ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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偽らざる女神

 朋己は桂木邸の応接間で養父母となる彩香の両親と対面した。3メートルの六人掛けソファーに座らされた時は緊張したものの、隣に彩香が座って志穂の声を聞いて不思議な懐かしさに気が緩んでいった。

 この日は彼らを養子にする最終的な打ち合わせ。中学生のエリの場合は子どもの保護を目的とした制度のもと、一定期間桂木家で暮らした上で問題なければ養子と認められる。だが、高校生の朋己は半分大人とみなされて裁判官の前で明確に意志を示さなければならない。志穂は家裁審判の手順や想定質問を説明し、落ち着いて正直に答えるよう勧めた。二人一緒に養子話をまとめたい彼女が雑談を交えて積極的に話す中で朋己は「ハイ」を繰り返し、タブレットで作成された提出書類に署名をして固い話は一時間かからずに終わった。

 志穂がタブレットの画面を確認して静かになり、黙って足を組んでいた彩香は立って朋己の肩に手を乗せた。

 

「真面目な話で疲れたでしょ、リビングで休憩しようよ」

「はいっ」

 

 朋己はそばかすが目立つ彩香の微笑みに明るく答えた。決して美人ではないが彼にとって笑顔はまぶしく、たとえ戸籍上の弟になっても気持ちは変わらないつもりだった。

 彩香が廊下に出ようとすると、リビングの父親から見合いの件で引き止められた。朋己は後ろを振り返った。彩香は小さく手を上げ、「ごめん、先に行ってて」と扉を閉めた。会話が気になる彼はサッと花瓶が置かれた台に体を寄せ、ガラスを通して応接間から見えないように隠れて扉に耳をそばだてた。

 

「メールは全部見たけど、まだ何かあるの」

 

 彩香は渋々ソファーへ戻って元の場所に座った。今度の見合いは事前に相手の詳細なスペックを聞かされ、会う前からハズレと分かっていた。ウエストポーチを開けてあぶらとり紙を一枚出して鼻に当て、父の問いかけに聞いたふりをして適当に相槌を打った。

 志穂はいつもなら夫の肩を持つが、今回は立ち上がってタブレットを小脇に抱えて手を叩いた。

 

「ハイハイ、その話はお終い。リビングで朋己くんが首を長くして待っているわよ、彩香」

「そうね、じゃあ私行くわ」

「あ、台所にココアの粉とクッキーが用意してあるから」

「分かった、お湯入れてけばいいのね」

 

 彩香のスリッパが床を叩く音が応接間から伝わり、朋己は慌てて足からスリッパを取って廊下をそろりと奥へ向かった。リビングの中央には一枚板の大きなテーブルが置かれ、最初通された時に脱いだコートが載っていた。先に着いて彼はほっとして長椅子に腰掛けた。

 桂木邸のリビングは午前中から薪ストーブに火がたかれた。厚手のチェックシャツを着た朋己は体がぽかぽかし、襟元に指を入れて少しひんやりした空気を入れた。彩香を待ちつつ彼が考えるのは廊下に漏れ聞こえた彼女の見合い相手のことだった。人物像を頭に思い浮かべて廊下へ目を向けると後方から声がした。

 

「ごめんなさい、待たせちゃったわね」

「あ、台所の出口はそこですか」

「ええ、応接間の奥がキッチンでここと繋がってるのよ」

 

 トレーナーの袖をまくった彩香がテーブルに四角いお盆からクッキーの皿と彼のカップを置き、自分のカップを持って隣に腰を下ろした。朋己は見合いの話について聞きたくても聞けず、緊張で口の中が乾いた。カップに口をつけた彼は熱いココアを一気に流し入れた。

 

「ゴホッ」

「ちょっと大丈夫、朋己」

 

 吐いたココアを朋己が口から垂らし、彩香は腰を浮かせてウエストポーチからフェイスタオルを取り出した。そのタオルは首周りの汗を何回か拭いたが、彼女は「まあ、いいか」と、弟も同然である彼の顔を構わず押さえた。

 クリスマスにもらったマフラーと同じ匂いが鼻に込み上げた。興奮した朋己は目を見開き、彼女の手を取って顔を向けた。

 

「彩香さん、お見合いなさるんですか」

「えっ。どうしたの、急に」

 

 一瞬戸惑ったが他人の恋愛話を聞きたい年頃なのかと思った。それなら話をするのはやぶさかでない彩香も、純真な瞳に見つめられると失敗続きの見合い黒歴史を披露することに気が引けた。むしろ、姉として最初に良いイメージを植え付けておこうと考えた。彼女は朋己の手を放して長椅子に手をついて座り、人差し指で頬をぽりぽりと掻いた。

 

「まぁ、見合いの話は結構あったんだけど今まで全部断ってたの。でも父さんもそろそろ孫の顔が見たいだろうし、とりあえず会ってみようと思ってさ」

「それじゃあ、彩香さんも結婚を考えて……」

「やーね、いきなりはないわよ。付き合ってみないとどんな男性か分からないじゃない。あと、顔が良くても生活力がないとダメだし」

「そ、そうですか」

 

 本音と受け止めて朋己はガックリと肩を落とした。魅力的な彩香を周りの大人達が放って置かないと知り、彼が学生で太刀打ちできないと悟ったからだ。片や、彩香は自分のついた嘘でいい気になり、朋己の前にこぼれる液体をタオルで拭きながら調子に乗って妄想を膨らました。

 

「やっぱり性格は大事よね。上背がある方が腕力があって頼りになりそうかな。ねえ、朋己はどう思う?」

「はぁ。どうして僕に聞くのですか」

「だって、私の結婚相手はイコール朋己のお兄さんでしょ」

 

