ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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暗中模索のち

 目が覚めたエリは汗ばんだブラに手を入れた。寝ぼけ眼で薄暗い部屋に気づくと、一瞬、天井に青白い光が走った。慌てて左右へ頭を倒し、PFPの画面に目を落とすみちほの顔に胸をなで下ろした。

 

「あぁ~、良かった。みちほと宿坊に泊まったんだった」

「何、変な夢でも見てたの。ブツブツ言ってたよ」

「うん。それがさ、彩香さんが怒ってるんだけどお兄ちゃんが隣で笑ってるの。理由聞いても教えてくれなくて帰っていっちゃうんだから」

「ふーん、心当たりがあるんでしょ。勝手に家のボディミルクを持って来たとか」

「ギクッ」

 

 エリがそうっと掛け布団をめくり、下着から出た自分の肌をさすった。図星だったかとみちほはジトっとした目で眺めた。

 

「あと十分くらいはあるし、汗かいたんなら風呂に入ってくれば」

「ううん、別にいいわ。だけど寝る時は暖房を切らないとね」

 

 足元に挟まった浴衣を引っ張り、エリが肩に掛けて立ち上がった。畳に落ちた帯を拾うと布団の上に寝転がるみちほを跨いでテーブルの前に腰を下ろした。喉が渇いたエリは湯呑みをひっくり返し、ティーバッグを入れてポットの湯を注いだ。ゴクンと一気に飲み干して何かを思いついたように振り返った。

 

「当麻さん、ノルマでもやもやすると言ってたわ。これって駆け魂の攻略に使えないかな」

「ノルマねぇ。心のスキマを埋めるじゃなくて重しを取ることに……」

「どっちでも同じだわ。だから、彼女のノルマを水増しする方向で考えましょうよ」

 

 四つん這いでエリはPFPの画面がピカピカと光る枕元に向かい、乙女ゲームに興じるみちほが寝ながら片肘をついて冷ややかな視線を向けた。

 

「まさかとは思うけど、舞島市のサイトでカウンセリングを受けた人達の偽造婚姻届を出そうなんて事しないよね」

「へー、そういう事できるの」

 

 まるで考えてなかったかのように少女が聞き返した。エリは浴衣の前を大きくはだけて小さい胸をかすかに揺らし、答えを待ち構えて大きな瞳で見つめた。みちほは興味なさそうにPFPを持つ手元へ顔を戻した。

 

「まあ、本人確認のデジタル認証がアレだけど魔法使えば受け付けられるんじゃない」

「うんうん。で、結婚した証拠はどうやって手に入れるの」

「証拠というか証明だね。役所からの電子文書はユニークID付きのデジタル証明書が発行されるし、多分届け出にアドレス欄があってメールで送ってくるんだよ」

「そんな簡単に結婚したことになるのか」

 

 エリは帯を締め直してみちほの体をぴょんと飛び越えた。自分の掛け布団をめくって中へ両足を挿し入れ、手を伸ばして彼女の背中から肩をガシッと掴んだ。

 

「朝食は8時だから早く寝なさい。明日は攻略に忙しいわよっ」

「ん、何?」

 

 自信ありげな言いつけはエンディングに涙するみちほの耳に入らなかった。後ろを向いて彼女は大人しく眠るエリに吐息をつき、次の攻略相手のためにPFPのスタートボタンを押した。

 

 日付が変わって日曜日の十時ごろ、太陽が射す住宅街の坂に朋己がいた。朝、寮で同部屋の人に女性物のハンドバッグを見られた彼は自ら茶化して門を出た。リュックに忍ばせたバッグを彩香に渡すアイデアを考えて歩き回り、寒かった体がずいぶんと温まって実習用ジャンパーの胸元を少し広げた。

 朋己はこのまま坂を上がると考えなしに桂木家に着いてしまうと思い、横の路地へ曲がった。すると、黒いパーカーを着た彩香が目に入った。マズイと思って立ち止まったが、すぐに相手に気づかれた。

 

