救援に来た偵察艦隊を背に進みだしてからすぐ。
あたしはついに、念願の宿敵との再会を果たした。
「久しぶりね、会いたかったわよ」
あたしの言葉を理解しているのか、《破砕》はギヒッと狂喜に満ちた笑みを浮かべる。
タイムリミットは、接近中の敵艦隊に挟撃されるまで。
それまでにこいつを——————焼き尽くす。
短く息を吐き、自分という存在の奥底にあるであろう本体、魂をイメージする。
輝き、ゆらめき、力強く脈打つそのイメージを、燃やす。
そうして、あたしの足元から火炎が迸った。
「燃えろ、クソ野郎が」
《破砕》は笑みを深くし、迫る火炎を器用に避ける。
海を這う炎で敵を誘導しながら、右手で作り出した火球を放り投げる。足元を悪くした上での波状攻撃でも捉えられないあたり、本能的な戦闘センスはさすがといったところか。
炎の合間を縫って、ヤツがあたしとの距離を詰めてくる。それも想定内だ。お前が接近できるように、わざと隙のできるように炎を巡らせたのだから。
禍々しく血管が隆起した右腕が振り上げられる。
その瞬間に、あたしは右手に集中させていた力を目の前の敵目掛けて一気に放つ。
あたしの右手から噴き出す火柱が、超至近距離でヤツを包み込んだ。
「グオオオオオオオオオオオ!!」
内臓に響く雄叫びがこだまする。
艦娘と深海棲艦はどちらも艤装の加護に護られている。
砲弾や魚雷、機銃による損傷の大方を艤装が肩代わりすることによって、肉体へのダメージを軽減してくれている。
だが当然、あたしのこの炎は本来搭載された装備ではない。しかもこの不思議な力は、どういうわけか
つまりヤツは艤装に護られることなく、生身の肉体を焼かれているのだ。
耐え難い激痛だろうが、あいつらの無念を、その程度の苦しみで受け切れると思うな。苦しめ、苦しめ、もっと苦しみ続けろ!
「ッ!?」
炎の中から、あの右腕が出てきた。
そしてそのまま、あたしの首が締め上げられた。
「がっ……ぁっ……!」
——————効いていない!? そんなはず……!
意識が乱れ、火柱が霧散してしまう。
炎の渦から解放されたヤツの身体には、多少の焦げ跡しか残っていなかった。
加減したつもりなどない。さっきの一撃で沈める気だった。あたしの全力の奥の手……それでも、届かないというのか。
そして、あたしの命は今まさに、こいつの手に握られている。巨岩だろうと、鉄塊だろうと、
酸欠で段々と意識が朦朧としてくる。こんな状態では炎も出せない。
結局、あたしは何も守れないのか。
この右腕に掴まれた時点で、あたしの負けは決まっている。艦娘としての死である「轟沈」ではなく、生物としての「死」が、すぐそこにある。
なのに、あたしにはまだそれが訪れない。ゆっくりと、力を込めて、首を締めあげられていく。
——————こいつ、あたしを弄んでいるのか。
ああ、最悪だ。結局あたしは何もできない。
一人で全部背負おうとして、全部取りこぼした。
こんなあたしでも見捨てずに救おうとしてくれた人の手を全部振りほどいてきて、そうやって独りであり続けた結果がこれだ。
復讐だけを望んで、いざ果たそうとした結果がこれだ。
惨めすぎる。哀れすぎる。消えてしまいたい。
もう——————殺してくれ。
大粒の涙があたしの眼から流れ落ち。
「ッ!!」
そして
《破砕》が意識外からの攻撃に警戒して距離をとったため、あたしは解放された。身体が酸素を求めて、内臓が飛び出しそうなほどむせ返る。
「あら~、威勢の割には随分苦戦してるのね~」
そう言って、天使の輪っかのような艤装が特徴的な悪魔は、何もない空間から新たな薙刀を出現させて、あたしの前に立った。
「曙! 大丈夫か!」
「ぁ……んたら……なんで、きたの……」
「本人が死にたいって言うなら私はそれでもよかったのだけど~、響ちゃんにどうしてもってお願いされちゃ、しょうがないわよね~」
「曙は素直じゃないからな。放っておくとすぐ無茶をする。……私にだって、あの三人と、暁の仇を討つ権利はあるだろう?」
——————なんで。
『龍田ー! 少しぐらいならワタシたちだけでも問題nothing! アケボーノのこと、頼みマース!』
「は~い。そっちもあんまり無理しないでね~?」
——————なんで、助けてくれるの。
「大丈夫だ。曙が回復するまでの時間稼ぎ、私たちに任せてくれ」
——————なんで、見捨てないの。
『——————曙』
響の無線から、あたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。
『必ず無事に帰ってこい。ここが、そいつらが、お前の帰る場所だ』
その男の声は、どこまでも暖かく、柔らかく、優しかった。
——————ああ。
——————あたし、独りじゃなかったんだ。
いつの間にか、またつながりができていたんだ。
ほんと、うざいんだから。
「アアアアアアアアアア!!」
雄叫び。そして、ぶぅん、という鈍い振動音。