 あっけらかんとした彩香に、朋己は「ははは…」と笑うしかなかった。桂木家の養子になることで彼女がますます遠ざかっていった。嘆息を漏らした彼は皿のクッキーを手に取った。さすがに志穂が今日のために駅ビル地下の有名な洋菓子店で買ってきた代物である。すっきりしたバターの甘みが口の中に広がっておいしく、パクパクと何枚でも食べられた。しかしながら、カップに残ったココアを飲み干した朋己の表情には珍しく不満が浮かんだ。

 休憩後、彼らはリビング奥の階段を上がった。二階はリビングの吹き抜けと中二階部分のフリースペースを挟んで東西に分かれ、案内する彩香が西側の廊下へ上がって斜め向かいの両引き戸を開けた。何も置かれていない八畳の和室は床の間があり、南に面した窓から澄んだ空が見えた。

 

「朋己、そこら辺に座ってくれる」

 

 彩香は奥まで行って観音開きのふすまを開けた。内部は中段やや下に液晶パネルがはめ込まれ、上半分は扉がない棚に金箔が貼られて仏像が飾られた。一風変わったオリジナル仏壇。端にあるスイッチを押してパネルに表示された遺影は二十秒ごとにデジタルフォトフレームのように映る人物が切り替わった。香炉に線香を立てた彼女が顔を後ろに向けると、朋己は引き戸付近の畳に正座していた。

 

「ほら、そんな遠くにいないでよ。近くに来て仏前に手を合わせましょ」

「すみません。ずかずかと部屋に入ってくのは失礼な気がして」

「ふふふ、朋己もちょっとは妹を見習わないとね。エリは最初から我が物顔にうちで生活し始めたわ。ほんと、今日も私がいない間に何してるんだか」

「はい…」

「そうそう、ちゃんと受験勉強するように電話しとかないと」

 

 リビングに置いたスマホを取りに彩香が廊下へ向かい、擦れ違いざまにウインクして部屋を出ていった。朋己はすっかりエリの姉になった彼女を何とも言えない気分で見送った。

 一人になった朋己はあぐらをかいて腕組みした。彩香が見合いする事は問題だった。といって、彼女がその相手とどうにかなるとは限らず、おそらく彼女の父の用意する見合い話は今回が最後ではない。それよりも、彼女に弟扱いされていては彼に望みはない。彩香との関係をどうするべきかという脳内議論はまとまらずに堂々巡りを繰り返し、やがて目がぐるぐると回って頭がくらくらとしてきた――――とうとう、朋己は仏壇の前で意識を失った。

 

 住宅街は完全に日が落ちて大分薄暗くなった。桂木家に帰ったエリは両手にそれぞれ勾留ビンとトートバッグを持ち、門を入ってお尻で門扉を閉めた。一匹しか駆け魂を回収できず体力的にも精神的にも疲れてスロープを上った。とぼとぼと踊り場に来ると二本の足が横たわり、上から大きな寝息が聞こえた。黒っぽいワンピースを着て白いエプロンをした女性が仰向けで眠っていた。

 

「外国人かな。でも何でこんなところに…」

 

 エリはスロープの手すりに背中を付けて横に歩き、広がったスカートの裾を踏まないように脇を通り抜けた。だが、頭の後ろで手を組んで枕にする女性の肘にスニーカーのつま先が当たり、目がパチッと開いた。

 

「しまった、起こしちゃった」

 

 ひょいっと彼女の頭を飛び越し、エリは警戒して身構えた。上体を起こした女性は手で口を押さえ、大きなあくびをした。ゆっくり立ち上がってエリの方を向いてペコっと頭を下げた。

 

「どーも、すいません。寝坊で遅くなりまして」

「は?」

「あ、違う。これは配達じゃなかった」

「何言ってるの」

 

 エリは彩香が帰ってくるまでに部屋でずっと勉強をしていた体を作るため、一刻も早く家の中に入りたかった。用のない来訪者にはお帰り願う他ないと片足を引いて道を開け、コホンと咳払いをして腕を伸ばして庭に生えた高木の脇へ指差した。

 

「どうぞ、出口は向こうです」

「いやいやいや」

 

 女性がのろのろと手を横に振って断り、カッとしたエリは勾留ビンを握る手の甲を彼女の前へ突き出した。

 

「いい加減にしないとケーサツ呼びますよ」

「ほー、これは珍しい。中の駆け魂は少女が捕まえたのかい」

「へぇっ」

 

 勾留ビンと女性を交互に見やってエリは首をかしげた。駆け魂の事を知っていて、しかも見えるのは普通の人間では有り得ないはず。彼女は悪魔かバディだろうかと訝しんだ。

 エリが腕を組んで彼女の顔をじろじろと眺め、スロープを足裏でトントンと叩いた。少女の怪しむ視線に気づいた女性は片手を腰に当てた。もう片方の手が頭のホワイトブリムを取ると、彼女の頭上に天使の輪が現れ、背中から生える白い翼が肩や腕を越えて両側へ伸び広がった。

 

「わたしの名はメルクリウス。天界から来た女神だ」

 

 天使の輪が銀色のショートボブと褐色の肌を明るく照らし、瞳の奥に人生を達観するかのような落ち着きを感じさせた。反面、彼女は長い前髪が片側にどさりと垂れて右半分顔が隠れ、眠そうに左目がとろんとし、ふわふわしたメイド服をまとって言葉が軽々しい印象を与える。女神と聞いてなおエリは面倒くさげな顔を崩さなかった。ハクアの時と同じように何か目的があるに違いないと思った。

 

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