ねーさま、ヨロシク!-桂木エリふたたび-   作:北河まき

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チェンジ

 エリはサーバーから湯気が立つコーヒーを得意げにカップへ注いだ。受け皿に載せて丸いお盆の真ん中に置き、両手で持ってカウンターの中を出て運んだ。久々に桂木家のカフェで挽いた豆から抽出したコーヒー。みちほの側まで来てお盆を片手に持って受け皿を親指の付け根に挟み、カウンター席で横を向く彼女の背後に「ほい、出来上がり」と腕を伸ばした。

 カウンターに皿を置こうとした時、ガラガラとカフェの戸が開いた。壁のアナログ時計は長針が真下を回ったところを指す。一時過ぎにメルクリウスが大人の男性を連れてくると思っていたエリはハッとして入り口の方へ顔を向けた。

 

「え、もう来ちゃった……じゃないな。高原くん、もしかして同じ住宅街に住んでたの?」

「あん、どこの誰が来たって」

 

 振り返ったみちほの肘が当たってカウンターに掛けた箒がパタンと倒れ、同時に丸椅子が回ってつま先で箒の柄を蹴っ飛ばした。その結果、箒は一回転して穂先がコーヒーカップの受け皿に軽く触れた。箒は以前にカフェの倉庫でエリが見つけたもので、筆状になった穂の先でちりやほこりを消滅させる能力を持った。おまけに、柄のダイヤルを回すと威力が上がってそれ以外の物を吹き飛ばす能力があった。

 

ドォーン

 

 受け皿ごとカップがカフェの入り口へすっ飛んでいき、夏也にぶつかる数十センチ手前で突如破裂した。この間、コンマ1、2秒。陰から現れたメルクリウスが人差し指を向けて指先から女神の力をビームのように放射して破壊したのだった。陶器の破片は粉々になって飛び散ったが、液体は半分程蒸発して残りは彼の着るジャージの胸にかかった。

 

「わっ、アチチ。一体何が起こったんだよ」

「説明すると長くなる。いいから、早く上着を脱ぐんだ」

 

 メルクリウスに言われた通り夏也はジャージの上着を脱ぎ、長袖シャツの胸の辺りを手で何回か撫でた。

 

「ふぅ、下まで染みなくて良かった」

「油断は良くない。やけどにならないように冷やしてやろう」

「高原くん、大丈夫?」

 

 彼らの元に来たエリが布巾を手に心配そうな表情で見上げた。彼女にじっと顔を見られ、夏也は嬉しそうに頷いて頭を掻いた。安堵したエリは側にいるメイド服を着た女性がメルクリウスと気づいて驚いた。

 

「うぇっ、メルクリウスさん。いつから…見合い相手はどうしたんですか」

「何を言っている、ちゃんと夏也を連れてきたぞ」

 

 メルクリウスが彼の胸に手を当てて女神の術を使いつつ顔を向け、夏也へ目をやったエリは腕組みして考え込んだ。夏也が見合い相手ということは彼が歩美の孫になる。歩美と十五歳の彼との年齢差を七十五と見積もり、歩美と彼女の子がそれぞれ三十代後半で子供を作れば辻褄が合わないこともなかった。

 カフェの奥にある扉が開き、大きな物音を聞きつけて彩香が保湿クリームを頬に塗り込みながら桂木家から入ってきた。

 

「ちょっと、あんたたち何暴れてるのよ」

 

 彩香は眉をひそめてカウンターの角を回った。呆気にとられるみちほの横を通り過ぎて腕を組んで仁王立ちした。入り口の戸は下の方にできたへこみと亀裂を隠すため段ボールが貼られ、てっきり、今日もエリたちが悪戯して何かを壊したと思った。だが、入り口脇に置かれた人工観葉植物の側にエリと高校生ぐらいの背丈の男女がいるだけで首をかしげた。

 

「あら、さっき大きい音がしたと思ったんだけど…」

「これはこれはお代官様。これはつまらぬ物ですが、どうぞお受け取り下さい」

 

 追い払われるのを恐れてメルクリウスはつかつかと彩香に近寄り、テレビで聞いたセリフとともに煎餅ビンを両手で差し出した。煎餅ビンは六匹の白い悪魔の霊魂が詰まっていた。けれど、普通の人間である彩香には空のガラス瓶にしか見えず、恰好からして冗談だと苦笑して受け取った。

 

「お、重いわね、これ。ははは……それで、あなたはエリの友達なのかしら」

「いやいや、私は夏也の見合いについてきただけだ」

「えっ、お見合い?」

 

 メルクリウスは眠そうな目をして真面目に言っているのか判断できなかった。困惑する彩香がガラスの瓶を腹に抱えて突っ立っていると、エリが入り口からバタバタと駆けてきた。

 

「待った待った。それはわたしがもらう予定なんだから」

 

