ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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視線の先に

 エリは桂木家から住宅街を走り抜け、新舞島駅の通りで信号待ちする間も足を上下させ、踏切を越えて駅裏の商店街へ走った。自ら逃がしたレベル0の駆け魂は今やレベル2に達した。前日まで部屋で舞島学園の激ムズ想定試験問答集と格闘した少女。試験後にM42で駆け魂センサーの3Dホログラムを表示させ、黒いマントの人物が指す鎌の刃部分が大きくなったのに気づき、マニュアルで駆け魂のレベルを知った。翌日にごろごろして過ごす予定は無残に吹き飛び、京太とみちほに緊急招集をかけた。

 古い住宅が軒を連ねる道路から出たエリの向かい側に石畳が敷かれた通りが延びる。商店街の入り口はアーケードがなく青空が覗く。膝に手をついて顔を上げ、通りの先を端から端へ眺めた。

 

「ハアハア……みちほはどこにいるんだろう。もう一度電話してみようかな」

 

 ジージャンのポケットから取り出した端末画面に溜まるメッセージ。全て読んだエリはみちほが煎餅屋で油を売っていると思ってムッとした。だが彼女の頼みを聞き入れ、通販サイトで高原煎餅店が良いレビューで溢れるようにM42を額に当てて念じた。手伝ってくれると思った京太に断られてエリもみちほに少し気を遣った。腰に巻いた勾留ビンを入りのポーチをさすり、商店街に吊り看板が見える店の前で待つとメッセージを送った。

 五分後、石畳を迂回したみちほの車いすがアスファルトの路地を出た。壁際で膝までのスカートを履く少女が手元を見つめ、みちほはダウンのポケットに両手を突っ込んだ。

 

「エリ姉、生足出して平気なの」

 

 彼女が寒そうな顔を向けた。エリはM42をポケットに仕舞ってデニム地の袖をまくった。

 

「ええ、太陽が出てるし、少し動けば体が温まるわ。レギンスは雪が降ってから衣替えよ」

「ひぇ~、まだ衣替えしてないのか」

「さ、わたしが押していくから。駆け魂センサーの反応を見てて」

 

 車いすの後ろに回ってエリはグリップを握った。レベルの上がった駆け魂が女性に取り憑いて悪さしないか心配で足早に押した。みちほはホログラムが浮かぶM42をスカートの上に載せ、手のひらに息を吹きかけた。

 二人は商店街のメインストリートを奥へ進み、駆け魂センサーに従って途中で交差する通りへ曲がった。だんだん新舞島駅から離れて山並みへ向かい、3Dホログラムの鎌は変わらず前方を指し示す。意味もなく過ぎる時間にみちほはシート上で渋面を作り、とうとう人気のない石畳と店舗が途切れる場所まで来た。周辺は民家がまばらで空き地が多く、数十メートル先に道路が右から左へ走り、奥に隣接する林がある。鎌の方向へ指差してみちほが後ろを向いた。

 

「林っていうかさ、あそこ山があるんだけど」

「いいえ、少し斜め向いてるからあっちに……いるのはお兄ちゃん!!」

「はぁ。お兄さんて、どこに」

 

 エリが突如一人で走り出し、残されたみちほは道路へ顔を突き出した。歩く人物はいるが朋己の風貌は知らなかった。そのうち民家に隠れて見えなくなり、諦めてハンドリムを回した。

 T字路は信号がなく、車いすが斜めに横切ってエリのいる方へ向いた。みちほは上方を見上げるエリが見えてパチンと指を鳴らした。額に手をかざして信号の地名表記を読み、片手に端末を持ってパパッと祖父に電話をかけた。

 白い御影石が無造作に草木が生える林の斜面に積まれた。エリは場違いな印象を受け、朋己を別の人と見間違えたのかと思った。素知らぬ顔でみちほが近づいて驚きの声を上げた。

 