「おーい、朋己くん散歩してるの」

「あ、いや、その……え、駅に行くところです。午後から用があって」

「そう、忙しいの。にしても寒そうな恰好ね」

 

 彩香は振った手を再びポケットに突っ込んで朋己の元に近寄った。この日は最低気温が0度近くまで下がり、ニットを中に着込んで黄色いマフラーを首に巻いてウォーキングした。彼女にとって直接会うのは三ヶ月ぶりだった。彼が元気そうで安心した反面、養子の件に触れられず何を話していいのか迷って口を閉じた。

 目を合わせない朋己が下を向く態度を見せ、彩香は彼も居心地が悪いのだと感じた。あいにく、エリがみちほと宿坊に泊まって家に不在。けれど彼女と行く予定のチケットが余っていた。

 

「まだ時間あるよね、今から映画に行かない?」

「はい、時間はありますが…」

「じゃあ、イナズマの隣にあるシネコンへ行って観た後でお昼にしましょう。ちょうどエリの選抜試験が終わってから行こうと予約してたの」

「僕でいいんですか」

「もちろんよ。マイジマ工業ならバイクで送ってくわ」

 

 胸に刺繍された社名を見て彩香が肩をポンと叩き、路地を出て住宅街の坂を上った。朋己は都合よくバッグをプレゼントできるかも知れないと彼女についていった。

 桂木家からは法定速度を守ってタンデム走行で五分。新舞島駅の通り沿いのイナズマートと屋外駐車場を共用する舞島シネマズに到着し、白に青のラインが入った250ccバイクが建物前の二輪駐車場に停められた。彩香は朋己と並んで歩いてエリの近況について話し、入り口の自動ドアが開くと革ジャンのファスナーを下ろした。

 

「結果は明日発表だけど、選抜の方はちょっと難しいかなって。まあでも、エリの学力なら一般入試で合格すると思うから心配してないわ」

「すいません。何から何まで任せっきりにしちゃって」

「あら、エリはもう私のいも……い、今頃どうしてるのかなー、ハハハ。でね、この映画は前から彼女が楽しみにしてたのよ」

 

 つい養子話の方向へ口を滑らせそうになり、慌てて彩香は入ってすぐに並ぶ上演作品のデジタルサイネージ前に朋己を案内した。これから観る映画のタイトルは『メイド長は見た。三兄弟の泥沼不倫遺産相続バトル』。思わず二人はスクリーン番号をスマホの予約チケットと見比べた。

 

「すいません。昔からテレビを見てばかりで、特にドロドロしたドラマが好きなんです」

 

 申し訳なさそうに朋己が額を押さえ、彩香は彼の背中に手をまわして「とりあえず、観てみようか」と一緒に奥へ向かった。

 大河ドラマの主役に抜擢された大根女優と大して演技もうまくない元アイドルがスクリーンでつまらないドタバタ劇を繰り返した。観客がほとんどいない座席の暗がりに彩香が大あくびをして目をこすった。一方、隣の席は映画どころではなく、朋己がリュックを抱えて後のことを考えあぐねていた。おそらく昼食は二人きりになってプレゼントを手渡す絶好のチャンスだが、クリスマスを名目にするにはまだ早い気もする……などと考えて上映時間はもんもんとして過ぎていった。

 入り口側の角にフードコーナーがあり、ファーストフードは完全無人で提供された。彩香は四角いパンズのハンバーガーと脂っこい太めのポテトの入った紙製容器を二つプレートに載せて朋己が待つテーブルへ運んだ。窓は全面ガラス張りで日当たりが良く、革ジャンを脱いで彼女が横の椅子に掛けて彼の正面に座り、プレートを押し出して先に買った飲み物を引き寄せた。

 

「さ、遠慮なく食べてちょうだい」

「はぁ…」

 

 朋己は映画をイメージしたカップのストローを口に含んだ。この場でプレゼントを渡すと決心した彼は食事で手が汚れる前に渡そうとタイミングを見計らっていた。週末でカップルや家族連れで賑わう昼時のフードコーナー。周りの人達を服を着たマネキンと思うことにして雑音に耳を塞ぎ、テーブルの脚に立て掛けたリュックに手を伸ばした。

