ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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計算された時間

 宿坊は日曜日の十時過ぎ、すでにエリたちが泊まった部屋の掃き出し窓はカーテンが空く。掛け布団が足元に寄せられ、浴衣のみちほが敷き布団の上に大の字で股を広げた。隣の布団はもぬけの殻。室内は窓から日が射して縁側を明るく照らし、暖房も効いて温かさを感じさせた。

 廊下からドタドタと足音が響き、昨日と同じトレーナーとスカートを着たエリが部屋のふすまを開けた。まだ起きていないみちほに目を見張り、乱暴にブルゾンをスポーツバッグの上へ放り投げた。布団を回ってエリは枕元にたたまれた着替えを拾い上げて指で靴下の伸びた片方をつまんでぷらぷらとさせ、意地悪そうな顔をして右足の脇にちょこんと正座した。下を向いて尖足のつま先をさすり、足先に半分裏返した靴下を入れた。

 少し目を開けたみちほは布が皮膚をこする感覚に腹を掻いて目を閉じたが、足裏をくすぐられて飛び起きた。

 

「ひゃっ、な、何やってんだよ」

「これで目が覚めたわね、早く服を着てご飯食べなさい。縁側で乾かした下着はそこの手提げ袋の中だから。そうそう、脱いだナイトブラはビニール袋に入れて持ち帰るのよ」

「ああ、もうチェックアウトの時間か」

 

 みちほは帯をほどきながらテーブルに置かれた朝食の膳に目をやった。エリが湯呑みにポットの湯を注ぐ手を止め、血相を変えて大きく手を振った。

 

「違うわよっ、昨日聞いてなかったの。当麻さんの駆け魂を攻略するって」

「だから暖房は切って寝たじゃん…」

 

 みちほがのろのろとブラの後ろに両手をまわして背中へ顔を向けてつぶやいた。すぐさま彼女の背中にエリが回り、ホックを留めてTシャツを頭にかぶせてジャージを肩に引っ掛けた。

 

「今、宿坊の事務所に行ってきたのよ。あなたの体調が悪いからチェックアウトを2時間延ばしてもらうように。だから、あと3時間あるわ。当麻さんにノートパソコンを借りたし、ノルマ達成のためにどんどん舞島市のサイトで婚姻届を偽造しましょう!!」

 

 テーブルに戻ったエリはノートPCの画面を開いて気勢を上げた。みちほはTシャツを下へ引っ張って頭を出し、薄い筐体の13型ディスプレイを細い目で苦々しく眺めた。彼女たちは文書偽造に抵抗感のない点では共通していた。それでも、単調な入力作業をさせられる方はたまったものではなかった。

 みちほは時間稼ぎしようと考え、布団の上でのんびりとジャージに着替えた。そうして、朝食のおかずを少しずつ口に運んで「うわ、おいしい」、「これは初めての味」、「どうやって作るんだろう」といったコメントを言ってはたびたび箸を止めた。テーブルに両肘をついて訝しむエリの視線を物ともせず、食後に彼女は廊下の洗面所で長々と歯を磨いて身だしなみを整え、いつも以上に入念にエリに借りたヘアブラシで髪をとかした。

 気長に構える彼女の鼻歌が聞こえ、エリは立ち上がってふすまをバンッと開けた。洗面所の横に現れて怖い顔で手を上げた。みちほが首をすくめて目をつぶると、前髪を二つに分けて耳の手前で自分のヘアピンを留めた。

 

「これで髪型はいいでしょ。さあ、早く攻略を手伝ってよ」

 

 エリは髪をくしゃくしゃとばらして部屋へと入り、みちほは別の手を考えるかと鏡に映る前髪の分け目に沿って人差し指を這わせた。

 何もしないまま一時間が過ぎた。エリが横で足を崩して画面を覗き込み、ノートPCの前にあぐらをかいたみちほがタッチパネルを指先でつんつんと突いた。ブラウザに舞島市のサイトが表示されたものの、彼女は畳に片手をついてズボンの中に手を入れた。

 

「エリ姉、このレギンスぶかぶかで気持ち悪くて」

「だって彩香さんのLサイズだから……って今は関係ないでしょ。さ、上部のリンクから届け出のページに行けるわ」

「あははは。それがさ、画面が小さくてわたしの指だと押しにくいんだけど」

「今度は何なの。じゃあ、ちょっと手を出してよ」

 

 エリは見るからにやる気のないみちほにあきれて手のひらを向けた。だが、実際に手を合わせてみると彼女の指は自分より1センチも長く、ポインティングデバイスがタッチパネルのみで不便に思えた。仕方なくブルゾンを手にして立ち上がった。みちほが気持ちよさそうに両腕を上げて後ろの布団に体を倒し、エリが当麻と休憩所で使い古しのマウスを探して借りてくるまで三十分かかった。