「うわっ、こんなところに階段があるのか」

「お兄ちゃんが上っていったの。お寺があるみたい」

 

 道路脇に「安らぎの寺」と書かれた板切れが刺さり、綺麗に整備された石段が緩やかなカーブを描いて昇る。駆け魂センサーが指す駅裏の外れに怪しげな寺の案内。彼女たちはおそらくこの上に駆け魂がいるのだろうと目を合わせた。

 帰る気満々でみちほはM42をスカートのポケットに入れ、頭の後ろに手を組んで背もたれに体を預けた。

 

「でも、残念だなあ。車いすじゃ階段は上れないわ」

「美里南一丁目よ、みちほ」

「え、ここ美里北だよ」

「うちの最寄りのバス停。明日、学校が終わったら家に来てね」

 

 微笑んだエリが車いすの前へ体を傾けた。みちほが残念そうに「分かった…」と肩を落とし、エリはこぶしを強く握って向き直った。

 

「大丈夫、わたしに任せときなさい」

 

 胸を叩いたエリが寺への階段を上っていった。駆け魂を見たことがないみちほは意気込む理由が分からなかった。吹いた風で道路に枯れ葉が舞い、彼女はダウンの袖を引っ張って軽トラが迎えにくる交差点へ向かった。

 

 五十メートルもない頂上では敷地が白壁で囲われ、表札のない簡素な山門が口を開けて待ち構えた。エリは石段の端から山門の脇へ音を立てずに近寄り、そーっと中の様子をうかがった。正面に建つお堂前で朋己が巫女装束の人物と向き合い、棒立ちで口を開けていた。女性を前にした兄の姿だった。

 すぐにでも朋己のフォローに行きたい一心を抑えた。女性の周りを薄く覆うように駆け魂の妖気が漂い、エリはM42を出して画面にドクロマークの赤い点滅を確認した。兄が側に居ては凶悪な駆け魂を刺激する訳にもいかず離れて見守った。しばらくすると、女性が会釈して朋己の横を通り過ぎていき、慌ててエリがM42の裏を向けて後ろ姿をカメラで撮影した。

 エリは端末を掴んで土の境内を兄の元へと一目散に走り、朋己は頭を掻いて駆けつけた妹に顔を向けた。

 

「エリが一緒にいる。おや、ここはどこだっけ」

「お兄ちゃん、大丈夫なの」

「え、顔が赤いけど何かあったのか」

 

 朋己が心配そうな顔をしてエリを見つめた。妹を任せっきりにして最近は彩香と連絡を取っていなかった。彼女を頭に思い浮かべた彼は巫女装束の女性がいないことに気づいた。

 駆け魂の事を話さずに危険性を伝えようと、エリが立てた人差し指をくるくると回した。

 

「えっとね、ここまで走ってきたんだ。それより、さっきの女の人何か怪しくなかった?」

「さっきの女の人……あっ」

 

 朋己はエリの言葉で女性が幻でなく実在するのを思い出した。寺の山門をくぐった彼は彩香に体形が似た巫女装束の後ろ姿を見かけ、どんな顔か知りたくて彼女の背中へ声をかけた。そこから彼の記憶は飛んでいる。けれど、その女性の外見で妹が悪い人間と判断したと思った彼は無性に腹が立った。

 

「怪しいなんて失礼だぞ、エリ。世の中にはいい人も多いし、きっと彼女は美人なんだよ」

「えぇ~、さっきの人がタイプだったの!」

「は、何を言い出すんだ。いい人は一般論で、美人は具体的な…」

 

 当たらずといえども遠からず。照れて赤面した朋己をエリはじろじろと見た。日曜にもかかわらず、兄は実習用のジャンパーを着て占いの雑誌を持っていた。妹は金曜までの実習でヘトヘトなのに占いを信じて彼女に会いに来るくらいの本気度と推測した。

