中学三年のエリは悪魔の魂を持つ少女。実兄・朋己と離れ、桂木家で彩香の妹として暮らした。
季節は師走に入り、日曜は朋己が女性に渡すプレゼントを買いに出かけ、彩香がダイエットのためにウォーキングに勤しむ。一方、エリには自ら逃がした駆け魂を捕まえる仕事が待っていた。
エリは新舞島駅裏の外れで朋己を見かけ、跡を追って寺の石段を上った。山門から境内を覗くと、彼と話す巫女装束の女性に駆け魂センサーが反応した。彼女は当麻と名乗り、宿坊の従業員で無料カウンセラーと分かった。
心のスキマを埋めるのは人間の欲望。当麻の欲望が何かを試そうとエリが差し向けた京太の変装はバレて失敗した。代わりに、乙女ゲーム好きのみちほに白羽の矢が立った。
みちほが当麻と休憩所のカウンセリングルームに入り、エリは外で曇りガラスに耳を貼り付けた。
告白インポッシブル
みちほは休憩所と呼ばれる平屋に足を踏み入れた。土産売り場の様相を呈する手狭な右側の端にレジカウンターがあり、左側はパンフレットの棚に台が併設されて壁に「アンケートコーナー」の紙が貼られた。パンフレットは結婚情報のものが観光案内よりも多かった。左奥の壁際にチラッと目をやり、横に立つ幟がカウンセリングルームはスライド扉を入った部屋だと教えた。
暖簾のかかった奥から巫女装束の当麻が人のいないレジカウンターに現れた。会釈した彼女は寺のお薦め商品が置かれた台の前へ出てきた。エリから言われた通りに、みちほが男子のふりをしてモジモジと手のひらを擦り合わせた。
「あの、僕サッカー部に入ってて……お姉さんに話を聞いて欲しくて」
「ふふふ、かわいい男の子ね。どうぞどうぞ」
当麻が愛想よくスライド扉へ向かい、扉を開けて部屋に入った。少し太めの彼女にみちほは悪い印象を受けなかった。駆け魂が取り憑く女性とは聞かされていたが、到って普通の大人の女性に見えた。
カウンセリングルームの中へ、みちほは考えもなく入った。アイボリーの細長い本革ソファーが透明な天板のローテーブルを挟んで向かい合い、窓の両脇に背が高い観葉植物を置く室内。スライド扉を閉じた白い壁紙が囲む空間はシェードが上がった南の窓から斜めに短く日が射し込み、曇りガラスに窓外の赤いモミジが映えた。当麻が壁のパネルを押し、天井の明かりとエアコンを点けてニッコリと笑った。
「そちらの壁に脱いだコートをお掛け下さい。扉に鍵はかかりません。ですが、密閉性は十分で少しでも開くとテーブルの端にあるランプが点ります。壁は防音になってますから隣の部屋へ会話が漏れたりしないので安心して下さいね」
説明を聞いたみちほは壁からハンガーを取り、脱いだベンチコートを掛けて戻した。まともに洋服すら持たないみちほが着るのは兄・裕太が着れなくなったスポーツウェアである。つっかけた白いランニングシューズはかかとに指が入り、両腕両脚にラインが入った青いジャージは丈こそ合うものの、横はぶかぶかで成長期の女子の体形を隠して都合が良かった。ついでに壁に掛かる四角いミラーを見て前髪にボサボサ感を付けた。
手前のソファーの背に手を掛けて角を回ってみちほは曇りガラスへ向いた。下の方にエリと思われる人影が黒く映り、ストンと腰を下ろして正面に座った当麻に苦笑いを浮かべた。頭の中は彼女の気を惹くことに考えを張り巡らせるが、なかなか良いセリフは思いつかずに安直な作戦に愚痴をこぼした――だって、わたし男子じゃないもん。
