽トラも背の高いミニバンもなかった。みちほは荷台から両足を下ろし、スポーツバッグの持ち手を両肩から外した。中からスマホを取り出すが、画面に開錠マークが表示されずにため息をついて仕舞った。バッグを手に提げて玄関の戸をガラガラと引くと、案の定、土間で白い靴下とスニーカーが揺れた。
「ずいぶん早かったじゃない、みちほ」
「遅いの間違いだろ。大体、京兄を寄越すなよ」
「あら、ちゃんと帰って来れたのに。ところで、昨日言った約束は覚えてくれてるかしら」
「や、約束…何かしたっけな」
みちほはとぼけながら玄関に入った。下駄箱の上にバッグを置き、へりに肘を乗せて寄り掛かった。面倒見のいい真面目女子と思いきや、平気で人をたばかる油断がならない相手。話を合わせないようにし、片足を前に引き上げて学生靴のかかとに指を入れた。
玄関マットの中央に座るエリは考えをお見通しと、得意げにみちほへ人差し指を振った。
「それじゃあ、ちゃーんと言う事聞いてね。本音で語り合える男子を公園に行かせたでしょ」
「ははは、ご冗談を。ルークの替わりと言うならもっとちゃんとした顔、性格、趣味の男子じゃないとさ。京兄なんかモブキャラにもなれないよ」
そっけなく下を向いてみちほは足裏で横になった靴を転がして揃えた。バッグを肩に担いで彼女が下駄箱に手をつき、ホールの床に片足ずつ足を乗せた。エリは立ち上がってみちほの脇に寄り、背中から裏を合わせたスリッパを出し、猫の刺繍を見せて微笑んだ。
「かわいいスリッパ履いてるわね」
「ばあちゃんが買うんだよ」
「へー、千夏さんたちと一緒に買い物に行くの」
「そうじゃなくて勝手に買ってくるのっ」
目の奥で笑われている気がし、ぶすっとして先っぽを掴んだ。廊下へ向いて引っ張ったみちほの手からスリッパがすっぽ抜けた。彼女は前に倒れそうになった体を必死に後ろへ反らした。
「おい、こけるじゃねーかよ!!」
血相を変えてみちほがこぶしを上げて振り向いた。だが、エリはスリッパで胸を押さえ、彼女を真剣な表情で見つめた。
「そしたら起こしてあげる。でも、この家は廊下の壁の至る所に手すりがあって奥にエレベーターもある。うちもだけど最初は何で引き戸が多いのか不思議だったの。両親や祖父母だけじゃなくてちはるさん、彩香さんまでみんながあなたの事を心配して助けになろうとしてるのよ」
「はぁ、いきなり何を……」
みちほは説教を始めたエリに困惑して口をつぐんだ。至極まともなことを昨日騙された時と同じ口調でまくし立て、どちらが素なのか分からなくなった。胸先でエリが甲部分を反対の手のひらにバシバシと打ちつけた。深く考えさせる間を与えず、土間からスリッパに付いた猫の顔をビシッと掲げた。
「もちろん、志穂さんも。だから、ちゃんと学校へ行ってちょうだい。まずはカレンダーのバツが半分ぐらいになるように!」
前回同様やたら偉そうな態度。やはり裏があるとみちほは見て取った。下手に反発するより適当に切り抜けようと口をすぼめて頷いた。
「分かったわ」
「約束よ。はい、どうぞ」
スリッパが足元に置かれ、みちほは「ありがと」とつま先を入れた。内心では早く帰ってくれと思いつつ、神妙な顔で手を上げて別れを告げた。笑顔で応じたエリは手を振った。
京太は自転車を物置に入れて戻り、玄関の戸の空いた隙間から顔を出した。二人の会話は最後の方しか聞けなかった。スポーツバッグを担ぐ妹が廊下の奥に消えると、引き戸の溝を跨いで廊下へ手を振り続ける少女の肩を指でツンツンした。
「学校に行くなんて口約束守ると思いますか、エリさん」