 朋己は体がむずがゆくなり、また迷惑を掛けないために有らぬ誤解を解こうと口を開いた。

 

「タイプじゃなくてさ。ほら、エリに似てショートヘアだから親しみが湧いたというか」

「え、わたし髪は肩までだし、彼女みたいに短く……ってことは、お兄ちゃんから話しかけたの」

「いや、それはその…」

「そんで何を話したの、美人さんと」

「う~ん」

 

 ますますエリに誤解されて朋己は頭を抱えた。こうなると残された手段は一つ、彼はポンと手を叩いた。

 

「あ、寮でやる事あるんだった。今度電話するからね」

「えっ。ちょっと、お兄ちゃーん」

 

 エリが体を反転させる間に、朋己は山門の近くまで走っていた。急いで跡を追ったものの、弧を描いた石段に姿はなく樹木がうっそうと生い茂った。

 結局、エリは昼食をとりに家へ帰ることにした。駆け魂に取り憑かれた女性は気になるが、肝心な心のスキマから出す方法を知らなかった。彼女に兄が恋したと思うと悩ましく、歩いて体が冷えた帰路でスカートから出た生足に風が吹きつける。ヒヤッとした少女は走って帰った。

 

 桂木家のキッチン隅でエリはボールペンを口にくわえ、冷蔵庫のカレンダーに目を向けた。汁までペロリと平らげたカレーヌードルの容器が流しに置かれた。みちほが言うには京太は角研の週末職業体験に応募して土日は忙しいとの事。月曜の欄に彼の名前を書き、並んだ黒い数字の下に線を引っ張った。

 エリの後ろで戸が引かれ、彩香が買い物から帰ってきた。入ってくるなり彼女は屈んでエリのふくらはぎに手のひらを当てた。

 

「ほ~ら、冷たいでしょう。そんな格好して出かけて」

「全然。姉さまと違って走ってきたから」

 

 カレンダーの前でエリは動こうともしない。腰を伸ばした彩香はやせ我慢を察し、口を押さえて少女の顔を覗き込んだ。

 

「天気予報では今週末から寒くなるらしいわよ」

「そっか。じゃあ、それまでに駅裏の方は何とかしないと」

「あら、今日は服買えなかったの。意外と気難しいわね。そうそう、みっちゃんや京太君を呼んでクリスマスの夜にパーティしようと思ってるんだけど、プレゼント交換してさ。裕太君は冬合宿があるからダメなの。それで、朋己くんは忙しかったりするのかしら」

「クリスマスは来週の土曜日…」

 

 エリが「24」の青い数字を丸で囲んだ。先週に実習があったと思い込んだ妹は朋己が一週おきの苦手な実習で疲れていると思った。その下に京太とみちほの名前を書き、ボールペンにキャップをはめてつぶやいた。

 

「お兄ちゃんは来れないと思う」

「そうなんだ。まあ、仕方ないわね」

「よし、今週が勝負だっ」

 

 ボールペンを握り締めてエリは振り向いた。帰ってから部屋でジージャンを壁に掛けた後、駆け魂回収マニュアルをペラペラとめくり、『攻略』のページを見つけた。駆け魂を出す方法が書かれた文章を読み進めると、巫女装束の女性と朋己のデートが現実味を帯びた。彩香の脇を通ったエリが目を血走らせ、廊下に出てずんずんと歩いていった。

 エリの様子に彩香は小首をかしげ、買い物袋の口を広げて白菜を取り出した。袋の底に黒いものが見えた彼女は廊下への引き戸に手を掛けた。

 

「エリ、Sサイズのレギンス買ってきたわよー」

 

 階段を上るエリは返事もなく二階に行った。彩香は夕食の時に渡せばいいかと思い、戸を閉めて冷蔵庫へ向いた。カレンダーに何やら線が引いてあるが、今度の日曜日は無印。ちはるにもらったチケットの映画に行くのは問題ないと思った。

 

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