 膝に載せたリュックを開けて朋己が中を覗き、彩香はハンバーガーを一口かじって彼へ目を向けた。

 

「ほーひや、フリスマスは忙しいんだってね。エリに聞いたわ」

「えっ、僕ですか」

 

 驚いた朋己は顔を上げて知らないという表情をした。彩香は首をかしげて聞いた時の様子を思い浮かべた。

 

「気合入った感じで言ってたんだけど。あれ、何か勘違いしてたのかな」

「そうですね、エリは思い込みが激しい時があるので」

「それじゃ、土曜の夜に朋己くんも来れるかしら。みんなで食事してケーキ食べたり、プレゼント交換したりするのよ」

「プレゼントを……はい、行かせて頂きます」

 

 すっきりした気持ちで朋己は返事をし、蓋を閉じたリュックを側の床に置いた。ハンドバッグの出番は当日に決まった。彩香と妹が暮らす桂木家のクリスマスは静かでいい雰囲気になりそうな予感がした。彼は三人でのパーティを想定し、エリのプレゼントを用意する必要があると考えながらポテトをつまんだ。

 笑顔になった朋己に、彩香は誘って良かったと思った。何だかんだ言っても高校生だし、妹だけが養子にもらわれて何も知らされず一人で寂しいのだと感じた。

 

「エリも慣れてきて最近は色々と言うのよ。こないだは私がウォーキングから帰ったら……あ、その、健康のために始めたんだけどね」

「そう言えば、彩香さんは顔が以前より痩せてるような気がします」

「でしょでしょ。でも、エリは全然気づかなくて逆に痩せる訳ないとか言うんだから」

 

 彩香は家でエリが気兼ねなく過ごす話をしたつもりだった。だが、愚痴っぽく言ったのが悪かったのか、聞いた朋己は真顔に変わった。

 

「信じられない、なんて失礼な事を。よく言って聞かせます」

「ははは、そんな大した事じゃないけど」

 

 苦笑して手を振る彩香の前で朋己が上着のポケットからスマホを出した。彼はせかせかと電話をかけた。相手の名前を出さずに終始冷静な口調で叱りつけるような声が聞こえた。

 

「分かってるのか。そういうのを世間ではハラスメントと言うんだ。パワハラやセクハラは法律で明確に犯罪と規定されているし、制定された年は社会の教科書にも載っているしな。これからは気をつけろよ、もう切るぞ」

 

 朋己は有無を言わせずに通話を切り、スマホを仕舞って頭を掻いた。その妥協のない態度は普段大人しい彼だからこそ通じるものであった。エリに怒ってばかりの彩香には大いに参考になり、さすがに兄としての年季が違うと思わせた。

 シネコンを出て彩香は朋己を後ろに乗せてバイクで十五分ほど走った。マイジマ工業は舞島市南西の国道沿いに工場が広がり、同じ敷地内に本社ビルが建っていた。社名が彫られた石碑を囲む芝生の前でスタンドを立て、リアボックスに彼から受け取ったヘルメットを入れて黄色いマフラーを取り出した。

 

「寒いから風邪ひかないでね、お兄ちゃん」

 

 彩香がマフラーの両端を持って朋己の首にふわっと掛けた。彼女の言葉は彼を家族同然に思っている証だったが、少年は毛糸地に残る女性の匂いに興奮して上の空だった。

 早速、朋己はマフラーを首にぐるぐる巻きにし、桂木家へ帰っていく彩香を見送った。昼食帰りの工員にジロジロと見られても夢見心地で小さく手のひらを揺らした。カーブの先にバイクが見えなくなると、ようやく腕を下げた彼は大きな瞳を輝かせて歩道にバス停を探し始めた。彼の頭では彼女が喜んでハンドバッグを受け取る姿がはっきりと描かれ、リュックの紐を握ってためらいなく寮へ帰った。

 

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