当麻に顔には出ないみちほの気を惹こうとする考えが伝わった。なで肩で短髪でもなく髪を伸ばして結んでもない中途半端に襟足が伸びる首筋を見つめ、膝の上に肘を乗せて手を組んだ。運動部と言う割に白い肌。「わたし男子じゃないもん」と耳の奥深くに聞こえてきた。彼女は駆け魂に取り憑かれた影響で観察しているうちにカウンセリング相手の思考が手に取るように分かった。そのかわり、自分の欲望を前に理性がぶっ飛んだ。
「嬉しいわ、男の子じゃなかったのね」
「え、何のことでしょう」
「隠さなくてもいいのよ。あなたの心の声が聞こえたから」
「心の声?」
「そう、私が好きなの。私もかわいい女の子は好き」
頬のそばかすがチャーミングに見えて当麻が微笑んだ。立ち上がった彼女は負の感情に突き動かされてふらふらとローテーブルの周りを歩き始めた。
みちほはジャージの前を上下になでた。中学に入って胸のカップが大きくなったとはいえ、いまだにスラックスで通う舞島学園では先生に顔を見て男子と間違われた。本当に心の声が聞こえるのだろうかと考え込んだ。
ソファーに腰掛けた当麻は少女が無防備に置く手を取って両手で揉んだ。みちほがビックリして飛び上がった。
「一体何しようってんだ、あんた」
「うふふ、いい事しましょう」
思った通り、当麻は触れた手が小さく柔らかい女子のものだと笑顔を見せた。心のスキマに入り込んだ駆け魂のせいで気分が高揚して見境がなくなり、目の前の中学生をソファーの反対側へ押し倒した。バディにも見えるくらい彼女の妖気が体を覆った。ソファーの背もたれと座面に上半身が挟まったみちほは押さえ付けられた両腕を抜こうとじたばたした。
「うぇっ。た、た、助けて~」
「防音壁と言ったでしょ。でも、誰か入ってくるかしら」
当麻は人差し指を立ててスライド扉へ腕を振った。駆け魂の魔力で扉に鍵をかけて人間を入れなくし、ソファーに仰向けになった少女の体にクスリと笑った。ジャージのズボンに両手を掛けてスルッと膝まで下ろすと、いい加減に紐を結んだハーフパンツも一緒に脱げてクリーム色のショーツがあらわになった。みちほはぐるぐると目を回して気絶した。手の甲で口を押さえた当麻が高笑いし、勢いよく膝下からズボンを引っ剥がしてみちほの下半身は軽々と宙に舞い上がった。
当麻にとっての誤算は足首でとどまるはずが、抵抗なく靴が両方とも脱げてズボンがすっぽ抜けたことだった。そのため、窓際へ彼女の体がぽーんと倒れていった。
みちほは両足を革のソファーに打ちつけて目が覚めた。上体を少し起こしてパンツと靴下のみにされた危機的状況に慌て、体を反転させてソファーから転がり落ちた。立った当麻は指に掛かったハーフパンツを両手で引きちぎった。彼女から逃げ出そうとし、みちほが四つん這いで頭を低くして障害がない方の足で床を蹴った。
カウンセリングルームの扉が光に包まれ、一気に全開して小柄な人影が浮かんだ。ソファーの角から這い出たみちほに、エリが目を見開いた。
「お尻に猫ちゃんのパンツ……みちほだ。でも、何で脱いだのかな」
「エリ姉、助けてよぉ」
顔を上げたみちほは目に涙を溜め、体を震わせて当麻に襲われた惨状を訴えた。エリが曇りガラスの方へ目を向けた。口元に笑みを浮かべた当麻は目を光らせ、両手を広げてみちほを自分のものにすべく狙いを定めた。
駆け魂の妖気を漂わせてソファーの前をゆらりゆらりと移動する当麻。それを見たエリはカウンセリングルームの外側で腰を屈め、手のひらを下にして両手を並べてみちほへ振った。
「こっちにゆっくりと這うのよ。当麻さんを十分引き付けて」
「え~、捕まっちゃうよー」