「妹のことが分かってないわね。みちほは結構素直だし、意外と照れ屋なのよ」
「はあ、そーですか……あれ、この前は乙女ゲームをやめさせるとも言ってませんでしたか」
「そういうのはもっと後でいいの。できるところから少しずつ、これから変わっていけばいいだけなんだから」
得意満面のエリは手のひらを上に向けた。頭を掻く京太はノーラからもらったM42をその上に載せた。
「そういえば、この端末は何に使うんです?」
「ふふふ、今から使うの。さあ、乙女同士の話し合いをするから京太は邪魔が入らないように外で見張ってて。誰もみちほの部屋に近づけちゃダメよ」
エリが京太の顔へ人差し指を向け、彼はふーっと息を吐いて玄関から出た。戸を閉めた彼女はスニーカーを脱いでホールにぴょんと飛び乗った。廊下を奥へ真っすぐ歩き、取っ手を握って台所の扉を押し開けた。
みちほがブレザーの横にスラックスを掛けてクローゼットを閉じた。制服を脱いだ後は半袖のTシャツに下着姿。いつも通りに小上がりの端に腰を下ろし、足首の装具を外して靴下の上から圧迫された跡をさすった。やや内反した右足は踏ん張りが利かず立つのが面倒くさかった。覆われない手足に肌寒さを感じ、彼女は上半身を後ろへひねって片手で丸まったジャージを引き寄せた。体を起こして座った体勢になり、上着に首と両腕を通して両足を上げてズボンを膝まで引き上げた。
週末に祖父が掃除をしてゴミが一掃される部屋にあっても壁際の据え置きゲーム機はずっと電源が入れっ放しだった。みちほは側に転がるヘッドフォンを取って耳につけ、リモコンで壁のシート型テレビに2D美少年を表示させた。体を裏返して腰を浮かせ、両手をついてビーフジャーキーの小袋が散らばる畳にコントローラーを探す。乙女ゲームを楽しむ準備は万端と鼻歌を歌った。
ゴッ、バーン!
ヘッドフォンをずらしたみちほは首を後ろへ曲げた。勢いよく部屋の戸が全開し、横へ足を蹴り上げたセーラー服の少女。両手でお盆を持つエリがお尻を見て笑みを浮かべた。
「まあ、パンツにも猫ちゃんね。それもおばあちゃんが買ってくるんだ」
「げぇっ。なんで、わっ、ちょっ」
慌てたみちほはズボンの履き口を引っ張って裾を踏み、畳にゴロンと尻を着いて腰パン状態で仰向けになった。引き戸を開けたままでエリが近づき、お盆から「どうぞ」と彼女へコップを差し出した。
みちほが小上がりにあぐらをかき、エリから分捕るようにコップを取って一気に飲み干した。
「まだ何か用があんのかよ」
ジャージの袖で口を拭いて彼女は不機嫌そうに見上げた。エリは側の畳上にお盆を置き、腰に両手を当てた。
「実は、わたしの正体は悪魔なの。それに魔法が使えるわ」
「フーン、そーですかー」
聞くだけ時間の無駄と思ったみちほが顔を後方へ向けた。窓の方に寄せられた布団の脇にコントローラーを見つけ、ゲームを始めようと腕を伸ばした。畳に手をついて体の向きをテレビへ変え、画面に映る乙女ゲームのキャラに向き合った。
お気に入りの2D美少年・ルークと同じゲームに出てくる男子・成海がキスするシーン。衝撃を受けたみちほはボーっと口を開け、エリが小上がりに片膝を乗せて鼻息を荒くした。
「どう、こんなこと魔法でやれるんだけど」
「…知らなかった。BLの裏モードがあったなんて」
「ち、ちがーう!!」
思い通りにならなかったエリは畳の上でバタバタと這ってみちほの前に躍り出た。彼女の両肩を掴んで激しく体を前後に揺らし、正座になって口角泡を飛ばした。