ヤツが破砕したのは、先刻突き刺された龍田の薙刀だった。
細かく粉々にされたその残骸は、黒い微粒子となってヤツの身体を渦巻く。
そのまま突撃してくる《破砕》の猛攻を、薙刀で応戦する龍田。
接近されすぎて、黒い微粒子が龍田の右手首をかすめる。すると、かすめた部位から霧のような鮮血が噴き出した。
「っ……、破片の鎧ってところかしら~? 面倒ね~」
至近距離はヤツの縄張りなので、なるべく密着する時間を少なくして距離をとる。
二人の距離が開くと、すかさず遠方から響の援護射撃。砲弾は破片の微粒子に傷つけられて直前で爆発してしまい、本体へのダメージはないが、粒子の密度は明らかに少なくなっている。
援護射撃に気を取られれば、今度は龍田の薙刀が羅刹のごとく襲い掛かる。普段の底知れぬ目つきとは一変、明確な殺意を宿した瞳。右腕を斬り落とす気迫を込めた一撃は、《破砕》の右腕を捉えはしたものの、直前で右腕の筋肉が隆起し、甲高い金属音と散る火花と共に弾かれる。
「硬化……!? ほんっと、厄介……!」
渾身の一撃が弾かれ隙を晒す龍田に死の手が迫るが、遠方からの援護射撃がまたも龍田をフォローする。
遠近それぞれの役割を全うした見事なコンビネーション。さっきまでの獰猛な笑みは消え去り、《破砕》から苛立ちの表情が読み取れる。
ふと、ヤツの方から数歩距離をとり、その先に敵潜水艦が浮上してくる。《破砕》は潜水艦の頭部を右腕で鷲掴むと、鈍い振動音を鳴らして仲間を瓦礫の渦に変える。
「危ないっ!」
龍田はあたしを抱えて退避し、さっきまであたしが
その瓦礫の渦を、《破砕》は突然後方に向けだした。追撃してこない……? いや、違う!
「響っ!!」
直後、瓦礫が凄まじい勢いで後方へと飛んでいく。
その先にいる響へ、彼女の身体をズタズタにしながら。
「ぐぁっ……!!」
防御しきれなかった響は、そのままその場に崩れ落ちた。
《破砕》の力は、あたしと同種のものだと直感していた。
普通の艦娘、深海棲艦にはあり得ない力。
艤装の加護を貫通する、この凶悪な力。
だから響の艤装は全損せず、中破程度の損傷で済んでいる。だがそれが逆にどれだけまずいことか。
生身の人間なら死んでいてもおかしくない傷を負っても尚、
あたしの身体が海上に投げ出される。危機を察した龍田が、荷物を下ろして雄叫びお上げながら全速で駆けていく。だが無慈悲なことに、単純な速度でも《破砕》には敵わなかった。
響の右腕が、『死』に掴まれた。
あの日の地獄が、脳裏に蘇った。
あのクズに生贄に差し出された遠征艦隊。
巣にかかった獲物を嬲るような、一方的な蹂躙。
記憶にはない。でも身体が、魂が覚えている。すべてを焼き焦がす煉獄の海。
あいつらの死を、あたしはこの目で見てしまった。
それなのにおまえは、響さえもあたしの目の前で奪うのか。
あたしの中で、何かが切れるような音がした。
怒り。恨み。悲しみ。燃え盛る煉獄のような激情。
音すらも、あたしの世界から焼き尽くして。
あたしの視界が、紅く塗りつぶされていく——————。
《※※※》
——————ごめんね。
短く、心の中で呟きながら。
全力全速で、私は響ちゃんの右腕を切断した。
直後、ぶぅん、という忌々しい低音と共に、彼女の右腕だったものが細かい肉片となって粉々に破砕された。
本当に悪趣味な力だ。こいつがまだ呼吸をしていると思うだけではらわたが煮えくり返る。
でも、かなりまずい状況よね。一刻も早く響ちゃんを治療しないといけないし、目の前の怪物はまだピンピンしてる。さすがに二人を守りながらこいつと闘うなんて——————。
突如、私の刹那の思考は、凄まじい熱気によって遮られた。
何が起きているのかわからない。
信じがたい光景を目の当たりにして、それしか感想が出てこなかった。
海が、燃えている。
その上を歩く、火炎の化身。
なぜかそれは、曙ちゃんの姿をしていた。
火炎の化身から火柱が放たれ、《破砕》の左腕を捉える。
炎を浴びたヤツの左腕の関節から先の部分は、燃え上がる暇もなく蒸発した。
「グアアアアアアアアアア⁉」
その火力は、炎をかすめてすらいないのに、そばに居ただけの私の右肩をも赤黒く爛れさせるほどだった。
なんなの、この力。
敵か味方かわからない曙ちゃんらしきものを見やると、彼女自身の身体からも黒い煙が湧き出ているように見えた。
自分の炎で自分が焼かれている。
彼女自身、この力を使いこなせていないんだ。
思えば、あの大戦でもこんなことがあった。
艦娘も深海棲艦も関係なく、すべてを飲み込む殺戮の一撃が、味方側から放たれたことがある。
あんな装備、あんな兵器を私は知らなかった。正確には、
私たちの闘いは、今までの常識では測れない領域になっているのか。
私にこの状況をなんとかできるだろうか。
このままでは敵も味方も、本人さえも、この煉獄はすべてを飲み込んでしまう。
そう考えるこの場で一番無力な私は、きっと固い表情をしていたことだろう。