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―― これまでのあらすじ ――
中学三年のエリは悪魔の魂を持つ少女。実兄・朋己と離れ、桂木家で彩香の妹として暮らした。
先輩とデートさせる気らしい。エリさんは――京太の日記を覗いたみちほはエリに男子を連れてきたら何でも言うことを聞くと約束する。その言葉にニンマリとしたエリ。舞島学園の校門で待ち伏せ、みちほの車いすを公園に押していった。前輪を溝にはめて動けなくし、人を呼んでくると言って姿を消す。迎えに現れたのは自転車に乗る京太だった。
荷台の上で押し黙ったみちほだが、エリの暗躍によって京太に怒る理由が分かり、兄妹は仲直りして黒田家へ帰った。玄関で出迎えたエリが不登校を減らすことを命じる。みちほが頷いて部屋へ向かい、得意げなエリは自分のバディにするため彼女の跡を追った。
みちほは乙女ゲーム買い放題の魔法に感動し、利害が一致する二人の少女は手を結んだ。
本当のところ
新舞島駅のロータリーがある駅表は宣伝文句や安売り価格の看板が目立つ新舞島通りに面し、普段から賑やか。反対に、駅裏は駐輪場以外何もなかった。だが、しばらく歩くとヨーロッパの街並みを意識した石畳の商店街があり、コンクリートの壁面に石造りやレンガ模様が描かれた。週末は若い女性が一点物の洋服や靴、小物が並ぶガラス窓を見て歩いた。
腹をくくった朋己が占いの雑誌を閉じ、入り口に掲げられた小さい店名を見て回った。駅裏には初めて来た。十月は養子の件で会いづらく、誕生日は何も渡せず過ぎてしまった。十二月中旬、理由もなくプレゼントできる日までは二週間を切る。彼は焦って着てきた作業上着のポケットに手を突っ込んだ。
細い路地を抜けて複数の通りからなる商店街のメインストリートに出た。日曜日で広めの通りは歩く人が途切れない。買う気のない女性たちを避け、雑誌を腹に抱えて革バッグ専門店の扉を押し開けた。
「いらっしゃいま……」
扉の鈴が鳴って奥で作業中の男性が立ち上がり、怪訝そうに朋己の顔を眺めた。女性向け製品の店に中高生の少年は似つかわしくなかった。ゆったりしたサイズの上着の胸に「マイジマ工業」と刺繍され、工場で働く父親の制服なのかと思わせた。男性は工房になった一角を出て朋己へ近寄った。
「誰かへの贈り物を買いに来たの?」
「は、はい。僕の大事な…」
用件を言いかけて朋己は店内へ視線を逸らした。側の台に陳列された大きいバッグの値札は七万近く、その上の小さいのでも二万を超える。今日は余裕で払えるくらい準備した。だからといって数万円もする物を渡したら遠慮されるかも知れないと頭を掻いた。
店の男性は考え込んだ少年の様子に、それほどお金を持っていないのだろうと蓄えた髭をさすった。
「親孝行だね。リユース品なら安くなるけど」
「えっ、中古ですか」
意外な提案に朋己がまごついて目を左右へ動かした。彼の求めるものとはかけ離れたくたびれたイメージ。不安を見て取った男性は少年に手招きし、「こっちきて」と奥の工房へと導いた。
「お客さんから下取りしたバッグの中には程度のいいものが結構あるんだ。店に置いといてもすぐ売れるんだよ。ちょうど昨日、一つ引き取って…」
レジカウンター奥の作業台には片方の持ち手がない黒いハンドバッグが載っていた。朋己は売り物になるのか疑問に思った。
「これが中古品。使い込んで持ち手が取れたのか」
「いやいや、持ち手の部分は猫の噛み跡があるから外す作業をしててね。前の持ち主によると数回しか使ってないらしいよ。だから、新しいのを付けたら元通りさ」
「でも、一万円以上するんですよね」
朋己が恨めしそうな声を出して下を向いた。職人としては彼の母を喜ばせたいが、経営者としてはもう少し欲しいところだ。店の男性は腕組みして窓の外を見やった。商店街そのものが独身女性をターゲットにしているため、主婦層の客はほとんどいない。うまくいけば口コミで増えるかも知れないと算盤を弾いた。
「ま、これなら9800円かな」
少年は固まっていた。大柄な男性が口を押さえ、金額を間違えたと少し焦った。しかし、朋己は見上げて大きな瞳を輝かせた。
「ほんとですかぁ~」
「じゃあ、次の週末に取りに来てくれるかい。お金はその時でいいから」
「はい、よろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をして朋己は店を飛び出した。人の流れと逆方向へ歩き、女性たちをかき分けるように手を斜めに振った。都合よく事が進んで自信満々だった。
「よし、ラッキーアイテムは手に入れたぞ」
来た時とまったく違った気分の彼は路地の角を反対へ曲がり、知らない商店街を行当りばったりで楽しんだ。
桂木家は十時を過ぎた頃、彩香が歩いて帰ってきた。ポニーテールを揺らした表情は晴れやかで恰好はフード付きの黒いパーカーにジーパン。いかにも朝の散歩にぶらりと行ったかのように振る舞う。体重を減らすため休日にウォーキングを始めたが、近所の人にダイエット目的で黙々と歩く独身女と見られるのが嫌で見栄を張っていた。
ブロロロロロ……
門扉に手を掛けた彩香が振り向くと、ちはるのバイクが側に停車した。ヘルメットのバイザーを上げた彼女はバイクに跨ったまま話しかけた。
「感心感心、その分だと必ず痩せられるわ。来年の舞島レディースもOKね」