 作業できる態勢が整ってみちほはノートPCの画面に向いた。当麻がカウンセリングした人達のデータは全てディスク内に残り、その個人情報を使って婚姻届フォームに入力した。不意に、頬を緩めた彼女がエリの手にするM42を指差した。

 

「婚姻証明を受け取る二人分のメールアドレスが必要なんだ。そっちの端末でフリーのアカウントとってくれる」

「え、フリーって一体どこのを…」

「ああ、わたしが知ってるサイトを教えるよ」

 

 みちほが言った短縮URLを手打ちして端末画面に表示し、エリは右端で揃う蛇のような文字のページに目を丸くした。アラビア語と聞かされて半信半疑でアカウントを登録し終えた頃には残り一時間を切り、テーブルに顔を伏せてため息をついた。みちほが「トイレに行く」と言って部屋を出ていき、廊下から軽快な乙女ゲームのBGMが耳に入ると不満は爆発寸前だった。

 M42を握る手に振動が伝わってエリは顔を上げた。電話アプリが朋己の名前を通知し、端末を頬に寄せて当麻が女性を好きな事を説明しようとして言葉に詰まった。

 

「もしもし、お兄ちゃん。あの人のことなんだけどね。それが、その……」

「誰のことを言ってるんだ。彩香さんの件でかけたんだが」

「へぇっ、彩香さん?」

「そうだよ、彼女に痩せる訳がないと言っただろ。言う前に相手の気持ちを考えないとダメじゃないか」

「何だ、そんな事だったの。てっきり彼女のことを聞かれるのかと」

 

 エリがスマホの向こうで無責任な態度をとり、朋己は冷静な口調で叱るように言い聞かせた。

 

「分かってるのか。そういうのを世間ではハラスメントと言うんだ。パワハラやセクハラは法律で明確に犯罪と規定されているし、制定された年は社会の教科書にも載っているしな。これからは気をつけろよ、もう切るぞ」

 

 朋己が有無を言わせずに通話を切り、エリは顎に手を当てて押し黙った。わざわざ電話をかけてきた理由は分からなかったが、兄の話を聞いて何となく攻略のヒントをもらった気がした。当麻が水増しされたノルマを喜んでくれるだろうかと考えた――そうよ、他人に強制されたり、押しつけられたりすると気分が悪いわ。

 ふすまに聞き耳を立てていたみちほは静かに戸を引いた。端末を持って動かない様子に、朋己を怒ると怖い母・美雪のような人物と想像を膨らませた。彼女を見上げたエリはノートPCを閉じて「もう帰ろうか」と笑った。

 

 クリスマス当日の土曜日。午後を回って桂木家は彩香が買い物に出かけ、エリが家庭電話の受話器を取って月曜日に登録した通話先・鳴沢パートナーズを押した。リビングの隅で壁へ向き、自動応答のハラスメント通報システムに年寄りの喋り方を真似て訴えかけた。

 

「それが休憩所の方から大きな声で罵詈雑言が聞こえてきてねぇ。直後に支配人のバッジを付けた人が出てきたんだよ。心配で入り口から覗いたら巫女姿の女性が泣いてるじゃないか。わたしゃ、もうかわいそうになってさ」

 

 戸が引かれる音がして振り返った。反対の手に握るM42に、声色を変えるために使った魔力の泡沫が漂っていた。

 みちほは怪しい笑みを浮かべるエリを見なかったかのごとくダイニングへ歩き、ダウンジャケットを脱いで自分が座るリビング側の席に掛けた。今日はパーティにだけ参加して帰ろうと思い、家で着る猫柄のトレーナーにジーンズという食べ物をこぼしてもいい服装で来た。

 ダイニングテーブルには平たいラジコンカーのような機器上に受け皿が付いた物が四つ置かれ、そのうちの一つにフラワーリボン付きの白い紙袋が載った。それらは音楽をかけると一定の速度で卓上に円を描いて回ってランダムで止まるプレゼント交換に定番のグッズであり、みちほも町内の子供会行事で見たことがあった。前の受け皿に持ってきたプレゼントを置き、左斜め前に寝かされた紙袋の中身が気になって後ろを向いた。

 

「エリ姉、この前宿坊の支払いした時にスッカラカンになってたのにさ。よくプレゼントなんか買えたね」

「ああ、納戸にあったブラとショーツをお土産の袋に入れてみたの」

「は、京兄も来るんだろ。それが当たったらどうすんだよ」

「ふっふっふ、それはどうかな」

 