 エリは丸めた服を天井へ突き上げ、煎餅ビンを持っていかれては困るという顔を向けた。彩香は彼女が仕組んだ事だとピンときた。「ついてきて、エリ」と言って体を後ろへ向け、ガラス瓶を落とさないようにそろそろと歩き始めた。

 奥に行った彩香は煎餅ビンをカウンターの角に置き、振り返って呆れ顔でエリを問い詰めた。

 

「で、あの人たちはどこの誰なの」

「三年一組の高原くんと、一緒に来た女性は女神…め、目が見えにくいお姉さんだよ」

「ふーん、同じ中学の子なのね。それで今から彼と何をするの。見合いがどうとか言ってたけど、受験前なんだし、羽目を外して遊んでちゃダメって分かってるわよね」

「え、えっと、その……」

 

 エリは腰に手を当てた彩香の顔がグッと近づき、見合いの話がバレて返答に窮した。夏也が来る事自体が想定外の出来事だった――なんでメルクリウスさんは大人の男性を連れてきてくれないのよ。作戦が台無しだわ。高原くんじゃ、どう見ても彩香さんと釣り合わないもの。ぜんぜん年齢も近くないし――と横へ視線を向けたエリはこの場を切り抜ける解決策に気づいた。

 

「あのね、実はみちほを紹介して欲しいって彼に頼まれたんだ」

「へっ。みっちゃんが男子に…」

 

 今度は彩香の方が絶句した。桂木家に来る姪のみちほはぶすっとした愛想のない顔を見せることが多く、姉の陰険な子供時代をいじめられた彩香に思い起こさせた。そーっとカウンターに手をついてみちほの陰から入り口の少年を覗き見た。襟足が少し伸びて女の子みたいな髪型だが真ん丸な瞳をして顔は悪くない。舞島学園に通う以外は家に引き籠もりがちと聞く彼女を知っているとなると、近くに住む男の子なのだろうかと色々と考えを張り巡らせた。

 彩香の頭が混乱していると感じ取り、エリはおずおずと染みを上にしてジャージを両手で持ち上げた。

 

「そ、それと姉さま、このジャージの上着にコーヒーをこぼしちゃってね」

「ああ、それは早く落とさないと。分かったわ、私に任せなさい。あなたたちしばらくここに居るわね。洗濯機に入れたら、お姉ちゃんの家に行ってくるから」

「うん。行ってらっしゃい」

 

 みちほと染みのことで頭がいっぱいになり、煎餅ビンを置いて彩香は家に入っていった。エリはしめしめと手で口を押さえた。しかし彩香に替わってカウンター席の椅子の上を四つん這いでしゃかしゃかと、みちほが凄い剣幕で迫った。

 

「何無責任なこと言ってんだよ。わたしをガラス瓶と交換するんじゃねえ!!」

「さて今日は日曜か。昼ドラの週間予約しなきゃ」

 

 エリがくるりと後ろを向いてM42をいじり始め、みちほは背中に噛みつかんばかりにこぶしを握って口をパクパクさせた。

 

「わ、わたしは家族以外の男と喋ったことないんだぞっ」

「ふーん」

 

 猛抗議を意に介さずエリは下を向いて指を動かし続けた。真面目に聞いていない態度に不満げなみちほは椅子から立ってタイツのずれを直し、ドカッと腰を下ろして斜めに足を組んだ。

 

「フン、あっちだってこんな変な取引に利用されていい迷惑だろ」

「そうかな。そしたら、高原くんは嫌々うちに来たの」

「ん?」

 

 みちほはエリの疑問に言葉を失い、きょとんとして椅子を反転させた。入り口の脇に立つ夏也は小さく手を振って微笑みかけた。途端に組んだ足を下ろして彼女が頬を赤らめ、股を閉じて中が見えないように短いスカートの裾を引っ張った。夏也にリアル男子を意識したみちほ。2D美少年とのエンディングは頭から消え、カフェに漂う深煎りコーヒーの香りがツンと鼻の奥へ突き抜けた。

 

 

 エリたちが見合いをしている頃の黒田家。カーディガンに袖を通した美雪は階段に掛けた足を下ろして玄関へ向かった。玄関脇に車の停まる音がして彩香が戸を開けると珍しく愛想よく出迎え、それから足元にスリッパを置いて二階のクローゼットに向かわず居間に通した。

 

「じゃあ、ゆっくり座っててちょうだい。お茶持ってくるから」

「えっ。気を遣わなくていいわよ。どうせ服を借りたらすぐ帰るんだし」

 

 彩香は手をパタパタと横に振った。今まで一度もお茶を出してくれたことはなく、元が意地悪な姉に無茶な頼み事をされないか不安混じりに上着のポケットに手を入れた。

 一方、台所に入ると美雪は戸をきっちりと閉めてテーブルの奥へ回り、スカートのポケットからスマホを出して電話をかけた。その目的は二階で昼寝をする真裕を叩き起こす事であり、自慢げにのろけ話を聞かせる相手の妹にだらしない夫の姿を見られたくはなかった。しかし、いくら待っても電話に出る気配はなく、舌打ちして美雪はスマホを仕舞った。