「しっ。声が大きいですよ、ちはるさん」
彩香は口の前に人差し指を立て、顔を左右に振って人影がないかを確かめた。ちはるは思わずフルフェイスの口部分を押さえた。
「ふふ、ごめんなさい。それじゃあ、お詫びのしるしに映画のチケットをあげるわ」
「もしかして旦那さんと行く予定だったのが急に行けなくなったって言うんじゃないですか」
「実はそうなの。キャンセルしても良かったんだけど、ちょうどエリの選抜試験が終わったところでしょ。来週の日曜に二人で行ってきなさい。メールで予約コードを送るわ、じゃあね」
手短に用件を言ってちはるがバイクで去っていった。彼女は志穂になるべく手助けしないよう頼まれた意図を酌み取り、桂木家へ顔を出すのを週一、二日に減らした。仕事が忙しいと聞いた彩香は薄々母がエリを養女にした事と関係があると感じた。
時折寒風が吹く中、ポカポカした体で彩香は玄関に入った。靴を脱いでスリッパを履いたが、一階はしんとしていた。ため息をついて階段に足を掛けて上った。
彩香は扉の前に立って静かに少し開けた。ベッドに掛け布団の盛り上がりが見え、遠慮なく扉を押し開けてつかつかと横へ移動した。ピクリとも動かない体を前に、思いっきり布団と毛布を引っ剥がして後ろへ捨てた。彩香の声が部屋の中に響いた。
「エリ、起きろー。もうすぐ昼だぞー」
「う~ん」
パジャマ姿のエリが両手を股の間に差し込んで丸まった。腰に手を当てた彩香は枕元に転がるスマホを目にした。
「あきれた子ね、舞島学園の試験から帰ってきて夜中までテレビを見てたのに。ベッドに入ってもスマホで遊んでたの」
彩香がどす黒い端末・M42を拾い上げ、軽さに驚いて背面を向けてロゴを見た。読めない文字に首をひねった。だが、どんなスマホでも志穂がデビット口座に振り込んだ小遣いが使えるエリの財布である。端末を手にして彩香は廊下へ向かった。
体を震わせたエリはもぞもぞと動き出した。手で毛布をかぶっていない太腿や尻をさすり、指で目をこすった。
「毛布と布団がない…って。あれ、もう朝だ」
「朝じゃなくて昼前。スマホは預かってるから、早く起きて下に来なさい」
扉が閉まってスリッパの足音が離れていった。エリは枕に手をついて体を起こし、ベッドの上に横座りであくびをした。口を押さえた彼女はM42がないのに気づき、彩香の言った意味が分かって慌てて跡を追った。
リビングではキッチンからの香ばしい匂いが漂っていた。ちはるの土産が置かれなくなったカウンターの反対にあるトースター。彩香が白い皿とマーガリンを持ってダイニングテーブルに運んでくる。そこへ戸が引かれてエリがとことこと向かう。エアコンが利き始めた部屋に廊下から冷たい空気が入り、彩香は渋い顔した。
「戸が閉まってないわよ。それと何でパジャマのままなの」
「だって『下に来なさい』としか言わなかったもん」
「あれ、着替えてと言わなかったっけ。まあいいわ、とりあえず戸は閉めてくれる」
彩香が棚のコップを取って冷蔵庫へ向かい、その背中へエリが舌を出した。二ヶ月経って慣れたのか、彩香の小言が多くなった。エリは志穂の小言にはあれこれ文句を垂れるくせにと思いつつ、リビングの戸をピシャリと閉めた。
ダイニングに戻ったエリは棚の引き出しからバターナイフを取り出し、何も載っていない皿の前にドカッと座った。
「スマホの目覚ましかけてたから起きるとこだったのに……大体、少し早く起きてウォーキングって、姉さまが簡単に痩せるわけないじゃん」
子供扱いに不満げなエリは悪態をついた。後ろから頭を挟むように腕が伸びてトーストと牛乳のコップがテーブルに載った。次の瞬間、太い指が彼女の両頬をつねった。
「コラ、誰が太ってるって言うのよっ」
「ひはう、ひってはひはら」
手首への必死のタップで痛みが和らいだ。だが、まだ背中に攻撃的な視線が突き刺さった感じを受ける。エリは赤くなった頬をさすり、苦しい言い訳をした。
「ウォーキングで痩せないのは一般論で、太ってるのは具体的な体形だから…」
「へー、じゃあ思ってないのかしら」
「う、うん。アメリカの指数ではそうなってる、多分」
椅子を引いてエリは深く腰掛け、トーストにかじりついた。彩香には「太っている」が禁句だと一ヶ月もしないうちに分かった。ただ、うっかりと口から出てしまう時があり、矛先を逸らす必要があった。口をもごもごさせたエリが振り向いた。
「あろれ、昨日寝ようとしたらスマホにメッセージが来たんだ。みちほは一人で服買いに行くのが恥ずかしいんだって」
「えっ。みっちゃんが服を……それは珍しいわ」
「駅裏の商店街についていく約束をしたの。だから返してくれないかな、スマホ」
「まあ、そういう事ならね」
彩香が反対側の席に回って椅子に腰掛け、パーカーのポケットから出したM42をテーブルに置いた。エリは口にトーストの残りを詰め、コップの牛乳を流し込んだ。何の話をしていたのか思い出そうとした彩香はハッとした。が、一足先にエリが立ってリビングへ行く。彼女の逃げ足の速さに脱帽するしかなかった。
ダイエットを始めて一ヶ月半、彩香はそろそろ体重を測ってみたかった。しかし、ちはるにすぐには効果が出ないと言われ、怖くなって体重計に乗れないでいた。少なくとも、エリは痩せたとは思っていない。年末まで先延ばしにしようと、空の食器を持つ彩香はすごすごと流しに向かった。