 エリは顔の前で人差し指を横に振り、不思議がるみちほの脇を通り過ぎてテーブルの奥へ向かった。対面キッチンを背にしてカウンター端にあるスピーカー付き音楽プレーヤーの前に両方の手のひらを並べて出した。

 

「プレゼント交換は音楽が命。今から実演してみせましょう」

「実演?」

「それじゃあ、ミュージックスタート!」

 

 音楽プレーヤーの再生ボタンが押されると、ジングルベルが流れて受け皿を載せた機器が同時に速いテンポに合わせて青く点滅して右回りにテーブル上を回転し始めた。エリは両手を指揮棒のように振ってリズムをとった。二つのプレゼントが数周回ってから音楽の途中でパッと止まって一瞬赤く光り、彼女が用意した下着セットはみちほの前でピタリと止まった。

 エリは音楽を止めて自慢げに手を広げてテーブルを回り、みちほの横に立って肩に手をまわしてかかとを浮かせた。

 

「どう、みちほが欲しがってたナイトブラは二つとも入れておいたわ」

「別に欲しいとは言ってないけどさ。そうだ、これ返すよ」

 

 みちほがジーンズのポケットから小指くらいの大きさの薄い物を取り出した。宿坊で付けたまま帰った三角形のヘアピン。彼女の前に回ったエリは手のひらを両手で握って受け取り、曖昧な分け目が付いた前髪を分けて耳の手前に留めた。

 

「うん、こっちの方が可愛い。気に入ったんでしょ」

「それじゃ、エリ姉が使えないじゃん…」

「いいのいいの。わたし、高校に入ったら背中まで伸ばす予定だから」

「そ、そう。要らないなら、もらっとくよ」

 

 気恥ずかしそうにみちほは頬を掻き、受け皿から垂れる赤いリボンへ目を向けた。容姿を褒められて悪い気はしなかった。駆け魂の攻略を手伝わされる面倒な相手と思っていたエリは女らしさを引き出してくれる年上の人だった。

 各席前に配置された機器はテーブル上を同じ距離移動し、みちほが祖父に頼んだビニール包装のぬいぐるみは右斜め前に移った。エリはプレゼントを元あった席前の受け皿に戻し、止まるまでの時間を念じてテーブルへM42を向けた。パーティの準備は完了してリビングに行き、ソファーの後ろから体をくの字に曲げて座面のブルゾンへ手を伸ばした。

 宿坊に泊まった時と同じスカートから黒いレギンスが覗き、みちほも椅子の背からダウンを取って歩いていった。

 

「新舞島寺に行くんだよね、エリ姉」

「え、みちほ……無理してついてこなくてもいいけど」

 

 上半身を起こしたエリは彼女をきょとんとして眺めた。みちほが視線を下げてボソッと言った。

 

「プレゼントのお返しくらいは手伝うよ」

「えっ」

 

 意外な申し出にエリは驚いてブルゾンを床に落とした。兄に怒られて嫌がるみちほを連れていくことを断念したけれど、凶悪な駆け魂に立ち向かう場面にバディがいるのは心強かった。一転して生き生きした表情に変わった。

 エリがブルゾンを拾おうと床にしゃがみ、近寄ったみちほが膝に手をついて腰を曲げた。

 

「で、ノルマはどうしたの。京兄が代わりにやったとか」

「ううん、当麻さんを責めてる支配人を宿坊から追い出す作戦に変更よ。今週は毎日本社に通報の電話をして、境内で京太と駆け魂が出てくるのを見張ってたの」

「ノルマを課してた方がいなくなれば心のスキマが埋まるって寸法か」

「ええ、社内からパワハラで犯罪者が出たら一大事だし、絶対処分されるわ」

「ま、昨今はハラスメントに厳しいからな」

「それじゃ、今日も駆け魂を見張りに寺へ行くわよ」

 

 ブルゾンに袖を通してエリがリビングの戸へ向くと、慌ててみちほが彼女の肩を掴んだ。

 

「あ、待ってよ。今日はじいちゃんがいないからバスでしか行けないんだ」

「だったら、次のバスは新舞島寺で降りましょう」

「次のバスって…駅裏へ行くバスは山の手まで停まらないけど」

「フフッ、わたしにはこれがあるわ」

 

 後ろを向くエリの笑みと顔横に掲げたM42は魔法でバスの運行経路を強制的に変えてタクシー代わりにすると物語っていた。その無秩序な悪魔の行動は冥界法治省によって人間の記憶から消されるのだが、知らないみちほは大胆不敵さにあきれて口を閉じた。

 エリは勾留ビンをシートに座るみちほに預け、後ろから車いすを押して玄関ポーチからスロープを下った。かくして駆け魂回収へ結束した二人は桂木家を出て最寄りのバス停に向かった。

 

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