 居間は窓際のサイドボードの上に子どもたちの写真が所狭しと飾られた。暇を持て余した彩香はソファーの後ろから眺め、実家でも同じように応接間に飾ってあるのを思い出した。母・志穂への対抗心なのかと首をひねる彼女の後ろに台所から美雪が丸いお盆を持って戻った。

 

「なに立ってるの、彩香」

「あ、ちょっと写真を見てて。今日のみっちゃん、そこの写真と同じ服着てたけど、ずいぶん背が伸びたと思ってさ」

「ふふふ、成長したでしょ。みちほもやればできるのよ」

 

 美雪は桂木家でみちほを見て生活態度を改善させたと志穂が少しは自分を評価するだろうと柔和な笑顔になった。ローテーブルの左寄りに来客用の湯呑みを置いてソファーの右側に座り、真裕が起きるまで彩香と雑談でもして待つことにした。

 母親の顔を見せる美雪に、彩香は杞憂だったのかなと恐る恐るソファーの左側に腰を下ろした。

 

「そうそう、エリは毎日身長測っててね。高校卒業するまでに155cmを超えるんだって」

「155なら大丈夫じゃない。私も高校入ってから四、五センチは伸びたわ」

「でも、あの子はお姉ちゃんみたいに背が高くないから」

「そうね。それにしても、彩香が車で来るなんて珍しいわね。ちはるさんに借りたのかしら」

「ええ、鳴沢に朋己を連れていくために。昨日養子の件を話してきたの。これで朋己もエリも三月には正式に桂木の籍に入るわ」

「……えっ、昨日って。じゃあ今日は母さん桂木の家に来てないの」

 

 計算が狂った美雪は急に体を彩香へ向け、思わず膝に置いたお盆を下に落とした。カランという床に響く音にビクッとして彩香は湯呑みへ伸ばそうとした手を引っ込めた。

 

「へっ、なんで母さんなの。今日はエリの友達が来てるのよ」

「友達が来てる…ということは、エリちゃんはその事を言っていたのね」

 

 美雪はエリからの電話で桂木家に志穂が来ると勘違いしてしつけの成果を見せつけようと目論んでいた。当てが外れて悔しそうにサイドボードの上の写真に目を向け、卓上から湯呑みを取ってお茶を一気に飲み干した。

 突発的な美雪の行動に彩香は呆気にとられたが、エリが連絡をとっていたと知って彼女は桂木家での見合いの話を自分だけ知らなかったのかと口を尖らせた。

 

「なんだ、お姉ちゃんも見合いの話知ってたのね」

「何言ってるの。お見合いって、あんたがするんでしょ」

「今日うちのカフェでやってる方よ」

「え、結婚相談所にカフェを賃貸してるの?」

「はぁ、何それ」

 

 姉妹は互いの言う意味が分からなくて顔を見合わせた。沈黙する彼女たちのいる居間に渡り廊下の扉が開き、伯父でもある美雪の義父が入ってきてソファーの後方で彩香へ手を上げた。

 

「やあ彩香ちゃん、いらっしゃい。ところで、そっちに行っとるみちほはしばらく帰らんのかい」

「あ、お邪魔してます。多分そうだと思います。みっちゃんは男の子と会っているので」

「そうか、居ないなら掃除してやろうと思って今から……今、なんか言ったかな」

 

 一瞬立ち止まった彼は足早に彩香たちの後ろをぐるりと回り、対面するソファーに浅く腰掛けて前方へ顔を突き出した。

 

「みちほが男の子と会っていると聞こえたが…デ、デートなのか」

「みちほがデートですって!」

 

 ようやく話が飲み込めた美雪は口に手を当てて驚いた。彩香の話を総合すると、桂木家にエリの友達の男子が来てカフェで会っていることになる。エリと同学年なら二歳年上の彼。美雪たちはみちほが他人と会話する姿を微塵も想像できなく、それだけ部屋に籠ってゲーム三昧の娘は社会性に難があると思われていた。

 美雪がローテーブルの下からお盆を拾い上げ、空の湯呑みを片手に掴んで立ち上がった。

 

「喉が渇いたでしょ、代わり持ってくるわ。そうだ、お歳暮にもらった羊羹が残ってるのよ」

「えっ。ほんとに気を遣わなくても…」

「いいから、いいから。ゆっくり座っててちょうだい」

 

 嬉しそうな顔をして美雪は居間の隅へ向かった。統合端末のパネルを押した彼女が反転して台所の戸を開けると、エアコンが動き出して急速に部屋の空気を暖めた。正面のソファーに座る伯父は話を聞き漏らさないように、せっせと耳に小指を入れて耳垢をとった。

 彩香はいきなりの歓迎ぶりにお尻がむずむずしたが、みちほの恋愛は多分、黒田家の一大事なのだろうと思って上着を脱いで膝の上に置いた。

 

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