みちほが後ろへ首を曲げて悲鳴に似た声を上げた。スライド扉の脇にエリはリュックを下ろしてブルゾンを脱いで上に載せた。パンフレットの棚まで戻って振り返り、目をつぶってトレーナーの胸に手を当てて大きく深呼吸すると、魔力が全身を覆って淡い光を放った。体にみなぎる力を感じてエリが目を開けた。
エリは猛然と走ってカウンセリングルームに入った。みちほの直前で踏み切ってジャンプし、空中で体を横に向けて黒いレギンスの両足を揃えた。
「悪魔キーーック!」
靴裏が床へ腰を曲げた当麻の胸にヒットし、彼女が後ろによろけて床に尻を着いた。みちほのつま先を越え、エリは両手を上げてトンっと着地した。めくれたスカートを直して巫女装束の女性へ怖い顔で睨んだ。
トレーナーの袖がちょいちょいと引かれ、後ろに立つみちほが気まずそうに耳打ちする。エリはスライド扉へ向いて親指で差した。
「リュックに大きいタオルが入ってるわ。それと、荷物持って扉を閉めてきてちょうだい」
こくりと頷いてみちほが扉に向かい、エリは当麻へ視線を向けた。すっかり妖気が消えて正気に戻った彼女の顔をじっと見てエリが手のひらを差し出した。
「さあ、すべて話してもらいましょうか」
「は、はい……」
伏し目がちに返事をした当麻はエリの手を借りて立ち上がり、観念したかのようにとぼとぼと奥のソファーへ歩いた。
腰にスポーツタオルを巻いたみちほが股を閉じて戻ってきた。ローテーブルの横でエリが腕組みして背を向け、みちほは足元の床にリュックとブルゾンを置いて肘掛けに手をついてそっと太腿の裏をソファーの座面に着けた。当麻は端に居並ぶ少女たちから離れた真ん中寄りに膝に手を乗せて座った。みちほにした事は全て記憶にあり、小さくなった彼女が目を泳がせながら口を開いた。
「も、申し訳ありません。私、相談者の考えることが分かって行動が制御できなくなるんです」
「多分、それは駆け魂のせいね」
「いいえ、全部私自身がしたことです。どうやってお詫びしたらいいのか」
初めて聞く「駆け魂」が何か分からない当麻は責任転嫁するような気がして即座にエリの言葉を否定した。胸中は少女たちに平身低頭するばかりだが、別の胸中では会社への不信感が渦巻いていた。
「宿坊を経営する鳴沢パートナーズは成婚実績が重視されてノルマに厳しいんですよ」
当麻はローテーブルの天板に映る天井を見つめ、他人事といった感じでこぼした。分かりにくい社内事情にエリが立ったまま頬杖をついた。
「カウンセリングも結婚の会社に関係するって事かな」
「はい、相談を受けて結婚に興味ある人には登録を勧めます。登録は結構してもらえるのですが、成婚はまだ一件だけで支配人にカウンセリング内容が悪いと会う度に責められるんです」
「ふーん。カウンセラーは大変ですね」
「ですから、ノルマに焦って心の中でもやもやが大きくなってこんな事を…」
「それでムラムラしてみちほのジャージを脱がしてパンツ……は男子のじゃないな」
エリが人差し指を顎に当てて後ろへ顔を向けた。みちほは閉じた股を両手で押さえて視線を上へ逸らした。当麻は顔を赤らめて下を向き、恥ずかしさに唇を震わせた。
「私、女の子が好きなんですっ」
「へぇっ」
彼女が打ち明けた事実に思いも寄らずエリは口を閉じた。これでは当麻から駆け魂を出したとしても、朋己とデートさせることはできない。作戦のハードルはかなり下がったが、エリのやる気は大分とそがれた。カウンセリングルームの三人は黙って互いに牽制する空気を作った。