「みちほも公園に居たでしょ。照明灯から空を飛んだの、黒い服装の悪魔が!」
エリが桂木家にハクアが来た時のことを話し始め、みちほはすぐ飽きて顔を背けた。エリの話は息をつく間もなくビデオの倍速再生のような身振りを交え、悪魔や駆け魂の存在とM42やバディに関する事情が力説された。京太に話した内容と同じだが、早口になった分だけ十分とかからずに大団円を迎えた。
「――でお兄ちゃんとは血が繋がっていて、わたしは人間だったの」
話し終えたエリは感動に酔って胸を手で押さえた。みちほの方は布団にもたれてくちゃくちゃとビーフジャーキーを噛んでいた。飲み込んだ彼女がコップを前へ傾けた。
「ドリンクサービス、おかわり」
「ないわよ、映画館じゃないんだから。で、わたしの話をちゃんと聞いてたの」
エリが腕を組んで疑わしい目を向け、みちほはテレビ画面をチラ見して頬をぽりぽりと掻いた。
「よーするに、ハクアとか言う悪魔のバディになったエリ姉は専用スマホで魔法を使って駆け魂を集めるバイトを始めました。て、話でしょう」
頭の後ろで手を組んだみちほに、エリは難しい顔をした。畳にはビーフジャーキーだけでなく、あられの徳用パックが二袋置かれてどちらも口が空き、食事以外は部屋で乙女ゲームにどっぷりとはまる。自分のバディにするのは既定路線と言えども先が思いやられた。
みちほを協力させる策は用意してあった。膝頭を押さえたエリは体を前へグーッと傾けた。
「それじゃ、わたしのバディになってくれるわね」
「えっ。わたしがエリ姉の…」
お盆の上に載るM42を見ていた彼女が布団の背もたれから上体を起こした。悪魔が使う端末を渡して駆け魂回収を手伝わせようという腹積もりなのかと驚いた。ルークと成海のBLに未練は残るものの、面倒事に巻き込まれるのは御免だった。関わらない方が良いと判断し、冗談めかしてエリへ手を振った。
「駆け魂を捕まえるなら京兄でいいじゃん。宇宙人追いかけるの得意だしさ」
しかし、エリは背中を向けて壁際へ移動し、みちほの視線もそちらへ向いた。エリが四つん這いになってゲーム機の表面を指で突っつく。奇妙な行動にみちほはきょとんとして声をかけた。
「それPF3だから、高いし壊わさないでよ」
「ふーん。乙女ゲームとかは全部フリマサイトで手に入れるんだっけ」
「え、うん、まあね。今のショップは3Dしか置いてないから」
「ということは電子機器を使うのね、結局。フフフ……」
怪しく笑ってエリはゆっくりと立ち上がった。スカートのポケットからM42を取り出し、後ろへ突き出してニヤリとした。みちほはハッとして身を震わせた。端末画面のフリマサイトでPF3が落札され、価格はなんと500円。魔法の威力をまざまざと見せつけられ、両手でショートヘアを掻きむしった。
「リ、リアルでこんな不正は許されないだろ」
言葉とは裏腹に彼女は大きく心が揺さぶられた。すぐさまお盆からM42を手に取り、端末に生体情報を登録して親指を立てた。したり顔でエリは眉にかかる前髪を軽くはらった。
利害が一致する二人は何も言わずとも意志が疎通した。彼女たちは乙女ゲーム買い放題の絆で堅く結ばれ、みちほは無二の協力者となった。いずれ駆り出される朋己の恋人探しも、彼女の学校である舞島学園を中心に行われて不登校は解決してゆくのだった。
―― 次章予告 ――
舞島学園の選抜試験が終わったエリは新舞島駅裏商店街で駆け魂を探した。偶然見かけた朋己の跡を追い、山の上に怪しげな寺を見つける。門から覗くと、兄が巫女装束の女性に… ⇒FLAG+16へ